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駅前マンション〜ある日の回覧板
その日、龍神吠音は妙な泣き声を耳にして、ランニングの途中で足を止めた。
最近建てられたマンションの池のほとりに白いものを見つけて――何故か妙に気にかかってじーっと目を向ける。
と。
白く細長いそれは、ぐったりと池のほとりに伸びていた。
蛇……そう思ったのは一瞬。普通の人間であったなら蛇が死んでいるとか弱っているだとか思っただけで、そのまま通りすぎてしまったかもしれない。
だが吠音は龍神を祭る一族の末裔。龍とは違うものの同じ水の系統の神である蛟の正体に気付かぬはずがなかった。
池の周辺には立ち入り禁止の看板と簡素な柵が建てられていたが、あっさり無視して蛟(みずち)に近づく。
「おい、大丈夫か?」
蛟はぐったりとした様子で頭をもたげ、弱々しく答えた。
「はい〜……」
だがその様子はまったく大丈夫には見えない。
「全然大丈夫じゃないじゃないか」
とりあえず……一時凌ぎでしかないが、龍神の力を借りて、蛟に力を分けてやる。
「ありがとうございますぅ……」
「どうしたんだ、いったい」
少しだけ元気になった蛟に問い掛けると、蛟はハラハラと涙を零した。
「この池は私の住処だったのですが……先日新しい建物を造るとかいうことで、池のほとんどが潰されてしまったのです。おかげでこの池の水を力の源とする私もこの有様で〜……」
「……どうにもならないのか? どこかに引越しをするとか」
本当ならばこういう場合は神様を優先すべきなのかもしれないが、もう建ってしまったものをいまさら壊せとはいえないし、実行したとて埋めたてられた池が元に戻るわけではない。
「はい、それは〜。新しい住処を今探してもらっております〜」
「探してもらってる?」
「知り合いに人間の術者がいるんですぅ。その方が力を貸してくれてまして、なんとか生き延びてはいるんですけど、やっぱり調子が悪くて〜……」
「そうか…。よし、俺も手を貸してやるよ。こう見えても龍神を祭る一族の一員だからな。同じ水の眷属のあんたを見捨てるわけにはいかないだろ」
「ありがとうございますぅ〜〜〜」
「それで、その術者はどこに住んでるんだ? そいつにも話を聞きたいんだが」
「それなら〜…ここから西に十分ほど歩いたところにある高い建物ですぅ〜。人がいっぱい住んでるんですけどぉ、その方は一番地面に近い場所に住んでますぅ」
「高くて人がいっぱい住んでる…マンションのことか? んで、その一階に住んでると。わかった、それじゃまたあとでな」
元気のない蛟は心配であったが、引越し先が決まっていない状態で下手に引き離せばもっと病状を悪くしてしまう。
もう一度龍神の力を借りて蛟に力を分けてやって、それから。吠音は告げられたマンションへと向かって行った。
そのマンション、一階には居住スペースはひとつしかなかった。管理人室という表札がかかっている。
「ここか…」
チャイムを押そうとしたちょうどその時、
「こんにちわ。貴方も大家さんに用事なの?」
声をかけられて振り返ると、女性と少女が立っていた。ああ、と頷いて答えると、少女の方が穏やかな微笑で言う。
「わたくしたちもこちらのお家に用事があってまいりましたの」
どう返答すべきか悩んで、結局そうかとだけ言って――まあ、通りすがりの相手にならそんなものだろう――吠音は再度チャイムに手を伸ばした。
「やあ、いらっしゃい」
「……あ、どうも…」
我ながらマヌケな返答だとは思うが、チャイムを押してから一秒も経っていないのではないだろうか。あまりにも速い対応に返す言葉を見つけられずにいると、老人は後ろの二人に気付いてにっこりと笑った。
「おや、お嬢さんと…そちらのお嬢さんは初めてだね、こんにちわ。とりあえずお入りなさい」
こうして三人は、家の中に招き入れられた。
部屋にはすでに先客がいた。天薙撫子と冠城琉人の二人だ。知らない顔もいるということでさらりと自己紹介をして――管理人室の前であった女性はシュライン・エマ、少女は海原みそのというらしい――、集まった理由をそれぞれに話す。撫子、琉人、吠音の三人は蛟の住処探し。シュラインとみそのは、流れが乱れていてそれを一時的に整えている人がここにいると思われたのでそれが気になって…とのことらしい。
シュラインとみそのの問いの答えは大家の老人が持っていた。
蛟の池が潰されたことで流れが乱れ、新しい住処が見つかるまで蛟が少しでも生きやすいように流れを整えているのだそうだ――大家本人が。
話を聞いて、シュラインとみそのも蛟の新しい住処探しに協力することとなった。
シュラインの元の仕事はその新築マンションの怪奇現象の解決。おそらく池を潰された蛟が原因なのであろうとすぐに予想がついたのだ。ならば、蛟の新しい住処を探すのは怪奇現象の解決にも繋がる。
一方みそのはもともとが神に仕える巫女である。それに蛟といえば龍に属する神の者。可能な限りお手伝いしたいと思うのは自然な流れであろう。
「まずは水場を探すのが先決ね」
シュラインの発言に、一同そろって頷いた。
「…まず水場を見つけなければ、住めるかどうか相性をみることもできませんものね」
「綺麗な水場探しか、得意分野だ」
多少胸を張りつつ、吠音が言う。
「ああ、あとは別の龍神様にお聞きしてみるというのも手ですわ」
ぽんっと撫子が穏やかに告げた。
「別の龍神様?」
琉人の問いに、シュラインとみそのは思い当たるところがあった。
「水龍様のことですね」
「そうねえ。何か良いアドバイスをくれるかもしれないし」
こうして話し合った結果。一行は二手に分かれることとなった。
この周辺で水辺を探す組と、水龍のところに話を聞きに行く組だ。
「候補を出したら実際に本人に見てもらった方が良いと思うんだけど…。動かしても大丈夫かしら」
「いや、止めといたほうがいいと思うな。結構参ってる感じだった」
この中で実際の蛟に会っている唯一の人物、吠音が告げる。
「そうですねえ…。ではこちらから出向いて、先に蛟さんにどのような場所が良いか聞いてみましょう。そうすれば探す段階から絞ることもできるでしょう」
そうしておおまかな方針も出してから、五人は駅前マンションを出発した。
知り合いの龍神のところへ行くという二人を見送って、残る三人――琉人、みその、吠音――はまず蛟のいる池へと向かった。
池はマンションによって半分どころかほとんど潰され、今は申し訳程度に水場が残るのみとなっている。
「わたくしが見つけた乱れはここのものだったのですね…」
言いながらも、みそのはともかくこの周囲の流れを確認する。乱れた流れはマンションに導かれ、そこで少し正されてこちらに戻ってきている。
「蛟さん、いらっしゃいますか?」
何故か魔法瓶の水筒と急須と湯のみをしっかり手にして、琉人が池の方へと声をかけた。
と。
「はぁい〜」
よれよれとした声が池の中から返ってくる。
白く細長い――蛇のような姿をした蛟は、三人の前まで出てくるとぺこりと頭を下げた。
「お世話かけましてすみません〜。ありがとうございますぅ〜。本当は何かお礼をすべきなんでしょうけど、今はこうやって姿を見せるのも辛く…」
「そんなふうに言わないでくさいな。力を失ってしまったのももとはあのマンションが原因。貴方のせいではありませんもの」
「そうそう。だからさ、あんまり気になるなら、引越しした先で新しい場所を守ってくれればそれで良いし」
「どんな場所に住みたいんですか?」
お茶を差し出しながら聞く琉人――が。蛇の姿の蛟は、手がないため、お茶を受け取れなかった。仕方なくお茶は地面に置かれたが、元気のない今の蛟では湯のみのところまで頭を持ち上げるのも大変そうである。
「ええと……私が生きていける場所であればどこでも…。住めば都と言いますし、多少向かない場所でも、住んでいればそのうち慣れると思いますぅ」
「そうですか?」
蛟の答えを聞いて、三人はそれぞれに能力を発揮する。
琉人は霊たちに水場の調査を頼み、みそのは流れを見る力である程度の力の集う場所を探す。そして吠音はこの場の水を通して龍の力を借り、水鏡を作って周辺の水場を探す。
ちょうどその探索が終わった頃――龍神の元へ行っていた二人が蛟の池の方へと合流した。
見つけた水場の場所や地形を蛟に伝え、最終的に残った候補は二つ。
「えーと、あんまり離れない方が良いのよね?」
「そうですねえ……。あんまり長い時間池から離れるのは辛いですぅ」
言いながらも、蛟はするすると吠音の方へと寄って行った。
「あら?」
「龍神さんが気に入ったんですかねえ?」
