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<東京怪談ノベル(シングル)>


愛を誓いましょう。


 朱羽はお勉強の真っ最中だった。今日は3月10日。期末試験はすべて手元に戻ってきており、間違えた問題の復習はすでに終えている。もう目の前には春休みが待っているというのに彼は必死に本を……いや雑誌を読んでいた。読んでいるのは若者向けの週刊誌『ジャスミンハートプレス』だった。表紙には女の子に人気がありそうなアイドルが頭を並べてさわやかな笑顔を見せている。朱羽はそんな彼らの情報が欲しいわけではない。ましてや彼は芸能などにはまったく無縁で、表紙を飾っているのが誰かすらわからない有様だ。そんな彼が必死に見ているのは今週の特集記事だった。

 『緊急アンケート! バレンタインのお返しってどれくらいが嬉しい?』

 朱羽はさっきからこのページしか読んでいない。他愛のない内容に占められた10ページにも渡る特集記事の隅から隅まで読み尽くし、彼は嘆息しながら真剣な表情で悩んでいた。雑誌の隣にはメモが置いてあり、朱羽が重要であると思ったことが事細かに記されていた。3度ほど目を通したあたりで彼はメモ帳に目を向ける。

 「男の場合……女の子、もしくは彼女からバレンタインにもらったものの3倍で返さないといけないのか。ずいぶん苦労するものなんだな、男というのは。前にもらったチョコは何度も何度も失敗しながら作ったと言ってたからな。相当の金額がかかってるんだろう。」

 朱羽はシャーペンをメモ帳の上でさらさらと動かす。適当な金額を書いたのち、それを3倍し……机の引き出しにある郵便貯金の通帳を取り出し、中身を確認した。そこにはとても高校生とは思えないほどの桁が並んでいる。草間興信所などの依頼を受けた際にもらうギャラをコツコツと貯めた結果が刻銘に記されていた。朱羽は再び雑誌に視線を飛ばす。

 「女の子が欲しいものランキング……第1位は指輪か。ただこのランキングもいい加減だな、どの年齢層に聞いたのかがどこにも書いてないじゃないか。だいたい最近ならピアスとかネックレスじゃないのか?」

 データの不備にややご機嫌斜めになった朱羽だが、皮肉なことに今頼るべきはこれしかない。しぶしぶ指輪を買うことで腹を決めた朱羽はコートを着て外出の準備を始めた。
 彼がこんな他愛もない雑誌を鵜呑みにしてしまうには理由があった。実は親友と信じていた同級生からホワイトデーに関するアドバイスを受けたのだが、これがとんでもないものでとても今回のケースでは使い物にならないのだ。彼もどこから仕入れてきたわからないような情報を元に、パンティー付ホワイトチョコレートがいいと力説するのだ。高校生のカップルでそこまでする勇気のある人間はどこにもいないだろうと逆に説教した朱羽は仕方なしに近くのコンビニで雑誌を買い、それを熟読する羽目になってしまったのだ。全国で売り出されている本に書いてある内容に間違いはないという間違った考えのもと、大きな勘違いを犯していることに気づかない朱羽は、よりによって近くのデパートのジュエリーショップへと足を運ぶことになってしまったのだった。


 ジュエリーショップにはさまざまな宝石が所狭しと並べられ、計算され尽くしたライトアップによってその煌きを見せる。周囲の暗さも手伝って、その輝きは神秘さすら感じさせる。その魔力に憑かれたのか、朱羽もディスプレイ越しに真剣な眼差しを向ける。目の前には小さなダイヤのネックレスが飾られていたが、小さな値札に書かれたその数字はとんでもない桁になっていた。朱羽はその他の宝石に魅入るのだが、値札を見ると困った顔をしながらすぐ隣のものに目を向ける。そんな動作を何度も繰り返しながら過ごした。

 「あ、そういえばあいつの誕生石はルビーか……ダイヤばっかり見てても仕方ないか。」
 「何か……………お探しですか?」

 ひとりごとをつぶやいたのを見計らってか、ひとりの若い女性店員が朱羽の側へと近づいてきた。首にスカーフを巻き、シックなスーツを着た店員はごく自然な笑顔で朱羽を迎える。朱羽は渡りに船とばかりに話し始めた。

 「ああ、実はバレンタインにチョコをもらったんで指輪をお返しにしようかと思って……」
 「そうですか、それで先ほどはルビーの指輪とおっしゃってたんですね。でも素敵ですわ、バレンタインのチョコのお返しに指輪だなんて……ルビーはこちらの方になります、どうぞ。」

 店員の言われるがままに店内を歩く朱羽。周りにはサファイアやエメラルドのアクセサリーがガラスケースの中で済ました顔をして並んでいた。朱羽はそれらにもチェックを入れつつ歩く。そして目の前に真紅の輝きを保つルビーの指輪が並ぶケースが登場した。店員は朱羽と対面になって紹介し始める。

 「ルビーはピジョンブラッドと呼ばれる真紅の美しさが表現されたすばらしい宝石です。鳩の血のような色を保っているものが最高級とされ、その価値はダイヤモンドを凌ぐものもあるんですよ。」
 「そ、そうか……そ、そんなに高価なものなのか。知らなかったな。」
 「……お客様は学生の方ですか?」
 「お、お客様……あ、ああ、俺は高校生だ。」

 ルビーに関する知識など皆無だった朱羽にとって、この店員の解説だけで十分ビビる要素になってしまった。わずかに見え隠れする値札に視線を飛ばしながら耳では店員さんの話を耳で聞いている。その様子を見た店員は心の底でほくそ笑む。「彼は素人だ」ということを見抜き、どんどん話を進めていく。さすがの朱羽も心の中に住む鬼までは看破することができなかった。

 「そうなんですか。彼女さんにプレゼントを……でしたらピアスはあまりよくありませんね。学校では禁止されてますし、それにひとつでもなくすと使えなくなるものですから。」
 「あ、そうか、そんなものか……だったら何がいいんだろうか?」
 「それでしたら、指輪はいかがでしょうか。指輪なら彼女さんも喜ぶでしょうし、指にはめてもしょっちゅう落ちたりしませんし……」

 あからさまな商売トークに乗せられているにも関わらず、朱羽は店員の話を適切なアドバイスと勘違いして大きく頷く。輝かんばかりの店員の営業スマイルが意地汚い商売根性を見えなくさせていた。朱羽は指輪を覗きこんでリングを物色し始める。

 「こちらのデザインなどいかがでしょうか。若いカップルには人気のデザインで、それほど派手でなくそれでいてルビーの輝きも生き生きとしています。」
 「どうかな……あいつ連れてくればよかったかな。でもそれじゃプレゼントにならないしな……」
 「指のサイズはいつでも調整いたしますのでご安心下さい。おそらくはお客様よりは小さいと思いますのでそのサイズに合うものは……今お勧めしているものですね。少しお値段はしますが、十分過ぎるほどのお返しになると思いますわ。」

 店員が前置きするだけあってなかなかの値段のする指輪……これはバレンタインの3倍返しどころかアルバイトの3ヶ月分に相当するほどの価値のものだった。これでは愛の告白というよりもプロポーズに近い。店員は朱羽にそれをさせようとしているのか、それともそれをするのだと思い込んでいるのか。朱羽も悩みに悩み抜いた結果、ピジョンブラッドの赤い視線を受けて静かに頷いた。

 「……これにするよ。」
 「ありがとうございます。きっと彼女には喜んでもらえますわ。」

 満足そうに笑う店員をみながら、朱羽も静かに頷いた。彼もそうであると信じたい。これを手にした彼女が嬉しそうに指にはめて自分に見せびらかす様を。そしてその時のあいつの笑顔が見たい……朱羽は何枚もの一万円札を財布から抜き出したのだった。