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<東京怪談ノベル(シングル)>


お気をつけあそばせ

 春たけなわ。
 …と言うには、今暫くの猶予が必要だが。

 「何を言う、季節は先取りしてこそ粋と言うものじゃ。花が満開になった頃に花見をして何が楽しいものか。この本郷・源ともあろう者が世俗の者達と肩を並べての酒宴など、世間が許してもわしのプライドが許さぬに決まっておる」
 「…おんしもさり気なく随分な事を言うものぢゃな」
 呆れたような口調でそう言う嬉璃ではあったが、意見としては概ね源と同一であったので、二人は早速一足早く花見の宴などを催す事にした。
 あやかし荘の中庭には一本の古い桜の樹がある。この桜も住民に似てか少々天邪鬼…いやいや、個性的な特色があって、桜前線の前に蕾を綻ばせて花を咲かせ、前線が北海道の果てまで去る頃までずっと咲き誇っていると言う、世にも珍しい息の長い桜であった。
 当然、この時期には既に花を付けている為、例年あやかし荘では幾度と無く花見の宴が設けられるのだが、今回はその先駆け、一番手の宴である。何につけても一番と言うのは気持ちがいいものだ。源と嬉璃はかなりご機嫌な様子で、こまごまとした準備の煩わしさも気にならないようだ。
 「桜の美しさは、何と言っても夜に際立つであろ。闇の藍色に浮かぶ薄紅色の花の群れ。しかもこれぐらいの時期、朝夜はそれなりに冷え込む故に、凛と引き締まって一層の艶やかさを見せるようじゃ」
 「今回ばかりは、おんしの言葉にも全面的に同意ぢゃ。花見は夜桜が一番ぢゃ。しかもこの冷え込み、まだまだ熱燗の美味い季節ぢゃのぅ。鍋とよぅ合う事と言ったら」
 ほぅ、と細く息を吐いて、嬉璃が手にしていた猪口をぐいと煽った。まだ春浅きこの時期、それなりに冷え込む夜半の花見にはやはり鍋、と、源は中庭に卓上コンロと土鍋を持ち出して、寄せ鍋と熱燗での宴会と相成ったのだ。…到底六歳児がセッティングしたとは思えない渋い献立ではあるが。
 日中、晴天であった為、空には銀盤の月が花煙の向こうに、冴え冴えとその身を曝け出している。深い色合いの夜空も、今夜は桜を引き立てる為だけに存在するようだ。ちらりちらりと舞い落ちる花びらも計算し尽くされたかの如く優美な曲線を描き、それにつれて杯も進むと言うものだ。一見すると、源達の見た目ではおままごとのような花見になりそうだが、何故だか今夜は幼げな様相の二人が交わす杯も様になっており、棚引く薄鼠の雲も横に幕を引いたかのよう、ここだけ幽玄とも言うべき、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 …と、思っていたのは本人達だけだったらしい。勿論、あやかし荘内で彼女らの行為を咎めるものなぞ誰一人としておらぬが、先程のような勇壮たる風景を、誰もが見ていた訳ではない。端から見れば、二人の童女が鍋を挟んで酒を酌み交わし、大声で楽しげな(一説によるとオヤジ臭いとも言えそうな)笑い声を立てているに過ぎなかった。
 では、何故そのようなギャップが生まれたのか。当然、当事者の源と嬉璃には知る由も無く。
 「嬉璃殿、ささ、もう一献。いつもの調子はどうしたのえ、勢いがないではないか!」
 「何を言う、おんしこそ、いつまでも酒を温めておらずに一息に飲み干すが良い。燗冷ましなどを味わっていてはそれこそ興醒めと言うものぢゃ。ささ、ぐぐっと」
 等と互いに酌を繰り返し、周囲には空いたお銚子が何本も転がり始めた。いつもなら、源も嬉璃もこれしきの酒量で酔う筈も無い。寧ろ、身体が丁度温まる程度の酒量と言う事で、さぁこれから本腰入れて飲むか、と言う所だろう。それなのに、今夜はやけにテンションが高いうえに早い。寝静まった世間の迷惑顧みず、ギャハハハと珍しく大声で笑い転げている。その笑い上戸はまるで、ヘンな薬でも飲んでしまったかのように不自然な感じだった。
 …そう、薬。
 さすが、あやかし荘の桜は一味違う、と言った所だろうか。とてつもなく長い間、花を咲かせ続ける事の出来る桜である。恐らく、その幹の中にでも何か特別な養分を貯蔵しているのではないのだろうか。そしてその成分が花にも伝わり、花粉となって周囲に飛ぶ。これだけでは何の影響も無いのだが、何故かアルコールと一緒に体内に摂取すると、幻覚剤のような効果をもたらすらしいのだ。洋酒にタバスコを一滴入れると、酷く悪酔いするのと似たようなものだろうか(微妙に違うが)
