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<東京怪談ノベル(シングル)>


ボクのおうち♪


 茶色い箱の家に住んでいた仔猫はたくさんの兄弟やママから引き離され、ある家の玄関を訪問していた。いや、訪問させられていたという方が正解だろうか。生まれて間もない仔猫は濡れた自分の身体を舐めて乾かすのに必死である。そんな姿を見かねたのか、少年がバスタオルを上からかぶせるとその仔猫はすっぽりその中に収まってしまう。彼の身体はそこまで小さい。出口を必死で探す彼は首だけ出したところを少年に小さな小さな身体を抱え上げられる。そして彼の身体を丁寧に拭く。風邪を引かないようにと気遣った少年のぬくもりはタオル越しからも伝わってくる。

 しかし、この名もなき仔猫の居場所はここではなかった。仔猫をかわいがる少年の母親が彼を飼うことを許さなかったのだ。せっかく乾いた仔猫の身体に再び大粒の雨粒が落ちてくる……そう、少年は彼のために泣いていた。「ごめんよ、ごめんよ」とただひたすらにこぼした涙を残さず丁寧に拭き取っていく。その姿は自分の未練をなんとかして立ち切ろうとしているようにも見えた。小さな命をまた捨てに行く……そんな人間としての責任を幼いながらにして感じているのだろう。暖かな膝元に包まれた仔猫はただ静かに、やさしくやわらかな声で鳴いた。

 「うにゃお〜ん?」

 彼の真意は伝わらない。人間と猫だから。だからこそ、少年はもっと泣き出す……不思議そうな顔をしている仔猫の運命を考えると不憫に感じるのだろう。人間の立場に置きかえればそれは十分、同情に値する。

 「お前が僕の……人間のお友達だったらよかったのにね……んぐっ。」

 もちろん仔猫も少年の言葉の意味を理解できない。ぬくぬくになりつつあるバスタオルの中で閉じようとしていた目をまたゆっくりと開いた彼は、静かに少年を見る。決心のつかない彼との視線の会話はしばらく続いた……


 外はさいわい晴れていた。仔猫の身体もすっかり乾き、その自慢の毛並みも輝きとつやを取り戻していた。かわいさ抜群だが、まだ生後3ヶ月。天敵の犬に捕まれば恐ろしいことが待っている……そう考えた少年は彼をそっと塀の上に放した。ぬくもりが消えた瞬間、仔猫は愛らしい表情で思わず振りかえる。母親の言葉を聞いてからは笑顔になれなかった少年の顔はついにこの空のように晴れることはなかった。たった一言、彼は悲しそうにつぶやく。

 「さよなら、ごめんね。いい人に拾われるんだよ。」

 そう言って少年はその場を去っていく……昼下がりの太陽が少年の長い影法師を作り出した。しかし仔猫はそれを追おうとしない。きっとあまりに少年の足が早かったからだろう。仔猫はとりあえず少年のことは忘れて、ほんのわずかな幅しかない塀の上を歩き始めた。彼は茶トラ。太陽に反応して輝く金の瞳でほんの小さな世界の片隅をじっくり見ながら歩く。道路はたまに少年よりも大きな生物が通るくらいで別になんてことはない。捕まったって大丈夫。さっきみたいに助けてくれるさとばかりにちょっとおすまししながら気取って歩く。その様は長靴を履いた猫というのがピッタリだろう。悠然と歩く仔猫の行き先は決まっていた。もちろん本当の母親が待つあの茶色い箱の家である。あそこには仲間もいる。いや兄弟か。とにかく家族がいる。そこに戻りさえすれば……そう思って改めて周囲を見渡すと、どうも前と見える景色が違う。さすがの仔猫も一声上げる。

 「うにゃん〜?」

 その原因はすべてあの少年だった。捨てに行きなさいと母親に命令されたのに動揺したのか、ママのいるところではなくとにかく遠いところに彼を捨てたらしい。あまり考えることが上手じゃない仔猫にとって、これは重大な問題にならないのが問題だった。仔猫は「ま、いいか」とばかりに気を取り直してまた歩き出す。

 すると狭い道の上で目の前に行く手を阻む動物が現れる。ちゅんちゅんいいながらつがいで飛んでくるのはスズメだ。仔猫はママの教えてくれた通り、自分の跳躍力を活かして空高く舞い上がりボディープレスでスズメに襲いかかる! 目の前にいるのはエサだった!

