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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


dimension / fall

 「ほら、次は右だよ、右!右だからね!」
 「一回言や、分かるっての!うっせーな!」
 罵倒もヘルメット越しではイマイチ通りが悪いか。怒鳴りつけても一向に解した様子もなく、バイクの後ろで勾音が玲璽の肩を叩いて方向を指示する。口の中で文句を言いつつも、玲璽は体重を内側へと移動させて滑らかにカーブを曲がった。
 送って行けとの事で勾音を後ろに乗せるはいいが、予備のヘルメットはないし、あってもあの【角】があっては被れないか、とかいろいろ思う所もあったが、取り敢えずは、掴まってろよと声を掛けて走り出した。が、後ろから勾音は道案内だけならともかく、カーブはソフトに曲がれだのブレーキの掛け方が荒っぽいなどと散々注文をつけまくり、これがついさっき自分との戦いに敗れて死に掛けた女かよ、と玲璽は口の中でぶつくさと文句を言った。
 「何か言ったかい、ボウヤ」
 「…何にも言ってねぇよ。つか、そのボウヤってのはどうにかなんねぇのか」
 「ならないねぇ。ンな事言っても、私ゃおまえの名前を知らないしねぇ」
 しれっとそう言ってそっぽを向く勾音に、がくりと肩を落として玲璽は溜め息をついた。

