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<東京怪談ノベル(シングル)>


無天の錬牙

 天は其処に在らず、天は此処に在らず、天は何処にも在らず。


「嫌な事件ですね」
 御子柴・荘(みこしば そう)は小さくそう呟き、溜息をついた。荘の黒の目が射抜くのは、テレビのニュースだ。しきりに最近起こっている少女連続殺人事件を報道している。手口は限りなく汚く、残虐極まりない。未だ犯人は捕まっておらず、少女を親に持つ者たちの心配が絶えないとの事だ。
「まだ、捕まっていないんですね……」
 テレビはずっと、その事件を報道している。荘は暫くそれを見つめた後、上着を掴んだ。どの現場も、そんなに遠い位置には無い。ならば、直接赴いて調査してみるのも可能である。
「ただし……そんなに遠い場所では無いと言う事は……」
 荘は呟き、黙る。
(この界隈に、犯人がいるのは間違いない……か)
 尤も、遠くからわざわざこの近辺に来ている可能性が全く無い訳ではない。この辺りに潜んでいるというカモフラージュといえないことも無い。だが、そうではないと荘の勘が動いていた。
(きっと、いる筈)
 荘は小さく息を吐き、テレビを消した。ぶつん、という音が部屋中に響き、その後しいんと静まり返った。
 荘の目は、ただ静かにその様子を見ていた。ただ呆然と見ていたわけではなく、奥に決意の光を携えていたのであった。


 『錬牙式』とは、荘が編み出した錬気技の発展型である。その中で、ただ一つ禁じられた技があった。たった、一つだけ。


 現場に到着すると、まずはその異様な雰囲気に荘は戸惑った。
「これは……」
 荘は小さく呟き、今一度現場を確認する。その雰囲気を、一言で言い表すとすれば『異様』というただそれだけだ。人がやったとは到底思えぬ。現場検証を続けているその場所は、ただ単に残虐という言葉だけでは済ませられぬものがあった。
「本当に、人間が……?」
 そう思わずにはいられないほどの、異様さ。もし人間が犯したものだというのならば、一体どうやってここまでの異様さを出す事が出来たのか問いただしたいほどである。
(もしかすると、人間じゃないかもしれない)
 荘はそう考えると、現場検証を続けている捜査官達に見つからぬよう、邪魔をされぬようにそっと身を隠し、目を閉じた。
(人間か人間じゃないか、これで分かる筈だ)
 目を閉じ、自分がこの空間に溶けていくかのようにイメージしてゆく。気を探るように、気と同調するかのように。
(気が、必ず人と異形とは違うから)
 言葉でははっきりとその違いを言う事は出来ないが、人と異形の気は全く違う。そうして、荘はゆっくりと目を開ける。同調せし気は、自分の溶けていた気は、一つの事実をはっきりと指し示していた。
 つまりは、異形の者の気を。
 この連続少女惨殺事件の裏には、異形の存在が関わっている。否、異形の存在こそが連続少女惨殺事件を引き起こした原因なのだ。
「血の臭い……」
 ぽつりと荘は呟いた。その異形の気は、どろどろとした血の気を纏っていた。人では到底行き着かぬ渇望とそれを満たそうとする行為。それらがぐずりぐずりと渦巻いているのだ。
(こうしては、いられない)
 荘は大きく息を吐き出し、それから真っ直ぐに背筋を伸ばして歩き始めた。異形の者の気は覚えてしまっている。その生臭い臭いを追う事も出来るようになっている。
(すぐに、追わないと)
 荘はぎゅっと手を握り締めた。自分に出来る材料は整っているのだ。ならば、ここで動かなくては話にならない。
 ちらりと捜査を続ける捜査員達を横目で見た。必至に何かしらの犯人の痕を見つけ出そうと、必死になっている。これ以上犠牲者を出さないよう、真剣に取り組んでいるのだ。
(教えてあげた方がいいですかね……?)
 荘はそう思って足を踏出しかけ、止めた。どう説明していいのか分からなかったのだ。この現場の気を読み、異形の存在が元凶なのだと言って、信じてもらえるとは到底思えなかった。寧ろ、捜査の邪魔をするなといわれそうである。
(ならば)
 荘は踵を返し、現場を後にした。捜査員達には教えず、自分一人が元凶を何とかすればいいだけの話なのだ。気を辿り、犯人を追い詰めていけばいいだけなのだ。
(俺になら、出来るんですから)
 最初は歩いていた足が、だんだん速まっていった。気付けば、気を辿りながら走っていた。まっすぐに前を見据え、全速力で走っていく。
 まるで、一分、一秒でも惜しむかのように。


