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<東京怪談ノベル(シングル)>


甘い匂いに寄せて

 ほのかな香りはなんのため?
 甘い味は誰のため?
 白いクリームが泡だっていく。それはきっと食べてもらいたい人への想いが入りこむから。
 ありがとうと伝えたい私の気持ちが。

 蒲公英は懸命に腕を動かしていた。爽やかに吹いてくるのはベランダからの風。もうすっかり春らしくなり、開け放った窓の外では北から渡ってきた今年初めての燕が、巣所を探して飛んでいる。
 本日は日曜日。塾などで忙しいこの頃の小学生と違って、蒲公英の休日はのんびりと過ぎていく。心なしか胸の奥底が落ちつかないのは、近々やってくる人のことを想うからか。兄のようにも感じられる懐かしい人。
 目を閉じるだけで瞼の裏に面影が浮かんでくる。
「あの方……は甘い…の好きかしら……?」
 呟く呪文。
 嫌いでありませんように。
 気に入って下さいますように。
 手にはステンレスのボールと泡立て器。鼻の頭にクリームをつけて、白いエプロン姿でメレンゲを泡立てた。父は休日返上のお仕事。ホストという職業が、いかなる職種であるかは知らないが大変そうだといつも思う。
 けれど、彼女にとって彼がいないことは、ケーキ作りに関してはよかったかもしれない。こんなにも楽しそうに父ではない「誰か」にプレゼントするケーキを作っていると知ったらなら、静かに怒ること間違いなしだからだ。無論、父がそんな思いを蒲公英本人に悟られるような不愚はしないだろうけれど――。

 初めて本格的に作ったスポンジ部分も綺麗に膨らんだ。蒲公英はオーブンの中を確認して胸を撫で下ろした。幼い頃からお菓子作りをしてきたけれど、こんなに緊張して作業するのは初めてだった。失敗できないと思う。
 いつもは父に作っていた。甘いからいらないと言いながらも、決して残すことのない父が好きだった。彼はどうなのだろうか。
 ふと心配になる。まな板の上に包丁を置くと、蒲公英は呟きながら切ったばかりの苺を手に取った。
「イチゴ、イチゴ……ええと…これ……くらいでしょうか。ここにも入れてみましょう」
 膨らみ過ぎた上部を切り取り、半分に薄く切る。泡立てたクリームを丁寧に塗って、輪切りにした苺を乗せていく。

 ――喜んで下さると…いいな。未刀さまのために…作ったんですもの……。

 淡い春色の苺をのせる度に、嬉しそうに手渡したケーキを口に運ぶ彼の姿を想像してしまう。蒲公英の頬がほんのり朱を帯びているのに気づいたのは、部屋を通り過ぎていく風だけ。
 真っ白なクリームの上に赤い苺とミントの葉。ミントはベランダでこっそり作ったもの。
「とーさまには内緒……ね」
 ベランダに舞い降りた雀にそっと指を立て微笑む。リボンで緩く結んだ長い黒髪が風にそよぐ。手にしたミントの葉をそっと鼻先に近づけると、透き通った空気の香りが蒲公英の胸を落ちつかせた。
 出来上がったのは、素晴らしい出来映えのケーキ。ちょっとだけ思案して、蒲公英はケーキを用意していたプレゼントボックスに入れた。かけるリボンは彼女の愛用してるのと同じ薔薇色のビロード。

 そっと。
 本当にそっと、カードを添えた。
 『心を込めて ―― 小さな友人より』

 きっと届く。
 そう、きっと。目を閉じなくても見られるかもしれない。彼の笑顔が――。
 出来上がったプレゼントの横で、蒲公英は淡く淡く頬を染めて微笑んだ。
 胸に湧きあがる想い。
 ゆっくりと変化していることを気づきもせずに。


□END□

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 蒲公英ちゃんを書けて嬉しい、ライター杜野天音です。
 私の失敗で納品が遅れてしまい申し訳ありませんでした
 誰かを思ってケーキを作る姿……父には見せられませんね。いつも一人称で書いているので、少し変な感じがしました。
 でも、彼女自身が気づかない部分を表現したかったので、あえて三人称にしました。いかがでしたでしょうか?
 これから蒲公英ちゃんの中で起こる、気持ちの変化が楽しみです♪
 それではありがとうございました(*^-^*)