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植物を育てよう。
神聖都学園には土曜も日曜もない。いくつもの施設を抱えるこの学園はいつも校門が開かれている。運動大会の前ならグラウンドはいつも満杯、文化系の発表会がある時はどこかしこでさまざまな声が木霊する……よって生徒や学生だけでなく、教師や用務員も年中無休だ。
今日は土曜日。もう日も沈み下校時間を過ぎた。響 カスミは中等部の生徒玄関で楽譜と指揮棒を抱えながら施錠を行っている最中だった。扉の前に来るたびに背を曲げて大きなため息を漏らすカスミ。彼女は毎日の仕事で疲れているわけではない。この薄暗くなった学校に不安を感じているだけだ。
「もう……なんで生徒たちが少ない日に学校の見回り担当になるのかしら。この暗さ、何か起こりそうで怖いわ……大丈夫かしら。」
大丈夫なのは周囲の様子なのか自分の精神なのか……とにかく手早く仕事を済ませようとカスミは必死に鍵を触る。目の前には電灯に照らされた暗い玄関が広がる。夕日が沈んだばかりなのでまだ明るく、周囲の様子は簡単に知ることができた。しかし、その状況がカスミを不幸にした。もうこちらに向かってくる生徒はひとりもいないはずなのに、ただひとり小さな男の子が元気よくこっちに向かってくるではないか。短く茶色い髪をわずかに揺らし、今では珍しい緑色のランドセルを背負ってこっちにやってきた。
カスミは警戒の色を高めた。あの子が幽霊や悪魔には見えないが、どうも妖しい。臆病な魂が過敏に反応したらしく、持っている楽譜などを強く抱きしめさっと身構える。そんな弱虫教師のことなどお構いなしに、その子は小さな手でガラス戸を叩く。
「センセ、センセでしょ。おはよーございまーす。」
「えっ……おはようってあなた、いま何時だと思ってるの。もう夜よ。それに土曜日なんだから、早くおうちにお帰りなさい。学校は月曜日からよ。」
「あ、ここガッコなんだ。よかったー、まちがってるのかとおもった。ボク、ここでおべんきょうしたいの。げつようびならいいの?」
「お勉強……あなた、ここの子じゃないの?」
カスミはかわいい素振りを見せる子どもに当たり前のことを言い聞かせながら、当たり前のことを問い質す。すると目の前の子どもは素直に自分の名を答えた。
「ボク、まつぼっくりのキッツ!」
「まっ、まつぼっくり……?」
素性を聞いたカスミはそのままぽっくり行きそうだったが、キッツの姿が人間そのものだったのでなんとか気絶せずに済んだ。キッツを見て困り果てたカスミはなんとか今日のところはお帰り願おうと必死に説明する。
「キッツくん。今日は学校終わりなの。また今度にしてくれる?」
「げつようびでいいんでしょ。だったらげつようびにくるよ!」
「でもあなたは学校に籍もないし……机もないのよ。お勉強に来てもみんなが驚くだけかもしれないし、思ってるほどいいことないかもしれないわ。それでもいいの?」
「ボク、もうむっつだもん。いじめられたって泣かないよ!」
カスミは思わずキッツの口ぶりに笑ってしまった。なぜなら、まるで本当の子どもを相手にしているようだったからだ。だが本当に普通のクラスに入れるわけにはいかない。一日だけ入れたとしても彼女がさっき説明した通りいじめが起こるかもしれないし、キッツ自身が自然界の掟とかなんとかですぐに出ていってもらっては困るからだ。
そこでカスミは一計を案じた。キッツのことをよく理解できる生徒たちで特別なクラスを作ってあげようと考えたのだ。幸い月曜日までにはまだ時間がある。カスミは自分を見上げる子どもに約束した。
「わかったわ。じゃあキッツくんがお勉強しに来れるようにしてあげる。月曜日の朝8時までにここに来て。クラスメートのみんなと一緒に待っててあげるわ。」
「ホント!? わーい、朝8時だね、絶対来るからね!!」
キッツの喜ぶ顔を見ながら、カスミは月曜日から始まる特別授業の内容を考え始めていた……
「カスミ先生、ホントにキッツくんが来るんでぴゅか?」
「来るわよ。あんなに張り切ってたもの。そう、今のピューイくんみたいにね。」
キッツを出迎えるために初等部の玄関の前でカスミとピューイ・ディモンが立っていた。今日の青空のような髪を風になびかせ、顔からはみ出さんばかりの笑顔で今か今かとキッツの登場を待つ。あちこちに目を動かしながら、どっちから来るのか待ち構えるピューイ。校門の柱は右と左がある。どっちから出てくるかを見ながら、そしてそれを見逃してなるものかと目の上に手をかざしながら獲物を追うハンターのようにせわしなく動き回っていた。
するとカスミから聞いた通りの容姿の子どもがこちらに向かって歩いてくるではないか。はねを合わせたような茶色い髪をしたキッツがやはりあの時と同じ緑色のランドセルを背負ってやってきた。ピューイは登場の瞬間から自分に迫ってくる間、瞬きもせず興奮を耐えながら顔をうずうずさせながら見つめていたが、とうとう我慢できずに大声で彼の名を呼んだ。
「キッツく〜〜〜ん、こっちだぴゅ〜〜〜!」
「あっ、センセとクラスのこだ〜〜〜。センセ、やくそく守ってくれたんだ!」
嬉しそうに駆けて来るキッツの元に向かうふたり。その瞬間、ピューイは彼のかばんを見て驚く。よく見るとそれは草で編み込んだしっかりとしたランドセルだった。思わずそのままふたを開け、中身を覗こうとピューイは顔を突っ込む。
「ボク、ちゃんとおべんきょうのじゅんびはしてきたよ! お母さんに何がいるかちゃんときいてきたし。」
「ぴゅ。確かにちゃんとしんぴんのえんぴつもあるし、ノートもあるぴゅ。カスミ先生、キッツくんやる気ぴゅ!」
「そうねピューイくん。それじゃあ、教室の方でみんな待ってるから早く行きましょう。私は響 カスミ。この子はキッツくんの4つも年上のお兄さんになるピューイ・ディモンくん。」
「僕の方がお兄さんだけど、ぴゅーちゃんって呼んでくれればいいでぴゅ。さ、早くしないとチャイムがなるぴゅ! げんかんにくつを置いて早くきょうしつに行こーでぴゅ!」
ピューイはキッツの後ろから前に来たかと思うとそのまま手をつかんで初等部の中へと誘う。カスミもゆっくりとその後を追いかける。そしてチャイムが学園中に鐘の音を響かせた。その音は3人の背中を押しているかのようだった。
キッツが神聖都学園初等部でいじめられないようにと準備された特別教室は音楽室の横にあった。本当はいつもカスミが専用で使っている音楽準備室なのだが、土曜日の訪問があってから試行錯誤を繰り返し、自分の準備室を教室に変えてしまおうと考えた。彼女が事情を話して集めた特別な子どもたちの数は3人。他の子どもたちはすでに教室の中でキッツの来るのを賑やかに待っていることだろう。ピューイはこの初等部で普通に勉強している子どもだが、今回の話を聞いて一日だけでも何とかそっちに行きたいと希望したのでカスミがそれを叶えてあげることにしたのだ。
ピューイとキッツは仲良く手を繋いだまま階段を軽快に歩く。それを追い抜かさないように気を遣いながらカスミが後を追う。彼らの教室のドアは防音の効いたもので他のクラスよりも豪華に見える。普段はそんなことなど考えずにドアを見ているピューイは何か思うところがあったのだろうか、小さな手でドアの壁紙を触りながらその違いを比べていた。しかし本題を思い出したピューイは戒めとばかりに舌を出しながら「ぴゅ」と言い、空いた手でげんこつを作って自分の頭に軽くぶつける仕草をする。そしてみんなの待つ教室のドアを大きく開く……明るい光が差しこんでくるドアの向こうにはふたりの児童が向かい合わせになった机の前で立っていた。ピューイはキッツの背中を押す。
「わわわ……あっ、はじめまして。ボク、キッツです! まつぼっくりの6さいです! よろしくおねがいしまーす!」
「僕は10才のピューイぴゅ。みんなも今から自己紹介だぴゅ!」
ふたりの隙間を縫って、即席の教室に変身した音楽準備室の奥に進むカスミ。ここは子どもたちの思うようにさせるのがいいと思ったのだろう。窓際にある自分の机の近くでその様子を伺うことにした。淡い色のパーカーを着たちっちゃな女の子がキッツの側に近づいてその容姿をじっくり見ながら自己紹介をはじめた。
「あたし、葉山 壱華! 実はね、あたしも今日学校に来るのはじめてなんだー! おんなじはじめて同士、がんばろうね!」
「うん、ボクもいちかお姉ちゃんに負けないようにがんばる!」
そんな壱華の会話を聞いていて少しはにかんだのは3人目の児童だった。彼女も実際に小学校に通う子どもだったが、キッツのことを聞いて馳せ参じたのだ。ジャンパースカートにおかっぱ頭という今時珍しい容姿ではあったが、顔いっぱいに広がるやさしげな表情がその違和感をなくしてくれる。彼女は音もなく近づき、キッツの目の前で話す。
「キッツくん、はじめまして。中藤 美猫っていいます。ぴゅーちゃんも壱華ちゃんもりっぱなせんぱいなんだけど、美猫はまだ7つなの。だからキッツくんとほとんど一緒。年の近いもの同士、仲良くしましょうね。」
「うん、みねこお姉ちゃんもよろしくね!」
小さな仲間の言葉に満面の笑みで頷く美猫。それが終わると同時にみんなはキッツの席の紹介を始め、机の横にあるでっぱりでランドセルを引っ掛けて置くのだとか、中身は全部引き出しにしまうのだとかをみんなでわいわい説明する。今、はじめて顔を合わせたわりにはしっかりとした連携プレーを見せる3人に驚きを隠せないのは教師のカスミだった。この調子なら自分は何の心配もいらない……彼女は微笑みながらそう思い始めているのだった。
なんとか一段落つき、みんなが顔を向かい合わせて席についた。学校がはじめてのキッツや壱華にとっては今から何が始まるのかドキドキしている様子。壱華などはもう待ちきれないようで一枚の書類を見ているカスミをせっつきはじめそうな勢いだった。
「さて、今日はキッツくんと壱華ちゃんの体験入学を兼ねてるから、お勉強ばっかりってことはしないことにしたの。実はキッツくん以外のみんなから何がしたいかいろいろ聞いてそれを私がちゃんとまとめておいたから、今日は特別な時間割で進めていきましょうね。」
「「「「はーーーい!」」」」
「いい返事ね。それじゃ、まずは学校ではこんなお勉強をするんだっていうのをほんのちょっとだけ算数をしましょうね。」
ということで登場したのが、大きな十円玉だった。キッツが小学一年生と同じ年齢なので、本当に簡単な初歩の部分だけ実益を兼ねて勉強させようというのだろう。カスミはさっそくキッツにこれを見せて反応を伺う。
「キッツくん、これは何かわかるかしら?」
「うーんと……おっきなじゅうえんだま?」
「そう、これは十円玉。人間の世界でお買い物する時はこういうのをいっぱい使うのよ。」
「あたし知ってるーーー! おうちでおみせばんする時あるから計算だってできるんだよ!」
学校がはじめての壱華とキッツともに硬貨の存在を知っているので、続いてカスミは普通よりも大きな一万円札を出す。すると、キッツの首は横に傾いた。どうやらここまで高額なお金は見たことがないようだ。
「じゃあキッツくん、これはわかる?」
