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<東京怪談・PCゲームノベル>


戦争の犠牲者


■序章■

 男はその数ヶ月前まで、戦場に立つ兵士でした。
 彼は武器を持って戦闘の最前線に立ち、その手で何人もの人間を殺めました。
 ――いえ、その時彼が手に掛けたのは人ではありません。味方からは「敵」として認識されていました。
 殺人は殺人ではなく、「敵」を殺すのは当然のことで、斬り伏せた時に噴き上がる血を汚らわしいとさえ思っていました。
 ――同じ人間のものであるにも関わらず。

 戦はやがて終結を迎え、男には再び平穏が戻って来ました。30前後で、未だ独り身の男には既に両親はいなく、彼は町外れの山に程近いところに住んでいました。静かなその場所で、男はほとんどの時間を読書や散策などに当てて、のんびりと過ごしていました。
 ところがある日、男は自分の手に赤い血がべっとりと付着しているのを見ました。
 それは一瞬のことで、単なる錯覚にすぎず、3日も経てば忘れるだろうと男は自分に言い聞かせていたのですが。
 3日後、今度は着ていたシャツが真赤に染まったのでした。
 3日ごとに症状は酷くなり、シャツから床へ、床から壁へとどんどんと見える範囲は広がっていきました。
 男は徐々に生気を失い、少しずつ少しずつ、狂い始めていったのでした。
「誰か……誰か俺をどうにかしてくれ!!」
 叫ぶ男はやつれ果て、まるで餓鬼のようでした。


■1.訪問者■

 乾燥した枯葉は、踏む度に割れて微かに香りを昇らせた。
 山から吹き降ろしてくる風は冷たく、彬はコートの襟元を掻き合わせた。剥き出しの指は冷え固まっていて、動かそうとすると骨の軋む音がする。時折歯がカチカチと鳴るのは止めようがなかった。
(寒いな)
 山奥にあった故郷の村も、その位置のせいか夜は冷えたりもしたが、日の強い正午過ぎからここまで寒いというのはどうだろう?春先の日中でこれなのだから、冬の夜なんかはそれこそ凍え死ぬほどに冷えるんだろうなと思った。
 歩いても歩いても、なかなか景色は変わらない。隙間なく生い茂った木々はこんなに寒いのにその葉を青々とひらめかせていて、最初はそれが地面に落とす影が綺麗だなんて思ったりもしていたけれど、こうも続くとうんざりしてくる。変化のない景色は方向感覚をもあやふやにさせ、さっきからコンパスを見る回数が増えていた。苛立ちは募り、焦りが背筋を駆け上がってくる。目的地へは本当にこの道であっているのだろうか――?
 とその時、木々の間に隠れるようにして建てられたバンガローを見つけた。それこそが彬が探しているものだったので、彼は表情を緩めて近付いていった。気を付けていなければ見落としてしまいそうな位置に建てられたバンガローは、光が射し込むように多少周囲の枝を切ってある。足元までもしっかりと陽光が注ぐその場所は、温かく優しい風景だった。
 辺りを包む静寂に少し迷うも、思い切って玄関扉を叩いた。暫く待ったが、中から人の反応は返って来ない。このような事態は予測していなかったので、彬は玄関脇のポーチにずるずると座り込んで、重い溜息を吐いた。
(困ったな……預かった荷物だし、きちんと届けたいのに)
 町からここへ来るまでに、片道で3時間は費やしてしまっている。まさかそんなにかかるとは思ってもいなかったので、生憎ライトは持って来ていなかった。つまり、あまり遅くなると動けなくなってしまう。
 もう一度溜息を吐いて、彬は伸ばした膝の上に乗せた小さな包みをそっと撫でた。中に入っているのは瓶詰のラズベリージャムだ。町に住んでいるお婆さんが、毎月ここを通る誰かに頼んで持って行って貰っている物。別に彬はここを通る用事はなかったのだが、今月は誰も通りそうにないということでお婆さんが困っているのを見て、放っておけなかっただけだった。
 軍人が住んでいる、とお婆さんは言っていた。この国を守ってくれているんだと誇らしげに話していた。彬はそういう話が苦手だった。だから届けるのを引き受けたのかも知れない。その場でずっとその話を聞いているのは嫌だった。

