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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 帰ってきた男(後編)
 
『兄が、帰ってきました』
 ある日の草間興信所に舞い込んだ依頼はそんな言葉から始まった。
 自らの葬式の当日に、兄は帰ってきたのだとその妹は言う。そして、混乱のままに、白衣を着た男たちに抑えられ、連れ去られた。彼らが言うには、葬式に現れた兄は兄ではなく、兄にそっくりだから兄だと思い込んだ……ということらしい。
 兄の名は常磐友成。二十代前半の可もなく不可もなくといった風貌。三流と思われる大学を卒業。資格および免許は第一種普通免許のみ。性格は温厚、健康状態は良好、特技なし、趣味は読書に映画鑑賞。スポーツはテニス。
 この男は大学を卒業後、タウン紙を発行している会社に就職。いつか二流を目指すを合言葉に日々を過ごしていたらしい。そして、タウン紙の企画で冬の怪談特集をやるからと都市伝説や怪奇スポットについて調べ、実際に取材を敢行、その帰り道に峠から車が転落、炎上。葬式へと至ってしまう。遺体の状態は、あまりよろしくない……らしい。
 兄が最後に調べていたものは『冬の山に天使猫を見た?!』というもの。謎の天使猫が出没するという付近は、まるで山の中。誰が目撃するのかと思えば、そこには寂れた村があるらしい。いや、寂れていたのは以前の話であって、現在ではとある企業が工場を作り、意外に発展しているとか。そのとある企業の名はアルカディア。工場では化粧品を作っている。
 そんな背景があって、妹は依頼をしてきた。
 自分の葬式に帰ってきた兄は、果して本物なのか……それとも、偽物なのか。もし、本物であるのなら……。
 
 そして、自分はその調査にあたった四人のうちのひとり。
 ここに至るまでの経過を思い出す。
 とりあえずの調査のあと、工場から響きわたった異常を告げるようなサイレンに、一旦、集まろうということになった。だから、集合場所に指定した村の入口に四人の人間が集まるのは、当然である……として。
「あなた、誰?」
 自分と同じような言葉を他の二人も口にしている。
 視線の先は、見知らぬ青年。
 集まった人数は四人でも、何故か出発時と顔ぶれが違う。
「えー、えーと。俺、フリーのジャーナリストで……その、なんていうか……」
 青年は困ったような、どこかごまかすような、そんな微妙な笑みを浮かべながらこめかみを指でかく。
「アルカディアについて数日前から探っているんですよね?」
 にこやかにそう言ったのは功刀だった。
「う、うわ、ご存じでしたか……」
 功刀は答えずにただ笑みを浮かべているだけだが、それがかえってすべて知っているぞというように感じる。本当に知っているのか、はたまた演出なのか。
「とりあえず、事情を説明してくれないかな。そうねぇ、ここだと目立つから……もう少し目立たないところで」
 みたまは周囲を見回す。集合場所だけにわかりやすくなくてはいけないということで村の入口を指定したわけだが、そこは何もないところ。目立つことこのうえない。
「あ、だったら、いいところを知ってますよ」
 青年は明るい笑顔でそう言うが。
「だから、あなたはいったい誰なのよ……?」
 フリーのジャーナリストらしいけど。功刀は何やら知っているらしい様子を見せるが、自分は初めて出会う顔。緋玻は神妙な顔で眉を顰めた。
 
 区画整理されてはいない村の半分、ただでさえ多い猫が、さらに多く身体を休めている場所にそれはあった。
 ねこまんま食堂。
 見あげた看板には剥げかかったペンキでそう書かれている。年季を感じさせるガラスの引き戸は人が掴む部分がワックスを塗ったように鈍く光る。引き戸の向こうに広がる食堂のなかも引き戸に負けないくらい、年季を感じさせた。決して汚いわけではなく、すべてが古く、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている。
 しかし、ねこまんま食堂。名前としては、どうだろう。ここは猫が多く生息しているから、やはりその影響なのか……しかし、それでも……どうだろう?
「こんにちは!」
 青年は明るく声をかける。そして、奥のテーブルへと歩き、こっちこっちと招く。招かれ、とりあえず椅子に腰をおろすとテーブルの上にぽんぽんとコップが置かれた。少し喉が渇いていたところだから、ちょうどいい。緋玻はコップを手に取り、口許へと運ぶ。
「そういえば、ちょっとおなかも空いたかな……んーと、どれにしようかな」
 みたまは壁に貼られている紙を見やる。そこには店で扱っているのだろうメニューの名前と金額が書かれているのだろう。コップを唇につけ、傾ける。冷たい水が渇いた喉を潤していく……と、みたまは言った。
「ねこまんまラーメン、ひとつ!」
「?!」
 ……思わず、噎せた。けほこほと噎せたあと、みたまを見つめる。みたまも自分を見つめていた。やや、心配そうに。
「大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫。だけど、今……」
 緋玻は壁を見あげた。壁に張りつけられている紙には、ねこまんまラーメン五百円、ねこまんま定食六百五十円とあった。……それしかなかった。
 二品のみ?! ……なるほど、決定が早かったわけだ。しかし、ねこまんまラーメンにねこまんま定食。確かに、店の名前をつけた品をメニューに乗せている店は多い。だが、しかし、ねこまんまラーメンにねこまんま定食。いったい、どんなものが出てくるのか不安になる……と思うのだが、みたまに悩んでいる様子も戸惑っている様子も見られない。あっさりと決めている。
「僕もそれにしようかな……というわけで、ねこまんまラーメン、ひとつ追加で」
 功刀もあっさりと決めている……ように見える。
「俺は、ねこまんま定食で。美味しいんですよ、ここのラーメン」
 ラーメンを美味しいと言いつつも、定食を注文する。そんな青年がちょっとわからないと思いながら、緋玻も注文をすることにした。
「じゃあ、あたしはラーメンで」
 客が自分たちの他にいるわけでもないから、店を仕切っているのであろうわりと愛想の悪い夫婦は小さく『はいよ』と返事をして作業にとりかかる。
「では、お互いの成果を話し合う前に……」
 功刀は青年を見つめる。そう、この青年の『事情』を聞かなければならない。緋玻も同じように青年をじっと見つめた。二十代半ばくらいだろうか。人懐っこく、快活そうな印象を受ける。特別に良いことをしそうにないかわりに、特別に悪いこともしそうにない、ごく一般的な人間に見える。
「えーと、俺は……あ、これ、名刺です」
 青年が差し出した名刺には『北沢司』とあった。
「キタサワツカサと言います。改めて、どうぞよろしく。先程も言いましたが、フリーのジャーナリストで……自分の葬式に帰って来たという男の話題に食いつきまして。これは背後に何かあると調べていたわけなんですが……」
 北沢と名乗った青年は照れくさそうに後頭部に手をやり、苦笑いを浮かべる。
「侵入して、見つかっちゃった……という具合です。もう駄目かと思ったんですが、通りすがりのお医者さんに助けていただいて」
「その『通りすがりのお医者さん』はどうしたの?」
「なんだか人が足りないとかで……帰らなくてはならなくなったそうです。それで、なんかよくわかんないんですが、代わりに俺が来ました」
 自分の代わりに役に立ってこいとのことですと北沢は言う。
「なるほど。あのサイレンの正体はあなたで間違いない、と。つまりはそういうことのようですね」
 功刀の言葉に北沢はさらなる苦笑いを浮かべたあと、すみませんとがっくりと首を折った。
「それで、侵入して成果はあったわけ? それとも、騒がせただけ?」
 みたまに成果を問われると、北沢はばっと顔をあげた。そして、懐からディスクを取り出す。
「成果は、ばっちりですとも!」
「手持ちのカードはあり、と。……では、お互いに情報交換といきましょうか。まずは、そうですね……僕から見せますか」
 功刀は場を見回したあと、そう言い、ここに至るまでに調べたことを話しだす。
「草間探偵が気にしていた天使猫、あれのことなんですが……どうやら、存在するようですね。この付近で目撃という噂の他に、そういったものを取り扱う場……幻獣博覧会なるものがあったという話を聞きました」
 天使猫が存在するという話は、猫神から聞いている。さして驚くところではないが、しかし、それを取り扱う場が設けられていたとは。驚くと同時に呆れる。
「その博覧会の主催者といいますか、背後にそこの工場の副責任者が関わっているらしいですよ……とりあえず、僕の情報はこんなところで」
「私はアルカディアの最近の動きについて調べてみたんだけど……これといって特別な動きはなかった。そこの工場の施設責任者と上層部の関係が気になったから、それも調べてみたんだけど。そこの施設責任者は内藤春樹っていってね、上層部のひとりの息子」
 功刀のあと、みたまが成果を話しだした。
「で、ここへ実際に来てみたら、猫に餌をやっている兄……常磐友成がいたんだけど……自分は内藤春樹で、常磐友成ではないと返してきたよ。けどね、背後に見張りつきだったし、明らかに動揺していたし……これじゃあ、言葉どおりとは思えないよね」
 猫神の話では兄は施設長を演じているということだったが、みたまの話を聞くとそれに間違いはないように思える。緋玻はうんと頷いたあと、自分が得ている情報について話すことにした。
「お兄さんの足取りをここの人に訊ねてみようと思って、写真を見せたの。そうしたら、写真を見たここの人は施設長さんだと言うのよ。それとは別口から聞いた話で、お兄さんは猫と一緒に捕まって、今はそこで施設長を演じているとかどうとか」
「と、いうことは……天使猫はそこの施設にいるんだ?」
 みたまが訊ねてくる。緋玻はその可能性ありと頷いた。
「そうね。羽根猫を見つけたら……まぁ、まずはこう、もふもふとした毛皮と羽根を撫でて……」
 きっとふわふわで触り心地がいいに違いない。指先に触れる柔らかな毛の感覚を想像するだけでたまらない。
「……」
 視線を感じ、はっとした。いけない、ちょっと想像の世界でうっとりしていたかも。コホンと咳払いをする真似をしたあと、表情を作りなおす。
「僕たちは手持ちのカードを見せました。あなたのカードを見せていただけますか?」
 功刀の言葉を受け、北沢は頷いた。
「葬式に帰って来た男、これが本物だとすると、代わりに誰かが死んでいるということになる。その誰かとは? 何故、そんなことが起きたのか? ……俺の調査はここから始まりました。保険金関係かなと思ったんですが……なんか、死んだ男はあまり保険に入っていなかったらしく、家族に入った金銭は乏しい。では、事故が起きるまでについて調べてみようというわけで、調べてみると浮かびあがってきたものが、そこの工場」
 アルカディアだったわけですよと北沢は続けた。北沢は妹が興信所に依頼を持ちかけたことを知らないから、保険金殺人などを思いついたのかもしれない。もし、そうであるのならば、妹が依頼を持ちかけていることはないだろう。
「はいよ、ねこまんまラーメン」
 どんっとテーブルの上にラーメンどんぶりが三つ置かれた。とりあえず、見た目は普通のラーメンなので安心した。醤油ベースにチャーシュー、白髪葱、ワカメ、海苔、味付けタマゴに鰹節が添えられている。
「あ、どうぞ、俺のことは気にせず食べてください」
 北沢が言うので、それじゃあと割り箸を手に取り、ぱちんと割る。三人でラーメンを食べながら話を聞いた。
「ここへ訪れて、葬式に帰って来た男が工場長とそっくりであることを知ったのは、皆さんと同じです」
「そういえば、今、死なれると都合が悪いというような話を聞いたらしいわ」
 ふと猫神の言葉を思い出し、口にしてみる。
「話を総合すると、兄は生存、施設長の代役である可能性が高い、と」
「そう見ていいんじゃないかな。とりあえず、兄は生きていたというわけで……このディスクの中身は?」
 北沢が取り出したディスクを示し、みたまは問う。
「これは、内部の端末にアクセスしたときに、怪しそうなファイルを片っ端から落としてきたものです」
「怪しそうなものを片っ端から……ちょっと粗い仕事ぶりだねぇ。追われるだけの価値があるのかどうかが怪しい気がするけど」
「それを言われると……ああ、そういえば!」
 大事なことを思い出したという顔で北沢は切り出す。
「あいつらのなかに、銃を持った奴が! ……あれ、皆さん、驚かないんですね。わりと平然としているように見えるのは、俺の気のせいですか?」
 すると、一瞬、間があいたあと、功刀もみたまもはっと驚いたような顔をする。
「……わざとらしいですよ」
 なんとも言えない顔で北沢は言った。
 
 ごちそうさま。
 割り箸を整え、テーブルの上へと置く。
「美味しいラーメンでした。和風だしがいい感じで」
 確かになかなか美味なラーメンだった。しかし、ねこまんまラーメンという名前は少し謎だとも思える。
「どのあたりがねこまんまなのかしら?」
「このあたりじゃないの?」
 みたまはスープに漂う鰹節を指さした。
「で、皆さんはこのあとどうするんですか?」
 北沢に問われ、顔を見あわせる。情報収集の段階は終わったとみていいだろう。次に起こす行動は、やはり工場への潜入。北沢が潜入し、発見されているから、少し警戒が強まってはいるだろうが……さらに、相手は銃も持っているらしいが……北沢が乗り込めたような場所だから、どうにかもぐりこむことができるだろう……と、言ったら北沢に失礼だろうか。
「……なんですか?」
 ちらちらと北沢を眺めていると、きょとんとした顔で反応する。そこでなんでもないと軽く手を横に振っておいた。……やはり、どこから見ても特別な技能を持っているようには見えない。やれると確信した。
「正面から話し合ってみるってのはどう?」
 そう言ったのはみたまだった。
「責任者の内藤氏は、常磐兄だと思って間違いなさそうだし……事情の説明してもらって、兄の返却を要求……もしくは、妹の説得かな」
 向こうの事情もとりあえず聞いてみて、妥協できる点があればそこで妥協、お互いに穏やかに、穏便に解決できればとみたまは言う。
「そうですね。話し合う余地は十分にあると思いますよ。むしろ、それを望んでいるとみていいでしょう。……ああ、言い忘れていましたが、少し前に、上層部の方と見受けられる男性から接触がありまして。力になれるかもしれないという言葉をいただいたところで、サイレンが」
 そう言って、功刀はちらりと北沢を見つめる。穏やかな表情で笑みさえ浮かべているが、どうにもいたたまれないらしく、北沢はまたもすみませんとがくりと首を折った。
「まあ、それでも、交渉が決裂する可能性がないわけではないので、危険といえば危険なのですが」
 やってみる価値はあるのではないかと功刀は言う。
「でも、相手は銃を持ってますよ?」
「そうかもしれないけど、撃ってこなきゃ問題ないでしょ。そのためにも、正面から行くわけ。忍び込むから、撃たれるの」
 みたまは人指し指と親指を立て、北沢を指さす。そして、撃つ真似をした。
「では、とりあえず正面から行ってみるということで……いいですか?」
 功刀は緋玻を見つめる。緋玻はこくりと頷いた。それで行けるというのなら、それでも構わない。
「ちょっと準備してくるものがあるから、食休みくらいの時間をちょうだいね」
 みたまはそう言って椅子を立つと食堂を出て行く。それを見送り、しばらくの間、待つことにした。
「あなたは施設長がどういう男であるのかご存じですか?」
「内藤春樹ですか? ええ、一応、調べたのでそれなりに知ってますよ。親がアルカディアの上層部なだけあって、座っているだけで上に行けるみたいですね。一流の大学を卒業、なかなかに優秀らしいですが、すべてが親の言うなりだったそうです。そこの工場でも施設責任者というのは名前だけ、実際の操業には関わっていないみたいです」
 北沢は定食を食べながらそう返す。ねこまんま定食は、所謂、焼き魚定食のように思えた。白米には鰹節がかかっている。……このあたりがねこまんまなのだろうか。
「将来は約束されつつも、自由のない生活を送っている男が、自分とそっくりな、将来はどうなるかはわからないが、それだけに希望を持ち、自分の意思で動いている男に出会ったとしたら……どんな気持ちになるのでしょうね」
 北沢と緋玻は答えずに功刀を見つめた。どんな気持ち……それは輝かしいものに見えたのではないだろうか。人は自分にないものに憧れる。自分がどれだけ恵まれているのかはさておきとして。
「いえ、ちょっと思っただけです」
 気にしないでくださいと功刀は言った。
 
 準備を終え、戻ってきたみたまとともに三人で工場へと赴く。北沢も行くと言いはったが、先程、工場に潜入し、サイレンまで響かせた男である。連れて行くわけにはいかない。ねこまんま食堂で待機を言い渡した。
 施設のゲートで警備員に施設長の内藤と話がしたいと告げると、あっさりと応接室へと通された。常に見張られている気配は感じるものの、手荒な真似はしてこない。
 少々、お待ちくださいと女性職員にお茶を出され、待ったあとに姿を現したのは見知らぬ男だった。三十代半ばを過ぎていると思われるその男は、村上と名乗った。施設副責任者であるという。
「申し訳ありませんが、内藤は気分が優れず、おはなしならば、私が承りますが」
 その言葉にお互いに顔を見あわせる。
「そう。じゃあ、単刀直入に言うからね。常磐友成、この名前のことは知っているよね。それと羽根のはえた猫のこと」
 みたまは言う。だが、村上はなんのことですかとしらを切る姿勢を崩さない。
「話し合う気はない?」
「何を言われているのか、さっぱり……」
 やはり、あくまでしらをきりとおすらしい。ここは強引に行くしかないだろうと緋玻が思う横で功刀は言った。
「わかりました。この件については、内藤氏に直接伺うことに致します。今日はご気分が優れないということで、日を改めまして、また」
 その言葉を聞くと、村上はほっとした表情を見せた。職員を二人呼びつけ、ゲートまで案内するように告げるとそそくさと応接室を去る。その行動がなんだか怪しい。証拠隠滅でもはかろうとしているのではないかと思えてくる。
 この場合の証拠隠滅。
 事件に関わるものを抹消……資料やそれを裏付けるもの、関わる人物……資料はいいとしても、それを裏付ける猫や常磐の存在を抹消されては堪らない。出直して来る時間はない……と告げるまでもなく、みたまと功刀はゲートまで案内するはずの職員を気絶させている。その動作は鮮やかで、どう見ても手慣れていた。
「あの人では話になりませんね」
「上層部の男を探した方がいいかもね」
 そう言いながら職員の白衣をはぎ取り、差し出してくる。緋玻は素直にそれを受け取り、羽織った。この工場の職員は通常、白衣着用であるらしいから、着ていないよりは、着ている方が目立たないに決まっている。
「手分けして探すことにして……所長室があるだろうから、そこで落ち合おうか。なるべく騒ぎは起こさない……これが合言葉、ね」
 
 白衣を着ているせいか、特別な視線を感じることなく、施設内を歩くことができた。災害時の避難経路を示す地図が階段近くの壁にあるため、迷うこともない。
 猫や常磐の存在が気にかかるのは確かだが、副責任者である村上の動きも気になる。聞いた話や、先程のあの対応から考えて、黒幕は村上とみてもよさそうだ。あの男を押さえておけば、現状維持、物事が悪い方向へ動くことはないように思える。
 廊下を堂々と歩き、村上が行きそうな場所に顔を出してみる。資料室や事務室、工場の現場ラインに顔を出しているとは思えないので、そこは外した。が、見つからない。そこそこ時間も過ぎてきたところで、通りすがりの職員に村上を見なかったかと訊ねる。最初はやはり白衣を着ているとはいえ、こそこそと行動し、声をかけるという大胆な行動など思いつかなかったが、案外と慣れれば慣れるもので、そんな行動へと至っている。
「所長のところへ向かったみたいだけど」
 盲点。まさかそこへ向かっていたとは。緋玻は礼を言い、所長室へと向かった。落ち合う場所であるから、もしかしたら既にふたりがいるかもしれない。
 扉には鍵がかかっていなかった。
 そっと開き、なかの様子を伺う。かなり広く、整ったその部屋の奥には村上の姿があった。高級感の漂う木製の机の上に置かれた端末に向かい、何やら操作をしている。
「何をしているの?」
 部屋へと足を踏み入れ、中程まで歩いたところで声をかける。村上ははっとして手を止めた。悔しそうな表情を浮かべたあと、近くにあった電話機のボタンを押した。すると、廊下から足音が響き、部屋のなかへと三名の男が現れる。その手にはしっかりと銃が握られていれば、銃口は自分の心臓を捉えている。
 相手がひとりであれば、遅れは取らない。だが、三人。考えている間にも男たちは距離を縮めてくる。抵抗するならば、距離がない方が叩きのめしやすいだろうか……そんなことを考えていると、背後から声がした。
「銃を下ろせ……というか、しまっておけ、そういう無粋なものは。お客様に銃口を向けるなど……会長が知ったら、どれだけ嘆かれることか」
 振り向き、声の主を確認する。功刀に肩を貸されるような状態で見知らぬ男が立っていた。傷を負っているのか、こめかみの辺りをハンカチで押さえている。
「村上さん、そこまでです。……おまえたちもぼけーっと突っ立っているんじゃない! 誰を拘束すべきなのか、いちいち口にしなくてはわからないのか?!」
 男に一喝され、銃口を向けていた男たちは慌てて村上のもとへと走り、その動きを封じる。
「怖い思いをさせてしまいましたね……申し訳ありません」
 男はその言葉どおりに申し訳なさそうな顔で言うのだが、実のところ、そんな顔をされるほどに怖い思いはしていない。
「ええ……でも、お客様?」
「この世に存在するすべての女性がお客様と成りうる……会長の言葉です」
 やや苦笑い気味の笑みを浮かべ、男は答えた。
 
 常磐を連れたみたまが所長室へ現れたあと、改めて男と向かいあう。
「それでは、改めて。私はアルカディア・ジャパン監査部の者です。とはいえ、それが表向きであることは功刀さんを始め、皆さんにはわかっているだろうと思われますし、こう言ってしまった方が話も早いことだろうと思いますので」
 男はそんな前置きをしてから、言葉を続けた。
「問題が起こった場合、それを速やかかつ穏やかに裏で処理することが私の任務です。数日前から何やら探りを入れている者がいるということで様子を見ていたのですが……」
 男は功刀を見つめる。
「僕たちが要求したいことは、ひとつ。彼が常磐友成であるというのなら、家族のもとへ返してほしい、ただそれだけです」
 功刀は黙って俯いている常磐を見つめ、言う。
「その件については、今ひとつ事情を呑み込めていないのです。わかっているというのなら、説明していただけませんか?」
 男は常磐に説明を乞うた。俯いていた常磐は顔をあげる。
「村上が工場を私物化し、資金を使い込んでいたんです。それを問いただし、事を明らかにすると言ったがために、彼は……」
 常磐は憂鬱そうな顔で力なく横に首を振る。そのあと、殺す気はなかったらしいですと小さく付け足した。
「それで、顔が似ていたあなたが連れて来られ、内藤さんの代わりを?」
「ええ……施設長が変わると内部監査が入るでしょう? 使い込んでいることが発覚することはまずい、帳簿をあわせなくては……と、時間稼ぎのために行ったようです」
 用がなくなれば俺も消されていたかもしれませんねと常磐は小さく呟く。
「そう……ですか……」
 男は困ったなという顔でため息をつき、小首を傾げた。
「まったく、もう。あまり『表』の人間を巻き込むことがないようにね。問題が起こる前の監査も必要だよ」
「う。返す言葉もございません……ご迷惑をおかけしてすみません……」
「で、私たちも兄妹も、今回の件の口外無用は約束するし、させるよ」
 みたまの言葉を聞き、男はうーんと唸ったあと、常磐を見つめた。
「つまり、あなたは常磐さんで、内藤さんは先日の事故で亡くなっている……しかし、事故は常磐さんが亡くなっているということで片づけられ、既に常磐さんの葬式は終わっている……こうなってくると……常磐さん、あなたがこのまま内藤さんとして存在する、それが最も、穏便に済ませられる方法だと思うのですが……如何ですか?」
 常磐は戸惑う表情を浮かべ、俯いた。かなり悩んでいることは傍目から見ていてよくわかる。
「事情をくみ、事実を伏せていただけるのであれば、あなたのご家族に会うことも許されるでしょうし、何より内藤さんは将来を約束されている身です。資産家でもあります。安泰な人生を送れますよ?」
 その言葉を聞くと、常磐は顔をあげた。
「決めました。俺は……」
 
