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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


春待つ空
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東京の片隅で闇の中に沈んだ店は騒々しいか静まり返っているかのどちらかで、その中間というものがない。モーリス・ラジアルがケーナズ・ルクセンブルクと連れ立って、看板も出していない店の扉を開けると、今日はどうやら後者であった。やや甲高い声で発せられる膨大な語彙の罵り言葉も、感心するほど煽るのが巧い返し文句も聞こえない。皿が店を飛び交っていることもなければ、椅子やテーブルをひっくり返してプロレスごっこをしている父子の姿も見えなかった。
そんな情景の代わりに、店のカウンターには、タバコのかわりにアメリカ産のチョコアイスのバーを咥えた店長が、のんびりと経済新聞を広げている。客だというのに顔すら上げない。「こんにちは」と声を掛けると「ん」と顎を引いて返事だけが返ってきた。その声を聞きながら、モーリスは勝手知ったるようすでカウンターの奥に入り、紅茶のポットとカップを取り出した。
客に出すメニューすら存在しないこの店では、全てがセルフサービスとボランティアで賄われている。むしろ、来客が主人に対して茶を淹れるような店だった。実際それで事足りており、モーリスも、そして恐らく彼の知る誰も、この店の主人にもてなしを受けたためしなどない。
(彼は、いないのか)
かちゃかちゃと食器をトレイに並べて手際よく紅茶を淹れながら、モーリスは「少年」が見当たらないこを残念がった。
この店で、拾われてきた子犬のように存在する少年は、生憎「イマドキの若者らしく勉学に励んで」いるために留守であった。内心、どんな挨拶で少年の反応を引き出そうかと思案を巡らせていたモーリスは残念だったが、まあ良いか、と思いなおした。彼をからかうのはいつでも出来るし、今日は少年をからかうのが目的で店を訪れたわけでもない。店に立ち寄ったのは、少年に用があったからでも店長に用があったからでもなく、ここならば人の好奇の視線を気にせずに話が出来るからだった。
いくら街で外人を見かけることが珍しく無くなったとはいえ、モーリスとケーナズの色素の薄い外見は、黄色人種の中では浮いて見える。ましてやそれが、今どきブラウン管の向こうでも、プラズマテレビの向こうでも滅多に見れない美貌の持ち主だったら尚更だ。モーリスとケーナズが連れ立って歩けば、その効果は二倍ではなく二乗になって反響を呼んだ。
二人が通り過ぎた後では、「あの二人さあ、ちょっと芸能人っぽくない?」とヒソヒソと会話が交わされ、中には「ほら、アレ、ケーナズ・ルクセンブルクだよ。前にスクープされてたじゃん」などという話も出てくる。容姿端麗でただでさえ割る目立ちする二人に、「メディア」というオプションまでついているのだから、何事もなく済むはずもない。街中で遠慮なく浴びせられる視線を避けて喫茶店に入ったとしても、目ざとい客に気づかれて、一挙手一投足まで監視されるはめになるのだ。モーリスはそれも悪くないと思っていたが、ケーナズがこの店を指定したのである。
実際、この店は人の好奇の目がない。得体の知れない店主が不思議な力でも使って外界を遮断しているためなのか、それとも見るからにいかがわしい店と道を外れていそうな主を前に、一般人は立ち寄らなくなったのか。真偽の程は分からないが、便利なことだけは確かだった。
ここでなら、気兼ねない会話もまかり通る。店長も含め、三人分の飲み物を用意したモーリスは、椅子に落ち着くと紅茶のカップを掌に包み込んで、緩く脚を組んだ青年貴族に視線を向けた。
「とりあえず、お疲れ様……、かな。早いうちに、例の件はカタがついてよかったよ」
「まったくだ。今年は、春がくるのも遅かったしな」
薄日を通して透ける髪を後ろに払い、ケーナズも頷いて同意を示す。
