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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


開かれる刻<会縁>

 最初は恐る恐る、だんだん緩やかに。
 時間は流れ、特別だった事が至極当たり前の日常となる。
 緩やかに、そうして穏やかに。


 某都立図書館には、要申請特別閲覧図書室というものが存在している。曰く付きの書物から、九十九神憑きの書物まで、所謂普通とは言えぬ様々な書物がそこには存在している。
「大分、落ち着いてきましたね」
 綾和泉・汐耶(あやいずみ せきや)は小さく呟き、青の目を細めて微笑んだ。黒髪がふわりと揺れる。
「前、ここが開かずの間だったなんて思えないくらいです」
 汐耶はそう言って並べられている書物たちを見回した。順番に、ジャンルごとに並べられている書物。その背表紙には全て危険度などが書かれたラベルが貼られている。
 以前、これらの書物たちは危険視され、そのまま『開かず間』と呼ばれるこの部屋に雑多に積み重ねられていただけであった。貴重な文献も、危険な文献も、気にされる事すらなくただただ置かれていくだけだったのである。何も起こらぬように鍵をかけ、また何か普通ではない書物がくればそこに押し込む。その繰り返しだったのである。
 それを改善したのが、汐耶だった。ただ整理するだけではなく、それらの書物を貸し出す事の出来るシステムを作り出したのだ。
『本当じゃな、汐耶。今でこそ、こんな風にしみじみと思えるのだが』
 九十九神憑きの書物が、汐耶に語りかける。
「そうですね。最初は、本当にびっくりしましたから」
『あたし達、すごーく嫌だったのよ。きっとね、汐耶がびっくりする以上に』
『本当にお疲れ様。そして有難うね、汐耶ちゃん』
 九十九神憑きの書物たちが、次々に話し出した。この場所を整頓されて嬉しく思ったのは、汐耶を始めとする本好きの者達だけではない。当の本人で会う書物たちも、喜んでいたのだ。
(本は読まれてこその、本ですもの)
 汐耶は小さく微笑んだ。最近になると、この新しく作ったシステムも落ち着いてきていた。この部屋にある書物を借りたいと思った人間は、ちゃんと身分証明書をあらかじめ用意していたし、手続きが必要ならば快く手続きを行っていた。
『汐耶、お客さんのようですよ』
 九十九神憑きの書物に言われ、汐耶は立ち上がった。
「じゃあ、行って来ますね」
 汐耶はにっこりと笑って言い、訪れたらしき客の元に行くのだった。


