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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『球体関節人形の想い出』

【T】
 
 どうしてもと請われて出席したものの大して実りのなかったパーティーの帰路。セレスティは黒塗りのベンツの後部座席で何を見るでもなく窓の向こうへと視線を向けていた。
 辺りは夜の底に沈んでいる。微弱な光が窓硝子にセレスティの疲れた顔を映す。断片的に残る記憶をなぞってみても、得られたものは他愛も無い噂話だけだった。近々開催されるオークションに出品される品々に纏わる噂話。それらは皆一様に不穏な気配を孕んでいた。長く生き、その中で出逢う顔ぶれは変わっても人間というものの本質は変わらない。現実味のないことを恐れ、恐れながらも好奇心を隠せない。そんな人間の代表だとでもいうように大袈裟に怯えて見せた女性の言葉を思い出す。
 ―――どんなに美しくてもそんな宝石ごめんだわ。
 確か非業の死を遂げた令嬢が所持していた宝石の話だったような気がする。
 夜特有の研ぎ澄まされた空気に包まれた時間が緩やかに過去へと流れていく。不意にその流れの中に僅かな違和感を覚えた。鋭利な刺激が神経を伝う。それが合図だとでもいうようにセレスティは運転手に停車するよう声を発する。停車した車内。僅かな違和感が去る気配はない。それの正体を見極めようとエンジンを止めるよう指示する。理由も聞かずに運転手はそれに従う。静寂のなかでセレスティの研ぎ澄まされた感覚は違和感が停滞する一画を捉えた。そしてそれに呼ばれるようにステッキを片手に車外へと一歩を踏み出すと、さすがに慌てたのか運転手が呼び止めた。
「大丈夫です」
 一言で制して歩を進めると淡い光を漏らすショーウィンドーの前で自ずと足が止まった。
 そこは以前にも訪れたことのある店だった。この中か。思って躊躇うことなくドアを開ける。
 夜の闇には似つかわしくない涼やかなドアベルが鳴り響き、カウンターの向こうから店主の蓮が顔を上げるのがわかった。
「こんな夜に何の用だい?」
 高慢とも取れる勝気な口調で蓮が云う。
「その様子だとただ買い物に来たわけじゃなさそうだね」
 店内を埋める品々の間を縫うようにして傍にやって来た連はセレスティの美貌を眺めて満足げに笑う。
「呼ばれたんだね」
 声と共に蓮が視線を投げた先には、年代物の椅子に腰掛けるような格好で置かれた少女の球体関節人形があった。滑らかな曲線を描く頤のライン。白磁のような肌とそれによく映える長い黒髪。薄く開かれた唇は淡い桜色だ。ただ残念なことにその人形の片方の眼孔には暗い闇があった。ぽっかりと口を開けたそこには眸が嵌め込んであったに違いない。その証拠にもう片方の眼孔には薄暗い店内でもわかるほどに美しい宝石が輝いていた。
 誘われるように人形に近づく。その人形を間近に見た刹那、セレスティはこの人形の作者を知っていると思う。以前書斎で眺めていた人形作家の写真集。そこに収められた作品は一様に憂いを帯びたような表情をした中性的な雰囲気を纏った不思議な魅力を持った人形だった。今眼前にある人形もそれによく似た特徴を持っていた。巻末に添えられていた文章が脳裏をよぎる。
 ―――これらが彼の遺した作品の総てだと云いたい。しかし一体だけ収録されていない作品が存在している。それ故にこれは完璧な作品集ではないのである。
「これは……」
 その文章を読んでからというもの収録されていない人形を見てみたいと思わなかったと云ったら嘘になる。けれど現実に目にすることができるとは思ってもみなかった。
 無意識のうちに手を伸ばす。人形の頬に触れた掌が感じた無機物の感触はあまりに滑らかで、人肌のようにしっくり馴染んだ。まるで人間のようだと思う。しかし人形の目が瞬くことはなく、片方の眼孔の奥には果てのない闇が広がっている。
『眸を捜して……』
 不意に頭の中に反響するように声が響く。それはあまりに切なく、真摯な願いを秘めた声だった。澄んだ声は鼓膜を震わせるより明瞭に意味を伝え、淡雪が溶けるように消えていく。
「そいつのために働いてくれるかい?」
 蓮が人形の頬に触れたまま動くことを忘れてしまったようなセレスティの背中に云う。その声に我に返り降り返ると蓮は確信に満ちた双眸で真っ直ぐに見つめていた。
 捜してやらなければならない。
 強く思う気持ちに根拠はない。強いて根拠を挙げるとするならば人形の言葉が依頼を拒絶すれば底知れぬ嘆きに変わるような真摯に希うような響きを持っていたということだ。