 「ふしゃーーーーーっ!」
 『ね、ね、ネコだ〜〜〜!』『あんたっ、逃げるわよ!』

 しかし跳躍力に優れているのが災いした。威力は確かに上がったかもしれないが、代わりに降下に時間がかかってしまったのだ! 結局、スズメが飛び立つ方が早くなってしまい、そのまま仔猫は誰もいなくなった塀に腹をしこたま打ちつける! その時の声といったらなかった。

 「ぶぎゃん!!」
 『あちゃ〜、痛そうな声出したな〜。』『あたいらが食われるよりマシでしょ?』

 背中でそれを聞いたスズメたちも口々に哀れな仔猫の感想を漏らす。しかし、本当にかわいそうなのはここからだ。彼はあまりのダメージで身体のバランスがとれなくなり、塀の下にずり落ちそうになってしまっていた。それに追い討ちをかけるかのように、眼下から獰猛な声が響く!

 「ウグゥ……………ブゥワンワンワンワン!!」

 仔猫から見れば巨大な生物であるブルドッグが、エサが落ちてくるのを雄々しく吠えながら待ち構えているではないか! あっという間に逆転する自然の摂理。食うか食われるかの世界をこの平和な日本で、しかも生後3ヶ月で体験しなければならないとはなんとも不幸だ。なんとか体勢を立て直そうと懸命にがんばる仔猫だが、ひとつの音とともに地面へと落ちていった……

 「プゥーーーーー………」

 力の入れ過ぎでおならをこいてしまった仔猫は全身の力がみるみるうちになくなってしまい、そのまま地面にへばりついた。待ってましたとばかりに飛び掛ってくるのはブルドッグ。今度は壮絶なる追いかけっこが始まった。おならの匂いを感じる間もなく、とにかくどこかに逃げる仔猫……もう母親がどうこう言っている場合ではない。走ってくる自転車を素早くかわし、おばあちゃんの手押し車の上からジャンプし、小さな身体ながら懸命に逃げる彼。だが、相手は歩幅の大きなブルドッグ。どんなに翻弄するかたちで逃げても差が広がらなければ意味がない。彼から逃げようといろんなテクニックを披露する仔猫だが、逆にどんどん疲労がたまっていき……その結果、ついにその差が縮まり始めた。
 ブルドッグはしめたとばかりに不気味な笑いを浮かべる。仔猫はそれを聞きながら初めて『キケン』というものを察知していた。そしてそれが現実になろうとしていたその時、仔猫はなぜか塀よりも低く地面よりも高いところで黒い壁に頭を押しつけていた。そして少し高いところから声が聞こえる。もちろん、意味はわからない。

 「おい、こんな仔猫をいじめるもんじゃない。さっさとあっちに行け! お前は誰かに飼われてるんだろう?!」

 そう言われたブルドッグは寂しそうな背中を仔猫に向けて去っていった。さすがに人間には勝てないと思ったのだろう。獲物を逃した彼の表情といったらなかった。とにかく仔猫の危険は去った……ように見えた。しかし、彼にとって今の状況はとーってもキケンに思える。とりあえず必死にパンチとキックを繰り返す仔猫。実は彼は人間の掌の上にいたのだ。
 その人間は少年よりも大きかった。そして彼はあの子と同じくやさしそうな表情をしていた。次第にパンチもキックも緩めていき、ただじっと静かにその顔を見つめ会うふたり。その沈黙を破ったのは青年だった。

 「お前は……誰にも飼われてないのか。首輪がないからな。」
 「ふにゃん?」
 「ま、元気なのはよくわかったがな。さて、助けてやったがこのままサヨナラ……というのもかわいそうだな。どうする、一人身同士仲良く暮らすか?」

 言葉も意味もわからない。けど、その表情はよくわかる。仔猫はそれを見て自分がどうされるかを判断したのだろうか。静かに1回頷くと、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 「ふにゃん。」
 「そうか……じゃ、今日からは一緒だな。俺がご主人様、わかるか。そしてお前は……お前はなんて呼ぼうか。さっきまで掌で元気だったからわんだほーとでも呼んでおこうか。」
 「うにゃーおん。」
 「しかし困ったな。飼うのはいいがまったく知識がない。まぁいい、明日図書館で飼い方の本でも借りてくるか……」

 こうして無邪気な仔猫・わんだほーはご主人様を得たのであった。しかしその後、この名前が変わることはなかった。彼はいつも、この名前通りのはしゃぎっぷりをみんなに見せるからだった……