 要申請特別閲覧図書室の前で、きょろきょろとしながら黒の目で中を窺っている男がいた。茶色の髪をくしゃりとし、意を決したようにノックする。
「どうぞ」
 中から声がした事を確認し、中へと入った。
「ここが、要申請特別閲覧図書室……だよな?」
「ええ。初めていらっしゃったんですか?」
「ああ。……君がここの管理者かい?」
「はい。綾和泉・汐耶と言います」
「なるほど、汐耶君だな。私は桐生・アンリ(きりゅう あんり)だ」
「桐生さん、ですか」
 アンリはこっくりと頷き、にかっと笑う。
「ヘンリー、と呼んでくれ」
「ヘンリーさん、ですか?桐生さんではなく?」
「そう!私の事は必ずヘンリーと呼んでくれ。勿論、さん、は要らないから」
 汐耶は暫し絶句してしまった。初対面なのに、堂々と呼び方を強要してくる人間は始めてであった。思わず、汐耶はきゅっと唇を噛み締める。
「ここを訪れたのは他でもない。ここに『元来諸踊書』という本があると聞いたのだが」
「『元来諸踊書』……確かに、あります」
 汐耶はそう言い、思い越す。危険度はそこまで高くないが、一つだけ大きな難点があった。それは、九十九神憑きであるという事だ。
(確か、貸し出ししてもいいですか、と聞いたら嫌だと答えてらっしゃったんですよね)
 汐耶は本とのやりとりを思い起こす。この閲覧室からは出ない、と頑として言い放っていたのだ。
 そのような汐耶の思いも知らず、アンリの顔がぱあ、と明るくなった。
「本当にここにあるのか!」
「ええ、ですが……」
「何か問題でも?」
 汐耶は意を決し、口を開く。
「その図書は、この閲覧室から持ち出し禁止となっています。また、申請書の方に記入して頂き、身分証明書で確かめさせて頂いてからでないとお見せする事は……」
 汐耶が言うと、アンリはほっとしたように笑う。
「何だ、そんな事か」
 アンリはそう言い、胸ポケットから免許証を取り出した。それを汐耶に渡し、カウンタに置いてある申請書に手を伸ばした。
「これでいいんだよな?」
「は、はい」
 汐耶が呆然としている間にも、アンリは申請書に書き込んでいった。その間、汐耶は免許証をコピーし、確認の意味もこめて見た。
(……大学の社会学部の教授だったんですね。しかも、文化人類学を専門とされた)
 汐耶は妙に納得した。だからこそ、『元来諸踊書』の閲覧を求めていたのだ。
「これでいいか?」
 申請書を汐耶に手渡す。何処にも不備はなく、きちんとしたものであった。汐耶は免許証を返し、「こちらにどうぞ」と案内した。
「『元来諸踊書』でしたね」
 汐耶はそう言い、本を探す。その間に、アンリはぐるりと並べられている書物たちを見回す。
「ええと……あった、これですね」
 漸く探り当て、汐耶はアンリに手渡した。アンリはにっこりと笑う。
「有難う。……ちょっと、頼みがあるんだが」
「何でしょう?」
「ここにある本のリストなどは、見せてはもらえないのか?」
「リスト……それは、構いませんけど」
 汐耶の言葉に、アンリはにっこりと笑う。
「それはありがたい!」
 その様子に、思わず汐耶はきょとんとした。それに気付き、アンリは少しだけ照れながら笑う。
「いや、ちょっと見回すと中々な本のラインナップだったから」
 汐耶は小さく笑い、「分かりました」と答えた。アンリは「宜しく」と一言言うと、『元来諸踊書』を手に机についた。表紙を捲り、真剣な眼差しで内容を読んでいる。時々レポート用紙に書き出し、前に戻ったりしたり、ともかく真剣に読み深めていた。
(本好き、ですね)
 汐耶は小さく微笑んだ。ヘンリー、という呼び方を強要された為に、少しだけ警戒をしていた。だが、申請書はきちんと記入していたし、求められた条件下で本を読んでいる。そして何より、九十九神憑きであるあの本が、大人しくアンリに読まれているのだ。一言も言葉を発する事なく。
(何だ、私もまだまだですね)
 汐耶は苦笑し、本の整理を始めるのだった。


