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<東京怪談ノベル(シングル)>


ホワイトデーに花束を


 三月十日。お父さんがホワイトデーのお返しをくれた。
 ――少し早いけど、チョコレートのお礼だよ。
 その言葉と一緒にお父さんから貰ったのは、一枚のメモ用紙だった。ボールペンで住所が走り書きされている。
 ……見覚えのない住所ではなかった。
 あたしの記憶を辿るなら、「そこ」はプレゼントを連想させるような場所ではない筈だ。
(でも、お父さんが住所を間違えて書くとは思えないし――)
 さんざん迷った挙句、行くことにした。ここで行かなかったらお父さんはがっかりするだろう。気持ちを裏切るみたいで嫌だ。
 ……あの場所に自分から向かうのは気が引けるけど。
 ――もしかしたら、とても素敵なものを用意してくれているのかもしれない。
 なるべく楽観的に考えるようにして、家を出た。

 電車を乗り継いでついた駅。プラットホームからの景色も、やっぱり見覚えがある。何度も訪れた駅だ。
 そこからの道も、到着した場所も、あたしはよく知っていた。
 ――或る特殊メイクの専門学校。
(やっぱりここについちゃった……)
 メモを確認して、学校を見上げて、苦笑する。ここでは色々なことがあったけれど、その殆どが恥ずかしいこと。思い出して、指先が一瞬震えた。……思い出さない方が良さそう。
(ここでチョコのお返しをするなんて)
 少なくとも普通の「お返し」ではないことは確かだ。
 かと言って帰る訳にはいかない。行くしかないのだ。
「おはよう」
 生徒さんは笑顔だった。
「おはようございます。それで、あの、今日は……」
 あたしは揺れていた視線を生徒さんに合わせ、言葉を切った。“今日はお父さんとあたしのためにご迷惑をおかけします”……でもあたし自身お父さんが生徒さんに何を頼んだのか、あたしがどう生徒さんにお世話になるのかわからない。今の状態でお礼を言っても、心が篭りそうになかった。
「あー、お礼を言おうとしているの? それならいいのよ」
 生徒さんは微笑んだまま、言った。「私たちも楽しませてもらうわ」
 唇の先が妙に上がっている。沼地を連想させるような、裏のある笑顔。意味を読み取るのに時間はかからなかった。
「今回はどんな格好をするんでしょうか……」
「そうね、」
 このまま教えてもつまらないと生徒さんは考えたのか、一度考える仕草をした。
「魅力的な姿になると思うわ」

 教室では、数人の生徒さんが集まっていた。前回来たときより少なめの人数。
「今回はそんなに大掛かりなことはしないんですね」
「ええ。結構簡単なの」
 でもね、と生徒さんは箱から長い物を取り出した。
 それはリボンだった。レースで作られているため、織り込まれた花の模様の奥から生徒さんの指先が透けて見える。
 ――可愛い。
「色や柄で結構揉めていてね。私はこれが良いと思うんだけど、どうかしら?」
「可愛いです。リボンを使うんですか?」
「そうなの。だからみなもちゃんに似合う色を、って思ってね。もしこのリボンが気に入らなくなったら言ってね。他にもあるから。みなもちゃんのために一杯買ったの」
 そう言って生徒さんは他のリボンも見せてくれた。全てレースで出来ている。百合、桜、薔薇、芙蓉、睡蓮……花のイメージに合わせて色が決められているようだ。淡い色の集まりを見ていると、胸が高鳴った。
(これをつけてくれるのかな)
 だったら喜しい。可愛いリボンだし、リボンをつける姿ということは格好も安心出来るだろう。
 でも――あたしはリボンを眺める。立っている生徒さんの掌から垂れているのに、リボンは床にまで届いている。髪につけるにしては、長すぎではないだろうか。
「リボンは切らないんですか?」
「ええ。このまま使うからね」
「長くて余りますよね?」
「そんなことないわよ」
 ――おかしい。
 生徒さんは相変わらず笑顔だ。私たちが何をする気か考えてごらん、とでも言いたげに。
(もう)
「……からかっていますよね?」
「そんなひどいことしないわ。みなもちゃんのことは大切に思っているもの。愛の微笑みよ」
 生徒さんの右手があたしの制服のリボンにかかった。そっとリボンを外して、机の上に置く。
 その動作は素早かったが、決して乱暴ではなかった。首元に触れた生徒さんの指は温かく、優しい感触だった。
 反射的に身体を硬くしたあたしの身体を、生徒さんは柔らかく抱きとめた。
「――さっき私に、どんな格好をするんですかって訊いたでしょう? 私が何て答えたか憶えている?」
「魅力的な姿になる、です……」
「そうそう。私はね、みなもちゃんが魅力的になるのを喜んでいるの。だから、からかっている訳じゃないのよ。みんながみなもちゃんを可愛がっているのよ。それを解ってね」
 言い聞かせるように言う。耳元に息がかかる――身体に電流が通るような衝撃。緊張から肩が微かに震えてしまうし、生徒さんの顔も恥ずかしくて見られない――。生徒さんはそれを解ってやっているのだろう。
(居辛い……)
 生徒さんの呼吸のリズムまで手に取るように解る。あたしの呼吸も生徒さんに知られているに違いない――息を潜める。今度は心臓の音が目立ってくる。
「あの、離してください……」
「あと十秒経ったらね」
 波のように大きな音が、胸の奥から響いてくる。何でもいいから解放されたい。恥ずかしくてたまらなかった。
 十秒後ぴったりに、生徒さんはあたしを離してくれたけど――緊張から、あたしはへなへなと床に座り込んでしまった。
 あら、と生徒さんはあたしを立ち上がらせて、
「それじゃあ始めましょうか。――何の姿になるのかは後のお楽しみにしましょうね」
 ……こういうのってやっぱり、からかわれているんだよね……。

 ――くすぐったい。
 どうしてもこの作業に慣れるには毎回時間が必要なようだ。
 刷毛の感触がむず痒く、生ぬるい温度が肌を這う。
 生徒さんはあたしの身体を掴み、色を重ねていく。生徒さんの手はあたたかくて、弾力がある。
 指が緑色に塗られていく。緑は腿の辺りを一回りし、臍へ潜り、胸を撫でる。痛みがない分、くすぐったさが耐え難く、教室にあたしの笑い声が微かに漏れる。
 ――でも、何で緑なんだろう。
(緑にあのリボン……どういう組み合わせなのかなぁ)
 生物……? それとも別の何かなのだろうか。
「塗れたわ。みなもちゃん、立ってもらえる?」
「はい」
 立つなんて珍しいなと思いつつ、生徒さんの言うとおりにする。
「じゃあ、アレ取ってきてー」
 二人の生徒さんがそっと運んできたのは、緑色の長い紐。所々に葉のような物がついている――蔦、なのだろうか。
「少し強めに巻いていくから、なるべく動かないでね」
 生徒さんはあたしの前に跪くような姿勢で、あたしの足から蔦を絡ませていく。蔦の力は意外に強く、締め付けられる感触が肌に走った。
 指は柔らかくて優しい印象なのに、蔦は硬くて鋭かった。
 弾力があってすぐに離れていく指、肌を縛り離れない蔦。
 蔦は冷たく絡むのに、指は微かに湿っていて肌に溶けていくような感触。生徒さんの指と蔦が一緒にあたしの肌に触れる度、お湯と水を一気にかけられたような気がした。
 ――ふくらはぎ、膝、腿を過ぎたところで、上目遣いの生徒さんと視線が合った。
「みなもちゃん手を胸元で固定してくれる?」
 固定? ――何で……と思ったけれど、生徒さんには逆らえない。それに、あたしが「はい」と言うまで生徒さんはあたしから目を離さない。この状態で見つめられ続けるのは避けたかった。
「こうですか?」
 あたしは腕を曲げて、手首を胸の辺りでとめた。
「そうそう。その状態でいてね」
 ぐるぐると縛っていく。葉のついている部分が肌に擦れて妙な感触がした。手で払いたかったのだが、手は既に縛られている。
「痛い?」
「いえ、痛くはないですけど、くすぐったいです」
「掻いてあげようか?」
 生徒さんはあたしの背中に手を回す。細く長い指が軽く爪を立て、あたしの身体を下る――生徒さんは心配そうに呟いていた。強かったかしら……。

 次に生徒さんは青色の液体を見せてくれた。
「これを胸と両手、それから顔に塗るのよ」
 そう言って刷毛でふくらみをなぞった。見ているのが恥ずかしかったので、目を逸らす。顔にも塗られるのは都合が良かった。目を瞑っていられるし、顔が赤くなっているのも解らなくさせてくれる。
 刷毛が頬を撫で唇の上を通り過ぎると、生徒さんは息を長く吐いた。
「あとは仕上げね」
 人一人包み込む程に大きい紙。生徒さんは三人がかりで、紙をあたしに巻きつけた。
 そして――あのリボン。三人の生徒さんたちは膝を床についた姿勢で、あたしの膝ごとリボンで縛った。よろめくあたしを生徒さんの一人が支えてくれた。
「出来たわ。見てみる?」
 他の生徒さんが姿見を持ってきてくれた。そこにあたしの全身が映し出される。
 緑色の葉を伸ばし、青い花びらを覗かせる――薔薇の花束だった。
「綺麗、綺麗」
 生徒さんは満足気な声で、あたしの背中をなでた。「良い出来だわ」
「青の薔薇も良いものねー」
「元の素材が良いからかしら」
 あたしを置いて生徒さんたちは話し込んでいる。
「花びらの出来が見事ね」
 生徒さんがちらりとあたしの胸を見て、
「特に厚くなっている花びらの部分が良いんじゃないかしら」
 ――全身が熱くなるのが判った。
 でも身体は動けない。逃げられない。俯くしかないのだ。
「じゃあ、撮ろっか」
 ――え?
 視線を戻すと、生徒さんの手にはカメラが。
「な、何をするんですか……?」
 解りきっている質問を口にするあたしに、生徒さんはニッコリ笑った。
「記念撮影♪ 大丈夫よ、デジカメだから撮影に失敗したらすぐにわかるもの。何度でも撮りなおせるから、気に入らない写真があったらいつでも言ってね」
 ――違う、そんな問題じゃない。
 あたしは自分がこんな格好で写っている写真のことを思い浮かべた。……写真写り云々の話じゃない、根本的に何かが間違っている。
「だ、駄目です! 今撮影なんて!」
「え? ああ、そうだ。ちゃんと“蛍光灯モード”にしておかないと……。室内だからね。せっかくみなもちゃんを撮るんだから、より綺麗に撮るように工夫しないと」
「あたしの話を聞いてください〜!!」
「安心して。ちゃんと綺麗に撮ってあげるからね」
「ほらみなもちゃん笑って。その方が可愛いよ〜」
「じゃあ撮りまーす」
 ――アッサリと切られたシャッター。
「綺麗に撮れたよ」
 と液晶モニタを見せてくる生徒さんを振り払うように、あたしは首を左右に振った。
「見ません!」
「あら……でも、可愛いわよ」
 生徒さんに言われ、一瞬だけモニタを見た。周りを囲む生徒さんに中央の花束……。確かに綺麗な花束だった。
(でも、でも)
 これはあたしなのだ。今もこんな恥ずかしい姿でいるのだ。そう思うと、二秒と見ていられない。
「綺麗でしょう?」
「綺麗ですけど、そういうことじゃないんですっ」
「良いと思うのになぁ。それじゃあ二枚目撮りまーす」
「ま、まだ撮るんですか!?」
 予想以上に大きな声が出た。さらに続けて叫ぼうとするあたしを素早く生徒さんが抱き寄せる。
「きゃっ」
 生徒さんの顔は間近にあった。曇った表情だ。
「――写真を撮られるのは嫌? 私たちみんな、みなもちゃんが好きで、優しくしているつもりだけど……悲しませたのかしら。……撮影は、みなもちゃんが嫌って言えばもうしないわ……」
 こんなときに限って、生徒さんは深刻そうな顔をする。真剣で、それでいて悲しそうな表情。演技にしては上手すぎた。
 ――ここで嫌と言えば助かるけど……。
(い、言えない……)
 嫌だと言えば、生徒さんは泣き出しそうだった。きっと演技なんだろうけど――既にうっすらと涙が出てきているところを見ると、本気かもしれない。生徒さんは感覚で、あたしを可愛がったりからかっているのだろう。だから涙も出るし、悲しそうな表情も、笑顔も出来るのだ。
(言えない)
 あたしは自分に言い聞かせる。たかが、写真の一枚だもん。我慢出来ない訳じゃない。今回はお父さんのプレゼントなんだし――。
「いいんです、好きにしてください……」
「ありがとう。みなもちゃんは、優しいのね」
 生徒さんは優しく微笑んでくれた。恥ずかしいけど、これでも良いのかなとも思う。
 後ろで他の生徒さんたちの声が聞こえる。
「今度はみなもちゃん一人で撮ろうよ」
「なるべくアップで撮ってあげてね」
「全身が写った方が良いんじゃない?」
「じゃあ二枚撮ろうか」
 ……やっぱり、承諾したのは間違いだったかもしれない。
 ギュイインという音がして、レンズが広がっていく。生徒さんはズームで撮る気満々だ。
(……うう)
 お父さーん……。
 頭の中でお父さんを思い浮かべる。
「はい、チーズ!」
 あたしは今日の中で一番の微笑を浮かべた。
 ――きっとお父さんは「みなもは恥ずかしがる」と考えている。今日のプレゼントは、その上に成り立つ小さな冗談な気がした。
 だからその逆に、余裕があるように微笑んだ顔を写真に収めようと思ったんだけど――。
 でも、やっぱり恥ずかしがりながらの笑顔だったかもしれない。縛った手の近くで胸は高鳴っていたし、指先は恥ずかしさで微かに震えていたのだから。

 夕方遅くに家に着いた。
 それから数日の間、恥ずかしさで胸は一杯だったものの、心は何故か軽かった。あの日が良い息抜きになったのかもしれない。
 ――もしかして、あたしに息抜きをさせるためにお父さんはあんなメモをくれたのかな。
 四日後には、お父さんからプレゼントが届いた。春物のカーディガンにワンピース。どちらも淡い色が綺麗だった。

 もう。
 ……お父さん、ありがと。




終。