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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


薄紅色舞

 ひらひら、ひらひら。
 薄紅色の花弁が、ひらひらと宙を舞う。
 ひらひら、ひらひら。
 深々と降るその様は、まるで雪のように。
 ひらひら、ひらひらと……。


 守崎・啓斗(もりさき けいと)は空を見上げながら緑の目をそっと細めた。一点の曇りも無い青空が広がっている。
「暖かくなったな」
 ぽつり、と啓斗は漏らす。その横で、守崎・北斗(もりさき ほくと)が不満そうに口を尖らす。
「兄貴兄貴。手が止まってるってば」
「え?」
 啓斗は北斗に言われ、北斗の青い目が見つめている先を辿った。啓斗の手に視線が注がれている。そして啓斗の手の先にあるのは、バケツと柄杓。
「……線香に火はつけたのか?」
「もうとぉっくの昔に!」
 大袈裟に言う北斗に、啓斗は苦笑する。確かに、墓には線香がしっかりと煙を立ち昇らせている。
 毎年春の恒例、父親の墓参りである。どちらともなく言い出し、どちらともなくここに赴く。毎年春がくるたびに行われる、行事。……否、儀式。
「そうか……じゃあ」
 啓斗は柄杓を握り締め、バケツの水をくんで墓にそっとかけた。
「線香の火、消さねーよーにな」
「分かっている」
 水をかけ終えると、花に水を満杯に入れる。余った水を、両隣の花に与えてやる。
「……こういう所は、きっちりしておかないとな」
 啓斗がそう呟くと、北斗がくくくと笑う。
「ご近所付き合いはしっかりしておかないとって?」
「当たり前だ。一応礼儀として、な」
 水がなくなると、漸く啓斗は墓の前にしゃがみ込んだ。そっと手を合わせ、目を閉じて祈る。
「父さん……」
 目を閉じたまま、呟く。閉じた眼の裏に浮かぶのは、優しく大きな父の姿だ。少しでも近付きたいと思っている、だが永遠に近づけないのではないかと思わせられる存在。
「少しは、父さんに近づけたでしょうか?」
 ぽつり、と啓斗は呟いた。
「ほんの、少しでも良いんです。俺は、少しでも父さんに近付きたくて」
 啓斗は祈る。父親にその思いが届くのではないかと思えるほど。
 その様子を、後ろからぼんやりと北斗は見つめていた。啓斗は手を合わせているのだが、北斗はその手を頭の後ろに組んでいた。思いは恐らく啓斗と同じものを抱いているであろうが、その態度は正反対である。
(別にいいよな)
 誰に断る訳でもなく、北斗は心の中で笑む。
(別に本当に不真面目に思ってるわけじゃねーし、さ)
 ちらりと一生懸命祈っている啓斗を見る。その祈りは、きっと父親に向かっている筈だ。北斗の分まで。
(兄貴が俺の分まで祈ってるしさ、別にいいよな)
 北斗はにやりと笑う。
(ほら、俺とか兄貴とかの元気そうな顔を見れたらそれでいいんじゃねぇ?)
 北斗がそう思っていると、祈っていた啓斗の目がそっと開いた。
「……いいのか?兄貴」
 啓斗は北斗の問いにこっくりと頷いた。北斗は「そか」と言って、空になったバケツと柄杓を手にした。
「北斗は……」
「ん?」
 バケツを手にしたまま、北斗は振り返った。啓斗はじっと北斗を見つめ、それから首を横に振った。
「何でも無い」
「そか」
 特に問いを追求する事なく、北斗は再びバケツと柄杓を持ったまま歩いていく。啓斗はそれを見ながら、今一度振り返る。まだ、墓にあげた線香は煙を空へと立ち昇らせている。
「俺は……」
 ぽつりと呟き、啓斗は小さな溜息をついた。そうして踵を返し、バケツと柄杓を戻してきた北斗と合流するのだった。


