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<東京怪談・PCゲームノベル>


春に散る色【palette】

【sky blue】

──レイお姉ちゃん、大好き!

 いつも黒一色のウェアでバッチリ決めてて、ロードバイクをさぁって飛ばしてるのが凄く格好良い。
 掛けっこして遊んで貰った事もあるけど、凄ーく速くって。あたしはレイお姉ちゃんに憧れちゃう☆
 初めて会ったのはウィンさんのホテルだったんだけど、最近は良く外でも会うの。
 今日も、タローの散歩に行った公園で遊んでたらばったり会っちゃった。

『近くのデザイン会社に届け物だったんだけど、多分、ここに居ると思ったのよ。……来ちゃった〜』

 だって。
 あんまり嬉しくって、思わず『どうして分かったの!? 凄ーい!』ってはしゃいじゃった。
 レイお姉ちゃんはふふん、って笑って『私は凄腕の情報屋なのよ』って云ってたけど、ほんとはあたしも分かってたんだよ、もう直ぐレイお姉ちゃんに会う気がするなー、って。
 って云っても、あたしの場合凄腕の情報屋(何だか映画に出て来る女スパイみたいで格好良い☆)って訳じゃなくって、何となく、ピンと来るだけなんだけどね、勘って奴。
 あ、そうそう、あたしが都市伝説とか怪談が好き、って云ったら、『じゃあ、面白そうな情報が入ったら教えてあげるわね。今度、一緒に潜入捜査に行きましょう』って誘ってくれたの☆ いや〜ん、本当にスパイ映画みたいー!(じたばた)
 
 ……ええと……、……そうそう、公園でばったり会って、お互いに何となく予感してた、って話!

『そう』

 って、レイお姉ちゃんはあたしの頭を撫でてくれた。

『きっと私達運命の糸で繋がれてるのね』

 なーんて、『えみりちゃん、私のお嫁さんにならない? ああ、私が素敵な男性だったら今この場でプロポーズしちゃうのに』って云ってくれたのは嬉しいけど、でも矢っ張りあたし、レイお姉ちゃんは旦那さんよりもお姉ちゃんの方が良いから、『あたしはレイお姉ちゃんの妹が良い〜!』って、云っちゃった☆

『ああもう、えみりちゃん、なんて可愛いの!』

 って、レイお姉ちゃんがあたしの身体をぎゅー、って抱き締めてくれたのが嬉しくって〜、何だか本当の姉妹みたいなんだもん。
 レイお姉ちゃんはタローとも仲良くしてくれたよー、『君も、飼主には劣るけどなかなか可愛いわね』って。……あ、タローはウェルシュコーギーの男の子。タローはあたしの大事な友達だから、そうやって人に話すみたいに接してくれたのが何か嬉しい☆

『レイお姉ちゃん、犬は好き?』
『大好き。犬は良いわよね、猫も可愛いけど、私もえみりちゃんと同じで身体を動かすの、好きだからね。矢っ張り、一緒に遊べると嬉しいものね』

 お姉ちゃんは飼ってないの? って訊いたら、『ウチは父も弟も動物がダメなのよ』ってちょっと寂しそうに笑ってたけど……。

『君』

 腰に両手を当てて、お芝居みたいに戯けながらレイお姉ちゃんはタローに云った。まるで、本当に会話してるみたいに。

『私、これからえみりちゃんとは姉妹なのよ。だから君とも仲良くして貰えると嬉しいわね。分かった? 私は君の親友のお姉さんだから、イコール君と私もお友達って事よ。仲良くしましょうね』

 って、タローの頭をくしゃくしゃ撫でて……。
 嬉しいよね☆ そうやってみんなで友達になれると!

 ……そうだ、ウィンさんの所にも子犬が居るんだっけ。確かコリーで、名前は『カプチーノ』、……なーんか可愛い☆
 そうそう、あのね、あたしがレイお姉ちゃんに、前に貰ったロードバイク用のシューズのお礼にお料理教えてあげるって云ったら、ウィンさんが『ウチのキッチンを使っても良いわよ』って云ってくれたんだ。
 それで、春休みに早速、姉妹(エヘ☆)2人でお邪魔する事になってるの。

【sky blue on white】

「あら、どうしたのー? 格好良い靴履いちゃって」
 嬉しそうね、──と、床の上に新聞紙を曳いて、真新しいスポーツシューズを履いてくるり、と回転しては鏡を覗き込んでいた片平・えみり(かたひら・えみり/名前は『えみり』でも純日本人)に笑顔で母親が訊ねた。
「エヘ☆ レイお姉ちゃんに貰ったんだ、ほら、見て! 靴底に金具が付いてて、これをペダルに固定出来るようになってるの。こうするとね、ペダルを踏み込むのがすごく軽くなるんだって」
「ふーん、」
 従兄の、更に従姉はドイツからの留学生で、万年大学生の身分を満喫する傍ら、自ら女将となって彼女の母の経営するドイツの古城ホテルの東京営業所を営んでいる。彼女、──ウィン・ルクセンブルクのホテルへ遊びに行ったえみりはそこで、ウィンの友人だという(自称)メッセンジャーの結城・レイと知り合った。レイはえみりを一目見た時から「きゃあ、可愛い〜!」……などと云ってすっかりお気に入りで、その日の内から「えみりちゃんは私の妹よ! 私はえみりちゃんのお姉さんだからね〜、」と姉妹宣言までしてしまった。何でも、彼女にも弟が一人居るのだが、あまりの素行の悪さに、見兼ねたウィンが矯正の為彼女の実家へ強制的に送り込んでしまった程の不良なのだそうだ。唯一の弟がそれであるから、「えみりちゃんみたいな可愛い妹が欲しかったの!」と……。
 彼女の理屈は少々強引であるが、そこで「レイさんの事お姉ちゃんって呼んでも良いですか!?」と即座に答えてしまったえみりも大はしゃぎだった。えみりには小学生の弟が居る。普段は両親が共働きの所為か確り者の姉として振舞っているが、未だ13歳の少女としては矢張り甘えたい年頃だ。ずっと、「お姉ちゃん」が欲しかった。
「前にね、何色が好き? って訊かれたんだ。あたしはその時何でか知らなくて水色、って答えたんだけど、レイお姉ちゃんわざわざ水色のシューズを探してくれたんだって。でも、無かったから白になっちゃったって、でもほら、靴紐が水色でしょ? レイお姉ちゃんが態々取り替えてくれたんだって、あたし、もう倖せ〜、」
「良かったわね、……でも……、」
 ──と母は微笑みながら少し不安そうに眉を顰めた。
「あんまり甘えちゃいけませんよ、スポーツシューズなんて高価な物なんだし。……きっと、えみりの事を気に入ってくれているのね、それは嬉しいよね、でも、『気持ち』の贈り物が嬉しいのだったら矢っ張りお返しをしなきゃ」
「うん、勿論! あのね、レイお姉ちゃん、料理が苦手だけど上手くなりたいんだって。あたしは得意だから、今度お料理教室を開く事になってるの。……でも……、」
 でも、とえみりも少し不安だ。
「『嬉しい』って云ってくれたけど、ホントにそれだけで喜んでくれるかなあ、……それでね、あたしもお小遣いでレイお姉ちゃんに何かプレゼントしたいな、って思ってるんだけど、良いよね?」
「良い事じゃない」
 母の笑顔は、にこにこと明るいものに戻っていた。──良かった、この子は年上のお姉さんが良くしてくれるからといって甘えっ放しになる事は無さそうだ、……それだったら、いつも「お姉さんだから」って色々と頑張ってくれているのだから、……大好きなお姉ちゃんが出来たなんて、本当に嬉しい事。
「でね、お料理教室に向けてあたしとお揃いの……ほら、いつもの水色のヤツ! あれとお揃いのエプロンを色違いで買ってあげようかな、って思うんだけど。詰んないかなあ、……でも、」
 お小遣いには限界があるし、でも「あたしに買ってあげられるもの」じゃないと意味が無いし……。
「良いじゃない、だってそれはえみりの『気持ち』なんだもの。きっと喜んでくれるわよ、レイお姉ちゃん」

