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<東京怪談・PCゲームノベル>


優しい吸血鬼


■序章■

 郊外の、さほど広くはない雑木林の中にある薄暗い小屋には、一人の優しい吸血鬼が住んでいました。
 彼は昔々に人を愛し、友としたことがあって、それ以来人間の血を口にしないと誓っていました。不味くて栄養価の低い動物の血を啜ることは、吸血鬼にとっては屈辱的で、同胞間では許されることではなかったのですが、それでも彼は友人達のことを考えると幸せだったので、人間の血を吸おうとは思いませんでした。
 常に薄暗いこの小屋を訪れる者はほとんどありませんでしたが、彼は外の村で暮らす友人や、好意を寄せている女のことを考えながら、温かい毎日を過ごしていました。

 ところがある日。新月の晩に彼の小屋の戸をノックする者がありました。彼は久し振りに友人の誰かが訪ねて来たのだろうかと心を躍らせ、そこに誰がいるのかも確認せずに戸を開けたのです。

 ひゅっと喉が細く鋭い音を鳴らしたのが彼の耳にも入りました。

 驚いて相手の顔を見ると、それは全く知らない人物で、怒りと恐怖と興奮とが混ざったような奇妙な表情をしていました。それから両腕が真っ直ぐとこちらに伸びているのが見えました。
 その腕を先へと辿っていくと、上着の胸に刺さる短刀が目に入りました。
 吸血鬼は自分の胸に刺さる短刀を不思議そうに撫で、それからもう一度男の顔を見ました。男が唐突にがたがたと震えだし、何も言わないまま逃げ出そうと踵を返した時。

 男の背中に生温い血飛沫が浴びせられました。

 恐る恐る男は振り返りましたが、それからはもう一歩たりとも動けなくなってしまいました。目の前の吸血鬼が、刺さっていた短刀を、肉が裂けることすら構わず乱暴に弾き抜き、勢い良く血を飛び散らせたまま、自分の血の付いた刃を旨そうに舐めとっていたからです。
 彼の目は赤く、うっとりと細められていました。
 それからみるみるうちに吸血鬼の傷を負った体は再生され、動けないままでいる男の方に2、3歩歩み寄ると、舌なめずりをして、そして――。

 その日彼は、全てを忘れて「高潔な」吸血鬼に戻ったのでした。


■1.或る青年■

 その青年は始め吸血鬼の話を耳にした時、他の誰とも違う表情を示しました。
 彼はまだ17才で、ともすればその年齢の男性が示すような興奮と怒りとに満ちた懲悪の気持ちを抱いても不思議ではなかったのですが、彼はそのような感情を抱いた様子もなく、ただとても哀しそうな顔をして肩を竦めてみせただけでした。
 そのことで彼が責められる謂れはなかったのですが、彼に話を持ちかけた男は「つまらない奴だな」と言って席を立ってしまいました。元々特に知り合いというわけでもなく、ただこの不気味で恐ろしいといった類の話をしたかっただけの男に青年は気を使いませんでした。黙って男が去って行くのを見届けた後、青年は一人でそのことを考える時間を得ました。
 暫くの間食堂の片隅でぼうっとしていると、目の前の席にまた誰かが座ろうとしているのが映りました。青年が僅かに顔を上げて見るとそれはこの店の常連客でした。男は青年と目が合って微かに笑みを上らせると、続いて青年の前に置かれている皿に目を落とし、言いました。
「おいおい、ポテトが粉々だ」
 その言葉と男の目線とにつられて青年が視線を下げると、皿の中のポテトが青年が手に握ったフォークで潰されているのが見えました。青年は誤魔化すように苦笑してそれを掬い上げ、一気に口の中に放り込んでしまいました。
 男は自分の食事の入ったトレーを置き、席について青年が口の中のポテトを飲み込むのを待ってから尋ねました。
「沙月、何かあったのか?」
 沙月はまた曖昧に笑って肩を竦めました。どうにもはっきりしない態度でしたが、男は辛抱強く沙月の言葉を待ちました。食事を再開しようとしていた沙月も、男の射るような視線と根気に負けて、フォークを皿の上に投げ出しました。
「吸血鬼の話を聞いただけさ。有名な話みたいだが聞いたことなかった」
 沙月は椅子の背もたれにだらしなく体を預けますと、目の前に座る男を見遣りました。男はトレーを端に除けてしまっていて、テーブルに肘をついて指を組み、その上に顎を乗せて話を聞く体勢をとっています。沙月と目が合うとにこりと笑って、除けたトレーから紅茶のカップだけ持ち上げて、一口啜ると軽く首を傾げました。
「私もその話は聞いたことがあるが、君がポテトをクラッシュする程の出来事はなかったように思うんだが。よくある都市伝説の類だろう?」
「でも伝説じゃないんだろ」
 沙月の反論に男は目を丸くして、それから喉の奥でクツクツと笑いました。馬鹿にされたと感じた沙月は、目を怒らせてテーブルに身を乗り出します。
 男はそれを手で制して、顔を伏せて咳払いで笑いを堪えますと、目だけを沙月の方に向けて少し掠れた声で言いました。
「すまない、珍しいと思っただけさ。たかだか吸血鬼のために必死になるなんてどうしたんだ?」
 男の言葉にはっとして、沙月は少々バツの悪い気持ちをしながら大人しく乗り出した体を椅子に沈ませました。それから何かを示唆するように視線を泳がせたあと、思い切ったように男に告げました。
「助けてやりたいと思ったんだ。まずは吸血鬼の人間の友人ってのに会いに行こうと思うんだけど……あんた何か心当たりないか?」
 助言を求められた男は酷く重々しい感じに眉根を寄せました。沙月に聞き取れないぐらいの小さな声で二言、三言ぶつぶつと呟くと、今度は情けない顔で沙月を見たのでした。その表情は憐れむ者のそれで、沙月は何を言われるかわかったような気がしました。
「死んでるよ」
 男はまずそう言いました。一旦そこで言葉を切ってから、また躊躇うように数度ぼやきを漏らして、意を決して告げました。
「私の曾爺さんの代らしいから、もう死後60年近いんじゃないか?」
 男の言葉は沙月に届いているのかどうかわかりませんでしたが、男はじっとしたまま動かない沙月の肩を叩くと、結局またトレーを持って移動してしまいました。沙月はそれを見送ることもなく、ただ呆然と何もないテーブルの上を見つめていました。

 ――60年もの間孤独を貫いた吸血鬼。

 彼のことを思い、沙月はまだ食べかけの皿を持ってカウンターに向かいました。
 沙月は吸血鬼の元を訪問することに決めたのです。


■3.真実を知った吸血鬼■

 人形使いが小屋の扉を開け放つと、たちまち生臭い血の臭いが小屋の外まで広がっていきました。
 真っ暗な部屋の中で目を凝らすと、部屋の中央で驚いたような顔でこちらを見ている青年を見つけました。部屋の中には青年以外の気配はなく、けれども明かに吸血鬼ではない青年を、人形使いはじっと見つめました。
 青年は困惑した様子で人形使いを見返していましたが、やがてはっとしたように瞬きをして、遠慮がちに「あんたは?」と尋ねました。人形使いは表情を変えぬままに一礼して、それから口を開きました。
「わたくしはノイシュ・シャノーディンという者です。こちらは吸血鬼さんのお宅とお伺いしたんですけれども、どうやら留守のようですわね」
 ノイシュの丁寧な物腰に青年は苦笑いをして、それから自分も同じなのだと告げるために、少しだけ明かりの射す窓辺に寄りました。
「俺は郡司沙月。あんたと同じでここを1時間ほど前に訪ねて来たんだけど、いないみたいだぜ?」
 沙月はそう言って肩を竦めてみせました。その表情が覗えなかったことから、ここが真っ暗なままであることにノイシュは思い当たり、明かりをつけようと辺りを見回していると、沙月が動く気配がしたのでそちらに目を遣りました。彼は天井を指差していました。そしてそこには無残にも割れて目的を果たすことができないでいるランプがあったのです。
 2人の間に沈黙が訪れました。吸血鬼が今ここにいないのは明らかでしたが、彼はここに戻ってくるという確信を、2人は共通して持っていました。そしてそれはすぐに確かであることが証明されたのです。
 閉じられていた玄関扉が開き、ぴたりと止まりました。2人が振り返りますと、暗い色の衣を纏った吸血鬼が、じっとこちらを見ているのに遭いました。吸血鬼はあまり妙な態度を取るでもなく、抑揚のない声で何をしに来たのかと尋ねました。
「その……あんたが血を飲まないことには生きていけないってことはわかってるんだが……前みたいには戻れないのか?」
 沙月の言葉に吸血鬼は薄い笑みを浮かべました。それはやがて喉を鳴らし、終いには彼は大声で笑い出したのです。
「そうだな。しかし顔も見たこともない君らに説得されて、私がそれに応じるとでも?大体こうなったのは全て君らのせいだろう。私は静かに暮らしていたんだ。静かに……暮らして、いた」
 吸血鬼は急にしんみりとして、入り口の脇の丸テーブルに座り、体を壁に凭せ掛けました。彼は俯いて、物思いに耽っているようでした。それから唐突に顔を上げますと、懇願するような感じで言いました。
「彼らに……私の友人に会わせてくれたなら――」
「無理ですわ」
 吸血鬼の言葉を遮るようにして、ノイシュが平坦な声で告げました。
「彼らは既にお亡くなりになられてますもの」
 それを聞いた吸血鬼は絶叫するように大きく口を開きましたが、結局一声も発さずに一度口を閉じて、皮肉げな笑いを顔に刻み、大分低く落とした声で言いました。
「そうだな……どちらにせよ無理なことさ!最早血に対する渇きは私のものではない。私の中に住む惨忍な化け物の物なのだよ!」
 それから吸血鬼は物凄い勢いで小屋を飛び出て行きました。彼は狂気に満ちていました。そうしてそれは、彼自身には抑え切るのが困難なもののようでした。
 これ以上彼が自身を傷付けないように、2人は暗い森の中を彼を追って走り出しました。


■9.彼の決断■

 ノイシュと沙月がその場に着いた時、吸血鬼は周囲を狼に囲ませて、その中央で沈黙に伏して佇んでいました。その場所はやはり木の葉が空を隠しているものの、少しばかり開けていて、その隅の方に横たえられた娼婦の姿を見つけると、2人は他には目もくれずそこへ駆け寄ったのでした。
 吸血鬼の赤い目がそれを捕え、彼は酷薄に笑うと長い腕をすっと横に走らせて、狼達に「襲え」という命令を下したのです。
 沙月が娼婦を抱き起こし、彼女が息をしているのを確認してほっとした表情を見せました。それを横目にノイシュはすぐさま結界を張り、襲い来る狼達を退けます。
「そこまでだ」
 澄んだ声が闇を裂いて、その場の空気の流れを止めました。吸血鬼が振り返ると、そこには麒麟と翼の姿がありました。
 静かに戦いは始まりました。渇きを満たした吸血鬼は凄まじいパワーと大柄な体型には似合わぬスピードで翼に襲いかかりました。翼は剣の鞘を取り払わぬまま吸血鬼の攻撃を受け流しつつ、反撃の隙を狙いました。
 麒麟はノイシュと沙月、娼婦の方へと向かうと襲い来る狼をその力で蒸発させていきました。
 そうして徐々に朝が近くなり、吸血鬼の攻撃が鈍くなり始めたところで翼が剣の鞘を取り払いました。彼の攻撃を刃の背で受けて、反動を利用して思い切り退け、彼の体は無様に地面に落ちました。そこへ翼がゆっくりと剣を向けたその時です。

「待ってくれ!」

 叫んだのは沙月でした。彼は恐る恐る吸血鬼の方へと近付いて、地に伏した彼を庇うように両手を広げました。
「彼に立ち直る機会を」
 そう言って、翼が腕を下ろしたのを見ると、沙月は一度息を吐いて次に吸血鬼の方に向き直りました。
「一人ってのがどれだけ辛くて寂しいか……俺にもわかるよ。でもあんたは好きなやつのために耐えて来たんだろ?……幸せ、だったんだろ……?」
 うつ伏せたまま動かない吸血鬼に、ノイシュもその側に寄って静かな声で言いました。
「人に害を為すから退治するだなんて、人間至上主義な考えはノイシュの本意じゃないの。でもあなた、きっと後悔するのでしょう?」
 続いて小さく呻き声を上げて、起き上がった娼婦が事態に気付き、彼に駆け寄っていきました。
「お願い、彼を殺さないで……!彼がすべて悪いわけじゃないわ」
 それを傍らで見ていた麒麟も、ふうと息を吐いて力を抜き、仕方ないといった表情を作って言いました。
「君の……名前が知りたい。長い付き合いになるかもしれないしね」

「困ったな、悪役になったみたいだ」
 翼は少し表情を和らげて、それからまたすぐに引き締めて吸血鬼に向かい、押し殺した声で告げました。
「以前のように生きるか、それともここで生を絶つか」
 吸血鬼はようやく体を起こし、自分を囲む5人の顔を順に眺めると、ゆっくりと一度瞬きをしました。
 彼の瞳の赤は消え、本来の色である漆黒の、滑らかな色を宿していました。
「こうしてまた友を得られたことに……」
 吸血鬼は立ち上がり、それから跪いて言いました。
「感謝を。伴う渇きは甘んじて受け入れよう」
 彼の目からは透明な液体が零れていましたが、誰もそれを指摘するものなどいませんでした。
 朝の訪れを告げる太陽ですら届かない森の中で、けれどもそこは確かに温かい空気に包まれていたのです。



                           ―了―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2667/鴉女・麒麟(からすめ・きりん)/女/17才/骨董商】<或る少女
【2364/郡司・沙月(ぐんじ・さつき)/男/17才/高校2年生】<或る青年
【2727/ノイシュ・シャノーディン(のいしゅ・しゃのーでぃん)/女/23才/人形使い・祓い師】<或る旅人
【1979/葛生・摩耶(くずう・まや)/女/20才/泡姫】<或る娼婦
【2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)/女/16才/F1レーサー兼闇の狩人】<或る者

(※受付順に記載)


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターの燈です。
「優しい吸血鬼」へのご参加、ありがとうございました。

>郡司沙月様
 ええ…プレイングと少々かけ離れ過ぎている感がありますが(汗)取り敢えず沙月さんの設定を読んで、得たイメージから書いてみました。乱暴な口調ででも実は寂しがり屋で、人に優しい。と感じたのですが、いかがでしたでしょうか。
 吸血鬼(結局最後まで名無しですが)も沙月さんのような友人を持てて、きっとまた幸せな日々を過ごせることでしょう。

 それではこの辺で。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございました!