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<東京怪談ノベル(シングル)>


時遊び、そして紐解かれぬ物語

 時は、何をもたらすのだろう。

 運命という歯車はどのように廻り、巡り。
 深紅の鮮やかな液体を宿す身の幾多をも巻き込んで軋むのだろう。

 太古から、歴史は積み重なって、積み重ねられて、崩されて、混ぜ合わされて。

 悠久の時を生きるものとして、僅かながらそんな繰り返しを目にしてきた自分でさえも。

 時が何を思って、何をもたらそうとしているのか。
 自分たちはどこへ歩くのか、そうしてどこかへたどり着くのか。

 いつか、中途で飽きてしまったと、ひどく長い時間をかけて手に入れた足も、手も投げ出して大の字になるのか。

 考えは尽きない。理解できた、と思うこともない。

 だからこそ、自分は知識を得られるものを強く求め、時の思考を読み取ろうと、足掻くのだろうか……。


§

 昼も、夜もさして変わらないような天気だ。
 よく使い慣れた二つの車輪を持った椅子に身を深く任せたまま、窓際から外を見て、セレスティ・カーニンガムはぽつりと思った。
 硝子の存在を認められないくらいに美しく磨かれた大窓。だが、今日ばかりは外の暗さのせいで彼の姿が映りこんでいる。
 長く、たゆたう銀白色の髪は部屋の暖かげな光の中で浮かび上がり、白く、滑らかな肌がそれに続く。向こう側に映るもう一人の男は、深すぎる海の底からいくらか水面まで近寄った、陽の光の届く海中の色――――焦がれて、望んで、セレスティが陸に上がった時に見たような蒼の色を湛えた双眸で現実の自分を見返していた。――否。恐らく、そのはずだ。
 自分の目は僅かに光を映す程度で、そのすべてを明確に捉えられるわけではないけれど、そこにあるだろう景色は、何故か鮮明に感じることができた。
 今は特に何の表情も浮かべてはいない自分の顔。そしてその向こうには、どこまで続くのか想像もつかない薄灰色の一面の雲が見える。時折、地響きに似たこもった音がして、次の刹那、空の隙間からは細長い光が駆ける。
 ――――雷光……。
 自然の中で生まれる、何よりも妖艶な光だ、と思う。
 遠雷は紫色に光りながら、時折凄まじい速さでセレスティのいる地上まで駆け下りてくる。
 飽きることもなくその様を眺めていると、ふとあるものを思い出した。
 滑らかに車輪を回転させて窓に背を向けた彼は、細やかな細工のなされた文机の引き出しをそっと引きあけた。
 そこには、一冊の本と、なんということもない、素朴な木箱が納められていた。
 無言のままそれを丁寧な手つきで取り出し、そっと木箱を開く。木箱の中にこもっていたのだろう、閉じ込められた空気が古びた紙の匂いを届ける。
 セレスティがその嗅ぎ慣れた匂いに目を細めながら、箱の中に薄く張られたシルクの布を取り除けると、その下から現れたのは美しい絵の書かれた、カードだった。
 ――――タロットカード。通俗的にはそう呼ばれるだろう。
 起源に非常に様々な見解を持たれ、幾多もの名を持つカードだ。
 最も有力とされる起源地はエジプトとされている。タロットの語源はエジプト語の「TAR(王)」と「RO(道)」を組み合わせてできたものではないか、という。
 或いは、エジプトに見られるトートの書、「THOTH」が語源だとも言われているようだ。
 ……だが、実のところは分らない。起源地とされる場所だけで、インド、中国、アラブ、果てはヨーロッパと至る箇所があげられており、現在でもその謎は解明されない。すべては学説にすぎない確定されない事柄だ。
 以前に得た知識を頭の中で反芻しながら、セレスティは木箱に納められた七十八枚のカードをそっと取り出す。けれども、長く触れていることはせずに、すぐに文机の上に器用な手つきで綺麗に並べた。
 カードは、まず最初にカードを使用した者の一部とも言えるものだ。古いカードを自分のものにする手がないわけではないが、あえてセレスティはそうした儀式を行おうとはしない。
 それは、あくまでカードを鑑賞用として扱っている為でもあるし、自らの無機物からある種の情報を読み取る力をおもんぱかってということもある。
 同じ占い師とはいえ、他の何者かが使っていたカードを使うのは賢くない。
(…………とても凝っていて、楽しそうだ、とは思うのですけれど、ね)
 一つ一つのカードを丁寧に眺めながら、セレスティは心中で呟く。
 絵柄はエジプトの象形壁画が元にされているという説がある。では占いの方法はといえば、イタリアやヨーロッパを中心に伝承されてきたものであるが、思想の中身自体は、古代ヘブライの神秘思想や、カバラ思想、占星術、古代エジプトの占数術などが複雑に絡み合っている。
 ――――古いものには、ただでなくとも様々な念が籠もりやすい。
 身の程はわきまえることだ。己を過信しては、必ず真理とでもいうべきものからの鉄槌が下るもの。
 この身一つで巨大な財閥を起こした総帥としての自分は、時に刹那的なものに身を任せはしても、明らかに身が危ぶまれるものに触れるほどには愚かではなかった。
 それゆえにセレスティは、恐らく想像もつかないほどの時の巡りを経て自分の下にあるカードの一枚一枚を愛おしそうに眺めるに止めているのだった。
 生命(セフィロト)の木を模って作られた二十二枚のカード。これが、大アルカナと呼ばれるデッキ。それぞれはある一つの物語に寄せて作られ、旅の始まりから終わりまでを美麗な絵が生きているかのように語る。
 0のカードは愚者であり、旅人はその男。蝶を追い、崖に気づかず、思考力を持たない。この男が旅に出る。そして、それがすべてのはじまり。
 セレスティはできるだけ手を触れないように気を配りながら、このカードを見るに至った理由に目を向ける。
 それは、0の愚者のカードから数えて十六番目のカード。
 強固に見える、円筒形の塔の上に凄まじい稲妻が落ち、塔の上から一人の人間が転落している絵が描かれているカードだった。
「…………神の、怒り」
 塔、と呼ばれるそのカードが示すのは、今、自らの唇が紡いだ乾いた意味。
 落ちてゆく人間は豪奢な服に身を包みながら、この一瞬で全て失っている。不正を働き、この塔と優雅な生活を手に入れた男。神の怒りの前では、それはこれほどまでにたやすく、壊れる。……脆すぎる。
 残りの五十六枚の小アルカナ自体は大した意味も持たないというのに、大アルカナと呼ばれる二十二枚のカードはふと肌寒さを感じるほどの何かを抱え持っている。
 それは人間の内面にある原型であり、本質であり、象徴だと言われるもの。
 ――太古の人々はこれをもって様々なことを知ろうとした。
 純粋に遊戯に使われた時代がなかったわけではない。それでも、そんな時代を経て、タロットカードが現在まで背負ってきた大きな役割はいつも人々の指標となることだった。
 カードは時と密接に繋がっている。
 時の流れをこじ開けて到底繋がるはずもない時の欠片を人間に拾わせ、そうして叫ばせる。

「誉(ほまれ)あれ。この身に栄光あれ。災いよ、退け」

 だが、どれほどまでに時の思惑を知ろうとしても、先の世を見通そうとしても、結局この世に生きるものは運命の輪が示すように、頂点から追い落とされる。そうしたものであると。

 カードを文机に並べたまま、セレスティは傍らに出した本を開く。
 その書物には、およそタロットカードに関した、現存するほとんどの知識が所狭しと詰め込まれている。何度も読み返したもの。何度も、考えを投げかけたものだ。
 けれども、結局この思考はいつも同じ場所で立ち止まる。
 もしくは、巨大な壁とでも言うべきものに阻まれてしまう。
 それは、恐らく自分がこの世の中で、人として生きているからであろう、とセレスティは考える。
 人魚であった自分はそんな枠からははずれたものであったのかもしれなかった。
 けれども、自分は人になった。
 目は薄く光を映し、足は、長い道を踏みしめて行くには弱すぎて、それでも。
 ――――――それでも、私は大地に焦がれた。
 自らの足で柔らかい土を踏み、立ち上がってそこで時を重ねたかった。だから、その通りに、やり遂げた。
 こうして人の世界に上がった自分は、今や一つの巨大な財閥を築き、多くの人と関わり、時には不可思議なことを追い求めては休息をとり、抱え持つ知識の全てで時の思惑を知ろうとする。
 それでも自分は今まで一度も時の思考を読み取れた、と思ったことはないし、それを可能にしてしまったのならば、もう人として生きることさえやめなければならないような気がしていた。
 だから、これでいい。私は、これでいいんだ。
 手に馴染むほどに読みつくした本を膝に抱えて、目の下には、時を繋ぐ不可思議なカードを並べて。
 こうして自分の思考の海にたゆたっていることが心地よいから。
 たとえ、答えがでなくても。でないからこそ、面白い、と感じるから。


 ―――― 一際(ひときわ)大きく雷鳴が轟く。
 目の代わりに感覚が鋭くなった耳がそれを受けて、少し、身体が震えた。
「……あぁ。今宵は、嵐になるのでしょうかね……」
 どことなく湿り気を帯びてきた空気に首を傾げ、セレスティはもう少しだけ、この世界をのぞき見ようと考える。

 ……その前に、暖かいお茶でも飲みましょうか。

 涼やかな口元にかすかな笑みを浮かべて、そんなことを考えた若き総帥は、どこかで雑務をこなしているだろう秘書を呼び出した。


END