不思議そうな琉人や撫子を余所に、吠音は蛟に手を伸ばす。蛟はそのまま吠音の手に乗った。
「ん?」
軽い調子で尋ねる吠音に、蛟は弱々しくも明るい声で答えた。
「龍神様に仕えてる方だからでしょうか…傍にいるとちょっとラクですぅ。これなら、引越し先を見て回るくらいはできそうですぅ〜」
「そうですか? それはよかった」
「それじゃ、行きましょうか」
そして一行は一番近いところから順に水場を見て行くことにした。
まず近い方の水場。そこはあまり広い池ではないが、神社のほとりでなかなかに静かな場所であった。
それに、神社の敷地内であれば今回のように住宅建築で池が潰されてしまうこともそうはなかろう。
問題はといえば、神社ということはすでになんらかの神様が住んでいるだろうと言うことである。
「すみません……少々お願いがあるのですけれど……」
「話をしてくださらないでしょうか?」
みそのと吠音が声をかけると、その神社の神様らしき者はすぐに姿を現わした。
「ん?」
「こちらの蛟さんが住んでた池を潰されて困っているの。こちらの池に住まわせてもらえません?」
シュラインがそう説明をすると、その神様はじーっと蛟を見つめる。
「まあ、構わぬか。どうせその池には今はなにも住んでいない。別に問題はないと思うぞ」
案外とあっさり決まって、一行は少々拍子抜けもしたが、きちんと礼を告げて、再度蛟に意思確認をする。
「一応、候補地はもう一つありますけど…どうしますか?」
「ここで大丈夫ですぅ。せっかく見つけてくれたのにすみませんけどぉ、良いって言ってもらえましたし〜。それに静かで居心地も良さそうですぅ」
琉人の問いに、蛟はにこにこと明るい声音で答えた。
「そう? なら良かったわ」
「いやあ、無事新しい住処が決まって良かったなあ」
「はいぃ。いろいろありがとうございますぅ」
ひょいと池に飛び降りた蛟は、次の瞬間、ふわりと長い髪を揺らして振り返った。
「先ほどはせっかくのお茶をいただけずにごめんなさいね〜」
「あら、もしかして白い着物の女性って…」
「はいですぅ。最近は人の姿になる力もありませんでしたけど、最初の頃はなんとか気付いてもらおうと頑張ってたんですぅ」
「では今ならお茶を飲めるんですねっ」
妙に意気込んで言う琉人に、蛟はにっこりと微笑んで見せた。
その笑顔を受けて琉人はますます気合を入れて、宣言する。
「ではせっかくです。皆で引っ越し祝いのお茶会をしましょう」
「ここで騒いだら神様にご迷惑になりませんか?」
みそのの言葉に、吠音も同感だと頷いた。が。
「構わぬよ。何も知らぬ人間に騒がれるのは腹が立つが、おぬしらのような者ならば歓迎するぞ」
響いた声に一行は顔を見合わせて明るく笑った。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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整理番号|PC名|性別|年齢|職業
2209|冠城琉人 |男|84|神父(悪魔狩り)
1388|海原みその|女|13|深淵の巫女
0328|天薙撫子 |女|18|大学生(巫女)
2619|龍神吠音 |男|19|プロボクサー
0086|シュライン・エマ|女|26|翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
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ライター通信
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こんにちわ、日向 葵です。依頼にご参加いただき、どうもありがとうございます。
蛟さんの引越し先探索、お疲れ様でした。
龍神様にお仕えする方ということで、龍の眷属である蛟さんをついつい懐かせてしまいました。
蛟さんとの会話は書いててとても楽しかったです。
水場に祝福をと仰ってくださったのですが、出す機会がなくてすみません。他の神様がすでに住んでる場所に移動してしまったので、きっと祝福はその神様がしてくださると……(^^;
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