【cappuccino】

「こんにちは〜☆」
「まあ、えみりちゃん、いらっしゃい!」
「いらっしゃァ〜い!」
 お料理教室当日。会場として自宅のキッチンを提供してくれるというウィン・ルクセンブルクの新居を小石川に訊ねたえみりを、ウィンを始め同居中の彼女のフィアンセの渋谷・透、……そしてふわふわしたコリーの子犬が満面の笑顔で歓待した。
「今日はお招き有難うございまーす! ……あ、渋谷さんもこんにちは〜、あっ、この子がカプチーノ!?
 いや〜ん、可愛い──!!」
「オレもカプチーノも待ってたんだよ〜、」
 抱いて良い!? とえみりは浮き浮きとウィンに訊ね、彼女が笑顔で「勿論」と頷くと、──その名前の通り、ミルクコーヒーのようなふわふわした色合いのコリー犬を抱き締めて頬擦りした。
「とっても人懐っこいでしょう? ……ふふ、えみりちゃんとはすっかりお友達のようね、」
 ウィンの言葉に応えるかのように、小さなコリー犬は高く嬉しそうな声を上げた。

──でも、口惜しい事に一番懐いているのはお兄様なのよね……。

 ──女の子だからかしら……?
 などと、つい最近飼い出したばかりの愛犬と、元気な少女の微笑ましい抱擁に目を細めていたウィンに、電話の着信音が聴こえた。
 すっかり仲良くなってしまったえみりとカプチーノを透の許へ残し、ぱたぱたとスリッパの音を響かせて応対に出る。──結城・レイの携帯だった。
「もしもし? レイ? ……そう、分かった? そう、良かったわ。……あ、あなたは自転車なのよね。ガレージに置いて貰えるかしら? ええ、入って貰って良いから。……そう、それでね、そうしたら一旦外には戻らないで、ガレージの中のドアを開けて。──……何でも、よ。それが近いから」
「?」
 受話器を置くと、透が「なァに〜?」と云う風ににこにことしたまま軽く首を傾いでウィンを見ていた。
「レイだわ。着いたんですって。ロードバイクはガレージに置いて貰うようにしたわ」
「レイお姉ちゃん!」
 えみりが、──ぱっ、と顔を輝かせてそれまでカプチーノを抱き締めて屈み込んでいた身体をぴょこり、と起こした。
「あたし、迎えに行きまーす!」
「あ、えみりちゃん、」
 歓び勇んで素早く玄関へ向かおうとしたえみりの背中にウィン声を投げた。
「そっちじゃ無いわ、こっちよ」
「……えっ!?」
 こっち、とウィンが示しているのは元居た小さな部屋──カプチーノの専用部屋らしい──の横の壁にあったドアだ。えみりが大きな瞳をぱちぱちと瞬いているのも無理は無い。えみりは、玄関までレイを迎えに行こうとしたのだ。それはウィンも分かってくれただろうが、そのドアの先の方向は、どう考えても玄関とは逆である。
「……」
 ──えーっ、……どうしよう……、とえみりが逡巡している間に、そのドアは向こう側から開いてしまった。入って来たのは、当然、レイである。
「……はァ!?」
 ──えぇぇええ!? 何で!? ドアの向こうがいきなり、これ!? おかしいじゃない、──……レイの、常人の半分しか様子の伺えない顔にさえ明らかにそう、疑問が書き連ねてあった。
「あ、レイお姉ちゃん!」
「……ああ、えみりちゃん……に、ウィンさん」
「いらっしゃい」
 何ら不思議は無さそうに笑顔を向けたウィンを見ては、レイも首を傾げつつ何もおかしい事は無かったのだと自ら云い聞かせざるを得なかったらしい。
「……変わった……玄関ね」
 軽く首を振りながら、足を踏み入れようとする。透が慌てて止めた。
「あっあっあっ、レイちゃん、靴靴!!」
「──ぅ、っと……、」
 片足を上げたまま、器用にバランスを取って静止したレイは駆け寄ったえみりに支えられながらどうにか、転倒の直前にロードバイクシューズを脱いで土足で上がり込むには至らなかった。
「あ、靴、預かるわ。玄関に置いておくわね」
「……」
 ──別なの、……玄関? ……。
「……、」
「面白い家〜☆」
 呆然と突っ立ったままのレイの側では、どうやらガレージとこのカプチーノ部屋が直通しているらしい事に気付いたえみりが両手をぱん、と合わせて歓声を上げていた。賺さず、えみりの顔を覗き込んで便乗するのが透だ。
「でしょ、でしょ、あのさァ、寝室からは直接フロに行けるんだよね〜、朝とか便利なんだー、」
「えーっ、」
 えみりの目はきらきらと好奇心に輝いた。……良いなあ、……探検してみたいけど、でもウィンさんと渋谷さんのお家なんだし、それは失礼だよね……。
「……、」
 ──と、そんな少女らしい好奇心を敏感に察知したらしい透がにっこり微笑んだ。
「……そうそう、オレお蕎麦打つからさー、じゃあその間ウィンちゃんに案内して貰いなよ。面白いよ〜、……ア、レイちゃんも一緒にさ」
「良いんですかぁ!?」
「勿論よ、……ふふ、ちょっとね。知人から紹介して貰ったのだけど、面白いでしょう。……えみりちゃんにはこっそり教えてあげるわね。……実はね、」
 こっそり、とウィンはえみりの耳許に口唇を寄せ、内緒話めいて言葉を継ぐ。……態と声を顰めているのは、どこか怪談や肝試しのケースにも似た、「本当は云ってはいけないのだけど……、」と云った微妙な好奇心を強調する為に。
「……この家、生きているのよ、本当に。日に選って間取りが変わったり……、」

「え────っ!?」
「ハァ!?」

 ──姉妹? 仲の宜しい事に、えみりとレイの声は同時に上がった。

【buckwheat】

「うわー、美味しそう!」
 ウィン達との探検を終えてキッチンに戻って来たえみりは歓声を上げた。
 透の前にした本格的な台の上には、香ばしいような香りさえ感じる、打ち立ての手打ち蕎麦の束。「でしょ」とにっこり微笑んだ透は、それを慣れた手付きで手にした専用の包丁で麺状に切っている所だった。
「透のお蕎麦は本当に美味しいのよ。……そう、ここへ引っ越した時にも、引っ越し蕎麦は透の手打ちだったの」
 ウィンも笑顔で大きく頷いた。フィアンセにまでそうやって手放しで賞賛されれば、明るい透は「エヘヘ、」と照れ笑いを浮かべて手を後頭部に、特徴的な生まれ付きの茶色い、ニホンザル色の短髪をくしゃくしゃにしている。
「あー、ほんと。美味しそう」
 両手を何気無くえみりの肩に置いて後ろから顔を覗かせたレイもそう云って、「あんたやるじゃない、吃驚しちゃった」などと透を揶揄かっている。然し、彼女には透を揶揄かう暇は無い。
「これじゃあ、頑張って茹でる作業も頑張らなくっちゃ! ……レイお姉ちゃん、ね!」
「……、」
 えみりは満面の笑顔で、レイを見上げた。──途端、彼女の顔は引き攣った笑みを口唇に張り付けたままで硬直する。
 そもそも、今日の料理教室の課題が蕎麦の湯で方、という事には理由がある。
 レイは今まで、苦手に託つけて料理などまともにやった事が無かったらしい。既に見兼ねた知り合いが料理教室を随分と厳しく施してくれたそうだが、そこでは「卒業試験」が昨年度の年越し蕎麦だった。年末から演技でも無い失態をやらかした事が一応女としての自覚もあるらしいレイには大変なトラウマとなったようで、「お姉ちゃん」思いにもえみりは俄然張り切って「今年の大晦日に向けて、先ずはお蕎麦を美味しく茹でられるように!」と、ついでにトラウマも克服させようと提案し、本日の運びとなった。
「ああ……、……うん……、……出来るだけ……頑張るわ」
「よ──し☆ 早速、スタート!!」
 えみりは元気良く片手を振り上げ、号令を掛けた。

