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<東京怪談ノベル(シングル)>


スローフード

 殺すなら今すぐ殺せ。おれは死ぬのなんか全然恐くないぞ。ソノ瞬間まで笑って逝ってやるから、さぁ今すぐにおれを死刑にしろ!

 その男は、刑が確定した瞬間、そう叫んだそうですな。傍聴席には、その男の餌食となった少年少女の遺族の一部もいまして、その発言は当然、彼らの神経を逆撫でした訳です。内の一人、確か手足を切り取られて死した少女の母親が、錯乱状態で、今すぐにそいつを殺して!と喚き散らした時も、その男はただニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていただけったそうです。
 …おっと、私が『下卑た』なんて表現を使った訳ではありませんよ?判決翌日のワイドショーでそう表現していたのです。いや、私でも、ワイドショーくらいは見ますよ?一般人の純然たる好奇心のみで彩られたゴシップネタは、まぁ嗅ぎ薬程度の効果しかありませんが、それでも退屈凌ぎ程度にはなると言うものです。

 普段、草間興信所やアトラス編集部でお世話になりつつ、味合わせて戴いている感情は珍しいものが多く、なかなか妙なる味わいを持っているものではありますが、それでも所詮はおやつのようなもの。私が私であり続けるためには、やはり『メインディッシュ』を鱈腹戴かない事には干上がってしまいます。そこで私が注目したのは、ここ数ヶ月もの間、各局のワイドショー、雑誌、新聞などのあらゆるメディアのトップを独占し続けてきた事件、少年少女連続猟奇殺人事件でした。
 ほんの数ヶ月の間に、中高生を中心に十六人もの少年少女の命を無残にも奪ってきた殺人鬼、しかも奴は遺体発見現場に犯行声明を残しておくと言うふざけた態度。ただ命を奪うだけでなく、語るには余りに惨い方法で殺害する。マスコミ連中は、こぞって『二十一世紀・和製切り裂きジャック』などと騒ぎ立てるものだから、奴を余計に付け上がらせてしまった。それまでは一人ずついたぶるので満足していた奴が、一度に二人、三人とその手に掛けるようになった。しかも、死と苦痛の恐怖に震える少年少女の片方に、もうひとりをその手で切り刻ざめばおまえは逃してやろうと話を持ちかけ、殺しをさせたと言うから、その男の鬼畜さが分かると言うもの。勿論、生き残って僅かな生への期待に瞳を揺らす少年少女を、再び奈落の底に突き落として楽しんだのは言うまでもなく。

 何故、私がこのような詳しい事情を知っているか、と?勿論、これらは世間一般には余りに刺激が強過ぎて、マスコミに公表されなかった内容です。先程、私は手足を切り取られて死亡した、と言ったが、それも警察資料の中にしか存在しない事実。では何故、私がそれを知り得ているのか。供述調書を覗き見た訳ではありません。それよりももっと鮮烈で鮮明、生々しい血色をした事実、私は、その殺人鬼の記憶の全てを覗いたのですから。

 私が立つのは、その殺人鬼の独房前。死刑囚が収監されるこのフロアでは、日々、何時来るか分からない死への恐怖に怯え、のたうち、己が罪を嘆き悔やむ、声にならない叫びが聞こえてきます。それはそれでなかなか美味なのですが、それよりも私が興味を惹かれたこの男。今は、この分厚い扉の向こう側で眠りに付いているようなのですが。

 殺すなら今すぐ殺せ。おれは死ぬのなんか全然恐くないぞ!

 それですぐに刑が執行される訳がない事など、本当はこの男にでも分かっている筈なんですけどねぇ。何故ならば、それは何より自分が一番良く知っている筈ですから。
 すぐに命を絶ってしまって、何が楽しいのですか。事切れるその直前まで、それまでの過程が何よりの享楽なのですから。

 死とは何か、生とは何か。当たり前ですが、死と言うものは人は人生のうち一度しか経験できない。経験した後は魂も肉体も現世に留まる事は出来ないのだから、結局何の意味も持たない。死後の世界を体験した人の話も数多くありますが、それとこれとは別問題です。人は誰しも、死への興味を押し隠す事は出来ない。だが、それを表立って現わしては、平凡な社会生活を送るに置いて何かと弊害になる。だから大抵の人はその興味は心の奥底に仕舞ってしまうか、或いは気付かない振りをするものです。
 ですが、世の中にはそう言った興味を押し隠す事無く、大っぴらにしてしまう人もいます。それでも単なる研究者として歩むのなら問題は無い。困るのは(勿論困るのは世間一般の皆さんであって、私自身は一向に困らないのですが)その興味の真相を確かめようとする人達、中でも己の身をもって体験するのではなく、人の身にそれを負わせて確認しようとする人達なのです。彼らは大抵は頭の回転が早く、賢い。その人並み外れた理知さ故に人の道を踏み外す。それとは真逆にこの死刑囚は、ただ人の苦しみ姿や死んでいく姿を見るのが楽しかったから、罪を重ねていただけです。彼は、己の心の奥底に潜む、何かしらの歪みには気付いていなかった。広い世間には、このような歪みを己で感じ取り、それを真っ向から解き明かそうとしてその手を血塗らせる者も居るでしょう。ですが、それでは私の食指は動かない。倫理・道徳の観念から言えば、この死刑囚はまさに鬼畜生、この世に存在してはならぬ者である事には間違いありませんが、私から見れば、インテリぶった論理派犯罪者より、こうした、獣染みて本能的な破壊願望を持った犯罪者の方が、数倍、数十倍も魅惑的なのです。

