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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


ノスフェラトゥの仮面


 店内に揃った三人の顔を順に眺めながら、レンはキセルを口から離して紫煙を一筋吐き出した。
「ノスフェラトゥってどんなモンか、知ってるかい?」
 立ちこめていた静寂を破るようにそう言うと、レンは手近にあった椅子に腰掛けてグラスに入ったミネラルウォーターを一口喉に流しこむ。
「ヴァンパイアの氏族ですよね」
 レンの言葉を受けてそう返したのは、壁にもたれかかって立っている長身の男・柚品 弧月(ゆしな・こげつ)。
柚品の言葉に同調したのか、残る二人もそれぞれ首を縦に振る。
 それを確かめるとレンは再びキセルを口に運び、ゆったりと目を細ませて笑みを浮かべた。
「吸血鬼の異名とも言うし、不死者を意味する言葉とも言われるね。
……氏族の中で最も醜悪な姿をして、同族からも疎まれた存在だとも言われている。
ともかくね、今回アンタ達に頼みたいっていうのは、そのノスフェラトゥが所持してたっていう仮面の事なのさ」
 
 レンはそう言うと黒い箱を取り出し、その中から一枚の仮面を出して見せた。
なんという特長のない、ひどくシンプルな造りをした仮面。
素材は何で出来ているのか。錆の一つも浮かんでいないところを見ると、金属ではないのかもしれない。
「仮面舞踏などに用いそうな仮面ですね」
 三人の中で一番レンから近い位置に座っていたセレスティ=カーニンガムが、海の色を浮かべた瞳に優しげな笑みを浮かべた。
「オペラ座の怪人がつけている仮面みたいですよね」
 いつのまにか移動してきていた柚品がセレスティの背後から顔を覗かせ、自分も仮面をしげしげと見つめる。
 セレスティは柚品の言葉に頷いて、少し離れた場所に座っている少女に視線を向けた。
その視線につられ、レンもそちらに目を向ける。座っているのは一見少年と見違えてしまいそうな容貌を持った蒼王 翼(そうおう・つばさ)。
 翼は自分に視線が集まっているのに気付くと、小首を傾げて小さく微笑んでみせた。

「昔、一人のノスフェラトゥが一人の女を愛したのだそうだ。ところがその女はただの人間。結果から言えば二人の心は通じたが、おりしも流行していた病で女は他界。
……一人残されたノスフェラトゥは、永劫に続く孤独を恐れて自ら太陽に焼かれて死んだのだそうだよ」
 レンは視線を翼にあてたまま、ゆっくりとそう告げた。吐き出された紫煙はゆったりと空気の中に溶け込んでいき、やがてすぐに消えていった。
「そのノスフェラトゥが没した後、彼が愛用していた仮面は彼の館に残されたわけだよ。それからさ。この仮面はオークションなんかを通じてあちこちの人手に渡ったが、
その誰もが奇妙な死に方をするようになったわけだ。これは男の呪いに違いないと、今ではアタシの手元にあるってわけだ」
口の端をゆるりと引き上げて笑うレンの表情は、どこか曇りさえ浮かべているように見える。
 カインの呪いを受けて暗闇に姿を隠したとされるノスフェラトゥ。その血を引く者に用意されているのは、やはり不幸だけだということだろうか。
――――レンはそう考えている自分に気付いて眉を寄せた。 
「……まあ、それはいい。問題はこれを引き取りたいと申し出てきた客が現れたことさ。金を積まれれば売らないこともない。
知っての通り、ここに辿りつくってことは、買い手と代物が引き合っているってことだからね」
 レンはそう言いながら仮面を箱の中に戻し、丁寧に蓋をかぶせて三人を順に見据えて言葉を続けた。
「今回アンタ達に依頼したいのは、この仮面にとりついているであろう”念”の調査と浄化。長い年月、いろんな持ち手を渡ってきたわけだから、
少なからず念は抱えこんでいるだろうから、それを取り払って欲しいのさ」
「客?」
 レンの言葉に首を傾げたのは足を組んで椅子に腰掛けたままの翼だった。
「買い取りたいという人がいるんですか?」
 そう訊いた翼の言葉に、柚品とセレスティも同じようにレンの顔を見据える。
 灰皿にキセルを叩きつけ、レンは上品に紅をさした唇の端を持ち上げて笑う。
「……うちが売った商品で死人が出ちゃ困るしね。だからこれを客の手に渡す前に、あんた達に調査をしてもらおうと思ったのさ」
 ああ、なるほどと言って頷く柚品に、レンはニコリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、頼んだよ」