【new-green-leaves of spring】

「さぁて、先ずは身支度からね! 格好って、結構重要だよね。あたしも身体動かす時、普段の服の時と、レオタード着た時って、全然出来る事が違う気がするもん。その気にならないと、やっぱダメだよね」
 そんな事を云いながら、えみりはごそごそと持参した鞄を掻き回して先ずは自分の普段遣いの、水色のエプロンを引っ張り出した。今日の為にきれいに洗って、ぴっちりとプレスの掛った清潔なエプロンは背中でリボンを結んだ瞬間から既に美味しい料理を手際良く仕上げて行く自分が見える気がする。
「あら、かーわいい」
 小さな奥さんね、──と、流しに身を乗り出していたレイが振り返って笑った。エヘヘ、と照れ笑いを浮かべながら、えみりはレイが背中を向けて手を洗っている内に素早く、鞄からもう一枚のエプロンを取り出した。きれいに折り畳まれた真新しい、丁度窓の外の新緑のような鮮やかなグリーン。
 いつも、鮮やかな色彩はまるでその目から前髪の奥に覆い隠してしまったかのように黒い服ばかり着ているレイだ。店頭で各色の揃ったえみりとお揃いのエプロンを眺めながらどれにしようかと迷った時、無難なのは、と最初に考えたのは黒のものだった。──が。

──あっ、

 でも少し寂しいかなあ……、と思いながら手を伸ばし掛けた所で、えみりの視界の端で注意を引いた色彩があった。鮮やかな緑、──新緑、春の色。

『決ーめたっ☆』

──レイお姉ちゃんはお料理一年生。だったら、スタートに準備するエプロンに春の緑色って、何か良いよね☆ 

 ──お姉ちゃんの頑張りを助けてくれれば良いなあ、と思いながらえみりはそれを胸に抱いてレジへ向かった。中学生のえみりにはなけなしのお小遣いだったが、倖せだった。

「はい!」
「ん?」
 ハンカチで手を叩いていたレイは、くるりと振り返って首を傾いだ。
「レイお姉ちゃんのエプロンだよ!」
「……え、」
 きょとん、としていたレイの口許が綻んだ。信じられない、という風に首を軽く振る。
「私に? 態々用意してくれたの、えみりちゃん? ──うわあ、未だ新品じゃない」
「えっとね、この間のシューズのお礼と、……それと」
 そこでえみりは照れ隠しにぐぐっ、と胸を反らせた。
「お料理の先生から、お祝いのつもりでプレゼント!」
 実はあたしとお揃いなの、──えみりの「ドキドキ」はレイにまで感染したらしい。
「ええと……、……有難う、……かな、……凄く嬉しい、……シューズは気にしなくて良かったのに、──ああ、とか、そういう事じゃなくて! 嬉しいわ、有難う」
「あ、リボン、あたしが結んであげる!」
 素早く、えみりはレイの背後に回った。糊の利いた生地で蝶々を作ると、きゅ、と小気味良い音がした。
「あ、良かったぁ! 似合うよ、凄く!」
「ほんと?」
 態とくるり、と回ってみたり、自分の背中を眺めようと首を巡らせるレイを見ているえみりも倖せだった。
 自分の贈り物が喜んで貰えるのは本当に嬉しい。一緒に贈った、気持ちが伝わったのであれば、尚更。

【zero】

「──ただいま。……レイ、帰ってるか」
 父親の声に、レイは慌ててキッチンを兼ねたダイニングから顔を出した。
「あ、お帰りなさ──い、今日、早かったのね」
「ああ」
 昨年末の騒動から、東京コンセルヴァトワールとの関係を絶ち、同時にそれまで教職に就いていたパリのコンセルヴァトワールをも正式に辞職した忍は4月から、母校の音楽大学に助教授として務める事になったらしい。未だ今は3月だが、各方面への挨拶回りや様々な打ち合わせ、会議等、多忙な時期らしかった。ここ暫くの間は帰宅も遅かった。が、今は未だ夕方の7時より前、──未だ空も明るい事からも春の季節が伺えた。
「夜、食べて来た?」
「未だだ。レイは? 未だなら何か取ろうか」
 当初はぎこちなかった父の、娘への思い遣りも最近は大分自然になって来た。
「私はもう食べて来ちゃったんだけど。あのね、今日、ウィンさんの所で渋谷く──あ、ウィンさんのフィアンセね。彼の手打ち蕎麦食べて来たの。お土産に貰ったんだけど、作ってあげる!」
「……レイが?」
 父は苦笑いを浮かべた。──元日早々、娘がぐずぐずと泣きながら帰宅したから何事かと問えば「──さんの所で作った年越し蕎麦が闇鍋みたいになっちゃった、私なんか矢っ張りお嫁に行けないわ」と嘆いていたのを思い出して……。
「だぁいじょうぶ、今日は可愛い妹分が開いてくれた料理教室だったのよ。今回は合格! 美味しかったんだから、期待しててよ」