 禁じられた錬牙式は、錬気の内で正と負を反発させる事によって生じる『無の力』を相手の体内で発動させる。一瞬のうちに、無に返す事の出来る禁断の技である。


 夕方になり、漸く辿り着いた場所は、既に使われていないために寂れてしまった、廃ビルであった。足を踏出すと、ざり、と音が響く。
「ここにいるのは、分かっているんです」
 荘は凛とした声で問い掛ける。既に鋭敏になっている感覚は、何処にその生臭い気を纏った異形がいるのかをはっきりと指し示していた。
「さっさと出てきません?」
 荘が異形のいる場所に向かってきっぱりと言い放つと、そこの空気が動いた。のそり、と。あの生臭い気を漂わせながら。荘はただじっと、その様子を見守る。
「……よく、此処が分かったな」
「分かります。……分からない筈がありません」
 異形が興味深そうに荘を見てきた。荘はびっと人差し指で異形を指差す。
「そんなに生臭い気を纏っていて、分からないとでも?」
 荘が言い放つと、異形はくつくつと笑い始めた。そしてゆっくりと日の当たる場所に歩いてきた。夕日を背にし、こちらに歩いてきた姿は驚くほど、醜い。耳にまで到達しているのではなかろうかと思われるほど大きな口は、ただくつくつと笑っている。心底楽しそうに。
「そうか、そんなに臭いか?」
「どうして、少女を襲うんです?」
 荘の問いに、異形はくつくつと笑うのを止め、にやりと歪んだ笑みを浮かべた。そして長く伸びた爪を光らせながら大きく荘に振りかざした。荘はそれを寸前で避け、後方に着地した。
「何故だと?それも探り当ててみたらどうだ?」
 異形はそう言ってまた笑った。ぞっとするような笑みだ。荘はきっと唇を噛み締め、気を展開した。全身に気を纏い、相手の気を探りながら避ける事を主とした戦闘態勢を取る為だ。
(まだ、何故かは分からないから)
 もしかすると、止むを得ない場合なのかもしれない。目の前にして、そうだとは考えにくかったが、万が一を考慮して、である。
 だが。
「くっ……!」
 荘は左肩を抑えながらバランスを崩した。ぼたり、と赤い液体が水溜りを作る。異形はその隙を狙い、今度は荘の脇腹を抉り取ろうと大きく振りかざした。荘はバランスを崩しながらもそれを避けようとするが、やはり避けきれず、脇腹に大きな爪あとを許してしまった。異形はにやりと笑う。
「油断したなぁ……へへへ」
 異形はそう言い、自らの爪についている荘の血を舐めた。そしてぺっと吐き出す。
「やっぱり、男は美味くないな。……本当に、不味い」
「……何……?」
 荘の目が大きく見開く。それに気付き、異形はくつくつと笑い始めた。
「どうやら探り当てられないようだなぁ?ならば、教えてやろうか」
(まさか)
「少女ってのは、実に美味い」
(どうして)
「肉は柔らかく、血は甘い……!男とは、大違いだ」
(本当に……全く……!)
「実に実に、少女とは素晴らしいものだ……!」
 がはははは、と異形は大声で笑い始めた。実に楽しそうに、愉快そうに、嬉しそうに。全てに感謝するかの如く……!
 荘は、全身の動きがぴたりと止まるのを感じた。
「それだけ、か?」
 荘は、目の前が黒い闇に包まれるのを感じた。
「言いたいのは、それだけ、か?」
 荘は、自らの手に全ての気が集中していくのを感じた。
「お前が言いたいのは、それだけ、だな……!」
「何だ?お前。何をそんなに怒っている?」
 異形は酷く不思議そうに問い掛けた。荘の目に、炎が宿る。全身がふつふつと滾っているかのような感覚を覚える。そして一点に気が集中いていく。
「欲望のままに喰らっただけだ。ただただ、己の渇望のためにな!」
「うおおおおお!」
 異形の言葉を皮切りに、荘は地を蹴った。そうして、集中した気を異形の全身に打ち込んでいった。
「……おお……おおおおおお!」
 異形は全身で叫びをあげた。自らの体が一瞬のうちに消え失せていくのだ。その刹那、唯一許されたのは叫びだけだった。
 荘は、禁じていた錬牙式『錬牙零式無牙滅刹』を発動させたのである。
「……死は、許さない」
 静寂の戻ってゆく部屋で、荘は呟いた。ぽたりぽたりと血が滴る。怪我をおしての発動だった為、体にダメージが生じてしまったのだ。消えていく異形の顔がさらに醜く歪む。
「死は、許さない。お前は、永劫の無の中で自分の愚かさを呪っていろ」
「おおおおお……!」
 その叫びを最後に、異形の姿も、声も、血なまぐさい気すら消え失せてしまった。再び訪れる、完全なる静寂。
「……無の中で、ただもがくがいい……」
 ぽつりと荘は呟き、くるりと背を向けて歩き始めた。今まで殺されてしまった少女達の冥福を、心の底から祈りながら。
 いつしか、夕焼けは完全な闇を誘い出してしまっていたのだった。


 ただただ天は、自らが内のみに存在し、何処にも無き天の所在は、我が中にこそ在る。

<無き天は牙を練り上げ・了>