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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夢を教えてください

「夢を見るんです。もうすぐ桜の時期でしょう?そういう時期になると必ず……」
 草間興信所の赤いソファに身深く沈んだ青年は俯いた。随分と線の細い青年だ。年は、二十歳そこそこといったところか。およそ、こんな所に出入りするには少し早すぎる気もする。
 草間武彦は紫煙を吐き出した。
「……で、肝心のその夢を覚えてないっと……」
 短くなったタバコの先端をグリグリと灰皿に押し付けた。また新たにライターでタバコに火をつける。
「……お前さんのため、一応言っておくが、ここのビルはこんなに廃れているが、調査費は結構、かかるぜ。――お前さんは、学生だろう?だったらこんな所にくるべきじゃあない。見た夢を覚えてないっていうのは、単なる生理現象だ。誰にでも起こりうる」
「でも僕は……っ!!あの、胸を締め付けるような痛みを忘れる事などできない……っ!!……。僕は、目が覚めるといつも泣いてるんです」
「……」
「お願いしますっ!!」
「仕方がないな」
 草間武彦は、足を組み直した。
「――オイ、雫。お客さんを下まで送ってきてくれ。俺は、ちょっと電話をする」
「あっ!!ありがとうございますっ!!」
「ああ、構わないさ……」
 そうやって、あまりお金は取れないお客をまたも草間武彦は認めてしまったのである。


「来てくれてありがとう。んでこちらが依頼人だ」
 武彦は、収集をかけた三人の顔をそれぞれ見てから、右手で赤いソファを示した。そこには先日の依頼人、小野寺沙希が両手を揃え、膝の間を締めて座っている。
「よろしくお願いします」
「うむ。確か夢を思い出すことが望みなのだったな?ならば、この俺の薬をやろう」
 羽澄・静夢が早速言った。片目を隠した茶色いショートの髪に黒い瞳。耳に金属のピアスを幾つもしており、指にも銀のリングを幾つかしている。薬学科の大学生で、自分用のラボまで持っている薬品調合のプロである。彼はテーブルに上に白いカプセルを置いた。沙希はそれを手に取り不思議そうに翳した。静夢は笑む。
「脳神経系は多様化した細胞種が、高度に組織化されたシステムでな、学習・記憶を司っている。まあ、それと類似したシステムとして免疫系も知られているが、免疫系では、免疫グロブリン遺伝子群のゲノム再構成と発現制御により、外来の抗原に対する抗体の作成と記憶がもたらされているんだ。そして、近年それにCNRファミリー遺伝子の発見、体細胞突然変異の蓄積、各種のDNA連結、修復酵素の脳形成への関与が明らかとなったことで、脳神経系においても体細胞レベルでのゲノム構造の再編成も示唆されてきている。そこで脳神経系細胞でのゲノム構造変化とゲノム構造変化に伴う脳機能変化、要するに記憶変化だな。それを狙った薬を作ってみようと思ったのだが、あいにくPopulation PKをしていなかったのでな。副作用の度合いが不明なのでやめておいた。そっちの薬は大脳皮質を活性化させる薬だ」
 それにゆっくりと頷いたのは、楷・巽だ。黒いショートの髪に茶色い瞳で表情を見ただけでは何を考えているのか全く分からないサイコドクターの卵で医大生である。彼はゆったりと口を開く。
「ああ……人間の脳というのは元々分業化されていて…眠っている時はバラバラにその活動を停止しているからな…そして記憶の脳だけが起きている時はふと過去の夢を見て…視覚を司っている脳だけが起きている時は…断片的で脈絡のない映像が浮かぶと言われている…この青年の場合…過去の出来事を刺激する…ということで良いと思う」
「あははっ。学生さんは学問が好きだなっ。俺はそういう細かいことは分からないけど、うん。静夢と巽が言うなら間違いないと思うぜっ?」
 健康的に焼けた肌色の青年が、目を白黒させている沙希の肩をポンポンと叩いた。工藤・卓人。デザイン工房『インフィニティ』のオーナーであり、一流のジュエリーデザイナー。男前でクールに見えるが、底抜けに明るくフレンドリーな表情をしている。
 沙希は卓人を見上げる。卓人はフッと片目を閉じてウィンクすると、不意に心配げな顔になった。
「それより、その夢を思い出すことに躊躇はないんだよな?いい夢だと限定されたわけじゃない。……いい夢ならいいんだが……」
 沙希はそれに少し笑み薬に手を伸ばした。その時。
 延々と巽と脳と記憶の関連性について語り合っていた静夢がおもむろに振り返った。沙希は首を傾げる。静夢はポケットの中からカプセル二つと粉薬の入った袋を一つ取り出した。
「忘れていた。ここにもう一つ薬がある。こっちは脳に記憶した映像部分を実体化し、現実世界にてもう一度体験できる薬だ。この場にいる全員に明確に夢を提示することが出来るから、一人で困ったことを思い出して悩むこともなくなるが、どうする?ああ、そうそう薬の調合代については気にするな。草間氏に請求させていただく」
「オイオイオイ……」
 武彦が椅子からズレ落ちた。
 沙希は、顎の下に手を当てた。巽は首を縦に振っている。卓人は豪快に笑む。静夢は静かに見つめていた。
 沙希は、一度だけ目を閉じ開いた。
「それではあの……夢が実体化する方の薬を。何があったのか……脳の中だけではなくて実際に体験してみたいのです。……ダメ、でしょうか?」
「了解だ。この、黒いカプセル二錠と白い粉薬を飲めばいい。実用例はあまりないが、副作用はないことは分かっている。安心していい」
「ありがとうございます」
「……」
「頑張れよ」
 巽はゆっくりと首を振った。卓人は元気にヒラヒラと手を振る。沙希は頷き、一気に飲み干した。

 周囲の景色が一変した。
 白い病室。八畳くらいの広さにベッドが一つ置いてある。ベッドに向かい合って大きい窓が一つあり、寒木が震えている。そこに少女が一人佇んでいる。ベッドの縁に腰掛け、振り返った。
「あら…こんにちは。えーとはじめまして?かしら」
 腰まで伸びた真っ直ぐな髪が肩から胸へと滑り落ちる。少女の肌は白い。手首も細く青い血流が透けて見え、白い病院服もぶかぶかだった。
 少女はその手を差し出す。
「あなたに会えてとても嬉しいわ」
 景色が暗くなる。そこで消えた。違う景色が映る。

「ねえねえ、沙希君。あなたは大きくなったら何になりたいの?――え?私?私はそう……土になりたいな。自然に還っていくの。何度でも蘇るのよ」
 髪の毛がショートになった少女。白い肌はそのままだが、病院服に血が所々滲んでいる。だが、少女は柔らかく微笑んでいた。寒木には緑が生え始めている。少女は笑みながら何かを小さい手に渡した。
「あのね、ホントは私物とかは持ち込んじゃいけないんだけど、わがままを言ったら、これ一つだけOKが出たの。私ね、これだけはどうしても沙希君に直接渡したかったんだ。あ……でも私からもらったというのはナイショよ。怒られちゃうから」
 沙希はその何かを見た。沙希の手が震える。胸元に手をやり、俯く。その肩を卓人が気遣わしげにバンバンと叩いた。巽はその光景を瞬きもせずに見ていた。静夢が告げる。
「次だ」

 今度の少女は、髪の毛が完全になくなっていた。目も落ち窪み、両手、両足は骨のようになっていた。
「ねえ……私は治ると皆は言うの。食べ物が食べれなくて苦しいって言うと、そんなのは、我慢しなさいって。もう少しの辛抱だからって」
 少女は寝たきりのまま、片手を窓に伸ばす。
「ねえ……でも、私三年もこのままなの。体力ももう限界に近いわ。単なる貧血だなんて嘘。私、白血病なんだわ。こんなに苦しいなら、目と閉じたまま朝が来なければいいのに。自由になりたい」
 そこで少女は目を閉じた。思わず沙希は彼女に近寄ろうとする。それを卓人が慌てて押し止める。
「夢だ」
 沙希は何度も首を振った。静夢はポケットからメモ帳を取り出し、ペンを走らせる。
「白血病か……。ドナーは見つからなかったのか?それに薬の副作用が大きすぎる。これでは病原菌を叩く前に、少女の体の方がやられてしまうぞ」
「…生存率…六割程度だという…からな…」
 巽は呟く。沙希は泣いていた。卓人がその両肩に手を置いた。

「思い出したのか?」
「いいえ…いいえ。でも止まらないんです。確かに知らない人のはずなのに……」
「無意識下での記憶…」
「……多分な」
 巽と静夢が顔を見合わせた。静夢が片手を挙げる。
「どうする?今ここでやめるというのなら、そんな時のため、再び記憶を封じる薬も持ってきているが」
「まさか、それも……」
「ああ、もちろん。あんたに請求させてもらう」
「やっぱりな……」
 武彦はガックリと項垂れ、仕事椅子に背中から寄りかかった。静夢はそれに目をくれず、テーブルの上を軽く弾いた。
「それで、どうする?選べ」
「……」
 俯いた沙希に静夢がまた軽く爪を弾く。座っているソファの上で緩慢に足を組み替える。
「まあ、俺の個人的な意見としてはこの先は興味深いので是非見ておきたいと思ってる。薬物過剰投与による患者の衰弱は今注目を浴びている事柄の一つだからな。次へと活かせる」
 巽も両手を顎の下で組んで乗り出す。
「俺も…見届けたいと…思う…。君には辛い…記憶になると思うが…自分だったらどうしたのか…考えたい…」
 卓人は珍しく不機嫌そうな顔で指に髪を絡める。沙希をチラリと見て、アクセサリーを指の腹で掴んでジャラリと鳴らした。
「俺は、悪いけど反対だぜ?見なくていいもんなら見ない方がいい。真実がすべて優しいわけじゃないからな」
 まだ残っている少女を沙希は見た。虚ろな瞳。おずおずと手を伸ばしかけて沙希は掌を握った。沙希の瞳からは雫が止まらない。沙希は三人に向き直った。
「でも……涙が止まらないんです。苦しい。きっとこのままじゃ、また桜の時期にわけも分からず泣いている事になると思います。僕は、知りたい。彼女は何者なのか。僕は彼女とどういう関係にあったのか。……何も知らない彼女だけど、何故かとても懐かしい気がするから」
「了解だ」
 景色が変わった。

 桜舞い散る中、黒い集団がポツリポツリと皆に背を向けて立っていた。そしてその顔はすべてどこか似ている。
 見上げる青い空。白い雲が流れて、白煙が黒い煙突から溢れ出ていた。
 声が聞こえない。変に角ばった屋敷のような巨大な建物の中庭。人々は、黙していた。
「……逝っちゃったね」
 女が振り返った。中年の女。沙希の目が見開かれる。
「沙希のお姉ちゃん」
「お姉ちゃん……」
 沙希は目をゆっくりと開き閉じる。
「あの子のために、お前を産んだのにね」
 女は寂しそうに笑った。
 画面が途切れた。

「僕は……僕は……!!」
 沙希は床に掌を叩きつけ泣き叫んでいた。
 静夢はペンを走らせていた手を止め、メモ帳をポケットの中に入れた。
「脊髄の型は、親兄弟が一番合いやすいというからな」
「そのために…」
 巽の声がかすれる。
「だが、生まれてきた子どもは型が一致しなかった。そして姉は弟が物心つく前に死に、親はおそらく、姉の存在を隠していたのだろう。弟と……まず間違いなく自分たちのために」
「……酷い話だ」
 卓人はため息を吐く。巽がうずくまっている沙希の近くに来てしゃがみ込んだ。沙希の目を覗き込む。
「…親に愛されてなくても…子は育つ…」
「何がッ!何が!!君に分かるんだっ!!」
「……わかる…。………………………。俺も…要らない子だったから…」
「……」
「…そういう…こと…なんじゃないか…」
「……」
「沙希、沙希、後ろ」
 卓人が肩をポンポンと叩く。振り向くと、あの少女がいた。長い髪を棚引かせ微笑んでいる。沙希は、手を伸ばしかけて、降ろした。眉をきつく顰めている。
「姉さ……ごめ……」
 少女は、微笑みながらその肩を抱いた。
「沙希君。どうして謝るの?」
「だって僕…のせいで、姉さ…助からなかった」
 少女はその頬を優しく撫でる。笑っていた。
「言ったでしょう。私は沙希君に会えて凄く嬉しいと。それはね、私の病気なんかに全然関係ないのよ」
「でも…僕…知らなかった。……忘れてた」
 ふわり。少女は、沙希の首元に触れた。銀の輝き。ネックレスにした指輪が光っていた。少女はそれを目の高さに掲げ、口付けた。
「……忘れてなんか、いなかったじゃない。ずっと、持っていてくれた。大切にしていてくれた。私はだからずっと……沙希君の傍にいられた」
「お姉ちゃん……」
「ありがとう。大好きだよ」
 少女は微笑み、もう一度だけ沙希を包み込み消えた。沙希の掌には、銀色の指輪がしっかりと握られていた。


●後日談

「……それにしてもすごい料金だな……」
 武彦は0が五つ並んだ請求書を見て唸った。いつもの草間興信所、事務室。武彦は仕事机の上で肘鉄をついていた。静夢は笑う。
「特注品だからな。これでも特別料金だぞ」
「……そうなのか」
 武彦はそのまま机に突っ伏してしまった。
「大丈夫ですか?お兄さん」
「……大丈夫だ」
 零の声に武彦は突っ伏したまま、手だけ振り返した。赤いソファの向かい側に座っている巽が呟く。
「それにしても…今回の事件は勉強になった…」
「ああ、そうだな。巽はサイコドクター目指しているんだっけ?まあ、心の傷っていうのは大概難しいからなあ」
「お前も、何か嬉しそうだな、卓人」
 仕事を抜け出し、草間興信所に溜まっているオーナーに静夢が悪戯っぽく笑う。卓人は更に破顔する。
「そりゃあ…わが『インフィニティ』の商品がお客さんを救ったんだ。嬉しいさっ」
「あの…最後の少女の幻像…やはり卓人さんんが呼び出したのですね…だけど…何故?卓人さんが呼び出せるのは生前知り合っていた人の想い…または漂っている魂や念なはず…あの少女はそんなに生に執着していたようには見えなかった…」
 巽は少し首を傾げる。
「そりゃあさ。俺のお得意さんだったんだよ、彼女はさ。俺は葬式にも出たいと言ったんだけど、「絶対出るな」って彼女の遺言だった。…彼女は本当に沙希を愛していたよ。リングに想いを封じてくれと言ったのも彼女の願いだ」
「……」
「まあ、誰にでも愛してくれる人はいるってことさ」
 窓から風が吹き、桜の花弁が一枚、部屋を舞い、また窓から出て行った。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2116/羽澄・静夢/男性/20歳/薬学科の大学生】
【2793/楷・巽/男性/27歳/サイコドクターの卵】
【0825/工藤・卓人/男性/26歳/ジュエリーデザイナー】

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■         ライター通信          ■
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楷・巽さま
はじめてのご発注、ありがとうございます(^^)
お届けが大変遅くなり申し訳ありませんでしたm(__)m
いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたでしょうか。
私個人としては大変楽しんで書かせていただきました!
巽さんの過去について勝手な解釈をしてしまって
違和感を感じてしまったら申し訳ありませんm(__)m
ご感想等、ありましたら寄せていただけると嬉しいです。
もしよろしければ、またのご発注もお待ちしております