 ──お湯はたっぷり、確りと沸騰させてから。茹で過ぎないように、タイマーに頼らず目で見て、実際に一本鍋から引き揚げてみて蕎麦の硬さを確認するのがポイント。
 可愛い妹分が、この時ばかりは師匠になって一つ一つ横に付いて教えてくれたポイントを思い返して確認しながら、レイは新しい緑のエプロンのリボンを後ろ手に結ぶ。

『あ、ダメダメ、お蕎麦が底に溜まっちゃってる。貼り付いちゃうよ、お箸で混ぜて、早くぅ! ……そそ、さっ、てね! 硬さ、どう? ──オッケー、じゃ、手早くざるに移して……ちゃちゃっ、て切って』

「……出来るじゃん、私……」
 ──まあ、教える人が良かったかな。
 何と云うか、世の中には生まれ付き上手過ぎた為に、逆にゼロの初心者へどう教えて良いか分からない人間も居る。
「姉同士って、……矢っ張りどっか気が合うのかなぁ……」

「……どう?」
「うん、美味かった。蕎麦もそうだが、レイがここまで料理が出来るようになるとは思わなかったな。君の妹分にも、ルクセンブルク女史とそのフィアンセにもよろしく伝えておいてくれ」
「はぁーい。……あ、それとコンサートの準備、どう?」
「大丈夫だよ、心配するな」
 ──ウィンのホテルでのミニコンサートの柿落とし。リクエストはベートーヴェンの三大ソナタだ。「月光」、「悲愴」、「熱情」……。
「元々、直ぐにでも引けるパパのレパートリーだもんねー、」
「──うん、だが今回はちょっと弾き方を変えてみようかと思う。楽譜を変えたんだ。中々、新しい考えに気付くよ。それを出来る限り消化してみようと思うんだ」
「……へぇー、……、」
 ──あ。
 レイはそこで、はた、と顔を上げて両手を胸の前で合わせた。
「そうそう、それと、あと二曲譜読み、今から頼めない?」
「構わないが」
「『クロイツェル』と、『スプリング』」
 クロイツェル、スプリング、──レイは同じベートーヴェンに拠る、ヴァイオリンソナタのタイトルを挙げた。ああ、と納得したように父が頷く。
「春のコンサートには良い曲だな。……で、ヴァイオリンは? 上塚君か?」
「んーとね、ちょっとした知り合いが弾いてくれるかも知れないの。そんなに有名じゃないけど、プロよ。それに凄く良いヴァイオリンなの。多分、技術は浩ちゃんよりも上。それに浩ちゃんは呼んだらいつでも来るじゃない。前からパパに紹介したかったんだー、……折角だし。駄目だったら浩ちゃんに頼むけど。──あのね、ウィンさんには内緒にして置きたいんだけど。当日のサプライズで」
「良いだろう」
「やった」

【sakura】

「良い? ママチャリと違ってマウンテンバイクは軽いからね、ブレーキを掛けた時は絶対に身体の重心を後ろに移す事。で無いと、前回りして放り出されるわよ。スピード出してると危ないからね、ちょっと、ゆっくりで先練習してみましょう。──……はい!」
 ぱん! ──手を高く打ったレイの合図で、えみりは速度を緩めに保ったままでペダルを漕ぎ出した。足許は未だ真新しい、眩しい程の白にえみりの大好きな水色の──丁度、今日の、春の空のような色合いの──靴紐が揺れている事だけで何故か気持ちが弾む。ペダルに固定した足は、慣れた自転車の物よりは大分重い筈のマウンテンバイクを漕いでいてもとても軽い。
「力押しで漕ぐんじゃ無いのよ。折角、固定してるんだからそのメリットを活かす事を意識して見て。……そうそう、上手い上手い。分かった? 足を上げる時にもう片方の足が踏み込む運動を助けてあげる感じ」
「気持良い!」
 えみりは満面の笑顔を春風の中に浮かべて叫んだ。
 重力や身体の重さから解放されて自由になるコツは、流れを止めない事。ただ、それだけ。
 力尽くでは、いずれ流れは止まってしまう。がむしゃらではいけない。それよりも、流れを上手く捉えてそこへ自然に身体の運動を滑り込ませる事だ。
 
 大好きな水色のレオタードを着て、余計な抵抗の無くなった身体が空中に解放された瞬間が好きだった。
 ──そんな感覚を味わえるのは、矢っ張り新体操をやっている時が一番、って思ってたけど……。

「自転車って、凄く気持良いよね、レイお姉ちゃん!」
「でしょ!?」
 いとも軽やかに追い付いて、並走していたレイが笑った。──ふわ、と風を受けた前髪が揺れ、一瞬だけ、明るい笑みを浮かべた優しい目許が見えた気がした。

──レイお姉ちゃん、すっごく軽そう。……うーん、あたしは未だ慣れてないのかなあ、……でも。

 いつかは、レイお姉ちゃんみたいに、……あんな風、風に混ざるみたいに自由になりたいな。

「よーし☆ 頑張っちゃう!」
「え──? 何?」
 耳許の風切音に遮られたか、レイが聞き返した。
「ううん、あたし、頑張るね──っ! って!」
「オーケー、……止まってみようか。じゃ、忘れないでね、重心を引いて、落ち着いてペダルを外してから足を着く事。焦りさえしなければ、結構時間はたっぷりあるから」
「はーい!」

 いつの間にかMTB講習会はそのままサイクリングへと移行していた。
 彼女達が切る風はきっと、桜色に染まっている。
「えみりちゃん、大丈夫? 休憩する?」
 並走からえみりのMTBを少しだけ追い越した所で止まったレイがやや声を張り上げ気味にそう叫ぶ。
 えみりはブレーキを掛けた。身体の重心を引いて、焦らず、確実にシューズの靴底をペダルから外して足を着く、──。
「大丈夫だよ〜☆」
 えみりの調子は本当に軽かった。それはレイにも伝わっていたのだろうが、敢て年上振ってみたいのだろう。
「楽しいんだもん。もっと行きたい!」
「オーケー、でも無理は禁物。飛ばし過ぎると明日、痛い目に合うわよー、運動量の割りに、普段使わない筋肉を動かしてるだろうしね、多分、……」
 多分、とレイは軽く彼女の足を叩いて笑った。
「この辺、覚悟しときなさい」
「はーい」
「それと今日はお風呂でゆっくり暖まってね、そうしたら少しラクになるから。……はい、どっちが良い?」
 レイは斜掛けにしたメッセンジャーバッグからスポーツドリンクとミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
「こっち」
「水分補給も大事よ」
 えみりは元気良く有難う、と云ってスポーツドリンクを受け取って笑顔を浮かべた。──えみりは弁当とデザート担当、レイは飲み物と菓子担当、と予め決めておいたのだ。
「レイお姉ちゃん」
 何? と同じくスポーツドリンクに口を付けていたレイが振り返った。
「お弁当、いつにしよっか?」
「未だ早いわよ」
 レイは笑う。未だ、正午にもならない。
 それはえみりも分かっていたが、──早く披露したかったのだ、自信作の、レイと2人で食べる為の手作り弁当を。

「じゃーん☆」
「わ、きれい!」
 2段重ねになったランチボックスは片方には様々な種類のお握り、もう片方には特に見た目の楽しさを意識した色とりどりのおかずと簡単なデザートが収まっていた。人参のグラッセの花や、グリンピースが鮮やかな卵焼き、プラスチックのピックに刺したアスパラガスの肉巻き等。
「こっちはレイお姉ちゃんの分ね!」
「有難う、はい、お茶」
 えみりはランチボックスを、レイは日本茶のミニボトルをそれぞれ交換した。
「じゃ、頂きます☆」
「頂きまーす」
 あ、これ美味しい。……えーっ、本当に全部えみりちゃんが作ったの? レイは本心から驚きが隠せないらしい。
「随分早起きしたんでしょう」
「ううん、いつも通りだよー。あたし、自分のお弁当は自分で作る事が多いから慣れてんの。それに、どれもささっと作れる物ばかりだよー、」
「本当」
「気に入ったヤツがあったら云ってね、今度また作り方教えてあげる!」
「無理よ」
「大丈夫だよー、ちゃんとこの間はお蕎麦も茹でられたじゃん」
 一生懸命に説得するえみりに、レイは笑い声を上げた。
「じゃあ、またお願いします、先生」

 デザートは私も持って来たんだけどね、とレイが取り出したプラスチック容器には、缶詰めの林檎や白桃を小さな桜の花に切り出して閉じ込めたゼリーが鮮やかな色彩を見せていた。
「うわー、凄ーい!」
「ゼリーはインスタントよ」
 プラスチックのスプーンを添えてえみりにゼリーを差出しながら、レイは肩を竦めた。
「ね、じゃ今度のお料理教室では、レイお姉ちゃんはフルーツの切り方教えてね!」
「良いわよー、えみりちゃんこんなに器用なんだから、出来る出来る」
 ──美味しい☆ にこにこと笑みを浮かべながらえみりは話題を、この春休みに彼女達2人も参加する事になっている福島のスパリゾートの準備の事へ向けた。ウィンと透の声掛けで、ホテルの関係者や友人達でハワイ気分を満喫しようという小旅行の企画だった。
 春休みには宿題も無い事だし、「レイお姉ちゃん」を始め大勢のお兄さん、お姉さん達に連れられて行くリゾートに馳せるえみりの思いは浮き浮きしていた。
「レイお姉ちゃん水着もう買った?」
「未だ。……そう云えば私、持って無いのよねー、買わなきゃ」
「どんなのにするのー?」
「んー、いつものスポーツ店で見ようかな。まあ多分、競泳用のヤツ」
「えー、ビキニとかにしようよ〜、」
「は?」
 えみりちゃん、考えてみなさい、似合う訳無いでしょう、とレイは妹分の髪をくしゃくしゃと軽く掻き混ぜながら吹き出した。
「あたし、セパレートのヤツ買ったんだー、だってスクール水着じゃ色気無いじゃない、奮発しちゃった☆ だからレイお姉ちゃんもセパレートにしよ」
「おませ」
 軽くえみりの頭を押して、見て考えるわ、とレイは肩を竦めた。
「何色にするの? ……あ、あたしのセパレートね、水色なの、矢っ張り」
「良いじゃない。えみりちゃん水色似合うもの。私は黒かなー、……あ、それとも」
 にこ、とレイはえみりに微笑みを向けた。

「緑も良いかな。どう思う?」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1532 / 香坂・蓮 / 男 / 24 / ヴァイオリニスト】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】
【2193 / 向坂・愁 / 男 / 24 / ヴァイオリニスト】
【2496 / 片平・えみり / 女 / 13 / 中学生】

【NPC / 結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【NPC / 結城・忍 / 男 / 42 / ピアニスト】
【NPC / 上塚・浩司 / 男 / 24 / ヴァイオリン奏者・講師】
【NPC / 陵・修一 / 男 / 28 / 財閥秘書】
【NPC / 柾・晴冶 / 男 / 27 / 映像作家】

【NPC / 渋谷・透 / 男 / 22 / 勤労学生(卒業間近)】

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■         ライター通信          ■
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えみりちゃんのお陰でレイは蕎麦を人並みに茹でる事が出来るようになったようです。

どうも有難う☆

レイこそ可愛い妹分に夢中です。
余程素直で元気な年下が嬉しいらしくてお姉さん振っていますが、一緒に居る事でポジティブになれるのは、彼女の方こそえみりちゃんから色々な事を教えて貰っているからなんです。
これから先もたまにはお料理教室、たまには一緒に身体を動かして遊んでやって下さいね。

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