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<東京怪談ノベル(シングル)>


『君がために桜、咲く』

 咲きたい。

 君のために咲きたい。

 君がために咲きたい。

 溢れ出る願いはただそれだけで・・・。

 最後の力を振り絞る理由はそれだけで充分だった・・・・・・。


 ******
 朝、首都を血管のように走る道の一つをゆったりとしたスピードで車が走っていく。黒塗りのベンツだ。
 気ぜわしい東京の道を走る車がしかし、その車の前後左右を走るときのみ進んでいく時間から切り取られているようにスピードを落として丁寧な運転になる。もしも空からその車を見る者がいたらちゃんとそれぞれの距離が図られたように等間隔な事に気が付くだろう。
 その車の後ろに座っている人物は礼儀正しい姿勢で座席に座り、右側のドアの窓から見える後ろに流れていく車窓を青い色の瞳で見据えていた。
 その彼のほとんど視力の無い瞳がわずかに見開かれたのは、隣を走る車の助手席に座るランドセルを背負った子どもがまるで自分が見えているかのように手を振ってきてくれたからか。彼が乗る車の窓はすべてシールが貼られていて、中から外は見えるが外から中は見えぬようにしてあるからまあ、その小学生は気配や感覚といったモノを感じて心の目で世界を眺めている彼とは違ってただ手を振っただけなんだろうが、それでもちゃんとその小学生と目があった瞬間に手を振られたので、彼は驚き、そして新鮮そうにくすりと微笑んだ。
「どうしましたか、総帥?」
 自分と向かい合って座席に座る秘書が、目を落としていたモバイルから自分の顔に視線を移し、そう訊いてきたので、彼はにこりと微笑んだ顔を静かに横に振った。
「なんでもありません。ただ、この時間に会社に行くのは久方ぶりで、それが物珍しく感じられるだけですよ」
 そして彼は右手の人差し指で銀色の前髪を掻きあげながら小さくあくびをする。
 ―――ただ、今日は徹夜明けなので、少し眠い。
「すみません。少し窓を開けてもよろしいですか?」
 秘書にそう訊く。確か彼女は花粉症ではないと想ったのだが。
「はい、かまいません。総帥」
 彼は窓を半分開閉させた。窓から入ってくる風が銀の髪をなびかせる。
 車に入っている暖房に少し火照った肌にその春先の冷たい風は気持ち良かった。
 赤信号。車はゆっくりとブレーキを踏まれて停車する。
 そして風はもう一つ、彼を嬉しい気分にさせてくれた。風に乗って開けた窓のスペースから舞い込んできたひとひらの花びら。
 それは彼の上に向けた手の平に乗る。鮮やかな薄紅。
 彼は手の平から、風が吹いてくる方に視線を向けた。そこにあるのは公園の入り口で、そしてその公園は桜の園で有名な公園だった。彼は口元に小さな微笑を浮かべると秘書に言った。
「すみません。私は道草をします。あなたは先に社へ行っていてください。会議が始まるまでには私も行きますので」
 それが彼、セレスティ・カーニンガムが彼女と出会うきっかけだった。


 ******
 杖を片手にゆっくりと公園の中に走る遊歩道を歩く。
 朝の公園は老人たちの集会所。ベンチに座った老人たちがまろやかな朝の時間を過ごしている。
 老人の足下で体を丸めながら眠っていた犬が顔を少しあげたのは吹いた一陣の強い風に激しく舞った花びらがひらひらと降ってきたのに、年老いた犬でも心奪われたためか。
 それは老人たちも一緒のようで、誰もが皆、口を休めてしばし憧れるように満開の桜の花に、舞う花びらに目を細めて感嘆のため息を零した。
 そう、そこは東京でも有名な桜の園。
 数百を越える桜の樹が遊歩道に沿って植えられていて、満開の花を咲かせている。その光景は見る者に桃源郷を想像させた。
 風という音色にあわせて踊る舞姫の数は無限。無限の舞姫が作り出すは夢幻の光景。


 あなたにはその光景はどう見える?
 桜は心の鏡。
 その夢幻の桜の光景が綺麗に想えるのなら、それは良き春を迎えられている証拠。
 その夢幻の桜の光景が怖く見えるのなら、それはあなたが桜に恐怖を抱いているから。
 あなたには淡い薄紅の桜の花びら舞う光景がどんな風に見える?

 
「哀しい光景ですね」
 セレスティにはそれが哀しく想える?
 桜は心の鏡。
 なら、セレスティは哀しい想いを胸に抱いている?
 いいや、セレスティは無限の花びら舞う夢幻の薄紅の光景を見つめてはいなかった。
 彼の銀色の前髪の奥にある青い瞳が見つめているのは老齢な年老いた桜。
 それは花を咲かせる事はなくそこにいた。
 セレスティは歩いていく。
 哀しい声をあげるその老齢な桜の樹に。
「何を泣いているのですか?」
 彼はひたりと手を桜の樹の幹に触れさせた。
 ぴくりと桜の樹がそれで伝わったセレスティの温もりに心ふるえたように枝を鳴らした。それはどこかセレスティに懐かしい海を想像させた。
 彼は子どもが母親に抱きつくように、両腕を桜の幹にまわし、額を幹にあてた。
「聞かせてください、あなたの声を」
 セレスティは優しく語りかける。
 桜の樹が震える。


『おー、こりゃ、すごい桜だなー』
『今年も綺麗な花を咲かせたねー。ご苦労さん。ありがとね』
『ママ、ママ、見てー。お花、すごい綺麗だよぉー』
『桜の花びら、いっぱいだー』


 桜は人の心を栄養にして咲く。
 セレスティが聞くのは、その桜の樹がこれまで吸い取ってきた人の想い。


 そしてそれは色鮮やかにセレスティの心に届く。


『すごい、綺麗な桜ね』
『あ、ああ』
『あ、ああ、って、何よ』
 ―――やさしい、そして幸せそうな女性の笑い声。
『あ、あのさ・・・』
『ん?』
『えっと・・・』
『なによ? さっきから。大丈夫?』
『その、だから・・・・もしもよかったら、俺とこの桜の花みたいな綺麗でやさしい家庭を築かないか・・・・』
『・・・』
『・・・』
『・・・えっと・・・・・その、答えは・・・・・って、なに泣いてんだよ?』
『泣いてなんかいないわよ』
『・・・泣いてるじゃん』
『じゃあ、泣いてるんでしょう。だけどこれは・・・』
 ―――心にふわりと蕾が綻ぶように思い浮かぶ映像。それは若い男女がお互い頬を桜の花びらのように桃色に染めながらキスをしている光景。
『嬉し涙』
『ありがとう。大切にするから』
『ん。でもさ、桜の花みたいにぱぁっと散るような結婚生活にはしないようにしようね』
『って、縁起でもねー事言うなよ。プロポーズの後にさ』
『あははは。照れ隠し』


 桜の樹が色鮮やかに覚えている想い。
 そしてセレスティの心に伝わってくる。


 咲きたい。

 君のために咲きたい。

 君がために咲きたい。

 溢れ出る願いはただそれだけで・・・。


 それはこの老齢な桜の心の声。
 桜はプロポーズされた女性の事を心の奥底から想い、もう一度だけ咲きたいと切に願っている。
 彼女に何があった?


 泡が浮かぶようにセレスティの心に浮かんだ疑問。
 その彼が額を幹から放し、後ろを振り返ったのはそこに誰かがいる気配を感じたから。
「こんにちは」
 セレスティは優しく微笑む。彼の目の前にいるのは若い女性で、そしてその彼女が今聞いた声の彼女である事は簡単に彼にはわかった。
『こんにちは』
 彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。とても儚い彼女。そう想える理由は彼女の表情だけではなく、その半透明の体のせいでもあるかのかもしれない。
「まだ、死んではおられないようですね。だけど・・・」
『ええ。時間の問題です』
 彼女は髪を掻きあげながら笑った。それはさっぱりとしたような、だけどやはりどうしようもなく哀しげな表情。
 そう、セレスティの目の前には、この桜の下で二人愛を誓いあって、そしてこれから一緒に幸せになっていこうと想いあった女性がいた。だけど今の彼女は魂のみの存在。しかし彼女がまだ完全には死んではいない。・・・生命の危機に見舞われて・・・そして今、彼女はここにいる。
 それはきっとその彼女の人生の中で一番の嬉しくそして大切な想いがそこにあるから。
 彼女はまた笑った。周りの満開の桜の樹から飛ばされてきた桜の花びらに包み込まれるセレスティの顔を見て。
『あなたがそんな顔をしないで。あなたにまでそんな顔をされると、あたしは自分がどうすればいいのかわからなくなる』
 セレスティは顔を横に振る。
「あなたは迷っておられる。このまま行くか、それとも現世にとどまるか。そしてだからこの桜は咲こうとしている。今一度、最後の魂の力を振り絞って。そしてあなたがこの桜の樹の前にとどまっているのは本当はあなたが・・・」


『言わないでぇ』


 それはまるで春の嵐かのように。
 世界が爆発したかのように彼女とセレスティの間にある空間で突風が起こる。
 その風に巻き込まれた桜の花びらは激しく舞った。
 彼女の姿をその薄紅の嵐に隠さんと。
 セレスティは風になびく髪の隙間からしかし、青い瞳で真っ直ぐに薄紅の花びらの嵐の中にいる彼女を見る。
 彼女は泣いていた。
 幼い子どもがいやいやをするように顔を横に振っていた。
 セレスティの中に流れ込んでくる。
 彼女の想いが。
 記憶が。


『いやだ。いやだ。いやだ。死なないで。死なないでよ。あなたが死んだらあたしはどうすればいいのよぉ。お願い。お願いだからあたしを置いていかないで・・・』


『ごめんね。もういいよね。あたし、やっぱりダメ。ダメなの。だからあなたのところに行くね・・・』


 流れ出る赤い血。
 すぅーっと手首に走った感覚と痛みは自ら己が命の糸を切った感覚と痛み。


 だけど彼女の魂がこの桜の樹の前に来てしまったのは・・・
 本当は・・・・・・・


 セレスティは口元にへっという笑みを浮かべた。
 ―――それは出来の悪い生徒に、勉強ができない苦しみを味わった事のない偏差値の高い教師が浮かべるような笑み。
 そして彼は両腕を大きく広げて肩を大仰にすくめる。三流の喜劇役者かのように。


「あなたは彼に置いていかれたのが悲しいのですよね」
 彼女がびくりと震える。


「それはわかる。私はメトセラ。長生種。見送ってきた人の数は数知れない。だけど私は今もこうして生きている。それが哀しくない訳がなかった。しかしだからこそ私は生きようと想った。人の友を見送りながら私は生きる事を誓った。なぜだかわかりますか?」
 彼女は顔をあげる。


「それは友が私が生きる事を願ってくれているから。それはあなたも一緒。彼も願っていたはずだ。あなたに自分の分も生きて欲しいと」
 彼女は耳を手で覆って、顔を横にふる。
 いやだ。いやだ。いやだ。そんな綺麗事は聞きたくない!!!


「そうやって生きる事を、逝った人の想いを見ぬふりをするあなたはそうする事で、自分を置いていってしまった彼に復讐をしようとしているのですか?」
 ・・・。


「そういう事なのですよ、あなたがしているのは。彼が自分を置いていった。だからもうひとりでは生きられない。死んでやる・・・・それはあなたを置いていった彼へのあてつけでしかない。自分を置いていってしまった・・・本当は置いていきたくなどなかった彼へのそんなあてつけをするのが、最後の最後まであなたが幸せになることを誓ってくれた彼にあたしを置いていったあてつけだ。死んでやる、ざまあみろって死ぬ事があなたの愛なのですか?」
 

 花びらが舞う。舞う。舞う。
 ・・・・・・・・・・舞う花びらの勢いが戻った。
 

 静かに降るように舞う薄紅の花びらの雨に打たれながら彼女は泣いていた。
 そんな彼女にセレスティは言う。
「この桜の樹は幸せになる事を誓い合ったあなた方二人をとても愛していた。幸せになって欲しいと願った。だけど恋しい彼と死に別れてしまったあなたの事を知って、生きることに絶望しているあなたを知って、だから今一度、咲きたいと望んだ。たとえそれで完全に自分の命が潰えても。そんな想いすらもあなたは見ないふりをするのですか?」そしてそこまでひどく意地の悪い表情をしていたセレスティが優しく微笑む。「御覧なさい。老齢な桜の樹は今一度咲きます。君がために」


 それは想いの力。
 あなたのために咲きたいと望む桜の樹が起こした奇跡。


 蕾すらつけていなかった老齢な桜の樹はだけど咲いていた。
 二人その下で愛を誓い合い、これから二人一緒に幸せになっていく未来を信じて疑わなかったあの日のように・・・・・。
 そしてその桜の樹が空間に舞わした花びらにそっと愛おしげに抱きしめられながらそこにいたのは彼だ。
 涙を流す彼女の瞳が彼を見る。微笑んだ彼は唇を動かす。


 そして己の魂を燃やして生涯で一度の奇跡の花を咲かせた桜の樹の花は散った。
 ――――そしてその淡い薄紅の花びら舞う空間にいたのはセレスティのみ。


 彼は小さく微笑み、振り返って、そっと老齢な桜の樹に触れた。
「ご苦労様。いつか彼女の悲しみも時間が消してくれます。そしてその時はあなたが美しく咲いたように彼女もまた幸せな笑みという綺麗な花を咲かせられるはずです。だから安心しておやすみなさい」
 そしてセレスティが手の平で感じる桜の樹の命の波動が消えていく。
 頬を一筋の涙で濡らす彼の前にひらひらと舞いながら落ちてきたのは、ひとひらの淡い薄紅色の桜の花びら。
 それを手の平で受け止めたセレスティは口元に小さな微笑みを浮かべると、小さく何かを囁いて、そしてその老齢な桜の樹に背を向けて、桜の花びら舞う道を歩き出した。



 **ライターより**
 こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
 いつもありがとうございます。
 ライターの草摩一護です。


 前回シチュノベの彼はあーなりましたが、今回の彼女は前に進んでいきました。
 だけど本当にこういうのはすごく哀しいでしょうがやはり、だからこそ前に進んでいかねばならないと想います。
 心の傷は時間が癒す。
 ―――だけど、やはり完全には心の傷は治りはしないのでしょうが、それでもいつかは笑える時がくると想います。それが大切で、そしてそう想えたのなら、そしたらその時はもう大切な一歩を前に歩けているのでしょうね。


 さてさて、先日は東京怪談依頼数もありがたいことに100を越えました。
 本当にいつもありがとうございます。^^
 まだまだへっぽこライターですが、これからもよろしくお願いします。セレスティさん。

 それでは今日はこの辺で失礼しますね。
 本当にありがとうございました。
 失礼します。