「よ、汐耶君」
 アンリはにこにこと笑いながら、要申請特別閲覧図書室を訪れた。汐耶はくすくすと笑う。
「こんにちは、ヘンリー」
 最初は警戒していた呼び方も、すっかり汐耶の中で定着してしまっていた。アンリはにやりと笑ってそっと何かを取り出す。
「これ、何に見えるかな?」
 取り出されたのは、おおよそ丸い形をした琥珀であった。中に小さな虫が入っている。
「琥珀、ですね」
「そう、琥珀だ。それで、何かに気付かないか?」
 汐耶はそっと琥珀を手に取り、電気に向かって透かしてみた。図書室の電気は、書物を保護する為に、柔らかな光だ。
「……中に虫が入っていて……丸い、という事しか」
「そう、丸いんだ」
「それが、何かあるんですか?」
 汐耶が尋ねると、アンリはにっこりと笑って汐耶から琥珀を受け取り、丸くなっている角の所を指差す。
「ほら、ここ。人工的に削り取った跡があるだろう?」
 それは、ほんの小さな傷であった。よくよく注意して見なければ、すぐにでも見落としてしまうような小さな傷。
「そうですね……確かに、ありますね」
「だろう?これは、この琥珀を加工した跡だ。凄いとは思わないか?」
 アンリは目を輝かせる。
「こんな昔の人間も、美しいものをより美しく見せようとしたという事だ。今に通じるような気がしてならないだろう?」
(そういわれてみれば……)
 汐耶はアンリの細くなった目と琥珀を見比べ、微笑む。
「本当にそうですね」
「だろう?汐耶君なら分かってくれると信じてたよ」
 アンリはそう言い、琥珀をそっと布にくるんで収めた。そして、悪戯っぽく笑う。
「実は、研究室からこっそり持ってきたんだ」
「まあ」
 汐耶は思わず笑う。アンリもそれにつられたように笑った。
「内緒にしておいてくれよ?」
「分かりました」
 くすくすと汐耶は笑いながら頷いた。アンリはにっこりと笑って頷き、ポケットからボロボロになった紙を取り出した。汐耶にプリントアウトして貰った、この図書室にある書物の一覧表である。
「ええと……じゃあ、この本を見せてもらいたいんだが」
「ヘンリー。大分そのリスト表もボロボロになりましたね」
「そりゃなるさ!ほぼ毎日これとにらめっこしているんだからな」
 アンリはそう言ってにやりと笑った。
「汐耶君はこのリストにあがっている本を全て整理したんだったよな?」
「ええ、そうです」
「全くもって素晴らしいと思うね、私は。そして、素晴らしい功績だとも思うよ」
「本当ですか?」
「本当だとも!……でなければ、私はこんなにたくさんの貴重な文献を目にする事は無かっただろうし……」
 アンリはそう言い、再び悪戯っぽく笑う。
「こうして、汐耶君と話すこともなかっただろうしね」
 アンリの言葉に少しだけ笑い、汐耶は「そうですね」と呟く。
「本当に、そうですね。私も、この場所を訪れて、この場所を任されて……整理して。本当に良かったと思います」
「そうだろう?」
「ええ。そうでなければ得られなかった事がたくさんありますもの」
 九十九神憑きの書物たち、数々の貴重な文献、本と接するという事。そのどれもが、この要申請特別閲覧図書室という場所に纏わる出来事だ。勿論、アンリを始めとするたくさんの本好きたちと出会えた事も。
 いい事ばかりが起こったわけでもなく、いやな事も当然起こった。だがしかし、一度たりともこの図書室を整理しなければ良かった、等とは思わなかった。ただの一度も。
「汐耶君、そこできちんと付け加えて貰わないと困るな」
「何をですか?」
 首を傾げる汐耶に、アンリはにっこりと笑う。
「私と話をする事が楽しい、という事も良かった事に入れておいて貰わないと」
 暫しの沈黙の後、思わず顔を合わせて二人は笑い始めた。
「本当ですね!……ヘンリーの話を聞くのは、本当に良かった事ですから」
「それは、お世辞とかではなく?」
「まさか!本当の事ですよ」
 悪戯っぽく見てくるアンリに、汐耶は微笑んだ。事実、フィールドワークで手に入れたというアンリの知識は、汐耶にとって興味深い事であった。本の中ではなく、本の外でしか得られぬ知識。それらに触れる事の出来る喜びが、確かにそこにあったのだから。そうして、汐耶はアンリの話を聞くのも楽しみになっていったのだから。
「それは良かった!……さて、本を見せてもらおうかな?」
「はい」
 アンリの指差した文献を探しに、汐耶は立ち上がった。その後にアンリが続いていく。
 アンリは汐耶の知る本の知識を得、汐耶はアンリの知る本の外の知識を得る。
(本当に、素敵な事ですね)
 汐耶はそっと心の中で呟き、小さく微笑むのだった。

<会う事の出来た縁を心に留め・了>