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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■そして彼女に出来ること■

 箒が掃くものの中に、花びらをみつけた。
 冬が終わったのだ。もう何度目であるのか数え切れなくなっているが、草壁さくらはまたしても、桜の季節を迎えたのだった。
 店の前をそうしていつものように掃いていると、同じ帽子をかぶった幼稚園児たちが、ぱたぱたとさくらの前を駆け抜けていった。
 ――あの子たちは、4月から小学校かしら。
 耳をすませると、少しここからは離れたところにある小学校のチャイムが聞こえてくる。ときには、笑い声もひろうことが出来る耳を、さくらは持っていた。
 ――学校。このお店は、ほんとうに忙しいものですこと。居酒屋になったり、会議室になったり、祭壇になったり、学校になったり。
 掃除を終えて店の奥にに戻ると、店主が売り物の手入れもせずに、ちゃぶ台の上に教科書を広げて予習をしているところだった。
「あら、今夜は、来るのですね」
 さくらが言うと、店主は生返事をした。
 邪魔をするつもりはない。今夜、この店は学校になる。さくらは、店主のかわりに店に出て、売り物の整理を始めたのだった。

 蔵木みさとという黒尽くめの少女が『櫻月堂』に来るようになってから、さくらの楽しみは増えた。みさとはきまって日が沈んだ頃に腹を空かせたままやってきて、さくらが用意した夕食を皆で食べてから勉強を始めた。彼女は、楽しみながら学んでいるようだった。それが出来る生徒は今も昔も多くない。始めのうちは、好奇心と喜びが勉強に駆り立てているのかもしれないと思ったが――そうではなかったようだ。みさとには向上心がある。
 ――誰かの役に立とう、という心が。
 さくらの胸を、ふうっとかすめる翳りがあった。
 みさとが半ば必死であるように、さくらの目にはうつることもあった。
 店主であり、さくらの連れ添いでもある男は、みさとの面倒をすすんで見ている。みさとのいまの保護者は諸事情あって血縁の者ではないが、その人物とてみさとをないがしろにはしていないのだ。むしろ、さくらたちと同じくらい世話を焼いている。
 それは、果たして、蔵木みさとのためになっているのだろうか。
 みさとの性格を鑑みるに、それだけでは足りないのだと、さくらはかぶりを振った。
 彼女は、与えられているだけだ。このままではいつかはちきれてしまうのではないか――。
「あの」
「ん?」
「みさとさんは……」
「……どうした?」
「……いえ」
 さくらはそれ以上続けずに、夕食の準備を続けた。溶いた卵の中に、だし汁を入れる。手際よく卵が焼かれていく匂いの中で、さくらは料理の手をとめた。ふと、思いついたことがあったのだ。そして運良く、この日はいつもよりも早めにみさとが『櫻月堂』を訪れた。


「こんばんはぁ。……いい匂い」
 すっかり慣れた様子で上がってきたみさとは、台所に目を向けて微笑んだ。彼女は、さくらが作るだし巻き卵が好きなのだ。匂いで、今夜も卓にそれが並ぶということを悟ったらしい。
「それが、まだ途中ですの。今日はすこし、お店が忙しくて」
「そうだったんですか?」
 嘘だ。今日は一本だたらの血を引く男が古い長刀を買っていっただけで、あとはあくびが出そうなほどに暇だった。しかしさくらがあまりにも自然体でついた嘘だったために、みさとは素直に信じたようだった。
 さくらは苦笑を浮かべると、頷いた。
「手伝って下さいますか?」
「えっ!」
 その驚きは、「なんであたしが」といった類のものではなく、「あたしがやっていいんですか」といったものなのだ。それに気がついて、さくらの胸を、またしても翳りが駆け抜けた。
「ひとりよりも、ふたりでやった方がずっと早く終わります。それに、だし巻き卵……みさとさんは、お好きでしょう? 作り方をお教えしますわ。レイ様に作って差し上げてはいかがかしら。あの方にはこの国のものをもっと知っていただきたいですしね」
 ぱあっ、とみさとの顔が輝いた。
「はい、やります!」
 そうして、さくらはみさとが手袋を外すのを、初めて見たのだった。青紫色の血管が網目状に浮き出たその手は、間違いなく死人のものだった。
「そのかわり、と言っては何ですが」
 菜箸を持った死人の手を見つめながら、さくらは言った。きょとんとした視線が、さくらに向けられた。
「私に、英吉利のお茶の淹れ方と、お茶菓子の作り方を教えて下さるかしら?」
 ぽかんと口を開けたみさとは、やがて俯いて微笑み、唇を噛んだ。
「……ま、まだ、苦くしちゃったり甘すぎだったり……とてもさくらさんに教えられるような感じじゃないです……」
「あら、私は、急ぎませんわ。みさとさんも同じです。ゆっくり焦らずに覚えていけばよろしいのですよ。私は、この歳になってもこの国のことしか存じませんの。英吉利に触れているみさとさんが羨ましいわ」
「……そんな……」
「迷惑かしら」
「い、いえ!」
「それなら、いつか、是非。――ああ、火はもう少し強くても大丈夫ですよ」
 香ばしい匂いが、台所を包んだ。
 その夜の献立は、白飯と豆腐の味噌汁、少し歪んだだし巻き卵、少し焦げた金目鯛の切り身だった。


 また、古典から始めている。
 少し崩れただし巻き卵も、少し焦げた金目鯛も、誰も残さず食べたのだった。さくらは食器を洗い、手を拭いて、懐かしいことばが聞こえてくるちゃぶ台のそばに行った。
「嘘を教えたりしていないかと思いましてね」
 あまり『授業』に関わってこなかったさくらだったので、彼女は『先生』の怪訝そうな視線を浴びた。さくらは笑ってそう言うと、みさとがまめにとっているノートを覗きこんだ。
「さくらさん、古典が得意なんですか?」
「私にとっては――」
 言いかけて、はっとさくらは続きを呑みこんだ。
「――ええ、私にとっては、着物の着付けと同じです。好きなものですから、いろいろ知っているつもりですよ。……お手伝いしても?」
 さくらが投げかけると、『先生』は大きく頷いた。許す、というよりは、任せた、と言いたげな相槌だ。さくらは微笑むと、みさとの金眼を覗きこんだ。
 白目の部分がどんよりと濁ったその目は、死人のものだった。
「二度目になりますが、そのかわり――」
「は、はい?」
「私に、英語と数学を教えて下さいますか? 普段触れているおかげか、みさとさんは英語の飲み込みが早いと、『先生』も仰っておりますし。数学は、私、『さいんこさいんたんじぇんと』が呪文のように聞こえます。これでは少し、恥ずかしいわ」
 みさとはまたしてもきょとんとしていた。ちらりちらりと、『先生』とさくらの顔を見比べて、やがて小さくなってから小さく頷いた。
「もう少し、勉強してからなら……」
「それで構いません。有り難うございます」
「あ、いや、お礼なんて……」
 みさとはレインコートのフードの端をぎゅうと引っ張り、顔を隠した。
 死人の目に、生者しか持ち得ない感情が宿っていた。


 いつもよりも軽い足取りで、みさとは帰っていく。
 店主はさくらに何も問わなかった。さくらが彼のことを理解しているように、彼もまたさくらの真意を理解している。
 ――みさとさん、私たちのお友達である貴方が、笑ってくれるなら。
 みさとが誰かの役に立とうとときに背伸びをしていることを、さくらは咎めるつもりはない。闇の中で膝を抱えて待っているよりは、ずっといいと思うのだ。
 それでも――
 ――貴方が笑ってくれるなら、私たちは幸せなんです。ひとを幸せにするということは、とても難しいことなんですよ。貴方は、ご自分でも知らないうちに、素晴らしい役目を負っています。それに、気がついて下さるかしら? いずれで、構いませんから――。
 緑の目を閉じれば、浮かぶのは死人の手と死人の目。
 そして、そこに湛えられた幸福な笑顔だった。

 花びらが、玄関先に散らばっていた。




<了>


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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0134/草壁・さくら/女/999/骨董屋『櫻月堂』店員】

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               ライター通信
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 モロクっちです。草壁さま、お久し振りです! 店主さまをもっと前面に押し出しそうになってしまってちょっと苦労しました。
 また、今回は風景描写にも力を入れています。冬の終わりと秋というのは書きやすいものですが、そうそう一筋縄ではいかないのが難しいところです。
 みさとという友人がもたらす春が、もっと草壁さまを幸せにして下されば幸いです。