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<東京怪談・PCゲームノベル>


優しい吸血鬼


■序章■

 郊外の、さほど広くはない雑木林の中にある薄暗い小屋には、一人の優しい吸血鬼が住んでいました。
 彼は昔々に人を愛し、友としたことがあって、それ以来人間の血を口にしないと誓っていました。不味くて栄養価の低い動物の血を啜ることは、吸血鬼にとっては屈辱的で、同胞間では許されることではなかったのですが、それでも彼は友人達のことを考えると幸せだったので、人間の血を吸おうとは思いませんでした。
 常に薄暗いこの小屋を訪れる者はほとんどありませんでしたが、彼は外の村で暮らす友人や、好意を寄せている女のことを考えながら、温かい毎日を過ごしていました。

 ところがある日。新月の晩に彼の小屋の戸をノックする者がありました。彼は久し振りに友人の誰かが訪ねて来たのだろうかと心を躍らせ、そこに誰がいるのかも確認せずに戸を開けたのです。

 ひゅっと喉が細く鋭い音を鳴らしたのが彼の耳にも入りました。

 驚いて相手の顔を見ると、それは全く知らない人物で、怒りと恐怖と興奮とが混ざったような奇妙な表情をしていました。それから両腕が真っ直ぐとこちらに伸びているのが見えました。
 その腕を先へと辿っていくと、上着の胸に刺さる短刀が目に入りました。
 吸血鬼は自分の胸に刺さる短刀を不思議そうに撫で、それからもう一度男の顔を見ました。男が唐突にがたがたと震えだし、何も言わないまま逃げ出そうと踵を返した時。

 男の背中に生温い血飛沫が浴びせられました。

 恐る恐る男は振り返りましたが、それからはもう一歩たりとも動けなくなってしまいました。目の前の吸血鬼が、刺さっていた短刀を、肉が裂けることすら構わず乱暴に弾き抜き、勢い良く血を飛び散らせたまま、自分の血の付いた刃を旨そうに舐めとっていたからです。
 彼の目は赤く、うっとりと細められていました。
 それからみるみるうちに吸血鬼の傷を負った体は再生され、動けないままでいる男の方に2、3歩歩み寄ると、舌なめずりをして、そして――。

 その日彼は、全てを忘れて「高潔な」吸血鬼に戻ったのでした。


■4.或る娼婦■

 娼婦は村で吸血鬼を退治する話が持ち上がった時、はじめ、本当は叫び出したい気持ちでいっぱいでした。

 村ではこれ以上吸血鬼による犠牲者を増やさないためにも、早急に退治すべきだという声が高まっていました。村人達は吸血鬼の力に恐れを抱きつつも、人数と策略によって何とかして吸血鬼を倒してやろうという団結を持っていました。幾ら不死と言われる吸血鬼にだって、弱点はあるはずなのですから、半ば躍起になってその方法を探る彼らが求めているものを見つけるのに、そう時間はかからないように思えました。

 娼婦は吸血鬼に焦がれていました。
 面と向かって会ったことはないものの、以前彼が薄暗い森の小屋で静かに本を読んでいるところを見たことのある娼婦は、その時の彼がまるで吸血鬼のイメージとはかけ離れていて、穏やかな幸福に満ち足りた、けれどもやはり寂しさは拭い切れないような顔をしていたのを見て、彼が一体何故そのような表情をしているのか、唐突に知りたいと強く思ったのでした。
 強く、彼を欲したのです。
 そんな感情を抱いたのがどうしてなのか、彼女自身にも理解できませんでしたが、ただ彼の時間も止まっているのだ、と感じました。
 開いた窓は何の隔たりもないのとそう変わりません。ですから、彼女が一歩踏み出そうとした時、彼はその名を口にしたのでした。
「笹葉……」
 甘い響きを持って発せられたそれは、明らかに彼がその名の人物に恋をしているのだと示していました。娼婦は愕然として、窓と自分の数歩の距離がとても長いもののように感じられ、もうそれを縮める勇気は失せてしまっていました。彼女は踵を返して走り出しました。深く物思いをしている吸血鬼は彼女が踏み鳴らした木の葉の音にさえも気付かなかったのです。