 三人がそれぞれ頷くのを確かめると、レンは再びキセルを口に運んで口を閉ざした。
 静寂の中、紫煙だけがユラユラと店内に影を落としていた。


「近い内に人の手に渡る予定のある商品ですし、店の外に持ち出すのもはばかられますね」
 レンが席を外すと、三人は店の端にある円い(まるい)テーブルに腰かけて話を始めた。
 テーブルの中央には箱に収まったままの仮面。それに目を向けながら、最初に口を開いたのはセレスティだった。
手入れの行き届いた銀色の髪は絹糸のように滑らかに長く伸ばされ、海の底を思わせる青い瞳はゆったりとした微笑みを浮かべている。
 レンが出していったコーヒーを口にしながら、柚品は小さく頷いてセレスティの言葉に同意を示す。
すらりと伸びた長身に少し長めの短髪。アンティークの椅子は不慣れだが座り心地は悪くない。
何より、コーヒーと共に出されたケーキは甘みを押さえた上品な味わいのチーズケーキ。
「柚品さん、ケーキお好きなんですか?」
 自分の皿を手に持ち、翼がニコリと笑みを浮かべた。
「これ、僕の分。良かったら食べてください」
 「はぁ……ありがとうございます」
 差し出された皿を受け取って頭を下げる。翼はそんな柚品の顔を見つめ、どういたしましてと応え、笑った。
 短く整えられた髪の色は陽光に透ける綺麗な金。見つめる相手を深く吸いこんでいくような青い瞳。
 自分より年下であろう翼の目を見返すと、柚品は切れ長の黒い瞳をゆるりと細めた。
「俺は対象に触れることで、それが持つ由来を視ることが出来ます。――その過去から未来までも見通すことが出来ます。
なので、この仮面が辿ってきた過去の情報を得るのは俺にやらせてください」
 翼を見据える瞳を、ゆっくりとセレスティに動かす。
漂うコーヒーの香りを愉しみながら、セレスティは微笑みをもってその言い分に賛同した。
「僕も異存ないですよ。……それぞれがそれぞれの役目を担って、目的を果たせたら良いでしょうから「」
 翼も賛同の意を口にする。
「わかりました。……ではやってみます」
 二人から賛同を受けたのを確かめると、柚品はそう口にして片手を仮面の上にかざした。
「――――そうだ、柚品さん」
「……なんですか?」
 伸ばした腕を引っ込めながら、柚品は視線を翼に向ける。
 翼は睫毛を伏せて小さく息を吐くと、思い切ったような表情を浮かべて柚品の顔を見据える。
「その……気をつけてくださいね。ヴァンパイアの氏族の中でも、ノスフェラトゥは特に暗闇に潜む一族ですから」
「? わかりました」
 頷く柚品の顔を、翼が複雑そうな顔をして見つめている。その横ではセレスティがゆったりと微笑んでいる。
「私もお手伝いしますから、大丈夫ですよ」
 セレスティは柔らかい口調でそう言うと、穏やかな陽射しのような笑みを浮かべて翼を見やる。

 コーヒーの香しい香りが三人を包みこんでいく。

 セレスティの笑みに気を落ちつかせたのか、翼の顔に浮かんでいた不安そうな色は消え失せた。
「それじゃ、始めます」
 柚品は二人の顔に向けて交互に視線を送り、引っ込めた手をもう一度伸ばして仮面にかざした。

 柚品の脳裏に浮かんできたのは、一面の暗闇。
 何かが潜んでいそうな闇の気配に体が強張る。――遠くで聞き覚えのある声がしている。
その声の主が翼とセレスティであることに気付き、柚品はゆっくりと、一言一言をしっかりと言葉にして返す。
「大丈夫です。……もう一度」
 かすかに眩暈(めまい)がする頭を抱え、柚品は改めて仮面が持つものを覗き見た。

 
 まるで早送りのビデオ画面を見ているような映像。
 仮面の歴代の所有者であろう人々の顔が流れていく。恰幅のいい男。神経質そうな中年の女。痩せ細った老人。
そのどれもが、決して平穏なものとは言えない死に際を迎えている。
 映像はやがて一人の男の顔をうつしだし、そのスピードを緩やかなものに変えた。
 男は顔に仮面をつけて表情を隠し、その腕の中に一人の女を抱き締めている。

――――これが”ノスフェラトゥ”――――

 直感的なものが柚品の頭を横切る。
その仮面の男をもっと覗こうとした瞬間、柚品は何か別の視線を強く感じ、そちらに目を動かした。

 
 仮面をサイコメトリーしている柚品の体がガクンと大きく揺れた。それと同時に店内に黒い気配が広がっていく。
「これは……」
 セレスティが青い目を細めて店の中を見渡し、口許にゆったりとした笑みを浮かべた。
「どうやら呼び起こしてしまったようですね」
 その言葉に、翼は小さく首を縦に振る。
「複数が集まって出来た思念体みたいですよね。……歴代の持ち主を辿っていくつもりだったけど、
こちらから調べる手間が省けたみたいだ」
「奇遇ですね。私も持ち主を辿っていこうと思っていたのですよ。でも」
 翼の言葉に頷くと、セレスティは杖をついてゆっくり立ち上がった。
「彼らに訊けば分かりそうですね。――ちょうど柚品さんも戻っていらしたようですし」
 セレスティが視線を柚品に向けると、そこには意識を取り戻した柚品が立っていた。

「何かご覧になれましたか?」
 セレスティが足を踏み出すと、周囲を囲むように広がっていた影がゆらりと揺れる。
 柚品は少しグラつく頭を抱え、それでも笑みを返して頷いた。
「ええ……これまでの所有者の顔と、死に際を覗いてきました。……それより、この気配は……」
「さっきからこう。どうやら仮面に憑いている念が出てきたみたいだね」
 首を傾げて翼が笑う。
 柚品は店の中をぐるりと見まわすと、小さく溜め息を一つついた。
「俺が見てきたのは複数の顔でした。でもその中で特に存在を強く感じたのは”ノスフェラトゥ”以外に三人。
金持ちそうな男と中年の女性、そして痩せた老人です」
「……なるほど」
 セレスティが応えた。
「それでは、その三人がこの思念体を構築している可能性が高いですね」
「こっちもちょうど三人。……示し合わせたみたいだ」
 屈託のない笑みを浮かべ、翼が顔を上げる。
「この念を浄化させてから、ノスフェラトゥに触れることにしましょう」
 セレスティの銀髪がフワリと舞う。その指先が宙を指すと、どこからともなく澄んだ水がそこに集まった。
「私はこの聖水で浄化します。キミ達はどうしますか?」
「俺はこれで」
 柚品はセレスティの問いに応えながら、腕に装着させた篭手を見せた。銀色に光るそれはかすかに鈍い光沢を放つ。
「僕は……」
 翼はその口許に笑みを浮かべたまま――しかしその瞳には暗い影を宿している。

 翼の頭の中を、一つの言葉が終わることなく駆け巡る。
――――滅せよ滅せよ滅せよ滅せよ――――
「僕に出来ることはただ、相手を滅殺すること……それだけ」
 瞳に宿る影を暗く光らせながら、翼は整った顔に美麗な笑みを浮かべた。