しぶとく残った冬の寒さに落ちる雪を利用して悪さをする、一風変わった変質者を二人が追い詰めたのは、ついこの間のことだ。彼の能力はモーリスが中和してしまったが、こうして話題に上る程度には、その事件は彼らの記憶に新しい。
彼好みの女性を探し出しすためだけに、雪を使って人を凍えさせる。ロマンチックではあるが、事件の犯人はなんとも傍迷惑な男だった。
「まあ、美しいもののすばらしさは私も認めるけれどね。女性にしか興味がないというんじゃ、人生の楽しみの半分は失っているよ」
美というのは、性別や時代を超えて存在するものだと、モーリスは思う。だから、美しいものを凍結しようとする彼の思想は、理解出来ないこともなかった。が、
「彼はやり方もスマートじゃないしね」
「……まあ、そういう言い方もあるかな」
職業柄、能率を愛し無駄を嫌うモーリスに言わせれば、犯人のやり方は及第点に遠く及ばなかった。つまるところ、「私ならもっと巧くやるのにね」と密かに考えていたりする。賢明な蒼い瞳の青年は、軽く頷くことで、モーリスの言葉を深く追求するのを避けた。
「だが、あんな回りくどいことをするよりは、外で誰かに声を掛けた方が、手っ取り早いし実用的な気がするが」
「そうだよね。好みの顔かどうか、判断してから声を掛ければ手間も省けるし」
人並み外れた美貌の二人は、一般人にとってそれがどれだけ大変なことか、とっさに思い至らなかったらしい。真面目な顔をして意見を述べ合う二人に、店の主人が胡乱な視線をちらりと向けたのは、幸い二人に気づかれることは無かった。
「人の執着心というものにも驚かされるけど……、ああいう……美意識、みたいなものも凄いね。やり方が旨くないけれど」
「どちらも、度が過ぎれば傍迷惑なだけだがな」
湯気の立っているカップを口に付けて、ケーナズは笑って付け足した。
「どうせなら、キミがお仕置きをしてやれば良かったじゃないか」
「私は美しいものと可愛いものを相手にするだけで手いっぱいなんだ……」
視線を逸らして、モーリスはにこやかに嘯く。ようは好みではないのだ。
「君こそ、男性も大丈夫なんだろう?手ほどきをしてあげればよかったのに」
「ノンケには手を出さない主義でな」
事件の犯人に対してはモーリスと同様の結論を導き出したケーナズは、言下にモーリスの言葉を否定した。
「素質はあったと思うよ」
「手に入れてすぐに捨てるような真似も出来んだろう」
「へぇ。意外と真面目だね」
素直に感心したモーリスの顔に視線を宛て、緩く首を傾けてケーナズは微笑んだ。
「キミが、私のことをそう評せるほど、人でなしだとも思わんよ」
一瞬きょとんとしたモーリスは、面食らった顔をすぐに隠して、楽しげな笑みを浮かべたまま、ケーナズに向かって身を乗り出した。
「君と私が付き合っていたら、きっとベストパートナーだったと思わないかい?」
思わずと言った様子でケーナズは笑い、おどけた様子で眉を上げてみせる。
「……意見も合うし?」
「そう、主義も合うしね。世の中に美しい人はたくさんいるけど、自分の事を理解してくれる人を探すのは案外難しいものだよ」
「その点で、我々に問題はないだろうというわけか。……いや、まったく同感だよ。束縛されないというのも寂しいものだと思っていたが、逐一行動を観察されていたのでは、息が休まる暇もない。気楽な一人身時代が懐かしくなるな」
冗談混じりにため息を吐いて頭を掻きながら、ケーナズがちらりと窓の外を気にした。芸能人の恋人としてスクープされて以来、彼の周りには記事のネタを狙う人間がうろつくようになった。一時期は職場にまで押しかけてきて、彼は相当な苦労をする羽目になったのである。最近ではそれも下火になったものの、特ダネを狙う記者たちは忘れた頃にケーナズの視界の隅に現れた。そもそもが自由を好む彼にとって、四六時中行動を監視され、恋人の為に常に行動を控えなくてはいけない毎日は、かなりのストレスになるのだろう。
「私が相手なら、記者たちもスクープはしないよ」
「うそをつけ、他人事だと思って適当なことを……。むしろ男にまで手を出すろくでなしとして叩かれている自分が目に浮かぶぞ」
「あ、やっぱりそうか」
「やっぱり、じゃない」
