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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


引っ越しスパゲティ


「やるぞ」
「やるよ」
「やるなの!」
「「「オー!」」」

 号令一下、三角巾にエプロン(または割烹着)といった出で立ちで、3人が広くはない部屋に散った。
 藤井葛は、諸所の事情により引っ越しをすることになった。いや、それはよくある事情で、ストーカーに狙われているからだとか、今いる部屋に霊が住み着いたからだとか、そう言った深刻な類のものではない。
 仕事が休みだった葛の姉:百合枝と、葛が所有する化けオリヅルラン:蘭が、引っ越し準備の手伝いをすることになった。3人とも力仕事では頼れる(そして力仕事くらいでしか頼るつもりはない)男をひとり知っていたが、諸所の事情により連絡を入れなかった。3人の父は、基本的に年中無休の店から離れられないので、呼びつけるわけにもいかない。そういったわけで、女ふたりとオリヅルランひと鉢の力によって作業を進めることになった。蘭はともかく、葛と百合枝は女性にしては力がある方で、さほどの障害は無いように思われた。
 ただ、仲がいい姉妹と好奇心旺盛な化生が集まって、無駄口も叩かず、順調に作業が進むかは――


「もちぬしさん! これこれ! 見てなの!」
「んー?」
 本棚の本をまとめていた蘭が、ページを増やせるアルバムを引っ張り出した。葛は受け取って、苦笑した。
「ああ、これ……風景の写真ばっかりだよ」
 ぱりりとページを開く。くっついた透明フィルムが剥がれる音に、百合枝も食器を段ボール箱に詰め込む手を止めた。
「あれ」
「ふに? どうしたの?」
「こんな写真、いつの間に……」
 葛が今年から撮り始めていた風景写真の中に、ぽつんと1枚だけ古い写真が紛れこんでいた。翠の目に黒い髪、だが髪はストレートであるから、これは葛だ。姉妹はよく似ているが、幼い頃は癖毛かストレートかでよく区別されていたものだった。
「あんた、そんなの持ってきてたの?」
「そんなの、って……」
「いや、ひとり暮らしするときに持っていく人間は少ないと思ってさ。子供持ってかれたバツイチの男じゃあるまいし」
「俺は入れた覚えないんだってば。いつの間にか入ってたんだ。……父さんじゃないのか?」
 何気ない葛の予想に、百合枝は目を糸にして呻いた。
「あー、やりかねない」
「見せて見せてー!」
 いつの間にかアルバムの中に紛れこんでいた写真。
 ここのところ葛は卒論にかかりっきりで、蘭にもかまっていなかった上に、アルバムの存在など本棚の中に突っ込んだまま、存在を忘れてしまっていた。必死になったおかげで卒論は出来上がり、必要な単位は何とかすべてもらうことが出来たのだ。
ちょっと一息、と葛はその場に座りこむ。蘭が目を輝かせながらページを覗きこんだ。
 写真の中で、5才の葛はタンポポの綿毛を摘もうとしている。きっと写したのは、彼女の父だ。父はそして、きっとこのあとの情景も写した。きっと葛は、摘んだ綿毛に息を吹きかけた。きっと。
「あんた、覚えてるかわからないけど」
 ふきんをいじりながら、百合枝が思い出し笑いをした。
「その頃、父さんと3人でピクニックに行ったんだよ。花時計で有名なところに」
「ああ」
 葛もまた、思い出し笑いをした。
「覚えてるよ。花の匂い嗅いでて、父さんがハチに鼻刺された――」
「そうそうそう!」
「忘れるわけないだろ、あの鼻!」
「あははは!」
「あーっ、ねえねえ、はなどけいってどんなものなのー? きれいだった?」
「ああ、蘭はまだ見てないか。もう少し温かくなったら連れてってあげるよ」
「わあい!」
「あそこは今も変わってないのかねえ。花時計と言えば、あと――」