 みやげというわけではないが、噂の天使猫、羽根のはえた白い猫が入れられたカゴを渡された。
「きゃ〜」
 声が普段よりも一オクターブほど高くなってしまったのは、仕方がない。ふわふわの柔らかな毛並み、純白の羽根、見た目も触り心地も予想以上、それに付け加え、この猫がまた人懐っこい。みゃあみゃあと惜しげもなく愛想を振りまく。
「可愛い〜」
 みたまとふたりで羽根猫を可愛がっていると、功刀のため息を聞こえた。撫でるだけ撫でたところで、そろそろ現実に戻ることにした。
「この羽根猫の処遇はどうします?」
「あなたはどう思っているの?」
 参考までに訊ねる。
「山にお帰り……というわけで、山へ放すというのは如何でしょう?」
 兄の記事では山で天使猫を見たとあるので、ちょうどいいのではないかと功刀は言う。自分の案もそれに似ているといえば、似ているが、少し違う。羽根がついているとはいえ、猫は猫の幸せがあるはず。猫神と引き合わせ、猫の仲間たちと生きていけるように紹介……と思ったところで、猫神の姿を見つけた。荷物をまとめているというか、風呂敷を担いでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「ちょっと?」
『ああ、お探ししましたぞ。荷物をまとめて参りましたぞな。いざ新天地へ旅立たん』
 足元にちょこんの座り、猫神は言う。
「ちょ、ちょっと……」
『まずはご一緒させていただき、それから新天地をば探そうかと』
 それはつまり、自分と一緒に来るということだろうか。緋玻が難しい顔をする横で、羽根猫を抱きしめたみたまが言った。
「山に放すんだったら、もらっていってもいいよね」
「みゃあ〜ん」
 羽根猫の方もみたまに懐いている。山に放すよりは、騒ぎにならなくていいのかもしれない……が。緋玻は足元ですっかり旅支度を整えている猫神を見やる。
 どうしてくれようか、これは。
 
 結局、内藤春樹ではなく、常磐友成として生きることを選び、兄が妹のもとへ帰ることで、依頼は果たされた。
 そして、自分のもとへは猫神が身を寄せ……どうしてこうなったのだろうと頭を悩ませるなか、電話が鳴った。
 もしや、草間……。
 出ようか、出るまいか……少しばかり悩んだあと、警戒しつつ、受話器を取る。
「……もしもし」
『あ、あの……翻訳の具合は……どうでしょうか……?』
 なんてことはない、編集の担当者からだった。少しだけほっとする。
「ああ、あのね、まだ……」
『終わってないですよね。いや、ちょっと心配してしまいました……なかなか電話に出てくれないから。もう、翻訳が終わってしまって、噂のとおり……』
「噂のとおり……?」
 噂ってなに? まだ、何かある……?
『えっ?! あ、いえ、なんでもないですよ、噂なんて、噂ですから、根も葉も茎もないですって。では、翻訳、がんばってくださいね!』
 がちゃん。つーつー。電話は一方的に、切れた。
 しかし。
 翻訳が終わると、何か起こるのだろうか、あの本は。
 緋玻はため息をつきつつ、受話器を置いた。
 
 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1685/海原・みたま(うなばら・みたま)/女/22歳/奥さん 兼 主婦 兼 傭兵】
【2346/功刀・渉(くぬぎ・あゆむ)/男/29歳/建築家:交渉屋】
【2240/田中・緋玻(たなか・あけは)/女/900歳/翻訳家】

(以上、受注順)

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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございました。
まずはまたぎりぎりですみません。
相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

こんにちは、田中さま。
後編のご参加ありがとうございました。なんだか猫神がついてきてしまいましたが……これも災厄……(?)ということで(おい)

今回もありがとうございました。次回は代表取締役の後編でお会いしましょう^^
願わくば、この事件が田中さまの思い出の1ページとなりますように。