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。」
さすがに見たこともないものを何かと問われるとどうすればいいか悩んでしまう……困ったキッツは腕組みしながら考えていると、隣にいたピューイが耳元で囁いた。
「むずかしいことを聞かれたら、すなおに『わかりません』っていうぴゅ……あんまりいうと怒られちゃうけどぴゅ。」
「うん、ぴゅーちゃんせんぱい。ごめんなさい、センセ。わかりませ〜ん。」
「いいのよキッツくん。これは一万円札っていって、さっきの十円玉よりとは形は違うけど同じお金なの。小さな数字のお金はこんな形をしてて、これを『硬貨』というの。そしてもうゼロが3つ以上ついてる時は『紙幣』と呼ばれるものを使ってお買い物するの。わかった?」
「はい、わかりました!」
キッツがわかったと元気よく声を上げる。美猫も嬉しそうにその様子を見つめていた。ピューイもキッツに学校での応対を教えられて鼻高々である。壱華は思うことがあってか、じっと大きな紙幣と貨幣を見たまま固まっていた。算数の時間はこれだけでは終わらない。カスミは続いて人間社会に必要なことを教えていく。
「お買い物する時は紙幣や貨幣などのお金を持っていないとダメなんだけど……その時にするのが算数ね。お買い物は足し算や引き算を使ってるのよ。」
「そうなんだ〜、ボクあんまりおそとに出なかったから、そういうことぜんぜん知らなかった……」
「キッツくんはちっちゃいからまだできなくてもいいよー。でも、あたしくらいの年になったら足し算も引き算もできないとダメだよ。がんばってお勉強しようね!」
大イバリの壱華を見たカスミがくすくすと笑いながら質問する。
「あらあら、そんなこと言って……壱華ちゃんは算数は大丈夫なの?」
「うん、あたしはお金の計算ならバッチリだよ!」
「すごいぴゅ! お金の計算ができたらバッチリぴゅ〜〜〜!」
驚くピューイに小さく拍手の美猫、そして年の功に感心するキッツ。カスミも一緒になって笑っていたが、ひとつだけ引っかかることがあった。壱華は「算数が得意だ」と一度も言っていない……もしかしたら計算が得意なだけで算数は苦手なんじゃないのだろうか。
「壱華ちゃん……得意な教科って何?」
「えっと、理科と社会かな〜。とくに生物が好き〜!」
「あ、そうなんだ……で、計算も得意なのね?」
「うん!」
なんとなく納得して自分自身はすっきりしたカスミだった……
簡単な算数の授業を終え、通常では考えられないが今度は掃除の時間になった。さっき黒板を使って説明した「こうか」や「しへい」など書かれた黒板を消したり、机をどけてホウキで掃除したりとやることはいっぱいだ。美猫は入り口近くにあった清掃用具入れのロッカーからホウキとちりとりを取り出し、いそいそと掃除を始める。普段はいろいろなものがおいてある場所なので埃がわずかに舞い上がる……特殊な嗅覚を持っている美猫がくちゅんくちゅんと咳をしながらそれでも上手にホウキを使って掃除していた。
その様子を見ていたキッツが同じことをしたがった。不思議そうな顔をして下唇に指を当てて質問する。
「それでおそうじしてるの〜〜〜?」
「ええ、そうよ。美猫、あっちでちりとり持って待ってるから、キッツくんはここからホウキでゴミを掃きながら来てくれる?」
「待って待って待って〜〜〜、あたしがちりとり持って待ってるよ! 壱華、かまえましたっ!」
気分は野球のキャッチャーなのだろうか。壱華は床にちりとりを構えて彼らが集めるゴミを待っている。キッツは急がなければと思ったのか、美猫の持つホウキを高速で動かし始めようとしたが、それを彼女はやんわりと止めた。
「あ、キッツくん待って! ほこりとかは軽いからゆっくり集めないとどこかにとんでいっちゃうの……だから美猫といっしょに壱華さんのとこまで行きましょ。」