 寒いから眠くはならないだろうという思惑は外れて、歩きっ放しだった疲れが出たのか彬はうとうととしてきていた。本格的に眠りに落ちようとすると冷たい風が肩を撫でていき、身震いすることで目を覚ますというのを何度か繰り返す。だが意識はだんだん遠くなっていった。
 少し離れた所で枯葉の擦れる音がする。それがだんだんと近付いて来て、木の軋む音に変わる。それもぴたりと止まって暫く間が開いた後、声が降って来た。
「お前は誰だ……?」
 はっきりと発せられた音に彬は目を覚ました。反射的に声のした方を向いて、そこにいた男に驚いて声を上げそうになった。止められたことが奇跡に近いぐらいだ。
 男はとても軍人だったとは思えない程痩せ衰えていた。目の辺りは落ち窪んでいて、目深に被った帽子がそこに影を落とし、まるで穴でも空いているかのように見える。頬は扱け、手足は細く、そこに立っていられるのが不思議に思える程だった。
「町のお婆さんに頼まれて……いつものラズベリージャム」
 そう告げると、男はああ、と思い至ったように何度か頷いて、彬の膝の上に乗せられたままの包みに手を伸ばした。それから鍵の掛かってなかったらしい玄関扉を開けて、中に入れと勧める。彬は丁寧に断ろうとしたが、男はその前に言を続けた。
「もう暗いし、泊まるんだろ?荷物はこれしか持ってないみたいだったが……」
 言われてから空の黒さに始めて気付いて、彬は慌てて立ちあがると男に礼を言って上げてもらった。男は帽子を取ると、ずっと気さくそうに見えた。



■2.発作■

 簡素な夕食を終えて、特にすることもなくなると、男は口頭で客室の場所を説明すると早々と自分の部屋に篭ってしまった。まだ寝るには早い時間だが、起きていても仕方がない。そう思って教えられた2階の寝室へと上がった。

 与えられた部屋はなかなか広かったが、その驚きを打ち消すぐらいには汚かった。恐らく前の人物が使ったままの形で残されているんだろう。少なくとも一ヶ月は掃除をしていない汚れようだ。彬は結局そのまま寝ることはしないで、部屋の掃除を始めた。何だかんだ言っても一宿一飯の恩があるので、掃除をするのは苦ではなかった。

 一通り片付け終えてそろそろ寝ようとした時に、1階から何かが割れる音が聞こえた。慌てて部屋を出て階段を駆け下りる。物音は先程夕食を摂ったダイニングの方から聞こえた。
「何が……!?」
 ダイニングでは男が頭を抱えて蹲っていた。何かに怯えるかのように、その肩が小刻みに震えている。足元には無残に割れたガラスコップが散らばっていた。
「あ、あ……血だ……真赤だ……!」
 繰り返し呟きながら、男はおもむろに鋭いガラスの破片を手に取った。ガタガタと震えている自分の腕を、狂ったように何度もそれで傷付ける。
「止めろ!」
 彬は慌てて男の手を掴んだ。すると今度は男はガラス片を強く握って、それを持っている手を赤く染めていく。
「くそっ!」
 自分が傷を負うことも構わずに、彬は男の手からガラス片を奪い取った。強い力で握ったためか、掌が深く切れる。鋭い痛みが走ったが、今はそれどころではなかった。男がまた別の破片を手に取ろうとしていたからだ。
 彬は小さく謝罪を口にして、それから男の鳩尾に渾身の一撃を食らわせた。男は呻き声を上げて崩折れる。血とガラスの海に沈みこむ前に、男の肩を掬い上げた。
 彬はよろよろと立ち上がり、男を引き摺ってソファーに放り上げた。まだ止まり切っていない血が、ソファーカバーに染みて広がった。清潔なタオルを探し出して細く裂き、止血する。余った分を自分の掌にも巻きつけた。