【U】

 メールが送信されたのを確認して、気品漂う椅子の背凭れに躰を預けて昨夜の出来事を回想する。
 傾けた頸に銀の髪がさらりと流れる。それに薄手のカーテンを通して室内を満たす微弱な陽光が反射した。
 拒絶の意を示さないセレスティに対して蓮は一方的に人形に纏わる話をした。あの人形はやはりセレスティが見た写真集の人形と同じ夭折した人形作家のものであった。蓮は入手先を明かすようなことはしなかったが所持した者は総てを犠牲にしてでもあの人形を手放したくなくなり、結局不幸な末路を辿ることになったのだと云った。
 そうしたものがあの店に落ち着いているということはそうなるべきであったからなのだろう。世界は必然で満ちている。自分があの人形に出逢った理由もそういったものが作用した結果なのだろう。人形は眸とそれに宿る想い出を求めているのだそうだ。主との想い出が眸にあると信じているというのである。無理も無いことかもしれない。人には脳に記録することができる。しかし人形にはそれがない。
 目で見たものは映像として脳内に残る。視覚で捉えたものは意識されずとも断片的なものとして半永久的に記憶されているという。きっとあの少女人形は眸に自分の記憶の総てがあると信じているのだろう。その片方が失われてしまったことによって記憶が薄れ始めていることに気付き、怯えているのだ。
 滑らかな仕草でカーテンの向こうへと視線を向ける。レースのそれと窓硝子の向こうの木々が静かに緑の葉を揺らす。しかし極めて視力の弱いセレスティにわかるのはそうであるだろうということだけだ。どんなに研ぎ澄まされた感覚をもってしても、鮮やかな色彩まではもう自身の眸で見ることできない。色彩は随分過去に蓄積した記憶の中にしかない。よって色はその記憶を駆使して推測する他ないのである。
 あの少女人形の想いがわかるような気がした。言葉を発することも手を伸ばすこともできない。ただ愛でられるだけの存在である少女人形は眸によってしか外部と繋がることができなかったのだろう。見るということは常に受動的だ。決して能動的なものではない。それによって得た記憶を喪うことに怯えるのもわからないではない。その記憶が大切なものであればあるほどに喪いたくないと思うのは当然のことだろう。
 手を伸ばしてマウスを動かし、立ち上げたままのメーラーの送信ボックスにある送信したばかりのメールを確認する。送信先は昨夜のパーティーでオークションを主催すると云っていた男のアドレス。内容はオークションに参加したいということ、昨夜話題になったあの宝石をどうしても落札したいということだった。
 蓮から得た情報と自分で確かめた少女人形の眸を繋ぎ合わせると、それが明らかにパーティーで女性が怯えていたあの宝石であることがわかった。少女人形の眸は光源によって色を変えるのだと蓮は云った。怯える女性に宝石の話をしたオークション主催者は光源によって色を変える不思議な宝石なのだと話していた。
 実際その宝石を目にしてみなければ真実はわからない。
 けれど今は自分が持ち得る情報を駆使することでしか少女人形の願いを叶えてやることはできない。自分でも理解できない感情が少女人形のためだけに向かって始動していることにセレスティは気付いていた。
 今を逃したら永遠に少女人形は喪失の恐怖に怯えて時を過ごすことになるかもしれない。長い年月を生きてきたからこそわかる。喪失は失っていくという過程に哀しさや辛さを感じるものである。喪うかもしれない。そうした仮定が常に恐怖を生み出すのだ。多くの者がセレスティを遺して去って逝った七百年以上の年月はそれを理解するには十分な長さだった。