手を払う仕草で話を切り上げて、ケーナズは窓から視線をはずした。その口元には、楽しげな笑みが浮かんでいる。久々に周囲を気にしない会話が出来て、彼もようやくくつろいできたらしい。椅子の背に背中を預けて体を寛がせ、ケーナズは話を戻した。
「で、結局、アレはもう悪さを出来ないのか」
「能力を中和してしまったからね。彼も理想の相手を探すために、街で女性に声を掛けることになると思うよ」
「かわいそうに。貴重な出会いの機会を奪ったかもしれないな」
口元に笑みを浮かべたまま目を細め、ケーナズは肩を竦めた。言葉では同情して見せているが、実際にはそれでよかったと思っているのだろう。確かに、間違って人が死んでしまってはたまらない。人をそういう目に合わせる事をなんとも考えていなかった男の顔を思い出し、モーリスも同意を示して顎を引く。
「歪んだ愛情だったねえ。いや、執着と言うべきかな」
呆れたような口調の割りに、庭師の口元には柔らかな笑みが浮かぶ。人よりもずっと長い歳月を生きる彼には、今回のことも寧ろ永遠とも思われる日常の一部で起きた、ちょっとした刺激にしか過ぎない。そういった考え方が一般には快く受け取られ難いことを、モーリスは承知しているし、主にもよくよく言い聞かせられているので、彼は不謹慎な発言を日常会話に摩り替えた。
そんな彼の意図を把握して、つと視線を上げたケーナズはゆっくりと頷いてみせる。
「まったくだ。……世の中には、潔癖すぎる高校生というのも居るのに、な」
と、視線が行くのはがらんとした店内だ。いつもならアマゾンの奥地で出くわす怪鳥並に煩い二人組の片割れだけが、カウンターで暇そうに新聞を読んでいる。
「しかしねぇ、最近の若い子があんなに純粋で大丈夫かな」
心配しているというよりも、楽しくて仕方なくてモーリスは思ったことを口にした。
「キレやすいところと刹那的なところだけは、しっかり現代の若者だけど」
「傷つきやすい年頃なんだろう。ガラスの十代、と言う歌もあるじゃないか」
「……そのたとえは古いけどね」
「妙にレトロな文化に詳しくなったなぁ……」
ぼやくように言って、ケーナズは天井を仰いだ。日本の生活にも慣れ、友人も出来て日本の文化に詳しくなったはいいものの、妙に時代がズレてしまったらしい。面白そうなモーリスの視線を手で払う真似をして、
「まぁ、確かにあいつには性教育は必要だな。あいつはまだ子供だが、未熟だと言う理由で許される問題でもない。間違いを起こしてからじゃ遅いからな」
彼は、まだ子供のように素直で真っ直ぐな面を持ち合わせているが、年齢は立派に高校生なのである。「子供だから」などという理由で甘やかしてやる年ではなければ、それで渡っていける世の中でもない。いくら子どもだろうが、自分のした事には責任を取らなくてはいけない年なのだが、彼はそのあたりの認識に欠けている。モーリスたちが出来ることと言えば、精々彼が間違いを犯さないように、気をつけていてやることだけだ。
……もっとも、多くの人間が少年のことを心配しているので、モーリスは「教育者」としての役目を都合よくこの青年貴族に押し付けて、自分は気楽に少年をからかう立場に身を置いているのだったが。
「ああ……なんだか、こういう話をしていると、この年で突然年寄りになった気分だねぇ」
言った瞬間、527歳が何を言うのだという目をされた気がしたのは気のせいだろう。世の中には知らなくていいことがあると承知している彼は、余計なことを考えずにその視線を無視することにした。
「そういえば、君、私を差し置いて『彼』と遊んだそうだね」
「……あぁ。その話、誰から……?」
「『お父さん』から、ちらっとね。私を差し置いて楽しんできたなんて、つれないじゃないか」
暗に示すのは、ここでよく見かける少年を、ケーナズが兄妹揃ってドイツまで連れ出した話である。以前からあった話らしいが、当人は「連れていけるものならやってみやがれ」と粋がっていたそうだ。そうしたら、本当に連れて行かれてしまったというのだから、後から話を聞いたモーリスは、是非ともその日に戻って、当時の様子を観察させていただきたいと思っている。
ケーナズはと言うと、「お父さん」と呼ばれた男にちらと視線を投げ、次いで誤解を招く発言をした庭師に苦笑した。
「……勘弁してくれ。ただでさえ誤解を受けて立場が悪いんだ」
「まさか、誰も本気で君との関係を疑ったりしないよ。雑誌社も、芸能人じゃない人間を張り込んで追いかけるほど、暇もお金もないでしょう。……ああ、けど嫉妬されたりするのかな。テレビで顔が出てから、君のファンクラブも結成されたらしいよ。かわいい子たちに嫉妬されたら、私なら嬉しくなってしまいそうだ」
一人で納得して頷いているモーリスに、ケーナズは怪訝そうな顔をする。
「嫉妬なんてされて嬉しいものでもないだろう?ああ……いや、キミは嫉妬されると余計にエスカレートするクチか」
「苛めるのも愛情だよ。追い詰めて泣かせて、それから思い切り甘やかすのがいいんじゃないか」
否定すらせずにモーリスは認め、「それにしても、私も本当に仲間にいれて欲しかった」と付け足してしきりにうらやましがっている。
「教育にかこつけてやりたい放題……」
「できるか、そんなの」
「……すると見せかけて反応を見るのがいいんだよ」
「……それは……確かに」
意見の一致をみて、ケーナズは口元に拳を当てた。肩を小刻みに震わせて、どうやら笑いたいのを堪えているらしい。
あの少年をからかうのは、子猫と遊ぶのと似ている。フェイントには素直に引っかかるし、からかえばすぐにムキになる。そこが可愛いと思われていることにも、彼は未だに気づいていないのだ。
「彼はね、苛められたくなかったら、あの可愛い性格を直すべきだと思うんだよ」
「まったくだな。放っておけなくて、ついつい口を出したくなってしまう」
「結局、構って欲しいと言っているように見えてしまうんだよねぇ。何しろ、捨て置けない性格をしているからね。得だね、彼は」
全身で嫌がっているつもりなのだ、本人は。ただ、一人では間違った方向に走ってしまいそうな危うさのせいで、周りは彼から目が離せなくなるのである。それだけ人に心配を掛けているのだから、少しくらい苛めても良いだろう、とはモーリスもケーナズも思っていることだ。
「まったく……私にとっては弟のようなものだな、あれは」
「お兄さんも出来たし、『父親』もいるし。……ある意味恵まれているのかもしれないよ」
本人にはいい迷惑かもしれないという事実は差し置いて、だ。モーリスに気に入られていることも、当人にとって幸か不幸か、判断の分かれるところであるにしろ。
温くなった紅茶のカップをソーサーに戻して、モーリスはカップの縁を指でなぞった。
「分からないものだけれどね、そういうことは。なくなってみて初めて気がつくものだから」
優しさや好意を享受しているうちは、それが当然のような気がして、人はぞんざいに扱いがちだ。大切なものを失いかけて初めて、きっと人はどれだけのものに自分が支えられていたのか気づくのだろう。
「……ま、気づかない人もいるけど」
「あいつは気づくだろ」
答えながら、ケーナズはモーリスに向けて目配せをした。窓の外が見える位置に座っている彼には、店に入ってこようとする人影が見えたようである。
視線に気づいて眼鏡の向こうを覗き込み、モーリスの顔にも人の悪い笑みが浮かんだ。
カラン、と来客を告げて店のドアに設置されたベルが鳴る。
極上の笑みを浮かべて、モーリスは扉の出入り口を振り返った。
「……!!…………な、なんで」
「おかえり。中々帰ってこないので待ちくたびれたよ」
驚きと本能的な恐怖で、スーパーの袋を手に提げたまま凍りついた少年に、モーリスはにこやかに声を掛けた。
「しばらく顔を合わせていなくて寂しがっているだろうから、たまにはこちらから会いに来てあげようと思ってね」
モーリスの台詞を聞きながら、もともと血の気の少ない少年の顔は見る見る蒼くなっていく。
彼の居ないところでこれだけ甘やかしていたのだ。少しくらい苛めても、罰は当たらないだろうと思いながら、モーリスはにこやかに手を伸ばした。
「さぁ、照れてないで入っておいで」
「照れてないッ!!」
あたふたとまわれ右をして、少年は扉に手を掛ける。
少年が開けた扉の向こうから、綻びかけた花の蕾の甘い匂いが、季節を感じさせない店の中にもふわりと香った。四角く切り取られたドアの向こうには、霞がかった青い空が、春を感じさせて広がっている。



−春待つ空−