 掌の傷以上に、胸が痛んだ。



■3.償い■

 男の細い呻き声で目を覚ました。どうやらソファーを背凭れに眠ってしまっていたらしい。
 彬は起き上がると、呻く男を覗き込んだ。男はやがて目を開き、困惑顔で彬を見、それから自分の腕の痛みに視線を移して、状況を把握したようだった。
「世話かけたな……」
 言葉以上に素っ気無い声に彬は悲しくなる。言外に「放っておいてくれればよかったのに」というふうに言われている気がしてならなかった。

 何故と問い掛けるような彬の表情に苦笑して、男は半身を起こした。痛みで顔を引き攣らせつつも体をずり上げる。
「血の幻覚を見るんだ」
 事も無げに男は言った。自嘲の笑みを浮かべて。
「国のためだと言って多くの人を殺した……罪悪感はない。今ももちろん持っちゃいないさ。殺さなければ生きていけなかったから」
 男はきつく目を閉じて痛みに耐えていた。それが内側からの痛みに対するものだということは、彬にはわかっていた。
「ただ……忘れられない。あの血の海を」
 ぎゅっと握り締めた男の掌から包帯に血が滲み出た。含み切れない赤い水分が、ぽたりぽたりと雫を落とす。
 彬は男を真っ直ぐに見て言った。
「人は誰でも血に汚れることから逃れられない。あんたも俺も、他の奴らだってそうだ。肝心なのは受け取り方だ」
 強い光を湛えた赤い瞳に、男は視線を逸らして呟いた。
「なら俺を殺してくれ」
 掠れた声だった。叫びたいのを無理に押し殺しているような声だ。震えた声だった。
 悲痛な男の叫びに、彬の瞳が揺れた。どうすれば彼は救われるのだろう?そうでなくとも生きることを簡単に止めないで欲しかった。死ねば終わるのだ。そこに意味などなかった。
「それだけはできない。大体何で死にたがるんだ?罪悪感はないと言ったじゃないか」
「狂っていく恐怖に耐えられない。でもいつだって俺は俺を殺せないんだ」
「……あんたが死ぬこと、俺は認めない」
 断言に、男は絶望的な表情を浮かべた。その顔は彬に発言を撤回させたがったが、彼は目を逸らすことでその気持ちに蓋をした。
 男はまたソファーに身を投げた。疲れたような息を吐いて目を閉じる。何かを我慢するかのように眉間に皺を寄せて、静かに問うた。
「……償いか?」
「それがあんたの生きる枷になるなら」
 その時の相手の表情は、どちらも見ることがかなわなかった。

 カーテンのない窓から日が射して、唐突に夜明けは訪れた。
 彬は踵を返して玄関へと向かう。もうこれ以上話すことはないように思えた。男は多分死なないだろう。望んだ形ではなかったけれど。
 扉を開ける時の軋んだ音に紛れ込ませるようにして、男がぼそりと言った。
「ありがとう。……少しは吹っ切れた」
 彬は聞こえなかったフリをしてそのままバンガローを出た。多分それが、男の望んだことだったから。
 風は酷く冷たかったが、昨日よりはましな気がした。



                         ―了―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1712/陵・彬(みささぎ・あきら)/男/19才/大学生】<訪問客
(※受付順に記載)


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターの燈です。
「戦争の犠牲者」へのご参加、ありがとうございました。

>陵彬様
 真性偽善者さん、ということで、そのような雰囲気が書き表せていればいいんですが……いかがでしたでしょうか。
 そこはかとなく退廃的な感じですが、男は多少なりとも救われたことと思います。自分も一緒だ、と言ってくれたことはきっと男に希望を与えたことでしょう。

 それではこの辺で。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございました!