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わすれもの
<序章>
草間はソファに寝転んで煙草をふかしながら、先ほどまで面会していた依頼人の話を思い出していた。
今回の依頼人はうら若き女性。そして……また『怪奇ノ類』だ。
結婚間近だというその女性は、自分の幸せを妬んだ誰かの呪いではないか、と怯えていた。真偽のほどなど草間には分からないが、ともかくほうってはおけない。
「あいつに手を借りるか……」
草間はくわえていたタバコの火を傍らの灰皿に押しつけるようにして消すと、電話をするためにソファから立ち上がった。
<わすれもの>
◆
エンジンを止め、跨っていたシルバーの車体から身を起こす。
「草間さんも、どうして女性の依頼人だとまず俺に連絡してくるんだか。ま、女の子が困ってるなら助けてあげたいとは思うけど……」
呟きと共にフルフェイスのヘルメットから現れたのは、金色の髪と甘いマスクだ。鈍く光るバイクボディを覗き込み軽く髪の乱れを直すと、佐和トオルはその店へ入ろうとする。
と、一つくしゃみ。鼻の先を花びらがかすめたのだった。
「ああ、桜がもう咲いてるのか」
店の前に植えられていた桜が風にその枝を揺らしていた。はらはらと、まるで泣いているように散っていく花びら。
トオルはしばしの間その樹を見上げていたがすぐにひとつ肩をすくめ、店のガラス扉に手をかけた。
「いらっしゃいませ」
「ああすいません、俺は客で来たんじゃないんです、人を捜しに……」
近づいてきた女性店員にそう言うと、トオルは軽く辺りに視線を配った。
店内に流れている弦楽曲が落ち着いた雰囲気を演出している。書棚に並ぶのは「教会一覧」と書かれたファイルの数々。さりげなく飾られた季節の花は、未来の幸福を祝うかのように華やかだ。
そして大きなショウウィンドウに飾られている、純白のウエディングドレスの数々。こちらに気づき、奥で振り向いた女性もその身に真っ白なドレスを身にまとっていた。
そう、ここは――ブライダル・ショップ。
軽く頬を上気させている女性店員に一つ微笑んでみせてから、トオルは奥の女性に近づいていく。
「こんにちは、佐藤真理亜さん?」
「は、はい」
「初めまして、佐和トオルです。草間興信所から紹介されてきました」
そうしてトオルはにっこりと、特上の笑みを浮かべてみせた……。
◆
トオルが促すと、真理亜は怯えつつもぽつぽつ話し始めた。
店の相談コーナーの一角、小さな応接セットで向かい合っての会話。
真理亜はドレスを着たままだ。そんなに焦らなくてもと言うと、真理亜は一刻も早く事態を解決して欲しいから、とうつむく。
「最近、視線を感じるようになったんです。どんなに走って逃げても着いて来る気配がするんです。気配だけ、振り向いても誰もいなくて。
だけど昨日……肩にぽん、と手を置かれたんです。振り向いたら……誰も、いなかった」
「でも、手が置かれたって言ったよね」
「だから手だけだったんです! 手だけが……私の肩に」
「手だけ……ね」
トオルは手首だけが自分の肩に置かれている様を想像する。
例えば夜道、確かな肩の重みに振り向けば手首の先に何もない。……確かにシュールな図だ。
「もうすぐ私は結婚するんです。彼は優しい人で、今幸せです、本当に。……だから、誰かがそれを呪ってるのかもと思って、怖くて」
「彼? そういえば、キミのお相手って今日はいないの?」
「え、ええ。彼もここに来ています。紳士コーナーは地下ですから今はそちらに」
ドレスを脱がないのは、その彼に見てもらいたいという気持ちもあるのだろう。あごに長い指を当て、思案していたトオルだったがすぐに顔を上げる。
「ところで、心当たりはあるの?」
「……え」
「いや、普通『呪い』なんて発想にいくかな、なんて思ってね。キミがそう思ったのは、心当たりがあるからじゃない?」
黙りこんでしまった依頼人に、トオルは圧迫感を与えないよう穏やかな表情のままで静かに待つ。
そして。
「……母が」
たっぷりの間の後、真理亜は口を開いた。
「先日母が亡くなったんです。だから……私を呪っているのは母じゃないかと、私」
◆
ドレスに似合わない暗い表情で、真理亜は語り続ける。
「母は長いこと病に伏せっていました。病院の個室から外ばかり眺めてる生活で。
もちろん私だって、母のことは大好きでした。だけどお見舞いに行くたびにやせ細っていくのを見るのが、だんだん辛くなっていったんです。明るくって美人で自慢だった母が、病院のベッドの上で『真理亜、真理亜』って。そればっかりで」
彼女の体を『悲しみ』の白い空気が覆っていく。かたかたと震え続ける彼女の肩。
真理亜の表情にはかなげな笑顔がダブった気がして、トオルはそっと目を閉じた。
――今彼女の過去を覗くのは、ひどく失礼な気がした。
「だからあの日、私は母の元に行かなかったんです。『どうしても渡したいものがあるから、必ず病室に来てね』って言われてたのに、私行かなかった。そうしてその晩のうちに、容態が急変して、母は。母は……」
懺悔の念に唇を噛み締めている彼女は、一回りもふた回りも小さくなったように見えた。トオルは静かに立ち上がると彼女の横に座り、そっとその髪を優しくなでた。
◆
「君、何を……!」
と、礼服を着た気弱そうな男がトオルたちの元に近づいてきた。穏やかでない雰囲気だ。
慌てて立ち上がったトオルより、頭一つ小さい。だが少しも臆した様子はなくトオルに向かって大声を出す。
「私の婚約者に何をしているんだ」
「あ、えっと」
後ろめたいことは何もないがどこから説明したらよいものか判断に迷い、トオルは言葉に詰まってしまう。
と、顔を上げた彼女が慌てて間に割って入った。
「ごめんなさい違うの。この方は佐和さんって言って」
「何があったか知らないけど、君にそんな表情をさせるなんて僕は許せないよ」
きっと根が優しく、そして彼女をとても愛しているのだろう。純粋な怒りの感情が彼の体から立ち上るのを見て、トオルは苦笑した。
――彼に。そしてこんな事態になってまで冷静に状況を分析している自分自身に。
「お願いやめて!」
真理亜がそう叫んだ時だった。
――風圧が来た。
トオルが何を思う間もなく、降り注ぐきらめき、音、そして衝撃。
明るく開放的に作られていたブライダル・ショップ。その壁面全てに使われていたガラスというガラスが、一斉に甲高い音を立てて割れたのだ。
慌てて真理亜とその婚約者をテーブルの下に伏せさせ、自分も床に身を伏せる。
間髪入れず降ってきたガラスの雨。飛び散る破片に、店員たちも皆悲鳴を上げて身を伏せている。
「何が一体……」
起きたんだ、と言おうとしてトオルはハッと身を起こした。瞬時の判断というより最早本能で、トオルは感じ取ったのだ。
――迫り来る、悪意を。
「来る!」
振り向いた瞬間トオルは喉元をつかまれていた。
突如現れた、「手」に。
「や、やべっ……!」
油断した。悪意の感情が背後に現れたのは、分かったのに。
ギリギリと込められていく力。たかが「手」なのに、まるで万力かなにかで首を絞められているかのようだ。
息がつまり、混濁する意識はだんだん薄れていく。苦しい、苦しい。
「……や、やめっ……」
腕が震える。視界もどんどん錯雑していく。酸素を求めて口を開くが『かはっ』と声が漏れただけだった。
必死の思いでトオルは腕を上げ喉元の「手」をつかむ。
――その瞬間トオルの意識野に何かが流れ込んだ。脳裏ではじける、光。
「……やめろ、って、言ってんだろ!」
叫んだ。腕に渾身の力をこめ「手」を引き剥がす。
トオルの見ている前で「手」はべしゃ、と床に落ち、小さく痙攣して消えた。
◆
「……佐、佐和さん!」
真理亜が慌てて駆け寄ってくる。座り込み、ぜいぜいと未だ息が落ち着かないトオルの背中を、トオルより青い顔をしてさすり続ける。
「ごめんなさい、私、迷惑ばかり」
「ち、ちが……」
「私が結婚しようなんて思ったのが間違いだったんですね。そうなんですね! みんな、みんな私が原因で不幸に」
「違うっ!」
痛む喉を押さえつつトオルは真理亜の言葉を遮った。驚く彼女をよそにトオルは、はいつくばる様にして手が消えた場所へと近づく。
一瞬のきらめきをトオルは見逃さなかった。そうして、そこに残っていたもの。
「……真理亜さん」
立ち上がるとトオルは真理亜の腕をつかんだ。その後ろで目を白黒させている婚約者になど目もくれない。
「すいませんが一緒に来ていただけますか?」
口調は丁寧だが、トオルの表情には凄みがにじんでいた。
◆
桜が散り始めた春の気候の中をシルバーの車体が疾走する。
運転するトオルはスピードを緩めない。彼にしがみついている後ろの真理亜はただただ必死だ。まるで何かに追われるように、トオルはどんどんスピードを上げていく。
真理亜の着ている純白のドレスがはためき風を受けて広がる。銀色の輝きは流線となり、街中を風のように駆け抜けた。
黒いスーツの男を、その主として。
やがて、バイクがたどり着いたのはとある小さな教会だった。
戸惑う真理亜をよそに、その手を引いてトオルは聖堂への扉を迷わず開く。
「あら」
ステンドグラスの元、祭壇の横にいた一人のシスターがその物音に気づいて振り向く。トオルを見ると微笑した。
「トオルさん。いかがなすったの」
「すいませんシスター。ちょっとこの場お借りします」
トオルはシスターの質問には答えず、つかつかと歩みを進めていった。そして祭壇の元につくとピタリと止まり、そこでようやく真理亜を振り返る。
「……ごめんねいきなり。はい、これ」
トオルは握りしめていた手の中の物を、そっと真理亜に手渡した。温かい彼の手に包まれながら彼女はそっと手のひらを開く。
「これ……」
それは指輪だった。ルビーの赤いかがやきが、慎ましやかな輝きを放っている。
意外そうな顔で見上げた彼女に、トオルはにっこり笑って見せた。
「お母さんからのお届けもの。キミにちゃんと渡したからね」
――『手』をつかんだ時、トオルの意識野に流れ込んできたもの。
それは、誰かの必死の叫びだった。
マリアノ シアワセ ジャマスルナ。
マリア、マリア。ワタシノ アイスル ムスメ!
……まるで、泣き叫んでいるような。それは大きな「声」だったのだ。
「真理亜さんのお母さん、その指輪をずっと渡したかったんだって。真理亜さんの結婚が決まったその時に渡そうと思って、ずっとずっと大切にしてたみたいだよ。だけど、それをキミに渡そうとしたその日に死んでしまって願いが果たせなかったから。
……怖がらせてゴメンって。ゴメンね真理亜、って言ってた」
「じゃあ、あの日私を呼んでいたのは」
彼女の目から、今までずっとこらえていた涙があふれ言葉を遮る。
「きっとさ、俺が真理亜さん泣かせてるみたいだったからお母さん焦ったんじゃないかな」
トオルは微笑み、そっと真理亜の髪をなでた。
「呪いなんかとんでもないよ。お母さんはずっと、キミの幸せを見守っててくれてる。だから『結婚なんて』なんてもう、言わないようにね」
「佐和さん……」
「それに、ホラ」
トオルが視線を送った先には真理亜の婚約者が立っていた。
慌てて追いかけてきたのだろう聖堂の入り口に立っている彼は、純白の衣装もヨレヨレ、髪も乱れ、足元はふらついていた。
それでも真理亜を見つめる視線は確かだ。
「分かった?」
トオルはぽん、と軽く背を押してやる。
「行ってあげてよ。せっかくだから式のくり上げなんてどう?」
戸惑ったように一回トオルを見上げた真理亜だったが、濡れた頬をそのままにニッコリと笑うと、長いドレスのすそをたくし上げて走り出した。
彼女のことを迎えに来た、愛する男の胸の中へ。
◆
「どうも、シスター。お騒がせしまして」
トオルたちのことを傍から見つめていたシスターは、素直に頭を下げたトオルに苦笑した。
「いいですよ。あなたのことですから、きっと困っていたあの方たちを助けて差し上げたんでしょう? 主の御心に適う行いを、私がとがめるはずがありません」
その言葉が妙にくすぐったくて、トオルは苦笑だけを返す。
シスターはトオルの首に残る手跡にちらりと視線をやったが言葉にはしなかった。その配慮が、今のトオルにはありがたい。
「もっとここにお帰りなさいね。ここはあなたの家なのですから」
「……はい」
――家、か。
トオルは家庭というものを知らない。だがきっと温かいものなのだろうとは思う。
――そう、たとえ死んだ後でも愛する我が子を心配するような。
首を振ってトオルは思案を打ち切った。顔をあげ、自分を叱咤するように微笑む。
ステンドグラスから溢れる春の光。その優しい光をあびながら十字架を見上げ、トオルは心の内で呟いた。
――みんな幸せになれますように。アーメン。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1781 / 佐和トオル / 男性 / 28 / ホスト】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、つなみです。この度はご依頼いただき誠にありがとうございました。
今回は佐和さんお一人の参加でしたので、設定なども使って少々書き込ませていただきました。(ラストに出てきた教会は佐和さんゆかりの教会という設定です)さて、いかがでしたでしょうか?
私事ではありますが、今回の佐和さんのご依頼が私にとっての初受注で、少し緊張しながら執筆させていただきました。
右も左も分からず心細かったので(笑)佐和さんがいらした時はとても嬉しかったです。
こんな内容でしたが、いかがでしたでしょうか? ご意見やご感想がありましたらお聞かせいただけると嬉しいです。
それでは、またお会い出来ますことを。
佐和さんが幸せになれますように。アーメン(笑)つなみりょうでした。
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