 そんな事とはいざ知らず、二人は実は熱燗と一緒にその目に見えない微粒の花粉も大量に飲み込んでいたのだ。アルコールが入って活発になった内臓は、その花粉の毒性までも顕著に受け止めてしまう。二人は、ぐるぐると回り出す周囲の様子を可笑しいと捉える事が出来ないぐらい、前後不覚になっていた。
 「おお、もう鍋の具材がなくなってしもたの。この後は酒だけで身体を温めるか?」
 嬉璃が、汁だけになった鍋の中身を覗き込みながらそう言う。その様子を見ながら、源がにやりと不穏な笑みを浮かべた。いつもならここで、その怪しさ爆裂に嬉璃なら気付いて身構える所だが、今夜は寧ろ、その笑みが何かもっと楽しい事への誘いのように見えてしまった。
 「何ぢゃ、なにか良い案でもあるのかぇ?」
 「勿論じゃ、嬉璃殿。こう言う事もあろうかと思ってな、ほれ。あれを見るが良い」
 こう言う事とはどう言う事か、とツッコみたい所だが、今回はツッコミ役もただの酔っ払い。源が指差す方向を、首を捻って見てみれば、桜の根元にたくさんの変わったキノコが群生しているではないか。それは以前、源と嬉璃が幻のおでんの具を求めて冒険?に出た時に発見した、新種のキノコであった。
 「なんと、あのキノコを持ち帰っておったのか!?」
 「後日、じゃがな。矢張りわしはどうしても究極のおでんを作りたかったのじゃ。それであのキノコを採って来たのじゃが、一本では心許ないんでな。ほれ、松茸は赤松の根元に生えると言うであろ?で、あれば、このキノコの優美さから鑑みれば、桜の根元に植えるのが妥当じゃと思うてな」
 どこでどう妥当だと言う判断が下されたのか、とツッコみたい所だが(以下同文)
 「ほほぅ、それでおんしの思惑通り、自家栽培に成功したと言う訳ぢゃな。面白い、今宵、このわしが世紀の瞬間に立ち会ってやろう。美食探求に犠牲は付き物ぢゃからの」
 犠牲とはっきり分かっていながらも、それでも尚この未知なる食材を食らおうとしている辺り、肝が据わっていると言うよりは、ただのたちの悪い酔っ払いなだけと言う気もする。
 だが、それに答えて源が頷き、何本かキノコを毟り取ると適当に石突きの土を払い落とし、大胆にもそのままぽいと煮え滾る鍋の出汁へと放り込んだ。するとキノコはみるみるうちに煮えて美味そうな匂いを漂わせ始めるものの、見た目はと言うと怪しげな紫色へと変じ、到底食えるものとは思えない見た目だった。だが勿論、酔っ払いズはそんな事を気にする訳も無く。ホクホク顔でキノコを箸で摘まみ、小鉢にとって息を吹き掛けて冷ますと二人同時に口の中へと放り込んだ。
 もぐもぐ。……ごっくん。
 ………………。
 暫しの沈黙。源も嬉璃も、手に小鉢と箸を持ったままで互いの目を見詰め合っている。その視線の絡みを断ち切るかのよう、二人の間では煮え滾る鍋から暖かそうな湯気がもうもうと立ち昇っていた。
 う、…美味い!
 と二人が同時に叫びを上げようとした、まさにその瞬間。二人の口は『美味い』の『う』の形になったままピキリと硬直し、続いて互いの頭の上を行儀悪くも箸で指し示す。
 「嬉璃殿ッ、それは!?」
 「おんし、その頭はッ!?」
 同時に叫んで同時に指し示した互いの頭の上。そこには、何故か、ニョッキリと……。
 「いつからキノコ星人になったのかえ、嬉璃殿?」
 「そうそう、実はわしは数千光年の彼方からこの星へと侵略の為にやってきたキノコ星人、そこな怪しい地球人、覚悟せよ…って違ーう!」
 あやかし桜の毒素は、ツッコミ役をノリツコミ役に変える性質もあるらしい。
 未知なるキノコはやはり、味も副作用も効能も、全て未知な存在なのだった。それを、恐らく人類史上初めて食した源と嬉璃は、どう言う訳だか詳しくは分からないが、なんと同属のキノコが頭のてっぺんから生えてきてしまったのだ。
 「怪しい地球人とは失礼なお人よのぅ。これはれっきとした大人への関門、立派に成長したと言う証ではないか」
 「ああ、某地方では二十歳になるとこのような現象が起こるそうぢゃな。キノコ成人…って、そんな訳あるかッ!」
 バシッと嬉璃が裏手ツッコミをすると、確実に酔っ払いの源の身体がぐらりと傾いだ。そしてそのまま重力に引かれるがままに、ばったりと仰向けに倒れ込んでしまった。
 「おんし、如何したのぢゃ。これしきで参るようなおんしではあるま……」
 源の近くへと寄ろうとした嬉璃であったが、足を桜の根に引っ掛けて同じようにばったりと倒れ込む。そうして源と嬉璃の二人は、仲良く並んで横たわり、朝が来るまでぐーぐー高いびきで寝入ってしまった。


