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<東京怪談ノベル(シングル)>


特別な存在 〜璃琉の一日〜

 僕の世界は、一匹のうさぎ――翡翠を中心に回っている。



1.朝起きてご飯

(――ん……重ぃ…)
 大抵いつも、そんなことを思いながら目を覚ます。翡翠が僕を起こそうとして、僕の身体の上に乗ってくるからだ。
(翡翠は賢い)
 僕がセットしておいた目覚し時計が鳴ると、まずは自分でそれをとめてから、僕を起こしにくる。だから僕は音よりも、その重さと温もりを合図に起きるようになっていた。
「有難う、翡翠」
 毎朝のスキンシップ。
 ひとしきり頭を撫でてから、抱き上げて顔を寄せる。
(この瞬間が、幸せ)
 翡翠も幸せそうな顔をしてくれるから。
 とても幸せなのだ。
 それから僕は、翡翠と過ごす時間を少しも無駄にしないよう急いで着替えをして、朝食の準備に取り掛かる。
 朝食は翡翠と一緒にとる。一緒に食べられるように、先に起きた翡翠はおなかが減っていても我慢していてくれる。忠犬ならぬ忠兎なのだ。
 自分の分の目玉焼きを焼いて、翡翠にはいつもの固形フードと野菜を合わせた栄養バランスのいい餌を作ってあげる。
 テーブルの上に載せると、足元にやってきた翡翠が僕を見上げた。ひょいと持ち上げて、翡翠もテーブルの上へ。
(こうすれば)
 食事をとりながら目の前で、翡翠を見守ることができる。ついでに会話も。
「――翡翠? 僕今日大学あるから、食べたら出掛けるよ」
 僕の言葉を理解して、翡翠は淋しそうに鳴いた。
(大学4年とも為れば)
 ゼミに顔を出すのは週一くらいで構わないのだけれど、あいにく今日はその”週一”に当たっていたのだった。
「すぐ帰って来るから。大人しく待ってるんだよ」
 今度は嬉しそうに鳴いた。
(淋しいと云う感情は、兎を死に至らしめる)
 よくそう言われるけれど、それは本当のことだ。うさぎはとてもデリケートで、人間よりもはるかに”ストレス”というものに弱い。
(もしかしたら)
 僕らは出会わねば、互いに死んでいたのかもしれない。
「――あっ、もう時間だ!」
 うっかり翡翠に見入ってしまって、時が経つのを忘れていた。急いで食器を流しに運ぶと、翡翠を床に下ろし。僕がいない間におなかを空かせた時に食べる分の餌を用意してから、僕は大急ぎで部屋を飛び出――そうとしたけれど。
 ノブを手に、後ろを振り返る。
 見送るために走ってきた翡翠に。
「行って来ます」



2.記憶無きゼミ

 大学へ行くのは、はっきり言って気が重い。それは翡翠と離れなければならないということもあるし――
(矢っ張り、訂正しよう)
 大学自体は、友だちもできたし嫌なわけではない。正確にはゼミ室が怖いのだ。女性が多くって……。
(僕は女性が苦手だ)
 自分でも、理由はよくわからない。きっと僕自身が、よく女性と間違われるといったことが関係しているのだろうけれど。母親に抱き締められたこともない僕にとって、女性とは未知の生き物だった。

     ★

「…………はぁ」
 ゼミ室のドアの前で、気のないため息を1つ。いつもこうだ。入るまでに余計な時間がかかってしまう。
 ――と。
「おっそ〜い!!」
 自動ドアのごとく開いたドアの向こうから、女性が1人飛び出してきた。
「わわっ」
 そして僕の首に手を回し、抱きついてくる。
(ここはクラブか何か?!)
 しかも彼女たちは見かけが女みたいな僕を男とは思っていないらしく……余計にたちが悪い。
「あ、あ、あのっ……放して下さい!」
「ええ、お話ししましょう〜璃琉ちゃん♪」
「意味が違いますー!」
 顔は笑顔でも、僕の心はもたない。
(――今日も、駄目かな)
 僕は悟った。