 娼婦は声を掛けられて、ふいに我に帰りました。自分の肩に触れた手の持ち主を振り返ると、そこには不安そうな顔の青年が立っていました。娼婦はさり気なく肩に乗せられた手をどかせながら、何でもないと言った風ににっこりと笑ってみせました。
 その笑顔を見て青年は幾分か安心したようでした。それから彼女の肩を叩いたのとは逆の手に持っていた短刀を彼女の手に握らせました。困惑した顔で見上げて来た彼女に向かって、青年は興奮した様子で早口に言いました。
「護身用に持っていて。僕は吸血鬼を探しに行くから」
 青年はまるで英雄を夢見るような口調で言うと、酒場を駆けて出て行きました。その姿と握らされた短刀を交互に見て、娼婦は唐突に思い付いたのです。
「この手にかければ、彼も私の物に……」
 その思い付きは素晴らしいもののように思えました。娼婦は妖艶な笑みを浮かべると、短刀を片手に日暮れ時の町を森に向かって歩き出したのでした。


■5.狂気■

 娼婦が吸血鬼に会ったのはまったくの偶然で、また唐突でもありました。
 以前昼間に来た時とは違って、ほぼ真っ暗な森の中を記憶を頼りに小屋に向かっていた娼婦は、彼にぶつかって来られなければ、或いは気付かなかったのかもしれません。
 闇に溶ける暗い衣装を纏った吸血鬼は突然目の前に現れ、自分の進行を邪魔した人物に怒りを覚え、衝動のままに殺してしまおうと長い爪を彼女に向けました。が、娼婦が顔を上げた途端に、その動きはぴたりと止まってしまったのです。
「笹葉……?」
 その問い掛けに娼婦はびくりと肩を揺らしました。偶然にも娼婦は吸血鬼の死んだ想い人にそっくりだったのです。
 吸血鬼は泣きたいのか笑いたいのかよくわからないような感じに顔を歪め、けれどもそれが幸福から来る物だと悟った娼婦は、驚きのために萎えかけていた殺意を甦らせ、そっと手にした短刀の鞘を払いました。
 銀色に輝く白刃が姿を現し、それに気付いた吸血鬼は訝しげに娼婦に近付きながら、もう一度声を掛けたのです。
「笹葉?」
 それとほぼ同時にどすっと鈍い音がして、次いで刀身を赤い血が伝い地面に雫を零しました。吸血鬼は僅かにうめいて、そしてやっと気付いて娼婦を睨み付けました。
「誰だ……!お前は笹葉では――」
「これで私の物ね」
 娼婦はうっとりとした声で呟くと、勢いをつけて短刀を引き抜きました。傷口から噴き出すように血が溢れ、けれど吸血鬼は膝を折ることなく笑い出しました。
「これぐらいで私が死ぬとでも?残念だがお前が笹葉でない以上……」
 急に言葉を切って、吸血鬼は視線を娼婦から逸らしました。目の前にいるのが彼の愛した人ではないとわかっていても、その顔を見れば殺せなくなるのです。
 彼の人が死んだと聞かされていれば、余計に娼婦を傷付けることは出来ませんでした。
 吸血鬼が浮かべた憂い顔に、あの日の彼が重なって見え、娼婦は彼との距離を縮めました。少しずつ近寄って行くと、来るなとでも言うように鋭い目つきで睨まれ、威嚇の唸り声を上げられます。それでも娼婦は彼の側に行き、その背をそっと抱いたのでした。
「私も独りなの……」
 吸血鬼の首に腕を回した娼婦に、彼はそっとそのうなじに牙を立てました。
 啜る血はただ甘く、彼は自分が狂ってしまう前に牙を抜き、気を失った娼婦を静かに横たえました。その目は血に濡れたように赤く、視線は焦点を結ばないで中空をさまよっています。
 夜の色は濃さを増してきていました。風は冷たく、けれども彼の内に燻る炎を冷ますことはできないままでした。


