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<東京怪談ノベル(シングル)>


哀想雪花。

 ほたほたと。
 静かに舞い降りる、花びらのような、真白の雪。ただ静かに、降り続けている。
 深閑な、情緒漂う古くからある日本式の建物の一画。ある部屋の窓際の下で、一人の青年が雪に膝を折り、肩を落して涙していた。
 音も微かに降り続ける雪が、彼の肩を静かに白く染めていく。
 誰も触れることの出来ない空間。誰も触れることの許されない時間が、ゆっくりと刻まれ、運命と言う酷さを青年は雪に隠れながら、ただひしひしと心に感じ取っているのであった。



「雪兎、ですか…」
 そろそろ春の訪れを感じさせる季節の、三月。季節外れとも言える雪がちらちらと舞い降り、目の前に広がる庭園を白く包み始めた頃に、隻眼の青年、河譚 時比古(かたん ときひこ)の携帯が鳴り響いた。遅れを取らずに通話ボタンを押すと、電話口の向こう、雪兎を所望する、彼が仕える主君からの声が耳の奥まで広がる。言葉一つ一つを大切に、自分の中へと注ぎ込むように聞き取りながら、諒承の言葉を返すと電話はぷつりと切れ、時比古は軽く溜息を漏らした。吐き出した息が、ほわ…と白いものになって、うっすらと消えていく。
「やれやれ…」
 溜息と共に滲み出た、薄い微笑み。主を何よりも誰よりも大切に思うからこそ、時比古の心情はどこまでも哀愁に染まっていった。
(あの方は時折、このように子供じみた命令をなさる…)
 ぽつり、心の中で呟くと、雪が積もっていそうな場所を選び、時比古は雪兎を作り始めた。過去の記憶を、懐かしく切なく…、思い起こしながら。
 彼の主君が生まれた日も、こう言った季節外れの雪が降っていた。当時、主君の真名そのもののように目に移る世界が白銀に染まり、彼の心に酷くそれを印象付けたものだ。
 時が進み、主君の幼少の頃、時比古の左目がまだ傷つく前、『兎が見たい』と泣かれたことがあった。彼は一瞬戸惑ったが、主君の涙を自分が止めることが出来るのなら、と、急ぎその場で雪兎を作り上げると、主君は子供らしく満面の笑みで喜びを表し、その笑顔がまた、彼の心に強く刻み込まれ、幸福感で満たされた感覚を、忘れることが出来ない。
 ゆっくりと、時間を積み重ねて。何気ない仕草や、表情まで。
 時比古の心の中を埋め尽くす、主君の存在。
「…、そうだ…瞳は青くしてさしあげよう…」
 思い出したかのように、完成間近の雪兎の製作の手を一旦止め、独り言を漏らすと、そのまままた製作を再開し、兎の目を青くしてやる。主君と同じ、蒼い色だ。
 雪はまだ、静かに降り注いでいる。そして、時比古の短い黒髪も、徐々に白くなっていく。
「………」
 これでまた、主君の胸の内に、『自分』を刻み込むことが出来るのであろうか?
 そう思うと急に、時比古の視界が歪んだ。慌てて硬く目を瞑り、『それ』を止めて、手の中の雪兎を完成させる。
 青い目の雪兎は、可愛らしく出来上がった。そして、そのまま溶けないうちに、時比古は主君の下へと届けに歩みを進めた。
 雪の積もり方が少ない、今まで彼がいた場所を、妙に物悲しくそこに残して。

 ぎゅっ、ぎゅっ、と歩みを進めるたびに足元から聞こえる、雪が奏でる音。それを、耳にしながら。
 そっと、静かに雪兎を届けようと、主君の部屋の窓際に辿り着いた時に、時比古の目に飛び込んできたものがあった。
 片目の無い、雪兎。おそらく、彼の主君が手がけたものだろう。
「……さま…」
 主君の名を口から零したが、それは極端にか細く、時比古は自分でも驚きながら、窓の向こうの主君に思いを馳せた。
 もう、『それ』を止めることなど、出来ない。端麗な、整った彼の容姿が、静かに崩れていく。
 時比古は、その場で涙を流していた。
 震える手で自分の手の中の雪兎を、隻眼の雪兎の隣に置くと、かくんと足の力が抜けて、彼はへたり込み、膝を突く。
「……、…さま…」
 名を呼ぶが、声にならない。
 自分だけの大切な、主君。出来るものならこの先もずっと、『自分』が仕えていきたい。
 来年の今頃、主君に雪兎を作ってあげられるのは、おそらく『自分』であって『自分』ではない、『違う者』。同じ顔であるが、『別人』が主君の傍に身を置くのだ。主君の過去の記憶、そして未来の信頼も、全て持ち去って。
 願いが、この苦しいまでの思いが、天に届くなら。叶えられるものであれば…。
「…っ!」
 ぼすん、と時比古の膝の横の雪が、固まりとなって空に浮き、一瞬空でその動きを止め、そしてまた地へと還っていく。
 彼自身の腕が、地面へと叩き込まれたためだ。
 どうしようもない焦燥感。憤り。主君への思いが綯交ぜになり、それは彼の握りこぶしへと向けられたのだ。
 こんな、荒々しい仕草など、主君には見せたことも無い。もし見られていたら、さぞかし驚かせることだろう。
 普段物腰穏やかな時比古が隠し持つ、醜い心の奥の、貪欲さと、激しさ。
 恨むことも、多々ある。自分の運命と言うものに対して。今の感情は、『それ』に近い。
 この、季流家当主に仕える身として、河譚に生れ落ち、『半身』の影に脅えながら、今まで生きてきた。それでも置かれた位置に、不満など感じたことなど無い。まして、自分の主君にさえ。そんな感情を持ち合わせたことなど、一度も無かった。
(このまま、生き続けたい)
 時比古の心の中で繰り返す、切なる思い。誰に打ち明けることも出来ずに…。
 ぱさ、と彼の着ている着物から、積もった雪が地へと落ちる音が、やけに大きく響き渡る。
「…今だけ…今、だけは…」
 口に手をやり、『己の運命に悲しむ時間を与えてくれ』と言わんばかりに、時比古は途切れがちに言葉を吐き出し、小さな嗚咽を漏らしていた。


 雪は、流した涙を氷の結晶に変えてしまうほどの冷たさで、降り続けている。ほたほたと。そして悲しみに暮れる時比古の背に、再び白き花びらが重なっていく。
 今はまだ先がはっきりとはしない、彼の未来を哀しんでいるかのように。


-了-


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河譚・時比古さま。
ライターの桐岬です。この度はご依頼ありがとうございました。
時比古さんの初めてのシチュノベを桐岬にご指名頂き、とても有難く思っています。

発注内容から、文章を一人称にするか、三人称にするか悩んだのですが、最終的には
三人称での形を取らせていただきました。設定がとても興味深く、私自身が時比古さんになったような感覚で書かせていただきました。とても楽しかったです。すっかり自分の中で世界観が出来上がってしまうほど…でした。

ご期待にきちんと応えられていれば、幸いです。
そして、またお目にかかることが出来れば…と祈りつつ、この辺で末尾と致します。
今回は本当に有難うございました。
※誤字脱字はチェックをかけておりますが、見落としがありましたら、申し訳ありません。

桐岬 美沖。