 墓地からの帰り道、二人は無言だった。行きは上り坂だった為、帰りは下り坂となっている。重心が前へ前へと出ていく。
(引きずられるようだ)
 北斗の背中を見ながら、啓斗は心で思う。悠々と前を歩く北斗。無意識のうちに前へ前へと進んでいく、自らの体。
(こうして、前を北斗がいるうちはいい。前へと行ってしまっても、前には北斗がいるから)
 啓斗はそう考え、ふと気付く。
(もしも、前に北斗がいなくなってしまったら?)
 前へ前へと進もうとする体。自らの意志を無視し、重力に逆らえぬ体。引きずられるかのように進まされていく体。
(北斗は、進んでいくから。俺が立ち止まっている間にも)
 迷いを捨てきれずに後ろを振り返ってしまう自分とは違い、北斗はまっすぐ前に進んでいこうとしている。前へ前へと進もうとする体と同時に、自らも前へ前へと進もうとしているのではないか。
 引きずられるのではなく、自らの意志で。
 重力に負けるというよりも、重力と共に。
 抵抗するのではなく、逸れを味方につけて。
(そうなると、俺は……?)
 引きずられてしまいそうになる、自らの意志。
 重力に負けてしまおうとする、抗えぬ意思。
 抵抗しようとし、どうしても敵対しようとする衝動。
(ああ、こんなにも……こんなにも……!)
 ぶわ。
 強い風が、その場に吹いた。それと同時に、薄紅色の洪水が起こった。啓斗は思わず足を止めた。否、止めずにはいられなかったのだ。
 下り坂の並木通りは、別名がある。……桜のトンネル、と。
(桜、桜……桜が!)
 気付けば、啓斗は花弁の中を走っていた。薄紅色が体に、茶色の頭に、容赦なく纏わりついてくる。だが、そんな事は構わなかった。それ以上に、酷く恐ろしくて。
(桜は……!)
 啓斗は前を歩いている北斗の袖を、ぎゅっと掴んだ。その拍子に、歩いていた北斗の体がぴたりと止まる。
「兄貴?」
 北斗は振り返り、苦笑する。
「ああ、悪い悪い。兄貴、桜苦手だっつーのに」
 吹雪のように舞い散る桜の花弁。啓斗の苦手な桜が、このような演出をしているというのだ。啓斗が平常でいられるはずも無い。北斗は掴まれた袖を振りほどく事なく、微笑む。
「大丈夫か?兄貴」
「……桜は」
「ん?」
 首を傾げる北斗に、ぽつり、と啓斗は口を開いた。
「桜は、俺から色々な物を奪った」
 呑気そうにひらひらと舞っている薄紅色の花弁。だが、それは呑気とは程遠い勢いで様々なものを奪っていったのだ。
「その上……お前まで失ったら……!」
 ぶわ。
 再び風が吹き、薄紅色の花弁が舞い散った。洪水のように、吹雪のように。阻むかのように、連れ去るかのように。
(苦しい)
 啓斗は眉間に皺を寄せたまま、北斗を見つめた。
(酷く、息苦しい)
 花弁が、苛める。
(辛く苦しく、窒息しそうだ……!)
 容赦なく奪い、嘲るように去って行く。卑怯だ、と啓斗は思う。綺麗に見せかけたその花は、どろどろといびつな形をしているようにしか見えない。
(俺の思いも、俺の願いも、俺のこうしてあるという存在すらも……)
 その花弁は埋もれさせようとする。奪い去ろうとする。
(そうして北斗でさえも奪われたら……!)
 啓斗は俯く。もう、前を向いている事は出来なかった。北斗の存在は、今こうして自分が袖を握っている事で確認できる。ならば、北斗を見るという確かな理由は無い。桜を、嘲笑しながら舞い散る桜の花弁を、見る事が不愉快で仕方が無いのだから。
「俺はこの先、どうすればいいんだ……」
 俯いたまま、搾り出すように啓斗は呟いた。風は容赦なく桜の花弁を散らしていく。ひらひらと、ごうごうと。吹雪のように豪雨のように。
 北斗は暫く考え、にかっと笑って自らの頭についた花弁を振り落とした。それから啓斗の頭についている花弁を振り落とす。そうしておいてから、俯いたままの啓斗の顔を、ひょいっと覗き込んだ。
「兄貴」
 掴まれた袖は、そのままに。
「心配しなくてもさ、大丈夫だってば」
 自らの存在を、しっかりと分かっておいて貰って。
「俺ぁこの通り丈夫だし!」
「……確かに、良く食べるしな」
 北斗の言葉に、ぽつりと啓斗が漏らした。俯いたまま、顔はあがならい。北斗は「だろ?」と言ってから、言葉を続ける。
「兄貴放って、どこかに行ったりしないって」
「……でも、お前は」
 北斗の言葉に、ぽつりと啓斗は漏らした。
(前へ進むじゃないか。まっすぐに前を向いて、恐れずに)
 啓斗の思いを見透かしたように、北斗はにかっと笑う。
「んな薄情な真似をする訳ねーじゃん!」
 そこで初めて、啓斗は顔をあげた。目の前には北斗がにかっと笑う顔がある。自分と同じ顔の、だが確実に違う存在の。
(違う存在。別個の存在……それでも)
 啓斗はじっと北斗を見る。笑ったままの北斗。自分を置いていくことなどしないという、北斗。何より近い存在である、北斗。
(それでも、こうして共にいる)
 たった二人の兄弟なのだ。共に今まで生きてきて、共に苦楽を味わってきた。どちらかが欠ける事もなく、一緒にいるのが当然なのだ。
 例え引きずられても、重力に負けても、抗えなくても。
「絶対一人にはしねーって。万が一さ、兄貴が先を急いでいったとしても、すっごい勢いで追いかけるから!」
 そう言い、にかっと北斗は笑った。その笑みに、啓斗もつられて笑む。
(そうか……先を急いでだとしても)
 前を歩いているのならば走って追いつけばいいし、止めたければこうして袖を掴めばいいのだ。
(追いつけばいいだけだ。こうして、こうやって)
 出来るか出来ないかなど、問題でも何でも無い。要は、するかしないかだけで。
「俺も……俺も、お前を一人にはしない」
 決意を秘めた目で、啓斗ははっきりと言い放った。北斗はそれを聞き、にかっと笑う。
「うん、宜しく」
 北斗はそう言い、それからははっとして口を開く。
「あ、でもさ。時々は足を止めてくんねーと」
「足?」
 首を傾げる啓斗に、北斗は苦笑する。
「時々、兄貴の足が速すぎて追いつかねー時があるからさ」
(それは、お前だ)
 啓斗はそう言おうとしてやめる。互いが互いの前を歩いていると思っているのかもしれない。そしてそれで良いような気がした。お互い相手が前を歩いていると思っていれば、立ち止まる事はきっと容易だから。ただ、歩んでいる足を止めればいいだけの事なのだ。そうすれば、すぐにまた隣にやってくる。
 これまでも、そうして今からも。
「さっさと帰ろうぜ、兄貴」
「ああ」
 北斗がそう言うと、漸く啓斗は袖を離した。離しても、大丈夫だと分かったから。走れば追いつくし、呼べば歩みは止まるから。
 そうして啓斗は歩き出した北斗の背中を見て、ちらりと後ろを振り返った。相変わらず桜の花弁は雪のように舞っていた。風に乗り、墓地にまで花弁は侵入しようとしている。それを止める術は無いし、止める確固たる理由も無い。
(だけど……色々な物を奪われすぎたから)
 桜を見て、啓斗は小さく溜息をついた。そうして空を見上げる。抜けるような青空は変わらなかったが、そこに薄紅色の舞いが加わっていた。
(だが、これ以上は何も奪わせない。俺が……奪わせない)
 啓斗はきゅっと唇を噛みしめてから走り出した。前を歩く北斗に、追いつくために。


 ひらひら、ひらひら。
 薄紅色の花弁が、どんなに宙を舞おうとも。
 ひらひら、ひらひら。
 深々と降るその様が、まるで雪のように見えたとしても。
 ひらひら、ひらひら。
 もう二度と、奪わせたりはしない。それは決意ではなく、絶対。
 ひらひら、ひらひら……。

<桜の花は舞うように散っていき・了>