 やがて辿り着いたのは、賑やかな繁華街から数本内側へ入っただけで、これ程までに雰囲気が変わるのかと驚く程に胡散臭い空気を漂わせる場所だ。そんな中、勾音が指し示すのは一件のバーらしき店。どこに店名が書かれてあるのかも分からなければ、どこにドアがあるのかも一目では分からないような薄暗く怪しげな店だ。その店の前でバイクを停め、勾音の指示通りにエンジンも切ると、途端に周囲は暗闇と静寂に包まれた。
 「ここが私の店さね。ボウヤ、一杯飲んでお行き。私が奢るよ」
 勾音はそう言うと、玲璽の返事も聞かずにさっさと店の中へと入って行く。仕方なく玲璽もその後に続く。店の中は、扉の小ささからは想像付かなかった程に広いが、店内に客や店員の姿は見えない。それなのに寂れた感じがしないのは、どこからともなく視線や何かのざわめきを感じるからだろうか。
 勾音は玲璽にカウンター席を勧めると、自分はその内側に入って行き、棚からグラスを二つ取る。一旦屈んでカウンターの内側へと姿を消し、再び立ち上がった時には、その手にスコッチの瓶を手にしていたから、足元の棚に酒がしまってあったのだろう。からり、とグラスに、近くのアイスペールから大きく割った氷を入れた時だった。
 「……それは、……!?」
 いつからそこに居たのか、玲璽の背後には一人の大柄な男が立っていた。この店の店員、と言うか勾音の部下なのだろう。バーの店員にしては、黒尽くめの恰好は幾分異様な気がしたし。カウンターの中にいる勾音の頭から視線が離れない所を見ると、中程辺りで折れてしまっている右の角の事を言っているのだろう。だが勾音は、そんな視線はさらりと受け流して素知らぬ顔をした。
 「おや、戻ってたのかい。ご苦労さん。もう休んでいいよ」
 「そんな事はどうでも宜しい、その角は一体……!?」
 「おまえ、女に恥を掻かす気かい。男が聞いていい事と悪い事ってのがあるだろう?」
 だろう?の部分で勾音はスツールに座った玲璽の方を見る。その視線で、男は事情を察したのだろう。知らん顔をしていた玲璽の胸倉を掴むと、そのまま力任せに引きずり上げた。玲璽は、突然の無礼と締め上げられる苦しさに顔を顰めながらも、至って冷静に男の顔を見る。
 「…おいおい、いきなり何だよ。乱暴な挨拶だなぁ」
 「惚けるな、貴様がやったのか!」
 いきり立つ男が、更に玲璽を上へと釣り上げる。体格差からか、容易に宙へと身体が浮き、さすがに息苦しくなったのと気分を害したのと両方から、玲璽は言霊を放った。
 『その手を放せ!んで吹っ飛べ!』
 だん!と音を立てて男は後方へ吹き飛び、壁に激突する。自分の身に何が起こったのか訳が分からない、と言った顔で男は玲璽の方を見た。人気もないのにざわめく店内で、一人冷静に、勾音がまたカラリとグラスに氷を落とした。
 「いい加減におし、店の中だよ。この男は、唯一私を負かした男なんだ。おまえが敵う相手じゃない。分かったら、とっとと帰りな」
 くいっと顎をしゃくって出て行けとのジェスチャをする勾音に、男は今だ不満が残る顔で、だが彼女には逆らえないのか、渋々と言った感じで店を出ていった。
 再び戻った静寂、確かに店の中には勾音と玲璽以外誰も居ないのだが、それでも勾音が玲璽を、自分を負かした男、と評した瞬間から、何やら騒がしいような気配がする。どこからともなく向けられる好奇の視線に居心地の悪さを感じながら、玲璽は勾音からグラスを受け取ると、彼女とグラスを軽く合せて乾杯した。
 「…あんた、一体何者だい。あんなごつい野郎を顎で使うなんてさ」
 「見た通りさ。もう分かってんだろう?」
 「…鬼なら、人を殺してもイイって言うのか?」
 玲璽の低い静かな声に、グラスを舐めていた勾音の動きがぴたりと止まる。暫くの間、無言で玲璽を見詰めていたが、やがてその口端を持ち上げて笑みの形を作った。
 「ボウヤ、幾つだい」
 「ハタチだよ。ンなの今は関係ねぇだろ」
 「あるね。若いね、おまえ。世の中はとてつもなく広いんだ。そこには、おまえの知らない世界もあるって事さ。こっちにはこっちの世界の道理がある。だから、例え私が誰かに、私が殺ったのと同じ理由で殺されたとしても、私は文句ひとつ言わないさ。それが、この世界の摂理だからね」
 「文句は言わねぇけど、素直に殺されるつもりなんか毛頭ねぇんだろ」
 玲璽がそう言うと、勾音はただニヤリと笑っているだけだった。
 「まぁ、いいんだけどさ。俺には関係ねぇし。俺に被害が及ばなければ、それでいいさ」
 「及ばなかっただろう?おまえは、今もこうして生きている」
 「ヤバかったけどな。性悪女に食われ掛けた」
 おまえも言うねぇ、と勾音が玲璽の厭味に気にした様子もなく、軽く声を立てて笑った。玲璽はスツールの浅い背凭れに体重を掛け、グラスの中の琥珀色を喉へと流し込む。
 その世界にはそれ固有の道理がある、と言うのは玲璽にも分かる。拳でケリを付けようと、暴力沙汰も多々起こした玲璽だ。世間一般にはそれはアウトローでしかないが、それでしか決着のつかない事と言うのも確かにあるのだ。はみ出し者にははみ出し者なりのルールも仁義もある。望むと望まざるとに係わらず。
 「おまえ、ハタチだって言ったけど、学生かい?そうは見えないけど…仕事は?」
 玲璽が少々物思いに耽っていると、不意にそう尋ね掛けられ、意識を目の前の女へと戻した。上体を屈めてカウンターに頬杖をつく勾音の額にある、片方が折れた角をぼんやりと見詰める。
 「…就職活動中さ。鋭意努力シテマス」
 「なんだい、職無しか」
 図星を指され、だが素直にウンと言えない玲璽は、鋭意活動中だ、と念を押す。それを分かっていてか、勾音がふわりと微笑んだ。
 「おまえ、名前は?」
 「…玲璽。威吹・玲璽」
 「玲璽、ここで下働きをおしよ。賃金は弾むよ」
 「…何でそんな事を言うんだ」
 玲璽は訝しげに勾音の方を見る。だが勾音はただ口許に微笑を浮べているだけだ。玲璽の目が、すっと細められて目の前の女の内心を探るよう、じっとその赤い目を見詰めた。何しろ相手は底知れぬ能力を持つ鬼女だ。しかも自分は、その鬼女を初めて負かした男、つまりは彼女にとっては、屈辱を与えられた憎い敵なのではないか。
 「ンな事言って、さてはさっきの事を根に持ってるだろ。金で釣って甘い事言って、寝首でも掻く気か?それとも、やっぱり俺を食うつもりなんだろ?」
 そう玲璽が言っても、勾音は未だなお口許の微笑を深くするだけだ。
 「どうかねぇ…そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。何だい、私が怖いのかい?さっきのあの迫力はタダの偶然かねぇ…だとすりゃ、私もロクでもない男に引っ掛かったってもんさね」
 「引っ掛かったのはあんたじゃなくって俺だろう」
 「どっちでもいいさ。さぁ、どうする?臆病者」
 玲璽のツッコミもさらりと流して、勾音は【臆病者】の部分だけ強調する。ニッと勇ましく笑い、挑戦的に玲璽を赤い瞳で射貫いた。胸元で両腕を組み、玲璽を精神的に見下ろす。
 「………」
 そんな勾音の既に勝ち誇ったような態度に憮然としながら、【臆病者】呼ばわりは勾音の挑発であるとわかっていながら、それでも玲璽としてはそれに抗う事は意に反した。同じように胸元で両腕を組み、片足でカウンターの側面を蹴ってスツールの足でバランスを取り、ゆらゆらと全身と揺らした。何も言い返さないが、ほぼ了承したような表情だ。それを見て、勾音は目を細める。細い指で自分の頬を撫でながら、さり気無く付け足す。
 「そうそう。そう言えば、ウチの賄いは絶品だよ。それだけでも、ここで働く価値があると思うけどねぇ」

 その一言で、就職先を決めたのだとはさすがの玲璽も公言出来なかったが。