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<東京怪談・PCゲームノベル>


夜の幻想

【橘家の付き人たち】

 昔ながらの和の雅漂う家屋の片隅で、懐かしい伝統工芸を扱う小さな店を、見つけた。
 元々、和紗は、その和の雅漂う家の主と、友人だった。遊月画伯として、彼に寒牡丹の絵を描いた掛け軸を、売り渡したことが切っ掛けだ。
 樹、という名の、不思議な少年がいた。一切言葉は喋らないのに、驚くほど、意思の疎通は楽だった。人ではないと見破るのは、和紗の力を持ってすれば簡単だったし、人ではないと知ったところで、それで、和紗の中の何かが変わることもなかった。
 大切な、友人。
 橘の精霊も、兄弟たちも。
「一人で、大丈夫だと、言ったのですが」
 鬼龍へ続く列車の中で、和紗は、思わず微苦笑を滲ませる。一人ではなかった。昼が苦手な画伯のために、心配だからと、ただそれだけの理由で、同行を願い出た者たちがいたのだ。
「確かに、体は、少し楽なような気がします」
 和紗の鬼龍の滞在期間は、六日。それ以上は、吸血鬼という、特殊な彼の体質が許さない。
 荷物は極力少なくしたが、それでも、旅行鞄はぱんぱんに膨らんでいた。他にも、和紗には、絵を描くための画材がどうしても必要になる。華奢な体で背負いきれるのかと不安になるほど、持ち歩かなければならない道具は多いのだ。
 同行者が、その大荷物を、ほとんど肩代わりしてくれた。
「何だか、荷物持ちに連れ回しているようで、かえって申し訳ないです」
「いや。実は、俺も、久しぶりに鬼龍に帰るのが、楽しみなんですよ」
「帰る?」
「ああ……そうか。和紗さんは、知りませんでしたね。俺たち橘兄弟の母親は、鬼龍の里人なのですよ。俺たちは、鬼龍と外の世界の人間の間に生まれた、混血なんです」
 さすがに和紗は驚いたものの、一方で、やはり橘は鬼龍に関わる人間だったかと、奇妙に納得してもいた。鬼龍は確かに特殊な土地柄のようだが、雑多な現代のただ中に在る以上、永遠に、そこに閉じこもっているわけにもいかない。外に目を向ければ、交流が生まれるのは道理だろう。
 和紗が知らなかっただけで、これまで彼が生きてきた道筋にも、実は、鬼龍の民人がいたのかもしれない。
 擦れ違った街角に。
 通り過ぎた軒先に。
 何食わぬ顔をして、彼らが……いたのかもしれない。
「不思議ですね……。人と人との、関わり合いというものは」
 列車の窓から、夜の景色を眺めやりながら、ぽつりと和紗が呟く。
「和紗さん?」
 夕食の弁当を取り出しながら、冬夜が首をかしげた。和紗には必要ないものとわかってはいるが、二人分、用意されていた。
「私が描き出したいと思っている、この景色のように、どこかでちゃんと繋がっています」
「景色のように……」
 何となく、冬夜の食べる手が、止まった。その隣で、樹が、いつか寒牡丹を見せてもらった時のように、嬉しそうな顔をして、じっと耳を傾けている。

「突き詰めていけば、私たちは、みな、一つなのかも知れませんね」
 




【鬼龍の神官】

「いらっしゃいませ。藤水さま。鬼龍へのお越しを、お待ちしておりました」
 里の入り口付近に、既に、里長は立っていた。
 今日、ここに和紗が訪れてくれることを、予め、知っているかのようだった。
「急に思い立ったものですから。事前に連絡も間に合わず、申し訳ないことをしました」
「いいえ。樹くんが、伝えてくれました。樹くんの大切なお友達が、鬼龍の絵を描くために、鬼龍を訪れてくれますと」
「絵を描くために……」
 和紗が、思わず絶句する。これから、彼は、鬼龍を描いても良いですかと、里長に許可を求めるつもりだったのだ。その必要は、どうやら、初めから無かったらしい。
「彩藍の青を、この手で、描いてみたいのです。生きた彩藍のある場所へ、俺を連れて行ってはくれませんか」
「ご案内しましょう。ひとまず、お荷物を、こちらへ……」
 里長の傍らに立っている若い男が、和紗の荷物を受け取った。ちらちらと、物言いたげに、和紗の顔を盗み見る。儚げな容貌に惹かれているわけではなく、何か気になることがあるらしい。
「どうかしましたか?」
 和紗の方から尋ねると、ほっとしたように、男が口を開いた。
「もしかして……遊月画伯ではありませんか」
 これには和紗も驚いた。鬼龍に、まさか、自分の名を知っている者がいるとは思わなかったのだ。
「俺を……ご存じなのですか」
「絵を、見ました。画廊で……。私も、たまに、所用で東京に向かうことがありますので、その折に」
「画廊で……俺の、絵を」
「その時に、お姿も、拝見しました。まだあまりにお若い方だったので、正直、驚きました」
 
 私が描き出したいと思っている、この景色のように、どこかでちゃんと繋がっています。

 つい先程、自分が口にした言葉が、脳裏を過ぎる。
 繋がっていた。確かに。擦れ違った街角に。通り過ぎた軒先に。和紗が気付かなかっただけで、袖触る縁は、既に無数にあったのだ。

「鬼龍には、絵師がおりません。陶工や染め物師が、仕事の延長線上で、器や布に、ただ描くだけです。藤水さまが、彩藍を描きましたら、それを、見せては頂けませんか。里人たちの心に、留め置きたいのです」
 里長が、遠慮がちに提案する。和紗は笑った。
「差し上げます。絵は。初めから、そのつもりでした。狭い画廊に飾るより、この雄大な景色には、故郷に残る方が相応しいでしょう」
「よろしいのですか……。わたくしたちは、お礼らしきものは、何も、お渡しすることが出来ません」
「十分です。真名さん。この景色は、お金では買えません。一生かかっても、目にすることの出来ない者の方が、多いのです。ここに、今、自分が在ること……それこそが、俺の望みです」
 青い彩藍の、夜の風景が、目に浮かぶ。
 どのような色を、表そう?
 どのような色を、目覚めさせよう?
 写真のように、忠実に模写するつもりは、和紗にはない。自分の中で、自分だけの色で、描いてみせる。他の誰も知らない、他の誰にも真似できない、鬼龍の景色を、生み出してみせよう。
「俺は、夜の彩藍を描きに来ました。申し訳ありませんが、日が落ちたら、彩藍の花畑に案内しては頂けませんか」
「承知しました。では、夜に、もう一度、お迎えにあがります。それまで、ゆっくりと、お休み下さい」
 歩き始めた真名の着物の袖を、樹が掴んだ。声ではなく意思で、何かを訴えかける。里長が振り向き、和紗に尋ねた。
「樹くんが、一緒に行きたいそうです。絵を描くとき、樹くんも、ご一緒してよろしいですか?」
「構いませんが……俺は、何というか……描き始めたら、完全に、周りが見えなくなるたちです。一緒にいても、退屈なだけだと思いますよ」
「樹くんは、華解師。美しい舞や歌、優しい言葉が、そのまま、力となります。側にいるだけでよいのです。少しずつ完成を見る藤水様の絵が、樹くんにとって、退屈なはずがありません」
 樹が、和紗の傍らに立ち、うんうんと頷く。
 わかったよ、と、和紗が、精霊の少年の頭を、くしゃりと掻いた。
「一緒に、彩藍を、見ましょうか」





【紫の夜】

 初めの三日間はラフスケッチに費やし、残りの三日間で、一気に仕上げる。
 一枚の絵を描くために、何ヶ月も、時には何年も費やすような、拘束されない画家とは異なり、和紗には、とにかく時間がない。
 七日間を過ぎたら、体に耐え難い変調が表れる。鬼龍に来てから、驚くほど体調が良く、ついその事実を忘れそうになるが……吸血鬼としての自らの性質を、軽く見なすつもりは全くない。
 この鬼龍の民には、知られたくないのだ。自らの正体を。血を啜れば、記憶を奪わないわけにはいかなくなる。遊月画伯の絵が好きだと言ってくれたあの里人も、決して、例外ではなかった。
 六日以上、和紗は、鬼龍に残る意思はなかった。六日の壁を越えて冒険する無謀な勇気もない。
 樹は、相変わらず、ただ静かに和紗に寄り添っている。
 驚いたことに、時々、真名と冬夜まで一緒に徹夜に付き合ってくれるのだから、おかしな気分だった。
「藤水さま……大丈夫ですか?」
 滞在の最終日になると、さすがに疲労感が凄まじい。
 時間と戦うように描き続けているのだから、きっと、死神でも張り付いたような顔色になっているのだろう。和紗は苦笑して、苦笑したその瞬間に、筆を置いた。
 筆を落とした、と言った方が、近いかもしれない。起き上がろうとしたが、駄目だった。座り込んだまま、空を見上げる。

「完成しました」

 遙か東の空が、ほんのりと、明るい。
 まさにぎりぎりだった。限界まで体を酷使して、そうしてやっと完成した、一品。
 これ以上の彩藍は描けないと、確信できる。花は、絵の中で、確かに息づいていた。

「ああ……美しいこと」
 
 三人の徹夜のお供が、絵を覗き込む。和紗の彩藍は、青ではなかった。紫だった。和紗自身にもわからないが、本物の彩藍を見た時、なぜか、この色が頭に浮かんだのだ。紫以上に、彩藍に相応しい色はないと、一瞬で、描きたい景色は決まった。

「これは……彩藍と雪焔ですね。和紗さまは、雪焔(せつえん)を、見るはおろか、知りもしなかったはずですのに……」
「雪焔?」
「鬼龍を象徴する花です。春に咲くものを彩藍、秋に咲くものを雪焔と呼びます。同じ花です。同じ花ですが……全く違う色の花を付けます。彩藍は、水の青を。雪焔は、炎の紅を」
 里長が、嬉しそうに、目を細めた。
「春と秋の鬼龍の花は、同時には咲きません。この、紫の野は、和紗さまの、心の風景なのですね……」

 樹が、和紗の絵をじっと見つめて、まだ絵の具も乾ききっていないような画布に、そっと指を滑らせる。
 その動作を、かつて見たことのある和紗と冬夜が、はっとした。
 
「樹?」

「紫野を…………樹くんが、見せてくれるそうです」

 青しか色のないはずの彩藍の野に、紅が、ゆっくりと花開く。
 春の原に、秋の彩が、生まれる。艶やかな幻は、絡み合い、溶け合いながら、和紗が描いた心の風景を、そのままに顕した。夜が、青と朱との境界線を、闇の帳で曖昧にぼかしてしまう。だいぶ傾いた月が、斜めから、儚い光を投げかけていた。東には、暁の色が、徐々に迫り来る……。
 空までもが……紫色に、一瞬、見えた。

「彩藍と雪焔が、同時に……」
「い、樹っ! おまえ、また……」
「怒ってはいけませんよ。冬夜さん」
「って言ってもですね。鬼龍の景色そのものを、こんな風に、作り替えて……」
「良いではありませんか。冬夜さま。暁が来るまでの、これは、夜の幻です」
「真名さん?」
「そうですね……一瞬ではないけれど、とても儚い短い時間の、紫の……幻ですよ」
「和紗さんまで!」
 
 紫の野に入り、間もなく訪れる黎明の空気を、胸一杯に、吸い込む。
 絵の中の風景に、立つ。絵の中の風景と、一つになる。
 鬼龍は、良く済んだ鏡のように、心の風景を映し出す土地なのだ。
 和紗は、それを、具体的に描き出す力を持っていた。
 だからこそ……奇跡は、より強く、はっきりと、彼の目の前に顕れてくれたのだ。



「絵が、完成しました。この、本物の景色には、かなうべくもありませんが…………受け取ってもらえますか」
「頂いても、よろしいのですか」
「鬼龍の片隅にでも置いて頂ければ、それだけで、十分です」
「里人が、全員、わたくしを、羨ましがるでしょう……。鬼龍で、わたくしだけが、紫の夜を、この目で見ました」
「この風景は、俺の中にも、永遠に、留まります。夜が明けた後も……」
「夜が……明けてしまうのが、惜しいと思っては、いけないのでしょうね……」



 昼の陽光を避けながら、和紗が、東京に戻っていった。
 自力で歩くのが困難なほど衰弱していたが、瞳だけは、力を失っていなかった。
 あれほどの絵を、わずか六日間で仕上げたのだという、自負。
 奇跡を、自らの筆で呼び寄せたのだという、自信。
 誇らしさが、彼を支えた。
 多少の具合の悪さなど、払拭してしまう。



「ああ……そう言えば、絵を描くのに夢中で、何もお土産を手に入れていなかった」
 まぁ、いいか。
 和紗が笑う。
「形にはならないけれど、残ったものは、多かったので……」
 列車が東京に着くまで、まだ、時間は十分にある。
 少しの間、微睡んでみようか。

 懐かしい郷の、紫の夜に……。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2171 / 藤水・和紗(ふじみ・かずさ) / 男性 / 318 / 日本画家】

NPC
【鬼龍・真名(きりゅう・まな) / 女性 / 16 / 神官】
【橘・樹(たちばな・いつき) / ? / ? / 華解師】
【橘・冬夜(たちばな・とうや) / 男性 / 21 / 大学生・囃子方】

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■         ライター通信          ■
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ノベルでは、初めましてです。藤水和紗さま。
鬼龍に彩藍の絵を残していただき、ありがとうございます。
NPCは真名をご希望、とのことでしたが、私の判断で、樹くんと冬夜さんもお呼びしてしまいました。(笑)
二人がいた方が、もっとノベルの中身が深いものになるかな、と思ったものですから……。

樹くんに、藤水さまは、またたっぷりと栄養を下さったようです。
ありがとうございます♪
藤水さまのイメージ通りのものが書けたかどうか、甚だ不安ではありますが……少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。

それでは、今回のノベルのお申し込み、ありがとうございました!