 そこからの、記憶はない。
 気がつくと僕は、部屋の前にいた。
(又、助けて貰っちゃった)
 僕とは違う、もう1人の僕?
 疑問系なのは、僕がその人のことをよく知らないからだ。
(知らないけれど――)
 その人は僕にとって、とても特別な存在。
 鍵とドアを開けると、出迎えてくれる翡翠と同じくらい。
「――唯今」
 言いながら、手を伸ばした。その手に飛び乗ってくる翡翠が、とても可愛い。
(僕を癒して呉れる)
 僕を救って呉れる。
 2つの存在は、とても大きい――。



3.昼も夜もデート

 翡翠と一緒に昼食をとってから、午後は公園へ遊びに行くことにした。今日はもう1人で出かける用事はないから、ずっと一緒にいられる。
 公園へ行くと、翡翠は子どもたちのアイドルだ。皆寄ってきて、翡翠を可愛がり一緒に遊んでくれる。
(子どもなら)
 女の子でも平気。
 僕は僕のままで、少し離れたベンチに座りその様子を見守っている。
 楽しそうにはしゃぐ声。
 駆け回る足音。
 そんな様子を見ていると、ふと考えてしまう。
(翡翠は――僕で良いのかな?)
 淋しさを埋めるなら、本当は誰でも良かったんじゃないかって。
 僕といるよりも、子どもたちといた方が幸せなんじゃないかって。
 僕にとって翡翠は、特別な存在だ。
(じゃあ翡翠にとって僕は?)
 一緒にいられればそれでいいと思う僕の中に、僕自身特別でありたいと思う僕がいる。
(もしかしたら)
 そんな僕が困った時の僕を、助けてくれているのかもしれないけれど。
 今の僕にとってその僕は、わがままな存在でしかなかった。
(翡翠は翡翠だけのモノで)
 決して僕のモノではないのだから。
「――!」
 ふと足元に何かの気配を感じて、視線を移した。
「翡翠……」
 まるで僕の思考などお見通しと言わんばかりに、翡翠が僕を見上げている。
 僕が翡翠を抱き上げると、翡翠のあとを追ってきた子どもたちが。
「やっぱりお兄ちゃんがいいのかぁ」
「いいな〜あたしもうさぎさん欲しい……」
「なぁ、そのうさぎ貰ったら? 大人ならお金あるしまた買えるんじゃない?」
「駄目っ!」
 思わず叫ぶと、子どもたちは不思議そうな顔で僕を見た。僕が座っている分視線の高さは同じで、童顔の僕はいつも以上に違和感がない。
(それでも)
 さすがにおとなげなかったと、思った。
「いや、あの……御免ね。この子は買ったんじゃなくって、捨てられて居たんです。今僕がこの子を手放したら、又捨てられた事になっちゃうから」
「えーなんで? あげるんだから捨てるのと違うじゃん」
 子どもは食い下がる。けれどあげるわけにはいかない。
(翡翠は)
 唯一無二の存在なのだ。
「――僕は兎と一緒に居たいのでは無いんです。この子と……翡翠と一緒に居たいから」
「でもっ」
「もういいよ! そのうさぎさんだって、お兄ちゃんの方がいいみたい。あたしもそんなふうに、あたしを好きになってくれるうさぎさんが欲しいもんっ」
 女の子の言葉が、心に響いた。
(翡翠も、僕が良いの?)
 腕の中の翡翠は、僕の胸に顔を埋めていた。



 子どもたちは、もういない。
「僕で良いの?」
 問い掛けても、翡翠は顔を上げなかった。
「――僕が、良いの?」
 潤んだ瞳が僕を見つめる。
「そっか……」
 僕はわがままではなかった。
 そんな僕を、翡翠は受け止めてくれていたのだ。
(僕も)
 翡翠にとって特別な存在。
「有難う――」
 とても、嬉しかった。

     ★

 その夜僕は、愛すべき存在たちに囲まれて眠った。
(縫い包みの様に寄り添う翡翠)
 僕の中から僕を見守ってくれる、もう1人の誰か。
(だからこそ僕は)
 安心して眠れる。



 明日も翡翠の、特別な存在で在れます様に――。





(終)