 ■3時間経過(ポッポー、ポッポー、ポッポー)■


 ……こうしている場合ではないと、3人は腰を上げ、作業を再開した。日はすでに中天を通り過ぎている。
 そもそもこんなに思い出話に時間を取られた原因は何だっただろう、と3人とも考えていた。思い出せなくなっていた。それほどたくさん、話していたのだ。
「あー、自分がイヤになるね」
 葛は顔をしかめながら、蘭と本棚の整理を交代した。よく読む本は蘭が大体まとめ終わっていたが、ひとつの棚を占領するゲーム雑誌の山にはどうにも手をつけられなかったようで、そのままになっていた。
 丹念に1冊1冊内容を確認していく葛を、百合枝は恐ろしい目で睨みつけた。
「……あんた、雑誌なんか全部捨てなさいよ」
「だめ! 確かアイテム全リストが載ってる号と俺のキャラクターがランキング上位で載った号が……あーこれでもない、どれだっけ」
「だー、もう! ゴミゴミそんなもの!」
「やめろバカ姉!」
「あんた、投げ飛ばすよ?!」
「ケンカはだめなのー!」
「あっ」
 葛の制止も聞かずに、雑誌を棚から根こそぎ引きずり落とした百合枝が固まった。
 百合枝の視線の先にあったのは、『うさぎのもりのひみつ』。児童書だ。小学校の図書室に収められているような。百合枝がそれを見てぴたりと止まったのは、それに見覚えがあるからだった。
「あんた、これ……」
「あれ! これ、俺が小学1年だか2年だかの頃に百合姉から借りたやつだ? なんでこんなとこに……」
「あんたが持ってったの?!」
「何だよその剣幕!」
「よく見な、これ小学校の本なの! 返そうと思ったらどこにもなくて先生からめちゃくちゃ怒られて、貴様か犯人は!!」
「貸してきたのは百合姉だろ!」
「あー、おいしそうなのー。もちぬしさん、これこんど作ろうなの!」
「って、そこで作業サボるな、蘭!」
 本と技が飛び交う中、蘭は鉢植え用栄養剤をちびりちびりとやりながら、お菓子レシピの本を読んでいた。しかも、葛が既に梱包したはずのビーズクッションの上でだ。
「コラ、このクッションもうしまってあっただろ!」
「ふに?」
「バカ!」
「いたーい! ……あーん!」
「コラ、何泣かしてる! あんたはホントにやることがぞんざいだよ!」
「人のこと言えるか!」


 ■1時間経過(ポッポー)■


 ……作業は遅々として進まない。ここに犬歯が大きいあの男や、頭の中は娘の将来のことばかりの父が居たらば、さらに進まなかっただろうが。やはり、居なくて正解だった。いやこう思ってしまってはあのふたりに失礼なことだけれども。
「明日には引っ越し屋さんが来るのに……」
 葛は渋い顔で作業を続けた。蘭も栄養剤が効き始めたのか、てきぱきと動いている。
 ビデオラックの中のビデオを梱包し終えたところで、ようやく細々としたものが片付いた。結構な数の段ボール箱に、葛は驚く。自分はこれほどにものを持っていたのかと。
「葛、あんた冷蔵庫の中まだ入ってるじゃない」
 百合枝がいつの間にか冷蔵庫を開けている。ぎくりとして、葛は振り返った。
「え? なまものは昨日のうちに大体片付けたはずだけど」
「これで夕飯作ろうか」
「……何を作るんだ、これで」
 百合枝が覗きこむ冷蔵庫の中身は、ツナ缶、ブルーベリージャム、ケチャップ、ドレッシング、焼き海苔、梅干し。先に葛が言った通り、日保ちしないものは上手くまとめて料理して昨日のうちに食べていた。米も何日か前に尽きている。百合枝は食材を見て思案にくれていた。
 危険だ。
 葛は百合枝を冷蔵庫の前から押し出し、戸を閉め、電源プラグを抜いた。
「はいはい、バイト代入ったから俺がおごるよ。買いに行こうな」
「何なのよ、何で作ろうと思わないの?」
「これだけじゃ何も作れないから! 蘭、行くよ」
「はーい!」
 むう、とむくれる百合枝が、葛と蘭の後に続く。
 行き先は、近くのコンビニだった。葛が毎日のように通いつめたコンビニでの買物は、おそらくこの日が最後となる。
 それを少しばかりしみじみと感じていたのは、葛だけだった。
 どうにも運の悪いことに弁当が入れ替えられる時間帯だったのか、残っていたのはスパゲティとサラダ、サンドイッチとおにぎりくらいのもの。3人はしかし、ちょうどスパゲティが食べたくなっていて、仲良く揃ってスパゲティを買った。


 ■2時間経過(ポッポー、ポッポー)■


 食事を即座に済ませた3人は、急ピッチで作業を進めた。それまでに消費した時間は何だったのか、あれよあれよという間に梱包作業は進み、コンビニに行ってから2時間後には大方梱包は終わっていた。これで明日来る業者の手を煩わせることはないはずだ。ただし、埃まみれの部屋の隅や、テレビ台の裏を掃除する気力は残っていなかった。業者が荷物を運び出した後に、雑巾がけをすることになりそうだ。
「終わった……」
 アクションアニメのラストシーンのようなものがここで完全に再現されている。ぐったりと呟いて座りこむ葛、腕を組み仁王立ちで積み上げられた段ボール箱を眺める百合枝、何故か涙ぐむ蘭。
「何で泣いてるの、蘭」
「うう、このおへやともおわかれなの」
「あァたは1年も居なかっただろ。ここで感慨に浸るべきなのは俺なんだよな」
「で、そのあんたは何とも思ってないの?」
「は? あ、……いや、何とも思ってないわけじゃ……」
 この部屋に呼んだ人間は限られている。決して葛は友人が少なく、孤独であったわけではない。呼ばずとも、葛は満たされていた。
 パソコン以上に使われた道具はこの部屋にないだろう。葛が大学に入って、ネットに繋ぎ、最初の月の電話料金には臓腑を吐き出しそうなほどに驚かされた。そう言えば、そのとき電話代の半分を工面したのは百合枝だった。もちろん、そのときの借金は少しずつ返していったのだが、葛が百合枝に対して何か無礼をはたらくと、未だに百合枝はそのときの借りの話を持ち出すのだ。
 不意に現れた蘭は、確かに、この部屋で出会った。
『はじめましてー! もちぬしさーん!』
 土と葉の匂いがする少年に飛びつかれて、葛は確か言葉を失った。蘭から彼の生い立ちを聞かされたときには、開いた口が塞がらなかった。
 進まない卒論との格闘と、夏の蟲の思い出と、MMOでの相棒との痴話喧嘩とドライブ。百合枝が作った、この世のものとは思えない料理とお菓子。牛鍋。太陽の匂いのビーズクッション。
 百合枝と一緒に探した物件だった。
 ここに越す前日の、父の顔。
 すべてが過去のものとなる。
 ――けど、俺や百合姉や蘭が覚えてる限りは――
 そうだ、永遠のものだ。
「あー、感慨に浸った浸った」
 葛は苦笑し、ふるふるとかぶりを振る。
 そして、あッと声を上げた。蘭がむにゃむにゃと幸せそうに眠っていたのだ。梱包したはずのビーズクッションがお供だ!
「コラ! 何で出す!」
「ふにゅぅ、もちぬしさん、もうのめないの……」
「こりゃもう完全に熟睡モードだわ」
「くっ」
「いいじゃないか、寝かせてやりな。まだ子供なのに、最後までこんな力仕事手伝ったんだから。オリヅルランなんてちゃんと育てりゃ地球と同じくらい長生きするってね」
「花はすぐ枯れるのに」
「花を見る植物じゃないさ」
「そうだけど――」
 葛はそこで言葉を切って、蘭の寝顔に目を向け、思わず微笑んでしまった。
 蘭の寝顔と笑顔の前では、どんな愚痴も無力になる。
「ご苦労様、蘭。……百合姉も、ありがと」
「何だい、急にしおらしいね」
「今晩泊めてもらうとこの家主には失礼のないようにしなくちゃさ」
 蘭をそっと担ぎ上げると、葛はバッグを手に取った。ベッドはすでに解体してまとめてあるし、布団も体育館のマットの如く巻いて縛って置いてある。もう、この部屋で春先の朝の冷え込みをしのぐことは出来ない。今晩は百合枝の家に泊まることになっていた。
「あ、ねえ、百合姉」
「やだよ」
「まだ何にも言ってないだろ!」
「……何さ」
「今晩さ、1時からPC借りたいんだけど」
「やだよ」
「何で!」
「どうせネトゲでしょ。あんたやってるゲーム、音が五月蝿くてヤ」
「ミュートにするから!」
「だめ。オークションでどうしても落としたいものあるし」
「……」
 溜息。百合枝は勝ち誇ったかのように大股で先に部屋を出る。
 葛はよいしょと背中の蘭を担ぎ直し、重い足取りで百合枝の後に続いた。
 最後に振り返った。
 また明日来るけれども、この日がこの部屋で過ごす最後の日だったと、そう考えてしまうのだ。
 広くはなかったが、この部屋は決して、悪い部屋ではなかった。
 明日荷物がすべて運び出されたとき、自分はきっと驚くだろう――葛は思う。引っ越しの後のがらんとした部屋を見たとき、誰もがその広さに驚くというから。


 そして、扉が閉まった。




<了>