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<東京怪談・PCゲームノベル>


戦争の犠牲者


■序章■

 男はその数ヶ月前まで、戦場に立つ兵士でした。
 彼は武器を持って戦闘の最前線に立ち、その手で何人もの人間を殺めました。
 ――いえ、その時彼が手に掛けたのは人ではありません。味方からは「敵」として認識されていました。
 殺人は殺人ではなく、「敵」を殺すのは当然のことで、斬り伏せた時に噴き上がる血を汚らわしいとさえ思っていました。
 ――同じ人間のものであるにも関わらず。

 戦はやがて終結を迎え、男には再び平穏が戻って来ました。30前後で、未だ独り身の男には既に両親はいなく、彼は町外れの山に程近いところに住んでいました。静かなその場所で、男はほとんどの時間を読書や散策などに当てて、のんびりと過ごしていました。
 ところがある日、男は自分の手に赤い血がべっとりと付着しているのを見ました。
 それは一瞬のことで、単なる錯覚にすぎず、3日も経てば忘れるだろうと男は自分に言い聞かせていたのですが。
 3日後、今度は着ていたシャツが真赤に染まったのでした。
 3日ごとに症状は酷くなり、シャツから床へ、床から壁へとどんどんと見える範囲は広がっていきました。
 男は徐々に生気を失い、少しずつ少しずつ、狂い始めていったのでした。
「誰か……誰か俺をどうにかしてくれ!!」
 叫ぶ男はやつれ果て、まるで餓鬼のようでした。


■1.訪問者■

 かさり、と草を踏み分ける音がする。頭上を覆い尽くす木の葉が滴らせる雨粒の音に混じって聞こえたその音は、緩やかなリズムでもってこちらへ近付いて来ているようだった。
 男は全身水を含んで重くしたまま、その場を動かなかった。瞼を閉じ軽く頭を後ろへ倒して、落ちてくる雨を受け止める。そうしてじっとしていると雨の音はだんだん遠くなり、代わりに足音が大きく近く聞こえるのだった。冷えて固まった背筋が、その音を聞く度にびりびりと震えている気がする。贅肉の削げ落ちた腕を頭上に持ち上げ、男はうんと伸びをした。まだ自分は生きているのかと実感するために。

 突然降り出した雨を凌ぐべく、城田は屋根のある場所を探していた。今は小降りだから木の葉が受け止めてくれているが、この分だと日が暮れていくにつれて酷くなりそうだ。空気は多量の湿気を孕んでいて、それはしばらく雨が続きそうなことを示していた。
 山の入り口の方へ行けば山小屋か何かが見つかるだろうと思って歩いていると、唐突に開けた場所に出た。そこでは一人の男がこちらに背を向けて、葉の間を通って落ちてくる雨に降られている。伸びた髪が水滴に撫でつけられ、肩に張り付いて服を濡らしていた。風邪を引くだろうにと思った。
「キミ……」
 城田が控えめに声を掛けると、男はゆっくりと振り返った。虚ろなアイスブルーの瞳とこけた頬は、彼を死人のように見せていた。
 否、ある意味で彼は『死人』なのかも知れない。
 城田はまじまじと男の顔を観察し、それから何か思い出して数度頷く素振りを見せた。よくは覚えていないが、男の顔には見覚えがある。それも過去、戦場でだ。
 男の方も城田を見て何か思い出したようで、一瞬怯えたような表情を浮かべたが、城田がはっきりとは自分のことを覚えていないらしいことに気付くとすぐにその表情を消し去り、代わりに出来るだけ柔らかい笑みを浮かべた。
「あんた、山を越える人か?こんな天気だし、今日は家に泊まっていくといい」
 男の申し出は有り難いものだったので、城田は一もニもなく同意し、先を歩き出した男のあとを付いて行った。

 やや歩くと木々の間に隠れるように建ったバンガローに到着した。そこだけ雨の落ちてくる量が多く、見上げてみると枝の何本かが切り落とされていて、多分それは晴れの時には日光を入れるための工夫なんだろうと思った。
 男が先に玄関まで歩いてバンガローの扉を開いた。開いたまま扉に凭れかかって、早く来いと城田に合図する。城田はそれに従って、早足で玄関までの数歩を駆けた。
 雨は冷たかった。



■2.発作■

 濡れた服を着たまま暖炉の前で乾かし、男が用意した野菜や木の実ばかりの簡素な夕食を摂ると、男は城田に2階に客用の部屋があることを告げて、さっさと自室に篭ってしまった。城田は請負った夕食の後片付けを済ませると、説明された部屋へ上がって就寝準備を整えた。かと言って寝るにはまだ早い。城田はベッドの上に乗り上げると、常に持ち歩いているH&K USPを2丁取り出し、点検を始めた。

 唐突に1階からガラスの割れる音がした。家全体が静寂に包まれていたために、その音はよく響いた。何となく血の気配がして、城田は銃を袖の内側のホルダーに戻し、ゆっくりと立ち上がる。物音は1階のダイニングから聞こえた。

「何をしているのかね?」
 今度は声を掛けても男は振り返らなかった。割れたグラスの破片で一心不乱に己の腕を斬りつける様は、狂気染みている。膝を折って座る男の足元には血溜りができていた。ただ、量はさほど多くはなかった。
 城田が止めずに黙って見ていると、やがて男の体がぐらりと傾いだ。木の床にみるみるうちに染みて行く赤の上に男が沈む前に、城田は男の両肩を掴んで、ずるずるとリビングのソファーまで引き摺って行った。仰向けに転がし、傷の程度を確かめる。傷はすべて浅く皮膚の表面を滑るようにして切っており、止血しなくとも固まっていった。理性のタガは外れても、自己防衛本能が働いてこの様か、と城田は失笑を禁じ得なかった。

 暫くすると男は自然に目を覚ました。起き上がろうとして腕の鈍い痛みに顔を顰め、それを見ていた城田が笑う。男はそれで何となく状況を把握して、重々しい溜息を吐いた。
「どうしてだか聞いても?」
 点検を終えたH&Kをテーブルの上に置いて、城田は男に視線をやった。男はソファーの隅に座って、膝の間に両腕をだらしなく垂らして俯いている。
 城田が沈黙に徹していると、男はやがて掠れた声で話し始めた。
「血の幻覚を見るんだ。3日ごとに広がって、今日は部屋全部が汚れていた」
 垂らしていた腕を持ち上げて、小刻みに震える掌を男はじっと見入っている。そこにこびりついて取れない赤が見えているかのように。
「罪悪感なんて無かった。今も持ち合わせちゃいないが――俺の中でこびりついて、いつまでも消えないんだ」
 がたがたと震え出した男を見て、城田は肩を竦めた。それがどうした、と言わんばかりに。
 男を射抜くように見つめるその瞳は、冴えたアクアマリンを湛えていた。
「後悔する程度の覚悟で戦場に立ったのが間違いなんだ」
 テーブルに置きっ放しにしておいた2丁の自動小銃を手に取り、その内の片方を座っている男に投げ渡した。両手の内に納まった金属の冷たい重みに、男は困惑した表情を浮かべ、城田を見上げた。
 城田は酷く深刻に、男に言い聞かせるようにして言った。
「私達のような者が救われるには、結局こういう方法に頼るしかないのかも知れないね」
 左手で、スライドを引いた。



■3.償い■

「……止んだか」
 城田は窓のへりに腰掛けて、外の様子を伺っていた。発した台詞が窓を少し白く曇らせる。雨は止み、しかし夜明け前の空はまだ薄暗かった。
 その場所に座ったまま、城田はダイニングのソファーを振り返る。色褪せて、僅かに黄ばんでいたソファーは、今は濃い赤を散らしていて、その中央に男が頭を垂らして座っている。その手の中にはもう銃は握られていない。先ほど城田が回収したからだ。
 死んだ男の表情は見えなかった。

 勝負は一瞬だった。男がスライドを引いてセフティ・レバーを落とすのを見て、城田は素早くレバーを下げて照準を合わせた。男が城田に向かって構えようとした時にはもう、城田の右目が光っていた。
 ドン、と重い音がして、男の体がソファーから少し浮いた。弾頭がめり込んだ男の頭は一瞬大きく仰け反って、それから前に傾いだ。
 仰け反った時に微かに見えた顔は、笑っているのか泣きたかったのかよくわからないような顔だった。本当に一瞬のことだったし、あまり注視していたわけでもないから、仕方ないことだろう。
 城田は死体に触れなかった。

「今日は幻覚じゃすまなかったようだね」
 息を吐くのに交えて城田が呟いた。死人はそれに答えずに、少しずつ温度を失っていく。暖炉の火の消えたこの部屋に、合わせて溶け込もうとしているかのように。
 自らも随分体温を下げていたことに気付き、城田は2階に荷物を取りに上がった。荷物といっても防寒のためのコートと、あとは携帯食などを詰め込んだ鞄ぐらいだ。
 それらを持って下りると、城田はもう一度だけ死体を振り返った。相変わらず動かない男に、最後の言葉を告げるために。
「私も血の幻覚を見るよ。それも毎日。キミのように、意味を感じたことはないが」
 それから玄関扉を開け、まだ夜明け前の薄暗い森の中に出ていく。

 この闇は、嫌いじゃなかった。



                           ―了―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2585/城田・京一(しろた・きょういち)/男/44才/医師】<
(※受付順に記載)


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターの燈です。
「戦争の犠牲者」へのご参加、ありがとうございました。

>城田京一様
 ええと……銃についてはあまり詳しくないもので、間違っているところなどあるかもしれません(汗)大体はぼかして書かせていただきましたが。
 大変渋い方なので、とても楽しく書かせていただきました。

 それではこの辺で。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございました!