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<東京怪談ノベル(シングル)>


時が流れる




 三月――。
 学校の中は慌しかった。

 いくつかの声が混ざり合って聞こえてくる。
 卒業式を終えた卒業生が泣いているのだ。
 校庭に並んだ一・二年の生徒が花を渡す時も、卒業生は泣いていた。
 まだ桜の咲いていない時期。
 寂しい木々に囲まれた中で、声だけが大きく響く。

 この時期は苦手だ。
 人が去って行って、代わりに他の人が来る。
 この先輩がいなくなるから嫌、という訳ではなくて、続いていく日常が乱された感じがするから。
 ――ずっとこのままでいられる訳じゃない――
 思い知らされる。
 同じように見えても確実に時は動いていて、みんなも動いている。さも当たり前のように。あたしもその波の中にいる。
 でも。
(気のせいなのかな……)
 あたしは立ち止まったままでいる気がする。

 あたしは何になりたいんだろう。
 あたしの将来は、何?
 わからないことだらけだ。

 ――いっそ時なんて、進まなくていい。
(未来なんて見たくないし、行きたくないもん――)
 足がすくむのだ。
 幼い子供がするように、左右に激しく首を振る。小さな抵抗かもしれなかった。


 部活の先輩から声をかけられたのは、終業式が終わってすぐのこと。
「演劇部と水泳部の合同会なんだから、一年は絶対に行かなくちゃ駄目よ」
「は、はい……」
 あたしは力なく頷いた。
 先輩の言葉には逆らえないのはいつもの通り。
(気は進まないけど――)
 気晴らしにはなるかもしれない。
 先輩はあたしを引っ張って、体育館まで走った。

 ここで気付くのもおかしいかもしれないけれど。
 演劇部と水泳部の合同会、と先輩は言っていた。
 ――演劇部と水泳部。
 どちらにも所属しているあたしには判る。
 普通の合同会じゃない。

 舞台の上では先輩たちがはしゃぎ、床にはお酒の瓶が転がっていた。
(やっぱり……)
「先生に見つかっても平気なんですか?」
 一応訊くと、先輩は唇の先をニィっと上げて。
「賄賂はバッチリよ」
 さすが先輩。抜け目がない。
(というか、いいのかなぁ?)
 色々と疑問はあるけれど、それには目を瞑って。

 つまり、合同会はこういうことらしい。
 水泳部の力を借りて、先生には今日のことは全て黙認してもらう。
 演劇部が持ってきた衣装を後輩に着させる。またその姿を写真に収めて遊ぶ。
 当然、あたしは後輩の一人に含まれている。
「じゃあ、始めましょうね!」
 お酒が回っているせいか妙に元気の良い先輩。
 ちょっと呂律が回ってないけど。
「まずねー簡易シンデレラごっこ!」
「?」
 首を傾げているあたしに、先輩は衣装を押し付けた。
「みなもちゃんはシンデレラだよーん」
 ちょっと驚いた。だって、あたしは一年生。基本的に端役しか回ってこない筈なのに。
「そんな大役、いいんですか?」
「構わないわよぉ。ワタシは継母役ね」
 そう言われると、嬉しかった。遊びとは言え、主役なんて始めてなのだから。
「ありがとうございます!」
 お礼を言って、着替えようと衣装を広げて――。
 あれ?
 シンデレラは粗末な服を着せられていると思ったけど、この服は裾が妙にヒラヒラしている。
 それに色も鮮やか。
 ウエスト部分の後ろにはリボンまでついている。
 これじゃまるで――。
「あのー、これ、メイド服ですよね?」
「そうだけど、どうかしたのん?」
 先輩はさも不思議だと言わんばかり。
「だってシンデレラってこの家のメイドでしょ?」
 ……そうだっけ?
 凄く違う気がするけど。
 とりあえず着て、先輩と一緒に舞台へ上がる。
 下では他の先輩たちがカメラを持って、シャッターチャンスを窺っている。
「さぁ、シンデレラ! 雑巾がけをして頂戴!」
「はい、お母さま」
 渡された雑巾で乾拭きをする。
 先輩――もとい、お母様はあたしが雑巾をかけた場所からツツと指を走らせて。
「まぁ、まだこんなに汚れているじゃないの! 駄目なメイドね、おしおきよ!」
 言うが早いか、パシン!
「いたっ! 今何で叩きました?」
「鞭」
「そんなもの使っちゃ駄目です!」
 大体、根本的に間違っている気がする。
「そもそもシンデレラはメイドじゃありません!」
「えー。そうだったかしら。じゃあ、メイドじゃないなら何なの?」
「え、えーと。わからないですけど、メイドよりも奴隷に近い立場だと思うんです」
「ふむぅ。奴隷ねぇ。それは難問だわ」
「だから、シンデレラごっこはやめませんか?」
「勿体無いわねぇ。ノッてきたのに」
 先輩は小道具箱から手錠を取り出し、
「これを使ったら奴隷っぽくなるんじゃない?」
「なりません」
 諦めてもらった。

「じゃあ何のごっこ遊びをすればいいのかしら」
 先輩は悩んでいた。
「青い鳥はどうかしら?」
「青い鳥っって、どんな話でしたっけ?」
 あたしには思い出せなかった。
「んーと、ほら、こんな話よ。幸せの青い鳥を探しに出かけたチルチルとミチルがお菓子の家を見つけて、戦うのよ」
「戦うんですか?」
「お菓子の家に住むおばあちゃんが悪い奴だったからねぇ。頑張っておばあちゃんを倒したチルチルとミチルはお菓子の家を手に入れるのよ。二人は幸せ、それでお終い」
(そんな話だったかなぁ?)
「青い鳥はどうしたんですか?」
「さぁ……。あーきっとあれだわ、お菓子の家が現れたことで忘れちゃったのね。つまり遠くの目標を掲げるよりも、今目の前にあることから片付けろっていう教訓があるのよ」
「そ、そうですか……?」
 一人で納得している先輩。
 あたしは絶対間違っていると思う。
「みなもちゃんは、これが演りたい! っていうのある?」
「特には何もないですけど……」
 うーん、と先輩は唸った。
「じゃあ思いつくことから順にやっていきましょう。みなもちゃん、喉渇かない?」
 そう言われれば、喉の奥が擦れたような感触がある。喉が渇いていた。
「そう。ちょっと待っててね」
 そう言って先輩はスープを持ってきてくれた。平べったい皿から、スープの湯気が立ち上っている。
「じゃあ」
 と言ってあたしを着替えさせる先輩。
 白い身体、白の羽。長いクチバシ……。
 スープを飲もうと思って口を近づけても、クチバシと皿がぶつかり合うだけ。皿が平べったいと、飲みようがない。
 その上息が篭るせいで、唇の周りが焼けるようにあつい。
 狐の被りものに身を包んだ先輩は、あたしの目の前でスープをガブガブと飲んでいる。
「鶴と狐、ね」
 ちなみにこの後の話――鶴が狐を家に招待してやり返す話――はカットされているらしい。
 何だか不公平な気もするけど、先輩の狐姿を見たら笑ってしまった。
 先輩もスープ相手に奮闘するあたしを笑っていたけど。
 カメラのシャッター音が心地よく聞こえてきた。

 あたしは自分が本当に着せ替え人形になったんじゃないかと錯覚したくなった。
 例えば――耳だけのロバ(王様の耳はロバの耳、のミダス王のつもりらしい)。
 これはまだ可愛いから良かった。耳をつけるだけだもの。
『ジャックと豆の木』の豆の木にされた時は、身体中に葉を巻きつけられたままジャックが登るまで動いてはいけないと言われるし、『三匹のこぶた』のこぶた役では着ぐるみをきたまま狼役の先輩に吹き飛ばされた。
 辛かったのは『かしこいハンス』の時。牛役だったあたしはカウベルをつけた状態でハンス役の先輩に頭上へ持ち上げられた。
 きゃあ!
 いくらもがいても先輩は離さない。「うまい、うまい」と褒めるばかり。
「はーい、いい子にしれるんらろぉ」
 どんどん呂律が回らなくなってきている先輩。
 このシーンは牛が暴れてハンスが怪我をするところ。だから思い切り暴れてやった。
 離してもらえたら、と思って。
 ……無理だったけど。


「色々着せちゃったわねぇ」
 動くのも辛くなったのだろう、先輩は舞台の上に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
 あたしが心配しても、先輩は笑顔を返すだけで、あたしにまでお酒を勧める。
「まぁ、飲みなさいよぉ」
「いえ、あたしは……」
「いいから、いいから。んじゃあ、みなもちゃんはビールにしようっ」
「……はい」
 断りきれずに、ほんの一口だけ口に含んだ。
 冷たいものが口の中に広がったと思うと、舌に絡みついた。
 痺れたような感覚、淡い苦味が喉を支配する。
「もっと飲みなさいよぅ」
「いえ、もう……」
 お酒なんて飲まないからわからないけど――。
 すぐに酔っ払ってしまいそうな気がした。
「ずぁんねん(残念)ねぇ〜」
 先輩は一気に飲み干すと、幸福のため息を漏らした。
「演劇って楽しいわよねぇ」
 ポツリと言う。
「高校でも絶対やるもの。楽しみだわぁ」
 先輩の一言に、あたしは身体を硬くした。
 現実を突きつけられたように。
「みなもちゃんは、行きたい高校ある?」
「――……。いえ、今は特にはないです」
 行きたい高校もなかったし、やってみたいこともない。
 また思い知らされる。
(……嫌だな……)
 先輩は黙ってあたしを眺めている。
 その後、ヘラヘラと笑って
「だったら、ワタシが高校入ったら、そこに来なさいよぉ」
 こともなげに誘ってきた。
(先輩、簡単に言うなんて)
「そんな動機じゃ、駄目ですよー」
「そんなことないわよ」
 先輩はグラスを置いて、冷えた指であたしの頬を押した。
「もっと気楽に考えるのよぉ」
「――………………」
 一理あるかもしれなかった。


 夕方を過ぎた頃には、先輩は完全に酔っ払っていた。
 あたしの膝を枕に、寝息を立て始めるくらいに。
「先輩、くすぐったいですよー」
 あたしが身体を揺すっても、起き上がらない。
 うーん、と小声で唸ってから寝返りを打つ。
(もう)
 仕方ないなぁ。
 それを友達が楽しそうに見ている。
「みなもは先輩に好かれているね」
「そうかなぁ」
「何を話していたの?」
「先輩が進学する学校においで、って」
 あはは、と友達は笑い声を上げた。
「それいいじゃん。あたしもそうしよっかな! みなもと先輩と一緒にね」
「そうかな?」
「だめ?」
「ううん。そんなことないよ」
「良かった。一緒ね!」
 友達の嬉しそうな顔。
 先輩の幸福そうな寝顔。
 見れば、床のあちこちで先輩たちは寝息を立てていた。
「そうだね」
 とあたしは呟いた。
「一緒がいいね」


 時計の針が、夕方五時を回った。
 後片付けを心配しながらも、あたしと友達は先輩を起こせずにいる。



終。