「うん、じゃあそうする!」
「じゃ、行くね。い〜〜〜ち、に、い〜〜〜ち、に……」
「い〜〜〜ち、に、い〜〜〜ち、に……」
落ちついてホウキをゆっくりと壱華の元へと向けて進めていくふたり……そんな単純作業をじっと待ち続ける壱華は集まっていくゴミを見て美猫の言葉を心の中で納得していた。そしてわずかな時間が過ぎ、ついに壱華のちりとりへとゴミが運ばれた。ちゃんと細かいチリまできれいにみんなで回収できたのを壱華が喜ぶ。
「やった〜〜〜、できたできた!!」
「ああっ! 壱華さんったら、ちりとり持ってはしゃいだら……」
「あーあーあーあーあー! ゴミがまっちゃった!!」
「……でも、やりなおし?」
壱華は強く突き上げた右手を見て固まった……そこにはゴミが集まっていたはずのちりとりが天井に届かん勢いで持ち上がっていたからだ。頭にかぶったゴミを後ろから騒ぎを聞きつけたピューイが丁寧に掃っているのに気づくと、ばつの悪そうな顔をしてゆっくりとその腕を下げる。そしてめげずにもう一度ちりとりを構える。
「今度はよろこばない。あたしは植物のような心になって掃除がんばる。」
目を狐のような線にして冷静さを装っているように見せる彼女は今度こそ微動だにしなかった。そんな彼女を横目で見ていたピューイがキッツを呼んだ。
「ねぇねぇキッツくん、いっしょにこくばん消しをやるんだぴゅ!」
「こくばん消し……うん、するする。みねこお姉ちゃん、やってもい〜い?」
「ええ、いいわよ。こっちは壱華さんといっしょにやるから。キッツくん、がんばってね。」
「うん!」
今度は小さな黒板消しに挑戦するキッツ。今度のお掃除先生はピューイだ。すでに彼の手には黒板消しが握られている。それをキッツに見せながらさっきの文字を少しだけ消す。
「これがこくばん消しで、チョークで書いたところをこすると消えるんだぴゅ! キッツくんもやってぴゅ!」
「うん! ボクもやる〜〜〜!」
キッツは黒板消しを上手に動かし、背の届かないところはなんとかジャンプで乗りきって掃除を完了させた。ピューイはそれを誉めると今度は棒をどこからか持ってきた。そして彼の持っている黒板消しをもらい、窓の先まで歩いていく。
「こくばん消しが吸ったこなをこの棒で叩いて、今度はこくばん消しをきれいにするんだぴゅ。ここまでやってはじめておそうじ完了だぴゅ!」
そう言いながら調子よく窓に向けて黒板消しを叩き始めるピューイだったが……不運にも風は教室へと吹きこんでくる。せっかく取った粉は部屋の中に舞い戻ってきてしまう。白い煙の中でふたりは豪快に咳き込む。
「ごふんごふん……ぴゅーちゃんせんぱぁい、けむたいよ〜〜〜。」
「だ、だいしっぱい……だぴゅ。んぴゅんぴゅ!」
美猫も今度は粉のせいでくしゃみをしてしまい、ホウキの進路を妨げてしまった。あらぬ方向に移動するゴミの集団を壱華が目線で追う。
「美猫ちゃん、もしかして……かぜ?」
「そ、そんなことないんだけど……くちゅんくちゅん!!」
結局、掃除の時間は大混乱で収拾がつかなくなっていた。さすがのカスミもこれを手伝っては教育にならないと思ったのか、埃や白い粉を浴びながらも自分の椅子でその様子を微笑みながら見つめていた。
そんなドタバタした掃除を終えると、今度は神聖都学園の探険をしようとカスミはみんなを誘う。まずはみんな、隣の音楽室でグランドピアノを見た。カスミがちょっとした曲を弾くと、みんなが驚きの声を上げる。すぐそばで行われた演奏会をそれぞれの耳と心で楽しむ子どもたち。みんなそれぞれ感性は違えども、カスミの奏でる染み入る音はすがすがしい気持ちを与えた。しばしリッチな気分を堪能したちっちゃな観客は万雷の拍手をカスミに送る。嬉しそうな顔をして自分を見る彼らに照れながら「ありがとう」と返すカスミだった。
