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鳴らないピアノ
響カスミは困っていた。
音楽室のピアノが、突然、鳴らなくなってしまったのだ。
どこか壊れてしまったのかと業者を呼んで見てもらったのだが、どこもおかしなところはないという。ただ、音だけが鳴らない。
「これって……どういうことなのかしら」
絶望的な気分でカスミはつぶやいた。
少なくとも自分にどうしようもないことはわかったのだが……。
だからといって、どうしたらいいのかがわかるはずもなく。
カスミは深々とため息をついたのだった。
「それで……わたくしに?」
カスミから相談を持ちかけられて、鹿沼デルフェスは思わず微笑を浮かべた。
アンティークショップ・レンでは骨董品のピアノも扱っている。だから頼られたのだということもわかっているが、先日、バレンタインに感謝の気持ちをこめてチョコレートを渡したということもあり、デルフェスは些細なことでも天にでものぼるような気持ちになれるのだった。
「そうなの。鹿沼さんだったら、きっとなにかわかるんじゃないかと思って……」
「そうですわね。大丈夫ですわ、お任せください」
デルフェスはカスミを安心させるように、大きくうなずく。
デルフェスには、既にピアノが鳴らなくなった原因がわかっていた。
このピアノには、今、魂がないのだ。壊れたわけではない。その、魂さえ連れ戻せば、また元通りに鳴るようになるに違いない。
「ピアノの精霊がいなくなってしまいましたのね。だから、音が鳴らなくなってしまったんですわ」
「ピアノの精霊……?」
「ええ、そうですの。ピアノの精霊は本体からはあまり離れられませんし、多分、まだ近くにいると思いますの。ふたりで探しに行きましょう」
「そ、そうね! 鹿沼さんに相談してよかったわ」
精霊、という言葉にややおびえたような表情を見せながらも、カスミは引きつった笑みを返してくる。
デルフェスは、そっとカスミの腕を取った。
「大丈夫ですわ、なにがあってもわたくしがカスミ様をお守りいたしますから。それでは、行きましょう」
デルフェスはカスミを促して、音楽室から出ようとする。
けれどもその隣の、音楽準備室のドアの前にカスミに似た少女がいるのに気がついて、ふと、足を止めた。
神聖都学園の制服を着た少女は、カスミとデルフェスを見るとやわらかく笑う。その笑顔までカスミにどことなく似ている。年はだいたい、16歳くらいだろうか。長い髪をひとつに結って、ぱっちりとした大きな目をふたりのほうへ向けている。
「な、なにかいるの?」
カスミはすっかり怯えた様子で、デルフェスにすがりついてくる。デルフェスはカスミをなだめるように撫でながら、少女に向かって語りかけた。
「あなたが、このピアノの精霊ですわね?」
「ええ、そうよ」
あっさりと少女は肯定した。
「私、先生にお礼が言いたかったの。……大切に使ってくれているから」
「そうですのね。でしたら、わたくしからカスミ様にお伝えしておきますわ」
「いえ……せっかく、意志をもてたのだから、記念に先生とデートがしてみたいわ。ダメかしら?」
「……まあ」
デルフェスは口もとに手をあてて、上品に笑った。
「どうしたの?」
カスミがおそるおそる声をかけてくる。
「どうやら、大切に使っていただいているから、お礼が言いたいんだそうですの。それで、もしも先生さえよろしかったら、記念にデートがしてみたいと」
「デート!? で、ででも、相手は見えないのでしょう?」
「それはご心配には及びませんわ。わたくしでよろしかったら、身体をお貸しすることもできますもの」
「身体を?」
「はい。この身体はミスリルでできておりますから……器としてはもってこいなのですわ」
「……う、うん。わかったわ。ピアノの精霊だもの、悪い人なわけ、ないわよね。どんな人なの?」
「カスミ様に少し似ている感じです。年はだいたい16歳くらいで――可愛らしい方ですわ」
「……自分が誉められてるわけじゃないのに、なんだか照れるわね。うん、でも、お願いするわ。鹿沼さんの姿をしているのだったら、大丈夫そうな気がするもの」
「……はい」
