コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


甘心

 きょろきょろきょろ。
 青の目はしきりに周りを気にし、茶色の頭はしきりに振られる事によってふわりふわりと揺れている。
(いないよな、兄貴)
 守崎・北斗(もりさき ほくと)はそれだけを心配し、落ち着きなくうろうろと台所を歩き回った。
(確か今日は帰ってこないとか、帰ってこないとか、そんな事を言っていたけど)
 あと、帰ってこないとか、と付け加えて北斗は大きく深呼吸する。だんだん思考があやふやになってきている事に、北斗は全く気付いていなかった。オーブンではじりじりと何かが焼けていた。甘い、いい匂いだ。
「頼むからさー、本当に頼むからさー……」
 一体誰に何を頼むのかは果てしなく不明だが、ともかく北斗は祈った。手をぱんぱんと叩き、とりあえず何処かにいるとかいないとかいう神様という存在に祈った。困った時の神頼み。
(頼むから、本当に頼むから!)
「あ!」
 一心に祈っていた北斗は、鼻をくんくんと鳴らした後、慌ててオーブンの電源を落とした。急いで鍋掴みをして鉄板を取り出す……が、間に合わなかった。
「あちゃー!焦げちまったよ」
 北斗はそううめき、がっくりとうな垂れた。
「やっぱ、こういうのは俺じゃ駄目なのかなー」
 ううん、と唸りながら北斗は呟いた。とりあえず焦げ付いてしまったものを丁寧に取り出していく。それは、ちょっと焦げてしまったが、食べられないほどでは無さそうなクッキーであった。北斗はちらりとカレンダーを見つめる。今日は3月14日、ホワイトデーである。
「……要は気持ちだもんな」
 へへ、と北斗は小さく笑い、クッキーを見つめた。もう少し熱を冷ませば、綺麗なラッピングも出来るであろう。その為に恥を忍んで、顔から火が出そうなほど赤くなるのも我慢して、その場から猛ダッシュで逃げ出したいのも抑えて、購入したのだ。ピンクの包装紙に、花柄の可愛らしい箱に、赤いリボン。
(ウインドウでちらりと見たときから思ってたんだよな。これ、夏菜のイメージだって)
 北斗はそっと石和・夏菜(いさわ かな)のことを考える。黒く長い髪を高い位置でポニーテールした、くるくると大きな緑の目をした、夏菜。大事で、大切で、一緒にずっといたいと思っている夏菜。
「忍っていうのも難しいもんだよな」
 ぽつりと呟き、北斗は再び顔を赤くした。熱が冷めていくクッキーとは対照的に上がっていく、北斗の体温。
「ま、まああれだよな!気持ち気持ち!気持ちっつーのが大事でさ、こういうオプションっていうやつは……」
 誰にどういう説明をしているのかは不明だが、北斗は一気にまくしたてた後に買ってきたラッピング用品を見つめた。
『可愛い』
 不意に、夏菜の声がした気がした。もうすぐ守崎家にくることになっている、夏菜。北斗は小さく「うっし」と呟いた後、焦げ付いたクッキーを箱に入れていった。そして包装紙で綺麗に包み、赤いリボンをかけた。こうして、可愛らしいプレゼントが完成したのだ。
「後は……祈るだけだ」
 北斗は小さく呟いた。そう、あとは帰ってこないことをただただ祈るしかない。
 北斗の兄である守崎・啓斗(もりさき けいと)が帰ってこないことを。もしも帰ってきたら、何を言われるか分からない。あの緑の目でじろりと見、茶色の髪を振り乱し、何故かお説教タイムに突入するかもしれないのだ。
「……頼むからな」
 再び北斗は呟いた。普段ならば信じるという事すらしない、神様とやらいう存在に祈ってもいいくらいの勢いで。


 約束通り、夏菜は守崎家に現れた。北斗は縁側に案内し、二人でちょこんと座った。ぽかぽかと春の陽気が暖かい。
「気持ちいいの。ね、北ちゃん」
 夏菜はにっこりと笑って言った。北斗は「ああ」と小さく答え、そっと背中から包みを取り出した。
「あ、あのさ……これ」
「可愛いの!」
 思ったとおりにっこりしながら言う夏菜に体温があがるのを感じながら、北斗はぐいっと包みを夏菜に押し付けた。
「これ、ホワイトデーの」
「有難うなの!……あけていい?」
 夏菜の上目遣いの目線から逸らし、北斗はこっくりと頷いた。夏菜は小さく笑い、そっとリボンを解き、包装紙を開いた。中から現れた可愛らしい箱に再びにっこりと笑い、そっと開いた。
「……クッキーなの」
「う、美味いかはわかんねーけど」
「チョコ味なの?」
「……いや」
 焦げた、とはとりあえず言えずに北斗は言葉を濁した。だがそれも夏菜は察したようで、それ以上何も言わずにそっと一つつまみ、口に運んだ。口に入れた瞬間、ぱあ、と顔をほころばせた。
「……美味しいの、北ちゃん」
「本当か?」
 北斗は思わず身を乗り出しながら夏菜を見つめた。夏菜はびっくりしたように大きな目をさらに大きく開き、それからやんわりと笑った。
「うん、美味しいの」
「でもさ、結構その……焦げたし」
 ぼそりと言う北斗に、夏菜は首を振る。
「これ、北ちゃんが夏菜の為に作ってくれたんでしょう?」
 夏菜はそう言い、二つめを口に持っていく。
「だからね、このクッキーは幸せな味がするの」
「幸せな味?」
「そうなの。北ちゃんが作ってくれたから、それが余計にするの」
 にっこりと笑い、夏菜は北斗を見つめた。北斗は顔を赤らめ、それからちらりと夏菜の肩を見つめた。細く、折れそうな夏菜の肩。
(夏菜……)
 北斗はそっと夏菜の肩に手を伸ばそうとした。中々勇気が湧かず、中々到達しない。そんな北斗の行動には気付く事なく、夏菜は嬉しそうにクッキーを口にしている。
(もうちょっとかな、もうちょっと)
 北斗は慎重に手を伸ばしていく。夏菜に気付かれないように、そっと。
(もう、ちょい)
 ついに夏菜の肩に北斗の手が到達した。夏菜は一瞬びくりとして手にしていたクッキーを落としそうになったが、すぐに微笑んでクッキーを口に運んだ。ちらりと見た北斗の顔が、余りにも赤く、そして嬉しそうだったから。
 夏菜はそっと北斗の肩に寄りかかっていく。北斗も寄りかかってきた夏菜に小さくびくりとするが、すぐにまた夏菜の肩をそっと抱き締めた。寄りかかってきた夏菜の顔がほんのりと赤く、そして幸せそうだったから。
 ぽかぽかとした春の陽気の中……。

 そして、当然の如く現れた。

「ほーくーとー」
 北斗は後ろから響いてきた声にびくりと体を震わせ、恐る恐る振り返った。そこにいたのは、当然の如く立っている啓斗。顔は逆光でよく見えないが、北斗には分かっていた。啓斗がどのような顔をしているか。
 般若の顔に、恐らく間違いないだろう。しかも、超絶笑顔般若。
「あ、兄貴?な、何で帰ってきたんだ?」
「ほお?お前は俺が帰ってきたら都合が悪い事でもあったのか?」
「そ、そんなんねーってば!」
「なるほど。では、その手はなんだ?」
「手?……って、こ、これはさ!その、なんだ!ほら、あのさ!」
 ぼたぼたと北斗の顔をたくさんの汗が流れて行く。
「……何だ?」
「……うわあああ!」
 ぶち、と何かが切れる音がした。北斗は突如そう叫び、走り出す。啓斗はそれを見透かしたように手裏剣を構え、北斗に向かって投げつけた。
「け、啓ちゃん?どうしたの?北ちゃん、悪い事でもしたの?」
 唖然としていた夏菜だったが、北斗の叫び声にはっとして啓斗に尋ねた。
「そうだ、夏菜!北斗は悪い事をしていたんだぞ!」
「してねーってば!」
 北斗の顔は半泣きだ。
「啓ちゃん、駄目なの!やめてなの!」
 夏菜は叫ぶが、啓斗はにっこりと笑って首を横に振るだけだ。制止を聞く耳というものは、現在の啓斗には存在していないらしい。
「何でだよ、兄貴!どーして邪魔するんだよー!」
 ひょいっと投げられた手裏剣を避け、北斗は半泣きのまま叫んだ。
「ほお、北斗。これは決して邪魔じゃないんだぞ」
「なら、何だっていうんだよ!」
 叫ぶ北斗に、啓斗はにっこりと笑う。笑い顔が妙に恐ろしいのはどうしてだろうか。そして、啓斗はぐっと親指を立てながら断言する。
「教育的指導だ!」
「充分邪魔だっつーの!」
 北斗は半泣きのまま叫ぶ。啓斗は問答無用と言わんばかりに手裏剣を投げつけ、間合いを計って距離を詰める。
「俺はお前達のことを思ってやっているだけだぞ」
 ひゅん、となんとも小気味のいい音をさせながら靡く、啓斗の拳。
「だーかーら!それが邪魔だって言ってるんだよー」
 ひょい、とすれすれのところで避けながらもバランスを取る、北斗。
「もう!啓ちゃんも北ちゃんも止めてなの!ご近所迷惑なの!」
 クッキーの箱を片手に叫ぶ、夏菜。
「俺だってやめれるものならばやめたいっつーの!」
 再び叫ぶ北斗。
「奇遇だな、俺もだ」
 何故か同意する啓斗。
「なら止めてくれよ、兄貴ってば!」
 その割に容赦ない攻撃の続く啓斗に、北斗は思わず突っ込んだ。どうやら教育的指導はまだまだ続くようであった。


 その頃。守崎家の近所で井戸端会議をしていた主婦達は、守崎家から響いてくる轟音を耳にしながら、ほほほ、と笑い合っていた。
「あらあら、また守崎さんの所からねぇ」
「あの双子くんね」
「大変だわぁ。奥様、今日もですわね」
「ほら、いつもですものねぇ。仲良いわねぇ」
 ほほほ、と声を合わせて主婦達は笑った。守崎家の騒ぎがすでに日常と化している近所では、そんなほのぼのとした会話が続いていた。夏菜の心配している近所迷惑を飛び越え、守崎家恒例行事となっているようだった。
「今度は何かしらねぇ」
 一人の主婦がそう言うと、他の主婦たちも「そうねぇ」と呟きながら顔を見合わせた。そして、その中の一人が「あ」と声をあげる。
「ホワイトデーじゃないの?ほら、今日はそうよねぇ?」
「ホワイトデー?」
「ああ、そういえばそうだけど……それがどうして喧嘩になるのかしら?」
「分からないわねぇ」
 主婦たちはそう言いあい、またほほほ、と笑い合った。守崎家の戦いは本当に日常的なものであり、理由はそこまで気にはならないのが現状である。
 どおおん、と再び守崎家から轟音が響いてきた。主婦たちは再び顔を見合わせ、それからほほほ、と再び笑い合った。それもまた、彼女たちの日常でもあった。


「啓ちゃん、北ちゃん、止めてなの!」
 夏菜は叫ぶ。
「そうだぜ、兄貴!止めた方がいいってば!てか、止めて欲しいかなーとか」
 北斗は半泣きのまま必死で攻撃を避けながら叫ぶ。
「止めれるものなら止めているんだがな」
 至極爽やかな笑顔のまま攻撃を繰り返しながら啓斗は言った。
 それもまた、この守崎家の日常でもあった。自然な、いつもの出来事として。勿論、今の状態がいいというわけでもなく、それでも今の状態でもいいような気がして。

 ほんのりと甘いものが焦げたような匂いが漂い、啓斗はいつものように北斗を追いかけ回し、北斗はそれから逃れようと必死になり、夏菜はそれを止めようとはらはらしている。
 ぽかぽかとした春の陽気の中で、啓斗による教育的指導は、まだまだ続くようであった。

<甘い心は春の光に溶け・了>