 「…………」
 次の日。今までの人生において、何を相手にしても呑んだ事はあっても呑まれた事など、ついぞ一回も無かった源だが、あやかし桜の花粉とあやしいキノコの胞子の影響だろうか、生まれて初めて体験する二日酔いにげんなりとしていた。布団に包まってこみ上げてくる胃腸との戦いに明け暮れていると、がらりと襖を開ける音がした。
 「おんし、調子がどうぢゃ?」
 「……ぎゃあああ、バケモノー!!」
 源は悲鳴を上げて布団を頭から被り、カメのようになる。出入り口のところでは嬉璃が、片手に薬草湯の入った湯呑みをお盆に乗せ、源の様子に呆然としていた。
 これはあやかし桜の所為なのか、それともあやしいキノコの所為なのか。それは現時点では不明だが、源は二日酔いなだけでなく、未だ幻覚症状が抜け切っていないらしい。部屋に入ってきた嬉璃の姿が、嬉璃と等身大のデカいキノコに見えたのだ。ちなみに、昨夜頭のてっぺんにキノコが生えて来た現象も、実際に生えた訳でなく、ただの幻覚であった。
 「…折角、二日酔いに効く薬草を煎じてきてやったのに。わしの優しさを無にしおったな」
 そう言いつつも、嬉璃の表情は可笑しげにニヤニヤと笑っている。平素では見る事などまずない、ヘタれた源の様子を楽しんでいるのであった。

 …それはともかく、同じものを飲み食いしていた筈なのに、全く影響が残っていない嬉璃は、さすが座敷童。
 源がその域に達するようになるのは、いつの事だろうか……。