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<東京怪談・PCゲームノベル>


悪くない時間

 本日の橘家の店終いは、遅かった。
 家の片隅に開いた小さな工芸店に、閉店時間は、あって無いようなもの。主の心一つで真昼に門が閉まることもあれば、深夜になっても煌々と照明が漏れていることもある。
 店に足を運ぶ客たちも、次第次第に、その事がわかり始めてきたらしい。朝っぱらから遠慮会釈なくズカズカと入り込む輩もいれば、丑三つ時に、コンビニ気分でふらりと立ち寄る暇人もいる。
 物を買う買わないにかかわらず、来た客には、世話焼きな橘兄弟から、お茶とお菓子が存分に振る舞われる。元々、儲けようなどという意識が皆目無いこの店の従業員たちのこと、問われない限り、あれがオススメだのこれが安いだのと、口にするはずもなかった。
 
「…………の、割には、意外に儲かっているよな」
 
 鬼龍の刀鍛冶職人が、同郷の奏者の手元を、覗き込む。物品の管理を任されているのは、主に采羽だった。細かな帳簿の帳尻合わせなど、流にしてみれば、ほとんど拷問に近い苦行である。貸し方? 借り方? 在庫? 純利益? 俺に聞くなと、声を大にして叫びたい。
「細かなことは、全て私がやりますよ。幸い、こう見えても、簿記の資格も持っていますしね」
「そういや、お前、一応、教師だったっけ……」
「臨時ですけどね」
「地に足付いた奴だよな。つくづく」
 感心するよりも、入り口の引き戸でも閉めてくれた方が、ありがたい。
 采羽が頼むと、流がわかったと頷いて、戸口へ向かう。営業中を示す提灯を、外の柱から取り除いた時、ぽつりと、遠くに、黒い人影が浮かび上がった。
「客……か?」
 かなり視力の良い流だからこそ、気付いたと言うべきだろう。人影は、全身が黒づくめだった。夜の闇に溶け込んで、一生懸命目を凝らしても、ともすると見失いそうになる。
「これはまた……毛色の違うのが来たな」
 工芸店に、これほどそぐわない男も珍しい。男からは、都会の匂いしかしなかった。古の雅に食指の動きそうな雰囲気など、微塵もない。ビルの谷間と闇空が、その背を飾るに相応しい、裏側を知り尽くした者の独特の気配が、否が応にも漂った。
「店終いか」
 男が、尋ねる。
「いや」
 流が、閉めかけていた入り口の戸を、大きく開けた。
「あんたが、最後の客だ」



 男は、眞宮紫苑(まみやしおん)と名乗った。
 鬼龍の酒を買いに来たのだという。知人から、ここでしか手に入らない銘酒の存在を、聞きつけたのだ。
「彩藍(さいらん)と、雪焔(せつえん)……って言ったかな」
 店を見回す。棚の陰に隠すように、銘酒の一升瓶が置かれてあった。
「試飲は?」
 と、紫苑が尋ねる前に、流が、瓶の封を取り、商品棚に並ぶ猪口を勝手に拝借して中身を注ぎ、差し出した。
「これが、彩藍。どちらかと言えば、女向けだ。甘口で飲みやすい」
 香りは仄かに漂う程度で、舌触りも滑らかだ。甘口だが、糸は引かない味だった。が、喉越しが良すぎて、紫苑には、かえって物足りなくもあった。もっと、強烈に、アルコールが臓腑に襲いかかってくるような刺激が欲しい。
「あんたは、こっちの方が、好みかもな」
 采羽が、その前に、と、水の入ったコップを渡す。口を濯げと言うのだろう。彩藍の味が口内から消えたところで、更にもう一つ猪口を失敬して、流が、残った銘酒を、真新しい杯に注いだ。
「雪焔だ。度は、彩藍のほとんど倍。辛口だ。だが……文句なしに、美味い」
 封を開けた瞬間、強烈な酒の香が漂ってきた。喉の奥にまで絡みつくような、その芳香。甘みはない。舌が、一瞬、ぴりりとした。久しぶりに、本物の酒に会った…………そう確信できるほどの、最高級の、味。
「こいつは美味いな……」
「気に入ったか?」
「ああ。雪焔をくれ。それから……彩藍も。これはこれで美味い。幾らだ?」
「二本で一万」
「たったの?」
 拍子抜けしてしまう。そりゃないだろうと思った。これには遠く及ばない酒が、名酒と謳われ、気の遠くなるような値段を付けられていることを、当然、紫苑は知っていた。
「本当にいいのか?」
 慎重に、聞き返す。鬼龍の二人の里人が、笑った。

「味のわかる奴に飲まれた方が、酒も、本望だろうさ」
「彩藍と雪焔は、鬼龍を象徴する花です。その名を戴く、この酒もまた、私たちの誇りなのですよ」

 美味いと誉めてくれた人だから、値は関係なく、飲んで欲しい。
 鬼龍の銘酒は、無名の名酒だ。ブランド名が一人歩きしているわけでもないのに、こいつは本物だと、認めてくれた者にこそ、相応しい。

「なぁ、采羽。俺たちも久々に飲むか。鬼龍の銘酒を、鬼龍ではない、今ここで」
「そう言えば、流と飲むのは、久しぶりでしたね。昔を思い出して、たまには、私たちも楽しみましょうか」
「あんたも飲むか?」
 流が紫苑に聞く。まさか誘われるとは思ってもみなかった紫苑は、咄嗟に返事が出来なかった。
「俺は、鬼龍の里人ではないし、鬼龍にも行ったことがないが……構わないのか?」
 少しの間を置いて、尋ね返す。
 再び、鬼龍の里人が、笑った。
「関係あるのか? 何処の出身か、なんて。俺は、ただ、酒席には、美味い酒と、話のわかる人間が欲しいと思っただけさ」



 既に休んでいた橘家の兄弟を、流が叩き起こしてきた。
 もちろん、春海だけは例外だ。この危険きわまりないオカマの部屋の前は、素通りした。宴会メンバーを引き連れて、店に戻って、が、しかし、刀工は呆然とする。にっこりと笑って、オカマが、鍛冶師を迎え入れた。
「ボウフラのように湧いて出やがって……」
「つれないんだからぁ〜」
 ああ、そうか。
 紫苑は、奇妙に納得する。さすが、四人も兄弟がいると、毛並みの違うのが、一人くらい紛れているものだ。
「それにしても……」
 総勢七名。鬼龍の里人二人。橘兄弟四人。そして、紫苑。
 もはや、完全な宴会である。しかも、何処を見ても、野郎ばかり。色気のないことこの上ない。
 あれほど大量にあった鬼龍の銘酒が、瞬く間に減ってゆく。もっと味わって飲めよと紫苑は思ったが、七人もいると、酒も奪い合いになるのは道理である。しみじみと雰囲気を味わおうと思っていた紫苑は、やや宛てが外れたが、一方で、この賑やかさも悪くはないと、微かに唇を綻ばせてもいた。
 気取りながら酒を飲むのは、つまらない。馬鹿で良いのだ。無駄な会話の積み重ねこそが、お互いを知るための、何よりも確かな一歩となる。

「あ、おい、お前。後ろ後ろ………あ、捕まった」
 紫苑が笑う。流が振り返るより一瞬早く、春海が、鍛冶師に抱きついた。それを流が振り払う。二の腕に、本気で鳥肌が立っていた。
「どさくさに紛れて抱きつくなっ!!」
「必殺酔ったふり! なんで見抜かれたのかしら〜」
 ……酒を飲むよりも、こいつらを眺めている方が絶対に面白いと、紫苑は、この時、確信したという。
「……秋都さん、大丈夫ですか。こんな所で寝たら風邪ひきますよ」
 傍らで、鬼龍の奏者が、橘の奏者を揺り動かす。雪焔を飲み過ぎたらしい。冷静な秋都にしては珍しい失態だ。寝ていたところを引っ張り起こされて、体調も良くなかったのかも知れない。酔いどれだらけの店内は、窓を全て開放してしまっていたので、かなり冷え込んでいた。
「運ぶなら、手伝うが?」
 客人の提案が、采羽には、ありがたかった。
「すみません……お願いしてもよろしいですか」
 秋都と、ついでに夏嵐を強制退場させ、店に戻ると、冬夜が弟に何やら説教を垂れており、そこから大分離れた場所で、ようやくオカマから解放された流が、心の底からほっとしたように、静かに一人杯を傾けていた。
 紫苑が、傍らの鬼龍の里人を、振り返る。
「あんたは強いな。鍛冶師も。顔色一つ変わらない」
 采羽が、さり気なく、だが、とんでもないことを口にした。
「鬼龍の酒では、私たちは酔いません。子供の頃から、水代わりに飲んできましたから」
「そいつは良い土地柄だ……。俺も、ガキの頃は、鬼龍で育ちたかったものだな」
「あなたには、退屈でしょう」
「なぜそう思う?」
「あなたは、平穏の尊さを知らないわけではありませんが、どちらかを選べと言われたら、血にまみれて生き抜くことこそを、望む方です」
「言ってくれるな……」
「……違いますか?」
「違わない。……なぜ、わかる?」
「気配……でしょうか」
「……気配か」
 酔いもしない酒より、煙草が欲しいと、紫苑は思った。
 懐を探り、舌打ちする。箱の中身は空になっていた。辺りを見回したが、工芸を扱う店の中に、煙草が置いてあるはずもない。
「吸うか?」
 目の前に、タイミング良く、煙草が差し出される。鬼龍の刀工が示したそれは、あまり馴染みのない外国のメーカーのものだった。好物のロング・ラークほどではないが、強く深い味がした。
「美味い酒と、美味い煙草と。……悪くはないな。ここは」
 紫煙を吐き出しながら、呟く。
「確かにな」
 流が、頷いた。
「居心地が良すぎる。この、橘家は」

 だから、困る。
 鬼龍に、帰りたくなくなってしまう。
 馴染みすぎるのが…………怖い。
 やらなければならない事が、鬼龍に、あるのに……。

「いいんじゃないか? 大抵の人間は、居心地の良すぎる場所なんて、探しても、簡単には手に入らない。馬鹿に見える橘兄弟の三男末子も、半分以上は、演技だ。……わかるだろう?」
 オカマだナンパだのと騒いでいる間は、全てを、忘れていられる。
 確実に削られて行く時間のことを、考えなくて済む。
「わかっているさ……」
 橘家に、本当の馬鹿は、いない。
 言われて初めて……気付く。
「しかし、あいつに追い回されるのだけは、俺だったら御免だな」
「全くだ。元気づけるのが目的なら、もう少し、まともな方法を取ってくれと、切実に思うぜ……」
「何なら、俺が、始末してやろうか? 格安で」
「…………頼むかな」
「……ひどい奴だな」
「話を振ったのはお前だろ」
「……断れよ……」
 煙草が、手で持つのが難しくなるくらい、短くなった。
 店内に灰皿は無い。そろそろ、宴もお開きにするべきだろう。目当ての酒も手に入れたし、後は帰るだけだ。
「またな」
 そう言った。じゃあな、ではない。殺し屋が、再会を匂わせるようなことを口にするなんて……紫苑は、思わず、自分自身に苦笑する。

「また来いよ」
「また、お越し下さいね」

 鬼龍の里人二人から、同じ言葉が返ってきた。
 また。
 また、か。
 今度は、和紗の奴と、二人で来ようか。
 それが、いつになるかは、わからないけれど……。

「宴会の続きは、あいつの画廊で……と洒落込むか」

 旨い酒と。美味い煙草と。上手い絵と。
 限りなく腐れ縁に近い友人と二人、幻の里の幻の酒を、酌み交わそう。
 あの場所なら、見たい景色に、不自由することはない。全ての夜が、揃っている。

「こいつも、また、すぐに無くなりそうだ」

 手に入れた酒は、たったの二升。
 これが完全に尽きる前に、また、買いに走ることになるのだろう。
 面倒くさい、とは、思わない。
 むしろ、その時が来てくれるのが、楽しみだった。

「ああ……そうだな。本当に…………悪くない」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2661 / 眞宮・紫苑(まみや・しおん) / 男性 / 26 / 殺し屋】

NPC
【鬼龍・流(きりゅう・ながれ) / 男性 / 24 / 刀剣鍛冶師】
【鬼龍・采羽(きりゅう・さいは) / 男性 / 25 / 奏者】
【橘・冬夜(たちばな・とうや) / 男性 / 21 / 大学生・囃子方】
【橘・秋都(たちばな・あきと) / 男性 / 21 / 大学生・囃子方】
【橘・夏嵐(たちばな・からん) / 男性 / 21 / フリーター・囃子方】
【橘・春海(たちばな・はるみ) / 男性 / 21 / 大学生・囃子方】

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■         ライター通信          ■
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初めまして。眞宮紫苑さま。
鬼龍の里人二人に加え、橘兄弟も引っ張ってきました。もっと、賑やかな宴会を希望されていたのなら、申し訳ありません。
しみじみ飲む方になってしまいました。(苦笑)
とても雰囲気のあるPCさんなので、極力、イメージを壊さないように書いたつもりですが……いかがでしょうか?
采羽が、途中、失礼なことを言っていますが、大目に見てやって下さい。(汗)

藤水さまのパトロン兼非常食ということで、藤水さまの描写も、最後にちらりと。
彩藍と雪焔を、お二人で飲んで頂ければ幸いです。

それでは、今回のお申し込み、ありがとうございました!