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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■梅が逝く夜■

 あやかし荘を囲む森が見える。
 少し開けたところに、一本だけはぐれたように生えている梅の巨木があった。そこに、今は数人が集まってゴザを敷き、月明かりの中で花見をしようとしていた。
 この日の計画を立てたのは、山岡風太だ。最近親しくしている蔵木みさとのために、彼は寝る間も惜しんで――というのはいささか大袈裟だが――日取りし、参加者を集め、バイト代をはたいて飲食物を用意したのだった。
 ただこの日は、生憎の寒の戻り。梅が満開だというのに、真冬のように気温は低く、冷たい風はいやに強かった。日中でさえ人々が手をこすり合わせながら急ぎ足で歩いていた。そんな日の、夜なのだ。誰も風太の時間設定を咎めるものがいないのは不幸中の幸いだった。ここに集まった全員が、夜に花見をする理由を知っていたのだ。
 蔵木みさとは、光の下に出ることが出来ない。その理由を、風太は知らないが――出られない、という結果を知っているだけで充分だと思っていた。
「風が吹いてなかったら、もうちょっとあったたかったかなぁ」
 梅の樹を見上げながら、みさとが残念そうに小さく呟いた。
「風?」
 言われてから、いつも風太は気づく。
 梅の樹がざあざあと騒ぎ立てると、花見の参加者たちは一様に肩をすくめていた。風太は――みさとが呟いたときに初めて、それに気がついたのだった。

 花見に来た者の中には、みさとは勿論、彼女の保護者であるリチャード・レイに、最近アトラスで見かけるようになった警備員『芹沢式』陸號の姿があった。陸號がアトラスに来ることになった経緯を、風太はよく知っている。だからこそ、誘う気になったのだ。作家レイはと言えば、みさと同様にこの日を楽しみにしていたようで、前日のうちに締切までまだ間がある仕事もすべて終わらせていた。
 寒く、風が強い日だが――
 冴え渡る空気の中に、風に散り飛ばされた梅の花の香りが舞った。酒やオードブルの匂いにも引けを取らない。桜よりもずっと強い桃色の花も、闇の中できらめいた。
「この国では、花といえばサクラなのだそうですね」
 風太から受け取ったビールを片手に、レイが灰色の目で梅を見上げた。
「しかし、ウメもいいものです――いや、失礼ながら、わたしにはサクラもウメもほとんど同じように見えてしまうのですがね」
 レイが呆れたように笑うのを、風太は初めて見た。何故か照れてしまい、風太は頭を掻く。
「すいません、急に誘ったりなんかして」
「構いませんよ。むしろ嬉しいです。わたしはこう見えてもお酒が好きですし……ミサトさんもあんなに笑っていますから」
 吹き荒ぶ寒風の中、みさとは参加者の間をぴょこぴょこと移動しては、温かい飲み物をついだり、覚えたてのレシピで作った料理(和食が主だった)を振る舞ったりしていた。あまりに動き回るので、一見、副幹事を勤めているようにも見えた。だが、笑っているのだ。とても楽しそうで、嬉しそうだった。
 その光景を見てぼんやりと幸せに浸った風太は、ふと、つぎはぎだらけの顔をした警備員が、ただ座っているだけだということにようやく気がついたのだった。
「あの」
「はい」
「ビールとか、どう?」
「自分は 呑めません から」
「あれ、お酒ダメなんだ」
「消化 機構は 実装 されて おりません」
「え!」
 とどのつまり、この人造人間はものを食べたり飲んだりすることが出来ないと言うことだ。みさとのことに気を取られて、彼の情報はよく掴んでいなかった風太は、思わず仰け反った。驚く風太に、陸號は冷静な顔で沈着なひとこと。
「お構い なく」
「構うよ! ごめん、つまらないよね……」
「いえ」
 ぎし、と明治の人造人間は首を横に振った。
「自分は 楽しんで おります」
 それから、縫い目のついた唇で、静かにぎこちなく微笑んでみせたのだ。
 風太が思わず呆気にとられる中、陸號の目はぴょこぴょこと動き回るみさとに向けられていた。

 風太が予約して買い付けたオードブルに、梅の花びらが散っている。もう、この梅は終わるのだ。
 オードブルから唐揚げやポテトといった酒の肴向きのものがなくなった頃、ようやくみさとも腰を落ち着けて、散り行く梅を見上げたり、風太を見上げて恥ずかしそうに目を逸らしたり、楽しげにお喋りを始めだした。風太が冗談でビールをすすめると、「ちょっとだけ」とはにかみながら、みさとはごくりと一口ビールを呑んだ。……口には、合わなかったようだった。彼女は顔をしかめて、真っ青な舌を出した。
「ダメ? 有り得ない?」
「ありえないです」
「あはは、ほら、お茶お茶」
 風太がすかさず温かいお茶を出すと、みさとはそれを一気に飲み干した。ビールの苦みよりも、お茶の苦みの方がずっとましであるらしい。
「……大人になったら、がばがば呑むようになるのかな?」
「みさとちゃんが呑みまくってるところって、想像つかないなあ」
「あたしも、風太さんがお酒呑んでるところ、ぜんぜん想像つきませんでしたよ」
 もう残り少なくなった缶ビールを持ったまま、風太はきょとんとした。
 みさとは――笑っている。
「でも、すごく当たり前に呑んでるから、風太さんって大人なんだなぁって思いました」
「でっ、いやぁ、あはは、照れるなぁ、そういうの!」
「酒は呑めども呑まれるな、小僧」
「はい……って、レイさん?」
「いえ、あの、酔いました。すみません」
 レイはいつもよりも英語訛りがひどくなった日本語で呟くと、紫の目をこすりながら――あれ、と風太が思ったときには、灰の目に戻っていた。風太もまた、酔ったのかもしれなかった――温かい烏龍茶に手を伸ばした。
 雪はさすがに降りそうにないが、雪が降りそうなほどに冷たい風が吹いた。陸號が目を細めることもなく、顔を上げて風を浴びた。梅の花が、ぱらぱらと散っていく。
 ひゅうっ、と息を呑んで、みさとが肩をすくめた。
「あれ、寒い?」
「風太さんは、寒くないんですか?」
 二の腕をこすりながら、みさとが訊き返す。
 訊き返されるほどに、風太は平気な顔をしていた。実際彼は、相変わらず風の冷たさを感じていなかった。それどころか、またしても、風が冷たく吹き荒れているということに気づかされたのだ。
「俺は全然。あっ、じゃ、これ貸すよ」
 風太はいそいそと黄色のウインドブレーカーを脱ぐと、みさとの肩にかけた。アルコールで火照った身体を、寒が戻った春の夜の冷気が撫でた。しかし、冷たい風が彼を苛むことはない――風太は、涼しさを感じただけだった。
「うわぁ、あったかい」
 レインコートの上にウインドブレーカーを着込んだみさとは、ふっくらとしているように見えた。体格は一般的な青年のものである風太の上着であるから、みさとには大きすぎていた。ぶかぶかの上着を着て喜ぶみさとを見ると――
 くあッ、と身体中をアルコールが駆け巡ったような気がした。
「うほぉう! ぬほぉう!」
 奇声のようなものを上げながら、風太は梅の樹に頭を打ちつけた。顔は真っ赤に上気し、口元には何とも言えない笑みがある。
「ふ、風太さん?!」
「悪酔いしおったな」
 うむ、とレイがひとり頷く横で、陸號までもがぽかんと口を開けていた。


 ざあ、と春一番が吹いて――


 梅の花は、花見から3日もしないうちに散った。
 それでも、風太の中では、あの夜の記憶が消え失せることはないのだ。風太は時折自転車を漕いで、一本だけ佇む梅を見に行く。
『ありがとうございました、風太さん。約束を覚えていてくれただけでうれしいのに、ほんとにこうやって、人を集めてもらえるなんて……』
 黄色のウインドブレーカーは、翌日返してもらった。
 その日は、まるで夏のように暑い日だった。
『ほんとうに、ありがとうございました』
 梅は来年も咲くだろう。
 そして風太は、すでに来年のことを考えながら、ペダルに足をかけるのだ。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2147/山岡・風太/男/21/私立第三須賀杜爾区大学の3回生】

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               ライター通信
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モロクっちです。いつも有り難うございますー!
甘い恋愛ものは確かに不慣れではありますが、こうして積み上げられていく何かがあるからこそ、崩れたときの哀しみもひとしお……って、不吉なことを(笑・タイトルも若干不安なところを含ませてみました)。今回のノベルでレイが酒好きだとか陸號が飲み食い出来ないこととか、ひそかに設定していることが書けて、わたしも嬉しく思いました。
またのご依頼、お待ちしております。