そして今度は図書室に入った。カスミを先頭にして一列で入っていったのだが、彼女は後ろにいた壱華に「シーッ」という声とともに人差し指を口元に持ってくるあのポーズを送る。ここでは静かにしなければならないという合図だった。すると彼女は先生の動作に納得してひとつ頷き、後ろの美猫に同じポーズを送る。もちろん美猫もそれを理解し、同じことをピューイにも伝えた。しかし、ピューイあたりから伝言ゲームがおかしくなった。今、キッツが一番後ろにいるのだが、ピューイは彼に向かって声だけでそれを伝えたのだ。しかも発音も声の切り方もおかしい。
「しーっ、しーっ?」
キッツははっとした顔をして図書室の入り口から出ていってしまう……それはあっという間の出来事だった。状況がよく飲みこめない女性陣はキッツの行動がよくわからない。ただ呆然とその場に立っていた。最後に伝言を送った美猫が不思議そうにピューイの顔を舐めるように見る。
「ぴゅーちゃん、なんであんなところで発音を切ったんですか?」
「ぴゅ? 僕、なにかまちがえたかぴゅ??」
「美猫はとしょしつは静かにするところだから、大きな声はダメだって送ったんです。」
その言葉を聞いて、ようやくピューイが手を叩いてそれを理解した。その勘違いに呆れる壱華。
「もーっ、あたしでもわかってたのにーーー。ぴゅーちゃん、なんでわからなかったの?!」
するとピューイは誰も想像していなかったような意外なことを口にする。
「ぴゅ……実はキッツくん、ずっとトイレをがまんしてて……それで『としょかんに入る前にトイレをすませるんだよ』っていう合図だと思ったからそうやって伝えたんでぴゅ……」
「「「ええっ!?」」」
3人はキッツの駆けこんで行く先を見守った。するとピューイの言う通り、彼は青い男の子のマークが描かれた方のトイレに駆け込んでいった。それを見て壱華や美猫は大笑いしていた。カスミはしょぼくれているピューイに「そんなに間違ってなかったわね」と声をかけ、なんとか慰める。美猫はお姉さんらしいところを見せようと、キッツがちゃんと図書室に戻ってこれるようにと男子トイレの前で待機する心配りを見せた。
ドタバタあった後で最後に向かった先が調理実習室だった。実は美猫がここでの実習をリクエストしたのだ。中は熱気に包まれており、まるで掃除の時に上がった煙が充満しているようだった。その中には、事前に初等部の子どもたちがご飯を炊く実習をしたのだ……そう、なぜかご飯を炊くだけの実習。これはカスミが家庭科の教師にお願いしたことだった。そんなご飯の匂いだけがする部屋の中に入っていくと喜ぶ顔がふたつ並んだ。
「あ、あたし、なんかいいごはんが食べれそうなよかん……♪」
「ぴゅ……いつもよりたくさん食べてもいいのかな……先生、これすいはんきごと食べてもいいでぴゅか?」
カスミはピューイと壱華が大食らいであることをどこからか察知しており、昼食はとんでもない量が必要だと踏んでいた。ご飯の他にも卵焼き、ポテトサラダ、味噌汁とすでにさまざまな料理が並んでおり、後は食べるだけなのだがここでカスミはある提案をした。
「いっぱい食べるものはあるけど……今日はデザートのホットケーキを作りましょうか。美猫ちゃんが得意らしいから、みんなで作りましょうね。」
「美猫ちゃん、料理できるんだー! すごいっ!」
「僕はいつも食べるだけだぴゅ。」
「すごいね、みねこお姉ちゃん!」
カスミの紹介もあり、周囲の視線は美猫に注がれる。外見は気の弱そうな美猫だが、ここはリーダーとしてがんばろうと近くに置いてある材料を確認した後、手を洗っていろいろとやり始めた。それを見たピューイたちもまねっこでとりあえず手を洗い、美猫の指示が出るのを待つ。待機中のみんなに仕事をお願いしようとまず粉を見たのだが……さっきの掃除でさえあの状況なので今回は彼女自身がそれをすることにし、まずはみんなにタマゴを割ってもらうことにした。ところがこのタマゴを割ること自体が大騒ぎ。家事などやったことのない子どもたちばかりなので、どう手加減すればいいかわからない。まずみんな、タマゴを蛍光灯に照らしてかざしてするところから始まった。その隙に一番ややこしいと思われる粉振りを済ませてしまおうとひとり奮闘する美猫。
なんとか先生の指導もあって殻が混ざらずにいくつかのタマゴを割ることができた。ここでは壱華がバカ力を発揮して何個か割ってしまうシーンもあったがそれもご愛嬌だ。その時ピューイやキッツは壱華のことを「とっても強い女の子」と認識したらしい。美猫はみんなに粉とタマゴの混ぜ合わせをお願いし、みんなで一生懸命に泡立て始める。これにも加減というものが存在し、一番苦労するのは壱華だった。みんな普通のボールを使っているのに、なぜかちょっと大きく見えてしまうのもご愛嬌。とにかくおいしいご飯のためにと必死になるピューイと壱華は豪快にグルグルグルグルと掻き回していた……
そして給食の時間のチャイムが鳴り響く……学校もにわかに騒がしくなってきた。ホットケーキは食事が終わった頃に食べることにして、とりあえずは初等部児童が作ったご飯で給食をすることになった。カスミと美猫、そしてキッツは普通の分量。そしてピューイと壱華はご飯の桶ごと目の前に置いている。この光景を目の当たりにして、カスミはふたりに厳重な注意を促す。
「ふたりとも……食べ物だけを食べましょうね。美猫ちゃんはともかく、キッツくんが真似すると大変だから。」
「「は〜〜〜〜〜〜〜い!」」
どこまで話の意味を理解しているのやら、鉄の胃袋を持つふたりはしゃもじを持って臨戦体勢を整えている。そしていただきますを合図に給食が始まった……この調理実習室が密室でなければ、いろんな意味で見世物になっていただろう。おおっぴらに食事をするのはキッツによくないと思って考え出したカスミ苦肉の策だったがなんとこれが大当たりだった。3分も立たないうちに桶の中身を平らげるその食べっぷりにはキッツも驚いた。しかも女の壱華も同じペースで食べているのを見て、自分も男の子なんだからがんばろうと思ったのか、お茶碗に入ったご飯を懸命に喉に流し始める。
「き、キッツくん。別にぴゅーちゃんや壱華さんみたいに食べなくても、美猫たちは普通にしてれば……」
「う、うん……んぐんぐ……!」
「ほら、ダメじゃない……落ちついて噛んで食べないと……」
美猫がキッツの小さな背中をさすって落ちつかせている一方で、まるで蛇が獲物を一飲みするかようにご飯を食べまくるふたりがいた。
(『やるでぴゅ、壱華ちゃん……でも負けないでぴゅ……!』)
(『結構食べるな〜、ぴゅーちゃん。でもあたし、絶対にぴゅーちゃんよりいっぱい食べてみせるんだもん!』)
カスミが不満を解決するために用意した大量の食事が、実はこんな不毛な戦いを引き起こそうとは……このふたりの食べ比べはついに食事の奪い合いに変わっていった。いかに相手よりいっぱい食べるか。そんな競争に変わっていた。美猫たちはそれを隣で、ずずーっとミルクを飲みながら見ていた。
食材さえあれば、そしてカスミの禁止事項さえなければ未来永劫続くだろうと思われた給食バトルもなんとか終わった。炊飯器の中身は仲良く二等分することができ、ひとまずはケンカの元にならずに済んだ。目の前で膨らむホットケーキを見ながら盛り上がり、食後のおやつを楽しんだみんなにある知らせが届く。その内容はとても寂しいものだった。実はそろそろキッツは帰り支度をしなければならないという……楽しい時間ばかりで彼もなかなか言い出せなかったらしい。カスミは事情を聞き、それをみんなに説明した。みんなは無邪気に話しかける。