「……では、念がこれ以上実体化する前に始めることにいたしましょう」
 セレスティの声が静かに響く。
張り詰めた空気が店内を支配した。
 
 店内を覆う影は形を安定させることなく、時には鋭い牙を持った狼を真似てみたり、あるいは大きなネズミの顔を真似たりしている。
そうしながら、まるで目前にいる三人を脅かすような動きをして大きな口を横に引き、赤い舌を出してニヤリと笑む。
それは徐々に三つの頭部を持つ大きな犬の姿へと変化していき、空気を震わせるように無声の叫びを響かせる。
「ケルベロス……ってところでしょうか」
 柚品が篭手をつけた手を軽く振りながらそう言うと、ゆったりとした笑みを浮かべたままのセレスティが頷いた。
「冥府の王の許可なしに入りこもうとする者を見張る地獄の門番。……ノスフェラトゥに近付く私達への忠告みたいですね」
「なんであれ、僕が滅殺するだけさ」
 言うが早いか、翼が手にしていた剣を鞘から抜き取り、妖しく輝くその切先を鋭く一閃させた。
ケルベロスを模した影はその刃に分断されたが、ひるむ様子もなく赤い口を大きく開けて三日月のような牙を光らせる。
 顔の一つが柚品を目掛けて牙を剥く。空気を切り裂きながら突進してきたその牙は柚品の髪を数本ハラリと落とすと、
振り向いてニヤリと笑んで見せる。
「…………はぁ……」
 面倒くさそうな顔をして首を横に振ると、柚品は再び突進してきた顔に向き直って腕を振りかざした。
影の牙が自分の顔目前に迫ったところでひらりと身を交わす。空気を噛んだ牙が鈍い音を立てて光った。
そしてもう一度柚品の方に振り向いたところを、柚品の篭手が真っ直ぐに捉えた。
 生物の急所である鼻を正確に捉えたその拳は動きを止めることなく空気を切り裂き、二発目の衝撃をその顔に向けて放つ。
その衝撃を受けると柚品を目掛けていた顔は霧散するように消え去り、その向こうにある二体の顔を覗かせた。
 さらに拳を振り上げる柚品の動きを制すると、セレスティが自分の掌の上に作り上げていた水の球体をユラリと揺らした。
そしてニタリと笑んでいる二体の内、自分に近い場所にある顔に視線を向ける。
「これは聖水ですよ。キミ達が犯した罪は、キミ達が呪いという言葉に甘んじて命を奪ってきたことだ」
 そう言いながらふわりと笑みを作る。まるで春の陽射しのような柔らかい微笑み。
 どこからともなく吹きこんできた風がセレスティの銀髪を揺らした。それを合図にするように、彼は指をぱちりと鳴らす。
すると水の球体は一つの顔を取りこんで揺らぎ、集まった時と同じように空気の中に散っていった。
「それじゃあ残る一つは僕の持分だよね」
 翼は楽しげに笑い、アンガルド(フェンシングの基本姿勢)を取った。
残った顔は既にいやらしい笑みを浮かべてはおらず、その代わりに咆哮をあげながら一心に翼を目掛けて突進してくる。
しかし翼は少しもひるむことなく、逆に面白いゲームをして遊ぶ子供のような顔を浮かべて切先を影に向けた。
「アロンジェ・ル・ブラ(攻撃)」
 優美な造型をした剣はそれを手にするにふさわしい主によって活かされ、銀色の光を閃かせる。
少しの狂いもなく影を射抜いた剣は店内に差しこむ仄かな光を受けて輝き、その光と共に影は消え失せた。
 
 ケルベロスの形を模した影は跡形もなく霧散した。
今ほど起きていた騒ぎが嘘のように静まりかえった店内に、店主であるレンが入りこんでくる。
「やれやれ……なんだか物騒なことになってるようだね」
 店の奥から姿を見せたレンは、そう言いながら大袈裟に嘆息を一つついてみせた。
 三人が調査をするからという事で席を外していた間に、店の中では少しばかりの騒動が起きていたようだ。
彼女は店内を隅々まで見回し、商品が一つも傷ついていないことを確かめると薄く笑みを浮かべてみせる。
「……依頼の内、”浄化”の方は済んだようだね。……で、結局憑いてた念っていうのはなんだったんだい?」
「それについては俺が」
 柚品が手を挙げた。
「確かに歴代の所有者の内、ほとんどの人が不幸な死を迎えていたようです。崩れた土砂に巻きこまれたり、
不審火から起きた火事で命を落としたり……。でも」
 柚品はそこまで言うと一度言葉を飲み、考えこむように顎(あご)に手をあてる。
そして改めて顔を上げて切れ長の目に光を宿した。
「でも俺が思うに、呪いとかそういう類いで死んでいったとは思えないんです。少なくとも、最初の頃は」
 そこで再び言葉を途切れさせた柚品の代わりに、セレスティが手を挙げた。
「先ほど触れた念から、ほんの一瞬だけ意識を読み取ったのですが。私がたまたま最初に死んだ人の意識に
触れたということもありますが――少なくとも初めに仮面を手に入れた老人は、老人の財産を欲した息子の手による
毒殺であったようです。子供の裏切りという絶望に瀕した彼が、その無念を仮面に遺したようですよ」
 その言葉に柚品も頷く。セレスティが話す内容は、柚品がサイコメトリーで覗き見てきた光景だったからだ。
「なるほどねえ……」
 手近にあった椅子を引き寄せて腰かけると、レンはキセルを口にした。
「そういったものを見てきて思ったんですが、仮面に蓄積していた念っていうのは、たまたま不幸な死を迎えて
しまった所有者達の無念なのではないでしょうか。”ノスフェラトゥ”自身はきっと、何の思念も残していなかったように、俺は思うんですが」
「…………」
 柚品の言葉に耳を傾け、レンは煙を吐き出して小さく頷いた。
「なるほどね。……それで、そのノスフェラトゥ自体の浄化はどうなってるんだい?」
 レンがそう訊ねるのとほぼ時を同じくして、箱に収まったままの仮面がカタカタと震え出した。
 その音に顔を向けたレンの視線につられるように、三人もまたそちらに顔を向ける。
――――――――仮面が、宙に浮いていた。
「出て来たね、ノスフェラトゥ」
 翼が笑みを作る。笑みを浮かべたままでゆっくり歩を進め、仮面に近寄っていく。
その視線の先、仮面の後ろで空気が揺らいでいるのが見える。
 セレスティが指を鳴らす。すると再び空気の中から水分が寄せ集められ、不安定に揺れている空気の元に集まって形を成した。
それは半透明ではあるが人の形を構築し、長い髪を持った長身の男の姿を露見させた。
「さっき俺が見た男です」
 柚品が静かにそう言うと、わずかに視線を柚品に向けて翼が小さく頷いた。
「この人との対話は、僕に任せてくれませんか?」
 三人が同意を見せると翼は首を傾げて微笑み、小さく礼を述べて仮面をつけた男に向き直った。

「キミ、僕の言葉が分かる?」
 男が仮面をつけているために、その表情をはかる事は出来そうにない。
翼は男の返事を待つこともせずに言葉を続ける。
「キミがノスフェラトゥ……ヴァンパイアの氏族なら、僕のことは分かるよね」
 穏やかな声音はまるで夜の闇を支配する帳(とばり)。
聞く者を安心させ、それを包みこむ母の胎内のような艶(つや)。
それは翼が持つ能力の一つなのだが――――目の前にいる男は少しばかり頷いてみせるだけだった。
 翼は小首を傾げて微笑み、長い睫毛を一瞬だけ伏せて男から目を離す。
 男が翼の声音に魅了されているのかどうか、それすら知ることは出来ない。
仮面の下にある顔がどういう表情を浮かべているのか。それを知るのは男本人だけだからだ。
「キミも災難だったよね。あんな人間達の念に取り巻かれてさ。……でも知っているように、
念はさっき消したから。キミもいつまでもこれに繋がれている必要もないんだよ」
 翼は腕を組んで近くにあった椅子に腰をおろし、ゆっくりと視線を上げた。
その顔には柔らかい笑みが浮かんでいて、澄んだ水面のような青い瞳が目の前の男を捉えている。

 翼の言葉に納得したのかは分からないが、男の口がかすかな笑みを作った。

「その……彼女もきっとあなたを待っていると思います。どれだけの時間、そこに繋がれていたか分かりませんが……
あなたが行ったら、きっと喜ぶと思います。彼女、あんなに幸福そうに笑っていましたから」
 柚品が口を挟んだ。
 仮面に触れて覗き見た光景を思い出し、男に抱き締められていた女性の顔に目を細める。
牧歌的な女性だった。やはり男の表情は見ることが出来なかったが、それでもそこに漂う空気の優しさを思えば
二人がどれだけお互いを大事に思いあっていたか、容易に知ることが出来た。
 男が柚品に顔を向けて小さく頷く。

 男の姿が空気に溶けこんでいくように消えていくのを見据えながら、セレスティが言葉を告げた。
「私が好んで読む詩人の作品に、あなたの環境が似ているような気がします」
 静かな海底を彷彿とさせる深い青の双眸。セレスティはその瞳を静かに伏せると、謳うような口調で詩を朗読しはじめた。

 その詩に送られて、やがて消え去った男が遺していった仮面を拾い上げると、翼はそれを大事そうに胸に抱えこんだ。

「やれやれ……どうやら依頼は終了したようだね」
 それまで口に運ぼうとしなかったキセルをようやく一口吸い上げると、レンは大きな嘆息と共に紫煙を吐き出した。
「すまなかったね、あんた達。……急がないならもう一杯お茶でもどうだい?」
 翼が差し伸べた仮面を受け取りながらそう言うと、レンは紅をさした唇の端をゆるりと持ち上げて笑う。・
「そうですね。ちょうど喉も渇いたところですし」
 柚品はそう言って席に戻り、食べかけのチーズケーキにフォークを突き立てた。
 レンは微笑みながら肩をすくめてみせ、奥に入ってティーポットを運んでくると思い出したようにセレスティに視線を向けた。
「そうそう。そういえばさっきの詩。あれはポーの詩だよね。確かタイトルは……」
「アナベル・リィですよ」
 杖をついてゆっくりと歩みながら、セレスティは答えた。
「天でさえもうらやんだ恋人達。嫉妬した天使が戯れに連れ去っていった恋人を想い、朝も夜も恋人の墓で過ごす男。
……死でさえも二人を別つことは出来ない。そういう詩です」
 
 椅子に腰かけて足を組むセレスティを翼が見つめている。
その顔には穏やかな微笑み。

 ゆったりとした時間が過ぎていくアンティークショップの中、柔らかな午後の光がさしこんでいた。


 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1582 / 柚品・弧月 (ゆしな・こげつ) / 男性 / 22歳 / 大学生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム (せれすてぃ・かーにんがむ) / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2863 / 蒼王・翼 (そうおう・つばさ) / 女性 / 16歳 / F1レーサー兼闇の狩人】



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■         ライター通信          ■
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セレスティ 様

前回に続き、2度目の依頼をありがとうございました!
前回でセレスティ様の設定などを崩してはいないかと心配しておりましたが、大丈夫だったと
仰っていただけて安心しました。ありがとうございます。

セレスティ様は私の想像の中で、とてもありありとした姿を見せてくださいます。
そのためにとても書き易く、なんていうか……その、楽しませていただいています。
少しでも優美な御姿をと思いながら書いているのですけれども、それが書ききれて
いなかったら申し訳ありません。
また、ポーがお好きだということでしたので、今回もセリフに組み入れさせていただきました。

それでは、今回はありがとうございました。またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。