コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


タイトロープ


 桜の蕾が日に日に膨らみ、ロードワークのコースである川沿いの土手には我先にと競いあうツクシが見える。
 陽の光を浴び春の息吹を感じながら、龍神吠音(たつがみ・はいね)は朝の川原を走っていた。
 一定のリズムを刻むように息を吐きながら走っていた吠音は、川沿いの桜の木の下で佇む人の姿を見つけて吠音は足を止めた。
 そして、その人が吠音が大切に思っているその人―――矢塚朱姫(やつか・あけひ)であることを確信して、

「朱姫―――」

と、走り寄って声をかけた。
 朱姫はその声に俯いていた顔を上げる。
 その瞬間、吠音ははっとした。
 いつもならこんな時、朱姫は吠音の名を呼んで笑顔を向けるのに、今日の彼女にはその笑顔がなかったのだ。

「吠音……」

 その切なげな声だけで、吠音は胸を締め付けられる。
 そう、朱姫がこんな顔をしている理由に思い至ったからだ。
 彼女にこんな表情をさせることが出来るのは、きっと……彼女の恋人だけだろうから。


■■■■■


「私はどうしたらいいんだろうな……」
 吠音は、朱姫には暖かいミルクティを自分にはスポーツドリンクを自動販売機で買って、土手の芝生に腰掛けた。
 制服姿の朱姫を、平日の明らかに学校が始まってしまっているであろうこんな時間に喫茶店などの店につれていくわけには行かず……かといって、自分の家に連れて行く事も出来ない。ここから近いは近いのだが、吠音の所属しているボクシングジムになど連れて行こうものなら会長他いろんな面々が居るから拙い。
 そんな事を考えると、ここが最適な場所のようで、
「悪いな、こんなとこで」
そういう吠音に、朱姫はゆっくりと首を横に振った。
「いや、私こそ、練習の邪魔をしてすまない」
 そう、普段の朱姫ならこんな時間にこんな場所でいつ来るのか判らない吠音を待つような事はしないだろう。吠音がここを通るのは練習中であるのを知っているから。
 なのに、今日は待っていた。
 つまり、それくらい、今の朱姫は思いつめていることくらい吠音にはすぐに判った。
 最近なんだか彼氏とうまくいっていないんだ―――と、こんな春うららかな陽気には似つかわしくない表情を、朱姫は抱え込んだ膝の上に額を乗せて隔している。


「なんでだろう、好きなのに……本当に好きなのに相手の気持ちを確かめるようなことばっかりして―――今すぐ会いたいなんて我侭を言ってみたり、危ないことをして心配させてみたり―――」
 それでもいつも、彼は朱姫の全てを笑って許してくれる。
 許してもらった瞬間は嬉しくて、相手の気持ちがきっとまだ自分に向いていると安心できるのだと、朱姫は言った。
 でも、その次の瞬間にはまた猜疑心が生まれるのだ、と。
「すごく……すごく優しい人だから。もしかしたらもう私から気持ちが離れていてもきっとどうしようもない私が可哀相で一緒にいるんじゃないかって」
 そしてまた繰り返す。
 我侭を言って許されて。
 拗ねて困らせて、機嫌を取らせて。
 そんなことで相手の気持ちを量ろうとしている自分がすごく醜く思えて……きっと、彼の目にもそんな醜い心が映っているに違いない。そして、そんな朱姫に心の奥では呆れてしまっているに違いない。
「受け止めてもらえて嬉しいのに……でも、同じくらい優しく受け止めてもらえることが辛いんだ」
 
 ねぇ、どこまでなら、彼は許してくれる?
 
 ねぇ、どんな自分までなら、彼は受けとめてくれる?。
 
 まるで、臆病な野良猫のように警戒心剥き出しに―――


 そう訥々と語る朱姫の心が泣いている―――と、吠音は痛む胸で感じていた。

 いつも真っ直ぐ過ぎるくらい真っ直ぐ人と向き合う朱姫。
 なんにでも一生懸命で前向きな朱姫。
 そして、強がりで人前では決して涙を見せない朱姫。
 自分にとって何よりも大切な大切な―――朱姫。

「馬鹿だな。どこの世界に自分の嫌いな奴に優しくする奴がいるんだよ。確かに、優しい人だけど……彼が優しいだけじゃない人だって、一番わかっているのは朱姫だろ? 優しい奴なんて星の数ほど居るけど、そんな中から優しいだけじゃない彼を選んだのは―――彼に選ばれたのは―――他でもない朱姫、お前だろう?」
 彼を信じることも大切だけど、何よりも自分を信じろと吠音は諭すように朱姫に言い聞かせる。
 そんなことを言って朱姫を激励する裏で、吠音は、

―――俺だったら朱姫をこんなに悩ませないのに……

―――俺だったら朱姫を不安で泣かせたりしないのに……

と告げたくなる気持ちを必死で押さえていた。

 溢れるままの気持ちを全て朱姫に晒す事が出来たら―――
 そうしたら、どれだけ良いだろう。
 どれだけ俺は……


 そんな吠音の気持ちを知る由も無く、朱姫は幾分か吠音の言葉に元気付けられたのだろう、
「やっぱり持つべきものは友達だな」
と、言った。

『友達』

 その言葉が、いつも心の奥底に押さえつけ隠されている吠音の本当の気持ちを……飾り立ての無い剥き出しのままの吠音の心に突き刺さった。
 その棘は深く深く―――傷口からは間違いなく血が流れているのにそれが朱姫の目に届くことは無い。
 最高に名誉で最高に残酷なその言葉に、打ちのめされる自分を必死で隠して、吠音は少し元気になった朱姫を学校へと送り出す。
 改札口へ向かう朱姫に吠音は叫ぶ。

「朱姫! 大丈夫。大丈夫だからな!―――」

 その声を受け振り向いた朱姫の綺麗な顔が、吠音の目に……そして、心に痛いくらいに焼き付いた。


■■■■■


 朱姫の姿が見えなくなるまで手を振りつづけていた吠音は、その後姿が自分の視界から消えたとたんにその手を力なく下し―――そして、そのままその場にしゃがみ込んだ。

「っっ―――――」

 握り締めていた空き缶が吠音のやり場のない力を一身に受けて歪に形を変える。
 朱姫の恋人に対する嫉妬と自分の苦しさに気付かない朱姫に対する怒りにも近い悲しみとが、今、吠音の全身を駆け巡っていた。
 その痛みを、吠音はいつまで抱え続けていけば良いのだろう。
「流石に今日のアレはきっついよなぁ……」
 聞かせるつもりのない素直な言葉が、吠音の口から漏れる。


「もう……俺、限界かも……」


 雁字搦めにされこの痛みを抱えつづけたまま、吠音は歩んでいる一本の綱の上をどこまでいけばゴールに辿りつけるのだろう。
 果てのない闇の中、出口は見つからなくて―――一筋の光すら見えてこない。


―――なぁ、もう解放してくれよ……

   朱姫……