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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■大いなる好事家たち■


 星間信人という男が外見通りの男ではないことを知っている人間はさほど多くないのだが、月刊アトラスを出入りする人間の多くは、その事実をわきまえていた。それでも、アトラス編集部と言うのは実に狭いようで広く、信人を全く無害の人手として期待している人間も居たのである。そういったわけで、その日は小柄な信人の姿が、編集部の混迷の中にあった。
「はい、ちょっと、失礼。ああ、失礼。どうも、失礼」
 おや、と信人は聞こえた英語に眉を上げた。人込みの中で私立第三須賀杜爾区大学付属図書館が貸し出していた本を回収した信人は、人込みの中をかき分ける小さな人影に目を移す。
 「失礼」と連呼しながら人の間を縫うようにして歩いていたのは、帽子をかぶり、高級スーツを着込んだ紳士だった。信人によく似た体格だ。喋っているのは英語だが――なんということか、何故かわざわざ頭の中で翻訳しなくても、その言葉は「理解」できた。
 見つめる信人の目と、その紳士の金色の目がかちりと合った。
「これから、お茶ですか」
 信人は、ぱっと見では穏やかで人当たりのいい笑みを浮かべた。
 紳士は優雅なポットと傘を抱いて、戸惑ったように眉をひそめたが――
「ああ。一緒に如何かね、ホシマくん」
 サー・ジュリアス・シーマは、微笑んだ。


 イギリスには、A.C.S.という組織がある。
 ジュリアス・シーマはその総裁であるという。ここのところは暇で、世界を旅して回っているのだと言った。日本に来る機会が増えたらしい。それは、A.C.S.メンバーであるパ=ド=ドゥ=ララなる魔術師が、日本をいたく気に召したせいのであるとも、シーマは穏やかに話した。
「一度こうしてお話できれば、と思っておりました」
 信人は一見すると、素直に喜んでいるかのように微笑みながら、紅茶の入ったカップを口に運んでいた。
「2時半のティータイムは欠かせませんか」
「部下や親友はそんな暇はないと言うのだがね。せめてこの時間ぐらいはのんびりしておきたいものだから」
「よい心がけだと思います」
「そうかね」
「そうですよ」
 がちゃりと、応接室のドアが開いた。隻腕に紙袋を抱えた40代の男が、のっそりと入ってくる。
「ボぉス、買ってきたぞぅ。スコーン3個だよな。ブルーベリークリームに――」
「チョコレートクリームも忘れず買ってきたかい?」
「グォらァてめこの野郎、こんなトコでなァに和んでやがンだイカレ頭がド畜生!!」
「いやあ、熱いですねえ。この応接室の空調は業者に見てもらったほうがよろしい」
 ぼあッ!
 「熱い」は「暑い」にあらず。応接室をプロミネンスが駆け巡る。焔を駆るのはブラック・ボックス。シーマ配下のアメリカ人だ。焔に巻かれそうになっても微笑んでいるのは、星間信人だった。スコーンと紅茶の香りをかき消す廃れた風が、信人を焔から護っていた。
「……おや、お久しぶりです。イタリアでお会いして以来ですね」
 温まった紅茶を飲み干し、信人ははあと溜息をついた。
「お元気そうで何よりです」
「何が何よりだマジてめブッ殺――」
「ボックスくん、で、チョコレートクリームも忘れず買ってきたんだろうね?」
 きらりとシーマがボックスに目を向けた。
 う、とボックスが息を呑む。
「今はホシマくんとお茶を飲んでいるところだ。少し落ち着きたまえ。でないと私が火を消すよ」
「……」
 焔が消え、シーマが信人の空になったカップに紅茶を注いだ。
 後から入ってきた黒尽くめのフランス人は、応接室の様子を見て絶句し、溜息をついていた。
 今日はイギリス人の幻想怪奇作家は出かけているらしい。夕方には戻るのだそうだ。
「やれやれ。あの先生のお話は、わりと読みやすくて嫌いではないのですがね」
 信人は、スコーンをかじりながらうそぶいた。


「Absolute Counter Spell――」


 信人の不意の呟きに(それまで、空気が凍りついているかのような沈黙があった)。ぴくりとその場の3人の外国人が反応した。そして、揃って唇を結んだ。
 信人が明らかな嘲笑を浮かべたことに気づいたせいもあるだろう。信人の方は、「それ」に気がついていたが――構わず続けた。
「この地球の人間ごときを護るものが『絶対』を冠するというのは、実に滑稽――ああ失礼、面白い話です。ときに総裁、虚しさのようなものは感じませんか」
 シーマの親友であるフランス人が不愉快そうに眉をひそめたが、シーマ本人は困ったような苦笑を浮かべた。手も呑気で、スコーンにクリームを塗っている。
「多くの人は、感じるのかもしれないな。宇宙を相手にしているのだからねえ。けれど、こうは思わないか。宇宙は我々がいるからこそ存在できているのだとも」
「ほう?」
「バクテリアやミトコンドリアは、星を見てもそれを星だとは認識できないし――ここが地球で、宇宙の中に浮かんでいるということも知らない。人間は少なくとも、それを信じることが出来ている。ホシマくんが神を信じているのも、きみが人間だからだ。そう考えたら、人間はそう簡単に滅ぼされるものではないと思うね。その方が宇宙のためだ」
「宇宙のために人間を護っていると?」
「宇宙は寂しがるかもしれないからね」
「ご冗談を」
「もちろん、冗談さ」
 シーマはにこにこしながら、がぶりとスコーンを頬張った。さくさくと音を立てて咀嚼した。その音に食欲をそそられて、信人はまたスコーンに手を伸ばす。
「人間や、人間の世界など、その冗談そのものですよ。神の舌と手のひらの上で生まれ、弾けているあぶくです」
「外宇宙の神を冗談で追い返した人間もいるよ」
「総裁はその人間をどう思われますか」
「勇気ある愚か者か、意気地のない切れ者だと」
 シーマは肩をすくめ、紅茶を飲み干した。
「思うに、我々は夢なんだよ。あぶくよりもまだ虚しいものさ。あぶくは存在しているけれど、夢はかたちに残らない。具体的なかたちがないものに価値を見出せない我々は、やはり虚しい存在だ。だからこそうつくしいと思うよ。努力次第で、うつくしくなれる可能性を持っている」
 その金眼が、信人の空虚な目を覗きこんだ。
 信人がその視線を何とも思わないということは、つまり――信人が何もかたちを持たないあぶくであるということだ。
「宇宙にかたちはない。人間にとって、今のところは。――ホシマくんは、宇宙が見えるのだね?」
「そんな、僕ごときに――」
「そう思うのなら、きみは人間だ」
 ふうっと微笑むシーマに、信人はにいいと笑ってみせた。


 ぴぃん――
 ブラック・ボックスが、ジッポーの蓋を跳ね上げる。
 おッと、と信人が時計を見やり、カップを受け皿に置いた。
「これは、長居をしてしまいました」
 彼には、これから特に急ぎの用事もなかった。焔は恐ろしくなかったし、フランス人もむっつり黙り込んだまま、シーマものんびりと手についたスコーンのくずを払っている。
「実に有意義なひとときでした」
「そう思うかね? 私も、ひょっとしたらそう思っているかもしれない」
「またお会いしましょう」
「ああ、そうなるだろうね」
 次に会うときは、ティータイムではないかもしれない。
 焔と風と水が渦巻く、嵐の夜だろうか。
 何もかもが廃れ、信人の瞳のように虚ろになったときだろうか。
 ぴぃん、
 ブラック・ボックスがいちど閉めたジッポーの蓋をまた跳ね上げた。

 ご機嫌よう、

 そう一言残して、嵐は去っていった。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0377/星間・信人/男/32/私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】

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               ライター通信
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 モロクっちです。大変お待たせしました。申し訳ありません。
 しかし、彼らが指名されるとは……(笑)。会話は難解なものになりました。シーマの言い分は実は矛盾しているのですが、お気づきでしょうか。人間が何かを護る理由は漠然としているものです。宇宙を説くのは、おこがましいことです。
 スコーンと紅茶を美味しそうに書くと言うところにも無駄に力をいれています(笑)。
 楽しんでいただけたら幸いです。