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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■エグルの呪詛 3■

「――それで、呪いの方は……?」
「解決したからこうして2人で飲み食いしてるんでしょ?」
「そうだったのですか」
「あなた――」
「はい?」
「頭悪い?」
「何だと、失敬な!」
「……」
「……失礼しました」
「――ま、心配しないで。本当に呪いは解けたのよ。あなたのおかげでね」
 田中緋玻は、ギプスを嵌めた手を何の不自由も無さそうに動かすと、鞄から原稿の束を取り出した。原稿の表紙に目を落としたリチャード・レイが、驚いたような顔を見せた。
 緋玻はすました顔で、ギプスを嵌めた手でもって、あまり旨くはないコーヒーを啜ったのだった。
 それから、話し始めた。



 某月某日、東京の某所にて、その後2日間はワイドショーを賑わせた事件が発生した。ガソリンを積んだタンク車がガソリンスタンドに突っ込み、爆発炎上。スタンドのスタッフとタンク車の運転手、合わせて5名が死亡し、周囲に居た32名が重軽傷を負う大惨事となった。タンク車が突っ込んだ原因は、いつまで経っても不明のまま。これは東京の怪談のひとつとして語り継がれるのだろう。
 32名の重軽傷者の中に、田中緋玻が含まれていた。
 彼女こそがこの惨事の原因であることを知る者は、アトラス編集部にいた作家リチャード・レイただひとり。
 緋玻は人間のものさしから測れば重傷を負ったが、元気にスタンド脇の公衆電話に飛びついて、リチャード・レイと連絡を取っていた。それでも、マスコミにその姿を撮られてしまったがために、その後ひと月に渡って、怪我人を装う羽目になった。ギプスも包帯も止血帯も、彼女には全く必要のないものだった。緋玻は知人の医師に頼んで、それらしい治療の真似事をしてもらった。
 だがそれすらも、後日の話だ。
 とりあえず、緋玻は振りかかる惨事がこれ以上大袈裟にならないよう、戦うことを心に決めたのだった。

『呪式は複雑ですが、大丈夫ですか?』
「大丈夫じゃないけど、やるしかないわ。このままじゃ、核が落ちてくるわよ」
『それはこまります』
「英語に対応させてみて!」
『やってみましょう』
 からからと、緋玻の足元に転がってきたものがあった。ガソリンスタンドで死んだか、怪我をした者の携帯電話だ。液晶に傷がついていたが、問題なく使えそうだった。緋玻はためらうことなくその携帯を掴み取ると、傷ついた身体で走った。彼女のすぐそばで、トラックが1台大きくよろめき、荷台に積まれていたポールが車道と歩道に散乱した。ポールは意思あるもののように緋玻が進む道に倒れ、或いは突き刺さった。緋玻は煙たい顔でポールを避けると、誰かの携帯でレイの携帯に連絡を入れた。
『また何かありましたか』
「もういちいち報告していられないわ。早く!」
『ええい、急くな、覚え書きを落とした』
「ちょっと!」
『待て、呪式の枕は……ちがう、こうか……いや逆だ、おのれ!』
「落ち着きなさいよ!」
『有った! 良いか?!』
「言って!」
『MOON』「太陽」『DREAM』「現実」『DOOM』「創造」『SONG』「沈黙」『VANISH』「出現」『Black』「白」
『DEATH,』
「生」
『Sloth,』
「努力」
『CURSE,』
「祝福」
『ANGEL!』
「<あたし>!」

 走り続けて辿りついた廃車場が、にわかに色めきだったのだ。緋玻が叫んだその瞬間、牙を剥かんとしていた廃車の山が、がらがらと彼女の周囲に崩れ落ちた。
 不吉で曖昧な呪いのことばを、ひとつひとつ緋玻は封じたのだ。月に太陽を、死に生を、黒に白を、天使に鬼を。
「さあ、これであなたは、もう丸腰なのよ」
 冷たく湿った地に、緋玻は手をつき、ちろりと唇を舐めた。
 久し振りに、荒っぽいやり方をしなければならない。
「出てきなさい! 喰ってやるわ!」
 ごぅん!
 その世界は、どの国とも繋がっているのだ。人間の足元に、常に広がっている。
 地獄が口を開けて、汚物を吐き出した。年老いた、禿げたイギリス人だった。

 彼は、薬物によってすべてを失っていた。ただ逃げていただけだったのか。緋玻はそれを責める気になど、ならなかった。問題は自分までもが狙われたということだ。
 これまでに『エグルの呪詛』を受けて死んだ者たちの魂が、イギリス人の魔術師兼作家を取り巻いている。多くにしてひとつのものと化した魔術師は、鬼よりも強大に見えた。
 緋玻は目をすがめ、渦巻く怨念の中の情景を見つめる。
 砕け散る基地と仲間たち。基地の位置を知るのは、英軍の中でも一握りの人間のはず。それが、偶然とは思えないほど正確に爆撃された。それは、魔術師が編み出した暗号が、「凡慮による凡庸なもの」であったからなのだ。暗号は破られた。今このときのように。

「決めたわ」
 緋玻は、うっすらと笑った。
「どんなにやりきれなくたって、あたしはクスリはやらない」

 成分も定かではないその秘薬は、老いた脳の中の時間を巻き戻した。
 若い冴えが戻り、そして、忘れようとしていた記憶が戻ってきたのだ。思考までもが逆さに回った。
 ――私の術を破るからには、覚悟が出来ているのだろうな。死ぬという覚悟が。お前たちは、死すべきだ。私の術は……完璧であるべきなのだから。

 崩れ落ちたはずの廃車たちは、むくりと身体を起こした。次々に首をもたげ、咆哮じみたクラクションを鳴らす。ガソリンも通っていないその心臓が唸りを上げて、緋玻に襲いかかった。鉄が砕ける音の中に、肉が爆ぜる音は、……なかった。
「すんでいたところが、あさすぎたようね……」
 ふうう、と鬼が焔の吐息をついた。鬼が腕を一振りすると、緋玻に飛び掛かった廃車たちは、たちまち鉄屑になって地に這いつくばった。
「あんないしてあげるわ、あたしのくにに」
 黒髪の鬼は、呪詛で膨れ上がった魔術師よりも、遥かに強大なのだった。そのあぎとが、ぼりん、と魔術師の禿げた頭を噛み砕く。
 紡がれた唄や言葉が解けて崩れ、幻想的な文章の羅列と化した。
 それは、田中緋玻が望んでいたものだった。
 これでやっと、仕事が出来る。
 もうほとんど、終わっているのだけれど。



 『エグルの聖槍』の作者名の下に並んでいるのは、田中緋玻という名前と、リチャード・レイという名前だった。田中緋玻とリチャード・レイの右横には、堂々と『訳』と書かれている。
「……わたしは、邦訳に携わったことはありません」
「いま携わったじゃない。気にしないでよ」
「気にします」
「あなたがいなかったら、解決しなかったかもなのよ。言ったでしょ、舶来ものには疎いの」
 深夜のファミリーレストランに入っている客は、緋玻とレイだけだった。ウェイトレスはあくびを噛み殺している。
 緋玻はまたしても、ギプスを嵌めた手で原稿を掴み、鞄にしまうと、席を立った。レイは苦笑し、ゆっくりとかぶりを振ったあとに、ようやく礼を言う。
「わかりました。有り難く――」
 緋玻が経ち上がった途端に聞こえてきたのは、けたたましいブレーキ音。
 1台の車が、レストランに突っ込んだ。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2240/田中・緋玻/女/900/翻訳家】

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               ライター通信
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 モロクっちです。『エグルの呪詛』もついに完結ですか。2週間お休みを挟んでいるわけですから……1ヵ月以上に渡って展開された超大作であります(笑)!オチも名作『逝きつく先』(笑・直訳です)を意識して遊んでみました。しかし冗談ではなく、鬼形態を書かせていただいたのはかなり久し振りになりますね。
 ……エグルという名前は「抉る」から取ったという設定は内緒です。