■9.彼の決断■

 ノイシュと沙月がその場に着いた時、吸血鬼は周囲を狼に囲ませて、その中央で沈黙に伏して佇んでいました。その場所はやはり木の葉が空を隠しているものの、少しばかり開けていて、その隅の方に横たえられた娼婦の姿を見つけると、2人は他には目もくれずそこへ駆け寄ったのでした。
 吸血鬼の赤い目がそれを捕え、彼は酷薄に笑うと長い腕をすっと横に走らせて、狼達に「襲え」という命令を下したのです。
 沙月が娼婦を抱き起こし、彼女が息をしているのを確認してほっとした表情を見せました。それを横目にノイシュはすぐさま結界を張り、襲い来る狼達を退けます。
「そこまでだ」
 澄んだ声が闇を裂いて、その場の空気の流れを止めました。吸血鬼が振り返ると、そこには麒麟と翼の姿がありました。
 静かに戦いは始まりました。渇きを満たした吸血鬼は凄まじいパワーと大柄な体型には似合わぬスピードで翼に襲いかかりました。翼は剣の鞘を取り払わぬまま吸血鬼の攻撃を受け流しつつ、反撃の隙を狙いました。
 麒麟はノイシュと沙月、娼婦の方へと向かうと襲い来る狼をその力で蒸発させていきました。
 そうして徐々に朝が近くなり、吸血鬼の攻撃が鈍くなり始めたところで翼が剣の鞘を取り払いました。彼の攻撃を刃の背で受けて、反動を利用して思い切り退け、彼の体は無様に地面に落ちました。そこへ翼がゆっくりと剣を向けたその時です。

「待ってくれ!」

 叫んだのは沙月でした。彼は恐る恐る吸血鬼の方へと近付いて、地に伏した彼を庇うように両手を広げました。
「彼に立ち直る機会を」
 そう言って、翼が腕を下ろしたのを見ると、沙月は一度息を吐いて次に吸血鬼の方に向き直りました。
「一人ってのがどれだけ辛くて寂しいか……俺にもわかるよ。でもあんたは好きなやつのために耐えて来たんだろ?……幸せ、だったんだろ……?」
 うつ伏せたまま動かない吸血鬼に、ノイシュもその側に寄って静かな声で言いました。
「人に害を為すから退治するだなんて、人間至上主義な考えはノイシュの本意じゃないの。でもあなた、きっと後悔するのでしょう?」
 続いて小さく呻き声を上げて、起き上がった娼婦が事態に気付き、彼に駆け寄っていきました。
「お願い、彼を殺さないで……!彼がすべて悪いわけじゃないわ」
 それを傍らで見ていた麒麟も、ふうと息を吐いて力を抜き、仕方ないといった表情を作って言いました。
「君の……名前が知りたい。長い付き合いになるかもしれないしね」

「困ったな、悪役になったみたいだ」
 翼は少し表情を和らげて、それからまたすぐに引き締めて吸血鬼に向かい、押し殺した声で告げました。
「以前のように生きるか、それともここで生を絶つか」
 吸血鬼はようやく体を起こし、自分を囲む5人の顔を順に眺めると、ゆっくりと一度瞬きをしました。
 彼の瞳の赤は消え、本来の色である漆黒の、滑らかな色を宿していました。
「こうしてまた友を得られたことに……」
 吸血鬼は立ち上がり、それから跪いて言いました。
「感謝を。伴う渇きは甘んじて受け入れよう」
 彼の目からは透明な液体が零れていましたが、誰もそれを指摘するものなどいませんでした。
 朝の訪れを告げる太陽ですら届かない森の中で、けれどもそこは確かに温かい空気に包まれていたのです。



                           ―了―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2667/鴉女・麒麟(からすめ・きりん)/女/17才/骨董商】<或る少女
【2364/郡司・沙月(ぐんじ・さつき)/男/17才/高校2年生】<或る青年
【2727/ノイシュ・シャノーディン(のいしゅ・しゃのーでぃん)/女/23才/人形使い・祓い師】<或る旅人
【1979/葛生・摩耶(くずう・まや)/女/20才/泡姫】<或る娼婦
【2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)/女/16才/F1レーサー兼闇の狩人】<或る者

(※受付順に記載)


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターの燈です。
「優しい吸血鬼」へのご参加、ありがとうございました。

>葛生摩耶様
 とても心踊るプレイングでした。名前を出さずに、というところが物語りという雰囲気をより濃くしてくれたように思います。
 イメージからここまで書き上げてしまいましたが……いかがでしたでしょうか。

 それではこの辺で。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございました!