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<東京怪談ノベル(シングル)>


春の嵐 風の行く先

今年の春一番が宣言されたその日。病院の前に、一台のタクシーが止まった。
風呂敷包みを持った女性が降りて、中へと入っていく。正面玄関からではなく、職員用玄関から…。
受付で何やら話すと、返事も待たず彼女は中に入った。勝手知ったる他人の病院。そんな仕草で彼女は歩く。
慣れた足取りは誰にも止められることなく一つの部屋の前で止った。
『院長室』
トントン。
「恵那、いるんでしょう?入るわよ。」
中から拒否と、慌てる気配を感じるが気にすることなく、彼女はドアを開いた。

ドサ、ドサッ!
高価ではないが、上質な来客用テーブルが乗せられたものの重みでかすかに揺れた。
その「物」と持ってきた「者」を見つめ、その部屋の主は「また」深く、大きくため息をついた。

「また持ってきたのか?母さん。」
「気に入らなかったら、また持ってくると言ったでしょう?恵那。」
恵那と呼びかけられた女性は、書類の溢れる机に座ったままため息をつく。
もう立ち上がる気にすらならない。いつものこと、なのだ。この見合い写真攻撃は。
「解った、後で目を通しておくから…。」
こう言っておけば、とりあえず母は帰るだろう。風のようなもの、黙っていれば通り過ぎる。恵那は下書きしていた論文から目を上げず思った。
(そしたら、即座にシュレッダーだ。)
いつもだったら…。だが、今日は母の帰る気配は無い。むしろ、声が近づいてくる?
「ダメよ、恵那。あなたの『後で』なんて信用できません。」
顔を上げた恵那の前には母の顔、決して小柄ではない恵那にとって物理的には大きい訳ではないのになぜか、それはとてつもなく巨大に見えた。
思わず、顔が強ば…いや、引き攣るのが解る。顔面痙攣か…、そんなことを考えた自分の頭を物理的と、精神的。二重の意味で振って恵那は目の前の母を見つめた。
「今日こそは!しっかり見て、選んで、お会いして、そして結婚してもらうわ!!」
「…結婚まで?」
「あなたも、若くないのよ。これが、最後のチャンスかもしれないのよ!」
そう続ける母の声と視線。いつにない決意を感じる。適当な言葉では、引き下がるまい…。
恵那はペンを置くと椅子を回し、立ち上がった。
(どうせ、いつかは言わなければならなかったしな。)
「母さん、話がある。…大事な、話だ。」
「なんです?」
喉の奥で何かが音を立てて沈んでいく。それが唾であり緊張であることを恵那は知っていた。
自分を見つめる母。歓迎は、されないだろうが、この言葉だけは飲み込んではいけないと…。
「私は、恋人が…できたんだ。真剣に付き合っている。他の人物と、付き合う気は…もちろん、結婚する気も…ない。」
(…言った。)
呼吸を、深く深くついて恵那は自分の言った言葉を、噛み締めた。
恵那にとっては、その言葉で終わり。
だが、解っていなかった。母にとってはその言葉は晴天の霹靂。そして始まりだったことを…。
「…彼の年は?」
「は?」
「あなたの付き合っているという、彼の年はいくつ?と聞いているのよ。答えなさい!!」
目の端を上げ、自分を睨みつけている母。知らず後ずさりしていることに恵那は気付いていない。
「…に…24。」
「年下ね…。学歴は?」
「普通の、高卒だったはずだ。」
「何か、資格や特技は持っているの?」
「…特に何も…(隠器術だの、精霊使いだの、ましてや元忍びなんて言えるか!)」
「何も資格や特技も無しで、高校卒?じゃあ、職業は何なのよ!安定しているの?」
「職業は…探偵。生活は…多分安定していない。」
質問が一つ終わるたび、母の背後に只ならぬ何かが浮かぶのが恵那には見えた。魔眼を使うまでもない。恵那でない人間にも多分見えるだろう。
マンガだったら人魂模様か、額の三つ割りと共に、ピキッっと効果音でもつくあたりである。
「…ちょっと待って。恵那。今、とてつもなく嫌な想像が頭に浮かんだの…。24歳、独身、学歴高卒、特技なし、職業探偵?母さん、そういう人を一人だけ…知ってるわ。」
「ああ、そうだな。多分、母さんも知ってる。」
完全に張り詰めた空気、まるであふれ出すほんの一瞬前の泉。コップの中の張力で張り詰めた水のような母の理性…。そこに恵那の言葉が最後の石を投じた。
「幼馴染の…。」
「それ以上、言うのはお止めなさい!許しません!!私は、絶対に、絶対に許しません!!!」
水が溢れ出したように、血が逆流するかのように、いや、頭から蒸気を上げていると言うのが一番似ているか…。
とにかく、母の理性はその時、完全に臨界点を超えていた。
「あなたは騙されているのよ!お止めなさい。そんな交際は!!」
病院長の母で、名家の奥様、5分前の彼女だったらそう見えただろう。
だが、今の彼女は誰が見てもただの、怒るオバ○リアンにしか見えない。取り繕うことさえできないのだ。
「騙されている?どうして!?」
賛成はしてくれないだろう。そう思っていたがまさか、母がここまで激怒するとは思わなかった。恵那はなんとか説得をしようと試みる。
「考えてもごらんなさい、あなたの収入と、彼の収入どちらが多いの?」
「…それは…私。だけど、彼だってちゃんと働いている。収入が無いわけじゃあ…ない。」
なんとか、説得を試みる。声にはまだ力がある。
「二人が結婚したとして、どちらが養っていくの?生活費を彼は払えるの?病院長の夫としての役割を果たせるの?」
「…彼には、彼の仕事があるし…向き、不向きもある。病院の仕事は…彼には…。(忍び、命をかけて戦う仕事。命を救う医師と病院の仕事とは相対する。)」
なんとか、反論してみる。やや、声のトーンは落ちたが。
「社会的地位は?探偵という仕事そのものに文句を言うつもりはないけれど、あなた医師会や、病院関係者、関連の人たちに夫です、探偵です、と彼を自信を持って紹介できる?彼はそれにちゃんと対応できる?」
「…で、できるさ。(多分…)それに、何より…彼は本気で私の事を愛してくれている。」
必死に、反論しようとした。学会で堂々と質疑応答に答える恵那の自信は、そこにはない。母の説得が重くのしかかる。それはすべて、現実だから。
理論的に打ち崩せず、精神論に頼ってしまうのは討論として明らかに負けペースであることを、恵那は自覚していた。
「本気?そんなもの、一体何で証明するの?愛している?信じろ?そんなもの、口先だけでいくらでも言えるわ!あなたは、彼の愛とやらに絶対の自信があるの?」
「…っ。」
もう、恵那は何も言えなかった。
(絶対の自信?そんなもの、あるはずはない。こんな可愛げのない女に。)
完全に、俯き言葉を失った恵那に母は娘がやっと、自分の意見を聞く耳を持ったのだと「勘違い」した。
ため息と共に優しい言葉をかける。
「解ったでしょう?お止めなさい。彼なんか。あなたには、もっと素晴らしい人と結ばれる価値があるのよ。まったく、どうしてよりにもよってあの子なの…。」
「…さい…」
「?えっ?」
この時の母にはある音が聞こえた。使い古された表現だが、この場合の恵那の心境を表現するのに適した音。それはマンガでも小説でも多分同じだ。何かが切れる音。
プチッ…!
「うるさい!黙れ!!自分が好きになった相手と付き合って何が悪いんだ!」
それは、恵那の理性が切れた音。怒声を通り越した爆発的な感情を恵那は叩きつけた。目の前の人物、母に…。
驚いたように母は、娘の顔を見る。クールな、時には男のような言葉を使う娘、こんなことを言うことは今まで無かった。
まして、母である自分自身に…。
「…恵那、あなた…。」
「彼なんか?よりにもよって?母さんに、あいつのことをそんな風に言う権利があるのか?あいつが、母さんに何かしたのか?母さんがあいつのいいところ何か知っているのか!!!?」
自分自身でも、その時恵那は溢れる思いを止められなかった。泣き出したいほど悔しかった。大事な人が、侮蔑されるのが…。
(あいつを悪くなんて言わせない。私は、ずっと…あいつを好きだったんだから。何よりも、大切な人だったと、やっと気付いたんだから…。)
沈黙が落ちた。二人の間に。時間にすればほんの一瞬だったろう。だが彼らにとって長すぎるほどの時間。
「そ、そう!なら、勝手になさい!もう、知りません!!」
先に沈黙の時を切った母は、それだけ言うと部屋を飛び出していった。
「…母さん。」
恵那は心臓の上に手を当てた。胸が痛かった。
病気ではない、解っている。言いたい事を言ったはずなのに心がスッキリしない。その…訳も。

「まったく!恵那ったら!!騙されているのよ。あの子となんて、幸せになれるはずなんて無いのに…。」
バタン!!パタパタパタパタ…
騒音と足音を自分が立てていることに、彼女が気付くまでにしばらくかかった。
ここは、病院…。そう気付いてから、彼女はゆっくりと歩き出す。
病棟から玄関に向かう途中のナースステーション。
そこで、ふと彼女の足は止った。止った理由はドアの影から漏れた女性(おそらくナース)の楽しげな声…
「…院長先生って…。」
ここは、数藤クリニック。院長は娘、数藤・恵那。院長=娘である。
職場訪問をする保護者の気分になって、ナースステーションの前に上品に立ちながらも母の耳は大きくなった。
「院長先生、最近ますますお綺麗になったわよね。」
「外科の先生達も、院長先生も丸くなったって言ってたわよ。」
「それは、あれでしょう。恋人ができたから…。」
「彼が、怪我をして運び込まれたときの院長先生、凄かったものね。」
「本当に、愛し合ってるって思ったわ。あんな恋、私もしていたいなあ。」
「こらこら、無駄話してないで仕事に戻りなさい。」
婦長の言葉にナース達は返事をして、仕事に戻る。
廊下に出たとき、そこに彼女達を妨げるものは何も無かった。人影も何も…。

病院の前にタクシーが着く。
「どちらまで?」
「駅まで、お願いします。」
扉が開かれ、タクシーは乗客を乗せた。運転手は玄関のロータリーを回ろうとしたとき、ふとバックミラーに目をやり、こう問いかけた。
「お客さん、誰か、呼んでるみたいですよ。」
「えっ?」
背後を振り返った客は見る。白衣を髪をなびかせて駆け寄る「誰か」を。
運転手はブレーキを踏む。ほぼ同時に車に追いついた彼女は、窓を軽く叩いた。
パワーウインドウが開かれる。
「か、母さん。」
「…恵那。」
息を切らしながらも、恵那は顔を上げてまっすぐ目の前の人物を見る。母を…。
「許して欲しいとは、まだ、言わない。これから、どうなるかも…解らないから…。でも…。」
「もう、いいわ。」
「えっ…?」
「だから、もういいと言っているでしょう。あなたも子供じゃないんだから。好きにおやりなさい。彼が、あなたの角を取ったというのなら少しは意味があるかもしれないし。」
「母さん…。」
「ただし…泣き言は聞かないわよ。…運転手さん。」
言葉と同時に、車は走り出す。
そこから先は、恵那も追いかけられない。スピードを上げて遠ざかる車と母の影を、ただ、見送るだけだった。

(あの時、あんなに悔しかったのは、彼が悪く言われただけじゃない。大事な人が、大事な人に悪く言われたのが悔しかったんだ。)
恵那は分析する。母が言ったとおり、問題は山のようにある。
彼と、自分の間には。結婚をゴールにしても、その先にしても。
だが、なんとかなる。現実主義の医師にはあるまじき楽観だと思うが、一人では無いのだから。
その「なんとかなる。」には母の説得も含まれる。いつか解ってくれるだろう。きっと…。

(あの子は、私にそっくりなんだから…。)
母はため息をつく。強情で、口が達者で、意地っ張りで…風に、流れに流されたりしない…強い娘。
まだ、交際に賛成したわけでは決して無い。反対する理由はいろいろあるから。
だが、娘はもう、自分の被保護者ではないのだ。
一国一城の主。口を出すべきでは無いのかもしれない。
(親が願うのは娘の幸せ、ただ、それだけなのだけど…。)
車は走っていく。風のように、風を連れて…。

蛇足その1 院長回診。
「先生、恋人できたんだって?」
「ねえ、ねえ、ハンサム?びだんし〜?」
入院患者がひやかすように笑う。院長の上気した赤い頬。めったに見れるものではない。
「だ、誰がそんなことを言ったんだ?」
「えっ?知らなかったんですか?外科部の先生達、よく話してますよ。」
「せんせー丸くなった。って。彼氏ができたからだって!!」
「ほ〜〜〜〜〜〜〜っ。」

蛇足その2 外科医局
「なんで、学会の論文英訳の締め切り早まったんだ!!」
「院長がチェックするって言うんだから仕方ないだろ、手伝い期待するなよ。こっちもカルテの整理の仕事増えて忙しいんだから…!」
「誰だよ。院長が丸くなったなんて言ったのは…。」
「おまえだ!」

蛇足その3 院長室
「院長、宅配便です。」
「誰から?」
「お母様からだと…。品目は…見合い写真?」
「………。」

恋愛と言うそよ風が、大風を呼び、嵐となる。
風が行く先を、知る者はまだ…誰もいない。

【終(とりあえず)】

※ライターの夢村です。
発注ありがとうございます。
コメディタッチと言われながらも、どうしてもシリアス&ほのぼの風味になってしまいます。
お母様もただの悪役にしたくなかったので、こういう表現になりました。
娘の幸せを願ってのことだと思うので…。

少しでも楽しんで頂ければうれしいです。
また機会がありましたらどうぞ、よろしくお願いいたします。