 喜怒哀楽は、人の根源たる感情。その中でも怒りや悲しみ、恐怖と言ったものは、人の生き死にに直接関わるだろう感情。それ故か、それらは時に色鮮やかに、時に怒涛の如き勢いを持って噴き出される。突発的に感じた激しいショックや余りに深い悲しみは、人の心臓の動きを止めてしまう事もあると言います。だからこそ、私はこうしてこの姿を為し、ここに存在する。私の素粒が喜びであったなら、もっとぼんやりとした輪郭でしか現わす事が出来なかったでしょう。
 囚人の記憶の中には、少年少女達の生前の表情――但し、それはその渦中であれば、時が止まって感じただろう、いつ果てるとも知れない苦悶、終わりなき陵辱と拷問の最中のものばかりであったが―――しか無かった。すべらかな肌が血や汗で汚れ、恐怖で顔が歪み、涙を流す。大抵は、何故自分がそのような目に遭っているのか、何故自分でなくてはならなかったのかとの繰り返す自問自答と、目の前の男への、本能的な畏怖。果敢にも、最後まで男を罵って死んでいった少女もいた。媚び諂い男の気持ちが分かるような言動を持って、命乞いをする少年もいた。彼は男に言われるがままに、もうひとり拉致されて来ていた少年を与えられたナイフで切り刻み殺害した。勿論、彼に殺人鬼の気持ちなど分かる訳はなく、同年代の少年を痛めつけながらその心は泣き喚き、赦しを請うていた。そして哀れな少年の命が凝り固まり動かなくなった時、これで自分は助かるのだと内心に浮かんだ安堵の欠片、その直後に己が同じ目に遭わされ、希望が一気に絶望へと転じた時の彼の慟哭は、なかなかの味わいでしたが。

 …いや、男の記憶などで満足していてはいけませんな。私が求めるのは、この男自身の感情。鼓膜を揺さぶる悲鳴と断末魔、それを何よりも楽しく聴き入ったこの男が、己が死に直面した時に見せる感情とは。囚人は怯えるだろうか。それとも本当に冷めた瞳のまま死を受け入れるのか。或いは、本当に狂ってしまった男は、楽しげに笑って縊られるのか。それは私にも想像が付かない。それを知りたくて、私は遠足前夜の小学生のように、わくわくしてこの素っ気無い独房の前に立っている訳です。

 ちょっと揶揄ってみましょうか。こうして男の記憶を辿って、いつかゴールに辿り着くのを待つのも楽しいですが、それが待ち切れなくなりつつもありますので。幾度と無く繰り返し反芻させている男の記憶、その中の一部を、少々脚色してあげましょう。
 男の記憶の中で、尤も鮮やかな彩りを残していたのは、やはり最初に殺害した少女の記憶でした。宝石のように美しいその少女を、男はその手で穢し、ナイフで白い肌を切り裂いた。気丈な少女は最後までその瞳の輝きを失わなかったが、それでも最後は、信じ難い事実と悲壮に造作を歪ませ、瞳を見開いたまま、その鼓動を止めた。その瞳、涙と絶望で濡れる焦げ茶の虹彩の美しさは、甚くお気に召したようです。その記憶が呼び起こされる時だけ、男は歓喜に打ち震えていましたから。そこで私は、少々意地悪をしてやりました。少女の末期の表情、それをカメラのピントがずれるようにぶれさせ、もう一度焦点があった時には、その男の容貌とすり替えてやったのです。つまり、苦悶の末の断末魔の表情を、囚人に置き換えてシミュレートしてやったと言う訳です。
 そこで私の遊び心が収まれば善かったのですが、つい調子に乗ってしまいました。その続きに、男にこの後必ず見る羽目になるだろう、死への階段を昇らせてやったのです。両側を刑務官に押さえられて昇る階段、被せられる黒い布袋、目に見る事は出来ないが、感触で感じる縄目の模様。そして―――……。

 とてつもない咆え声が独房の中から響きました。さしもの私も驚いて肩を竦めてしまうぐらいの。男は、私が見せた将来のビジョンに怯え狂い、まさに獣の如く叫んでいる。向こうで当直の刑務官達がざわめく気配がしました。
 しかし、その時既に私の姿はそこにはありませんでした。私は、一瞬にして、その死刑囚への興味を失ったからです。
 男が感じた恐怖は、男自身も気付いていなかった、魂の奥底に潜む思いをも私に提示しました。それは、ある意味で生への渇望、それだけでした。生への実感を求めるが故、彼は人を殺め、その断末魔の叫びを聞いた。その手をまだ暖かい人の生き血で赤く染め、それが冷えて凝固し、べたつく様で死を、そして生の終わりを感じた。絶望的な死と苦痛の中で、人はどれ程までに生きる事を求めるのか。縋り付いて懇願し、プライドを捨ててまで求める生とは何か。そしてまた、それらの経緯を経た後に、諦めに転じた時の濁った瞳の水晶体。
 男は、他の誰よりも生きたいと願った。それは誰もが等しく手に入れる事が出来る平等の財産である筈が、男はそれを上手に求める術を知らなかった。それが為に男は見ず知らずの、ただ見目がいいと言う理由だけで選んだ罪も無い少年少女を殺めたのです。
 そんな、まるで自分の欲しいものが手に入らなくて駄々を捏ねる子供のような感情には私は興味は持てません。

 まぁ、希望通り、死刑囚の恐怖と慟哭は味わう事が出来ましたから、良しとしましょうか。