コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


紅い幻野

【鬼龍の里へ】

 春休みが、始まった。
 橘沙羅は、一般の女子高生よりは、ほんの少し、忙しい日々を送っている。
 合唱部の練習は欠かしたことがないし、親戚が経営している喫茶店に、アルバイトとして駆り出されたこともある。たくさんいる友人らとの付き合いも、順調だった。映画を見に行ったり、ランチを食べに行ったり、他愛ない遊びで、一日は瞬く間に過ぎ去る。
 普段は、何も、思い出すことなど無かったのだ。
 鬼龍の里では、完全に団体行動だったため、予想外に自由のきかない生活を強いられた。お土産も手に入れそびれたし、里人とも、とりたてて親しくなれたわけではない。
 家を貸してくれた愛想のない刀剣鍛冶師には、珍しいものを見せてもらったが……それだけだ。
 暇ならまた来いと言われたが、それとても、社交辞令のように思われてならなかった。
「暇なら……」
 今は、休日。
 時間だけは、余るほどもある。
 新学期が始まってしまったら、また鬼龍に来るのは不可能だろう。高校生が学校に縛られるのは、宿命だ。
「今なら……」
 引っ込み思案な彼女を、何かが、突き動かす。沙羅は急に座っていた自室のベッドから立ち上がると、衣装棚を開けた。着替え一式を鞄の中に詰め込んで、驚き目を丸くする親への挨拶もそのままに、家を飛び出す。
 バスや地下鉄を乗り継いで、着いた先は、東京駅。
 東京駅とは思えないほどに、人混みの少ないホームに立っていると、しばらくして、見覚えのある車両が沙羅の前に滑り込んできた。
「鬼龍の里に行く汽車……」
 一人旅は、正直、怖い。
 まして、一度しか行ったことのない、不案内な秘境の地だ。どう考えても、十七歳の高校生が、単独、出向くような場所ではない。
「でも……でも、もう一度!」
 扉が閉まる寸前に、沙羅は列車に飛び乗った。
 もう引き返せないよ、と言うように、ドアが閉まり、車両が、ゆっくり、ゆっくりと、動き始めた……。



 夕方の列車に飛び乗って、一晩を汽車の中で過ごし、到着したのは、翌日の昼。
 沙羅は、早速、後悔した。駅までは何とか辿り着いたものの、肝心の里までの道のりが、さっぱりわからないのだ。
 よく考えてみれば、前回は、常に周りに誰かがいてくれた。わからないことは彼らに聞けば良かったし、十六人もいるのだから、当然、人影は目について、迷いようがなかったのである。
「どうしよう……」
 足が竦んで、動けない。
 泣き出したくなってきた。
 ここで、もう一度、東京に戻る汽車が来るまで、待ってみようか?
 少なくとも、遭難だけは避けられる。

「歌が届けば、何か珍しいものを、見せてくれる」

 唐突に、蘇ったのは、あの無愛想な鍛冶師の言葉。
「歌……」
 そうだ。ここは、鬼龍。歌好きな精霊たちが住まう郷。言葉は彼らに届かなくても、歌ならば、界の隔てをも飛び越えて、彼らの元に響かせる自信がある。
 大きな奇跡など要らないが、この不安を打ち消してくれるなら、何度でも、何度でも、呼びかけてみよう…………確かにそこに居るはずの、人ならざる者たちに。
「声を……聴いてね」
 駅のホームに腰掛けて、足をぶらぶらさせながら、歌を歌う。状況は何一つ改善されてもいないのに、心は、不思議と落ち着いてきた。何とかなる、と思えるから、不思議なものだ。
 最後の曲が終わる少し前に、不意に、背後に、人の気配を感じた。驚いて振り返る。
「…………あの時の謳い手か?」
 駅のホームには、沙羅がよく見知っている人物が立っていた。
「え……え? 鍛冶師さん?」
 間違いなく、鬼龍の刀剣鍛冶師が、やや唖然とした顔をして、そこにいた。



 鬼龍の刀工は、これから東京に帰るつもりだったらしい。
 着物姿ではなく、私服を着ていた。肩から、大きな円筒形のスポーツバッグを下げている。鬼龍の里では、ほとんど肌身離さず身に付けていたはずの刀剣は、今は、持っていなかった。どこにでもいる大学生といった風情で、刀剣鍛冶師というあまりにも一般的ではない職業に就いている人間には、到底見えない。
「これから、帰るのですか?」
 沙羅が尋ねる。そうだと答えてから、鍛冶師は、面倒くさそうに頭を掻いた。
「里への道……わかるのか?」
 沙羅が、ふるふると首を振る。その返答を、ある程度、鍛冶師は予想していたようだった。身を翻す。
「おい、何をしている。付いて来い。置いていくぞ!」
 東京に戻るのは諦めて、とりあえず、迷子の女の子の保護を買って出たようである。



「えっと……」
 背の高い後ろ姿を眺めやり、沙羅は、途方に暮れていた。
 何しろ、会話が、まるで無い。筋金入りの女子校育ちで、かなりのんびりおっとりした橘沙羅は、このタイプの例に漏れず、男が大の苦手である。別に取って食われると意識しているわけでもないのだが、早い話、男全般の言動その他が、全く理解できないのだ。
 つまらないことにムキになったり、素直になれば万事解決なのに意地を張ったり、突き放して見せたかと思うと急に優しくなったり、まったく、男という生き物は、実に忙しない。
 運の悪いことに、沙羅の知人にも、強く装って硝子のような脆さを抱えた少年がおり、その存在が、彼女の男に対する苦手意識に微妙に影を落としている事実には、決して、否定しきれないものがあった。
「えっと……」
 これで、何度、この呟きを発しただろう?
 何か言おうとは考えているのだが、それが言葉になる前に、口の方が固まってしまう。
「えっと……」
 そうだ。まだ、礼を言っていない。謝ってもいない。東京に向かうところだったのに、急遽予定を変更して、刀工は、沙羅のために、来た道を戻ってくれているのだ。何だか気ばかり焦って、一番肝心なことを言い忘れていた。外の人間が礼儀知らずと思われるのは、むろん、本意ではない。

「あの……ありがとうございます!」
「お前……鬼龍に何をしに来たんだ?」

 二人の声が、示し合わせたように、重なる。
 沙羅に限らず、流の方も、何を話せばいいやらと、あれこれと考えていたらしい。
 流にしてみれば、沙羅は、これまで全く関わり合いになったことのない、極めて珍しい種類の人間だった。彼の性格からして、女子高校生などというやかましいものに、自ら近付いていくはずがないのである。極力避けて通りたいのが、本音だった。
「この間は、お家を貸して下さって、ありがとうございます。それから、青い花畑も。とっても珍しいものを見せて頂いたのに、お礼も出来なくて……」
「家のことはいい。真名に頼まれただけだ。たまには使ってもらって、家の方も喜んでいるだろう。帰り際、持ち主が唖然とするくらい、家中を磨き上げていってくれたしな」
「掃除くらいしか、出来ること、思い付かなくて」
「助かる。俺は、どうも、家事全般が苦手で」
「あ……なんか、わかる気がします。流さんって、家庭的な雰囲気は無いですよね」
「……どういう意味だ」
「え、あ、その。わ、悪い意味じゃないですっ! ぶきっちょと言うか、大雑把と言うか、大味と言うか……」
「お前、どれか一つくらい、誉めろよ……」
「え? え? 誉めたつもりなんですけど」
「どこがだ!?」
「ご、ごめんなさいっ!」
「ったく……」
 口調ほどには、怒ってはいないらしい。こっそりと上目遣いに青年の顔色を伺って、沙羅は安堵した。知り合ったばかりのころは、怖いとすら思っていた無愛想な表情が、今は、自分でも驚くほど、素直に心に馴染んでいる。一緒に歩くのが苦痛ではないし、沈黙が、さほど気にならなくなっていた。
「何処に行きたい?」
 流が聞く。
 沙羅が、驚いて、目を丸くした。
「え?」
「俺を、大雑把に大味呼ばわりした度胸に免じて、好きな所に連れていってやる。ただし、それが終わったら、帰るんだ。鬼龍は楽園じゃない。夜に潜む魔物どもよりも厄介な連中が、胎の中に巣くっている。里に長居をし過ぎるな。夜が来る前に、帰るんだ」
 思わず、西の空を振り仰ぐ。日没は、あと数時間も経たないうちに訪れてしまうだろう。茜色が迫る速さは、予想を遙かに超えていた。日は……まもなく、確実に、落ちる。
「何処へ行きたい?」
 考えるまでもなく、答えは、出た。
「彩藍を……もう一度」





【雪焔】

 彩藍は、青い花だと思っていた。
 少なくとも、沙羅が見た彩藍は、目の覚めるような純青だった。海か。湖か。訪れる者を、青い波間へと誘い込む、漣の幻野。
「これが、彩藍……?」
 だが、今、沙羅の目の前にある花畑は、青ではない。深紅なのだ。野一面を、炎のように覆い尽くす。踏み込むのが恐ろしく感じられるほどの、朱。赤。紅……。圧倒されて、沙羅は、花畑の入り口に、突っ立ったままだった。不安げに、傍らの青年を見上げる。
「鬼龍を象徴する花……雪焔(せつえん)だ」
「せつえん?」
「彩藍の秋花のことだ。鬼龍では、春に咲くものを彩藍、秋に咲くものを、雪焔と呼ぶ。同じ花のことだ」
「同じ……花」
 しゃがみ込んで、紅蓮の花弁を、そっと伺う。あまりにも印象が強烈すぎて、言われるまでは気付かなかったが、確かに、同じ花だった。茎の長さも、葉の形も、いつか見た青い彩藍と、瓜二つだ。
「何だか……怖い、ですね……」
 飲み込まれてしまいそうな錯覚に、囚われる。彩藍はただ美しいだけだったが、雪焔は違う。美の中に、どこか、不吉の影が色濃く漂う。
 彩藍の花ならば欲しいと思ったが、雪焔の花は、正直、手折るのも憚られた。手を伸ばした瞬間に、指先を、腕を、掴まれて、どこか奈落の底へでも引きずり込まれてしまいそうな気さえする。
「雪焔は、死者を迎える花と言われている。雪焔の花畑では、死んだ人間と、一度だけ、会えるそうだ」
「亡くなった人と……?」
「俺は、残念ながら、会えた試しはないがな」
 人間、一人や二人、死んでしまった会いたい誰かは、いるものだ。生きているうちに伝えられなかった何かを、今更ながらに口にすることが出来たなら、後悔の数は、ほんの少しでも、減ってくれるに違いない。
 目の前の刀工にも、会いたい誰かが、いるようだった。
 もしかすると、もう、何度も何度も……それこそ固い地面に靴跡が残るくらいに……この場に足を運んでいるのかも知れない。
「会いたい人……いるのですか?」
 沙羅が聞く。鍛冶師は、具体的には、答えなかった。
「さぁな……。会いたいのか。会いたくないのか」
 それ以上の問いを、発してみて、良いものなのか。沙羅があれこれと考えているうちに、陽は、さらに傾いていった。地上の紅が、天上の朱に彩られて、最も不吉に艶やかに染まる瞬間。東の空に迫る夜の闇に気付いて、流が、ふいと身を翻した。
「時間切れだ。帰るぞ」
 約束の日没が来て、沙羅は、再び、駅へと戻った。沙羅がそこに辿り着くのを待っていたかのように、列車が、かなり深くなった夜霧の中から、現れた。
「明日の早朝には着くはずだ。二度と、一人では来るなよ」
「流さんは、帰らないのですか?」
「俺も帰る。明日の列車で、東京に」
「この列車に乗ればいいのに……」
「野暮用を思い出したんでな」
 ドアが閉じた。
 少しの余韻も無く、すぐにガタゴトと車両が動き出す。沙羅は窓に張り付いて鍛冶師の姿を探したが、既に立ち去ってしまったらしく、彼は何処にもいなかった。
 確かに、流は、客を駅のホームでじっと見送るタイプの男ではない。それがわかって、沙羅は苦笑するしかなかった。

「雪焔……死者を迎えるための花……」

 赤い花畑の片隅に立ち、出会えるはずもない人との再会を求める、鬼龍の里人の後ろ姿が、目に浮かぶ。
 伝説は、残念ながら、紛い物なのだろう。もう何度も何度も足を運んでいるはずなのに、刀工は、会えた試しがないと、そう言った。

「でも、いつかは、会えるような気がします……」

 鬼龍だから。
 ここが、鬼と龍の住まう郷だから、奇跡は、意外と簡単に、起きるような気がしてならない。

「何だか、ちょっと慌ただしかったけど」

 少しだから良いかも知れないと、奇妙に納得している自分がいる。
 明日、東京に着くまでの半日の汽車の旅を、せっかくだから、ちょっとだけ、楽しむことにした。

 友達に、またこんな景色を見たんだよと、嬉しそうに話す自分の姿を思い浮かべながら、沙羅は、夜の帳の中に、一人、ゆったりと、身を沈める……。





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【2489 / 橘・沙羅(たちばな・さら) / 女性 / 17 / 女子高生】

NPC
【鬼龍・流(きりゅう・ながれ) / 男性 / 24 / 刀剣鍛冶師】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

ソラノです。いつもお世話になっております。沙羅さま。
「紅い幻野」はいかがでしたでしょうか? 少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。
NPCの流は、あんまり優しいタイプの男ではありませんが、とりあえず沙羅さんをいじめたりはしないので、ご安心を。(笑)

今回は、「雪焔」の花畑へのご招待です。
綺麗だけど、ちょっと不吉な彩りの場所です。
沙羅さんにも、既に死んでしまった「会いたい誰か」は、おりますでしょうか?
流は、ここで、再会できるのを密かに待っているようです……。

それでは、今回のお申し込み、ありがとうございました!