カスミの言葉に目を細め、デルフェスはピアノの精へと向き直った。
「それでかまいませんか?」
「ええ。お願いするわ」
ピアノの精がデルフェスへと手をさしのべてくる。
デルフェスはその手をとった。すると、デルフェスの中に、ピアノの精が入り込んでくる。
デルフェスは、くたりと床にへたりこんだ。
「大丈夫?」
カスミが声をかけてくる。
「ええ。大丈夫よ」
顔を上げてカスミに答えたのは、既にデルフェスではなかった。
すっくと立ち上がると、デルフェスの姿をしたピアノの精は、優雅にカスミへと手を差し出す。
「え? あ、はい」
戸惑いを見せながらも、カスミはその手をとる。
「では先生、どこへ行きましょうか?」
「私が決めるの?」
「ええ。先生の好きなところへ連れて行ってください」
「……私の好きなところ」
カスミは、少し悩むそぶりを見せる。けれどもすぐにどこか思いついたらしく、笑顔でぽんと手を打った。
「それじゃあ、あそこにしましょう」
「あそこ?」
カスミはピアノの精の問いかけには答えずに、その手を引いて歩き出した。
「ここが……先生の、好きな場所?」
デルフェスの中に入ったままのピアノの精は、舞い散る桜の花びらを見つめながら声を上げた。
「ええ。キレイでしょう?」
カスミはピアノの精から少し離れた場所で、腕を組みながら微笑む。
「本当にきれい! 世の中には、音楽以外にもきれいなものがあったのね」
ピアノの精は感動したのか、カスミへ駆け寄って抱きついてくる。
「ねえ……先生、最後にもうひとつだけ、お願いを聞いて欲しいの」
「お願い?」
「そう、お願い。……この人の身体から出て行ったら、もう、先生とは言葉を交わせないもの。だから、お別れに――キスをしたいの」
「……え?」
カスミはほんのり頬を染めてうつむく。
「イヤなら、仕方ないけれど」
ピアノの精はしゅんと沈んだ声を出す。
「……いいわ」
けれどもカスミは、微笑んで目を閉じる。
ピアノの精も目を閉じて、カスミに顔を近づけていく。
もう少しで唇が触れあいそうになった瞬間、デルフェスは換石の術を行使した。
すると、カスミはそのままの姿で石へと変わる。
ピアノの精はそれに気づかず、石になったカスミへと口づける。
「……あ」
そして目を開けて気づいて、ピアノの精は不服そうに声を上げる。
けれども約束だからなのか、ピアノの精はそのままデルフェスの身体から出て行く。
「……ごめんなさい」
カスミにもたれたままで、デルフェスは誰にともなくつぶやいた。
ピアノの精の一度きりの願いくらいかなえてあげればよかったかもしれないとも思うのだけれど、それでも、カスミの唇に他のものが触れるのは、少しだけ悔しかったのだ。
デルフェスが身を離してから換石の術をとくと、カスミはきょときょとと辺りを見まわす。
「あら? 私……」
「カスミ様、本当にきれいですわね。桜の花」
デルフェスはごまかすように微笑むと、そっと、桜の枝を見上げた。
「え? ええ、そうね。そうでしょう?」
そうしてふたりは、既に開ききり、あとはほろほろと散るばかりの桜をしばし眺めつづけた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2181 / 鹿沼デルフェス / 女 / 463 / アンティークショップ・レンの店員】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、4度目の発注ありがとうございます。今回、執筆を担当させていただきました、ライターの浅葉里樹です。
今回はデルフェスさんのプレイング内容を拝見して、これは個別に描写させていただいたほうがよいだろうということで、こうして個別に書かせていただきました。いかがでしたでしょうか。お楽しみいただけていれば、大変嬉しく思います。
もしよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどがございましたら、お寄せいただけますと喜びます。ありがとうございました。
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