「ぴゅ〜、でも明日も来れるんでぴゅ?」
「あしたはむりなんだ……ちょっと旅に出るってお母さんからきいてるの。だから、こんど来るのはみんながおとなになってからかな……」
「それで一度、学校に来てあたしたちと遊びたかったの?」
「うん……そうなんだ。でも、楽しかったよ! みんなと会えてうれしかった! センセにもありがとうだし、みんなにもありがとうなの!」
「そう。キッツくん、そうだったんだ……」
調理室の椅子から立ち上がって丁寧にお辞儀するキッツ……でもそこは元気印のピューイが励ます。
「キッツくん、みんなと会いたいと思えばきっと会えるでぴゅ! 夢でもどこでも、絶対でぴゅ! 僕がそれを約束するでぴゅ! だからさみしくなんてぜんぜんないでぴゅ!」
「そうだよ。あたしたち、キッツのこと忘れないからね! おっきくなったらまた会おうよ!」
「美猫もずっと、キッツくんのこと覚えてるから……大丈夫だよ?」
美猫だけちょっと目に涙を浮かべながら、それでも元気よく彼を送り出そうとがんばった。しんみりした雰囲気になりそうになったその時、カスミがカメラを持ってきた。それは映せばすぐに絵が出てくるものだった。
「じゃ、今日の記念に5枚撮りましょう。ひとりに1枚づつで、最後の1枚は私の分。ほら、みんな笑って笑って。」
みんな我先にとキッツの周りに集まる3人。みんな仲良く並んだところでカスミがシャッターを切った……しばらくすると、そこにはあふれんばかりの笑顔が浮き出てくる。ピューイがキッツの背中に抱きついてピースし、壱華が彼の手を取ってバンザイし、その側で遠慮がちに美猫が微笑んでいた。その瞬間、その写真は彼らの永遠の思い出になった……
その後、たった一日だけ成立した初等部の不思議なクラスの噂が学園中で広まった。カスミもその噂の存在を知っていたが、決して誰にも打ち明けなかった。彼女はあの日勉強した教室にある自分の机の引出しの中に潜ませてあるあの写真を見るたびに誓うのだ。これを打ち明ける時は、彼らが大人になって出会う時だと……
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2043/ピューイ・ディモン/男性/ 10歳/夢の管理人・ペット・小学生(神聖都学園)
1619/葉山・壱華 /女性/ 12歳/子鬼
2449/中藤・美猫 /女性/ 7歳/小学生・半妖・44匹の猫の飼い主
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■ ライター通信 ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回は本当に思いつき『学園ほのぼの』です。
はるか昔に『ひらがなばっかりの依頼文』を書きましたが、今回はほとんどひらがなです。
皆さんも漢字が読めなかったあの頃を思い出しながら読んでいただけたらなと思います。
今回のぴゅーちゃんは壱華ちゃんと一緒で年長組です(笑)。
神聖都の先輩としてキッツくんをかわいがってもらいました。
また彼の夢の中で立派な先輩として姿を現してあげて下さいね!
この作品は個別での変更点は……ちょっとしかありません。すぐわかりますよね?(笑)
今回は本当にありがとうございました。また別の依頼やシチュノベでお会いしましょう!
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