【V】

 まるでそうなるべきであったかのように総ては順調に進んでいく。オークションは無事に終了した。少女人形の眸は今セレスティの手のなかにある。
 そして傍らには少女人形の作者の妻がいた。落ち着いた初老の女性だ。秘書に住所を調べさせるとそれは容易に知れた。そしてセレスティが自らアポイントメントを取ろうと電話をすると、僅かな戸惑いを滲ませながら彼女はその少女人形に会わせてほしいと云ったのだった。
 日が傾きつつある時の中を黒塗りのベンツが行く。
「……あの人形は死んだ娘がモデルなのです」
 不意に小さな声で女性が呟く。
「一人娘で、私も主人もとても愛しておりました。それ故に厳しく躾すぎてしまったのでしょうね。思春期の盛りで親に反発したい時期であったのも悪かったのかもしれません」
 独語のようだった。
 セレスティは敢えて言葉を挟まず静かに耳を傾ける。
「事故でしたわ。反発しあったまま十四という若さで娘は逝ってしまいました。それからというもの主人は何かに憑かれたようにあの人形造りに没頭しておりました。あの人形の眸はこれから見るであったろう世界の多くの煌きを見ることができるようにと主人が世界中を探しまわって見つけ出してきたものなのです」
「どうして手放したりしたのですか?」
 思ったままの疑問がセレスティの唇から漏れる。
「どんなに娘に似せて造っても人形は人形です。あの人形を完成させてすぐに主人は亡くなりました。主人を喪い、娘に似ている人形だけが傍にある生活がどんなに辛いものだったか……。殺したのはおまえだと娘に責められているようで耐えられなかったのです」
 女性はそう云って、目頭を押さえて俯いた。
「残酷なことをしてしまったのは承知の上です。でももう娘はいないのです。私も主人も娘を喪った現実を生きていかなければならなかったのです」
 女性が話し終わるのを待っていたとでもいうようにベンツが停車する。運転手によって開かれるドア。女性をエスコートするようにセレスティが差し伸べた掌の上にのせられた女性の手は震えていた。
「いらっしゃい」
ドアベルの涼やかな音とは不釣合いな声が店の奥から響いてくる。
「あぁ、眸が見つかったんだね」
 蓮にとってセレスティが連れている女性はどうでもいいようだった。
「こんな所に……」
 傍らで女性が呟く
「大切にして下さるというからお譲りしたのに」
 その声は今にも泣き出してしまいそうだった。その声が聞こえているのかいないのか、蓮はセレスティから眸を受け取り嵌め込む手際よく作業を始める。
 それを見つめる女性の目は涙に潤んでいた。セレスティはそれを認めてさりげなくハンカチを差し出す。女性は躊躇いながらも素直にそれを受け取り目頭を押さえた。
『ありがとう……』
 不意に声が響く。それは女性にも届いたようで、目頭を押さえていた彼女は叫ぶように名前を呼んで少女人形に駆け寄った。
「ごめんなさい……」
 少女人形の頬をやさしく包み込んで女性が云う。
 蓮はその傍らで腕を組んで何が起こったのかわからないと云った風にセレスティを見た。
 そして蓮に答えようとした刹那にそれは起こった。
 突然店内が淡いヴィジョンに包まれる。
 手入れの行き届いた庭。
 幼い少女が駆けて行く。
 セピア色の風景。
 少女を抱きとめる男性。
 その傍らで日傘をさした女性が微笑んでいる。
 少女が二人に向かって満面の笑みを浮かべる。
 少女は人形によく似ていた。
 男性に高く抱え上げられ、無邪気に笑う少女からは今にも軽やかな笑い声が聞こえてきそうだった。
『ありがとう』
 少女人形の声が響く。
 彼女が見ていたものはこれだったのか。
 セレスティは思う。
 見ているほうまで幸福になるヴィジョン。
 繰り返される停滞した過去。
 そこに満ちているものは温かくやさしいものだった。
 少女を抱きとめた男性はきっと夭折した人形師だ。その傍らで微笑む女性は今ここにいる女性の若かりし頃の姿なのだろう。
 女性の啜り泣きがセレスティの鼓膜を震わせる。
 耳を澄ますと幼い少女の笑い声が聞こえるような気がした。
 啜り泣く声と幼い笑い声。
 過去と現在が混在する店内。
 そこで不意にセレスティは自身の遠い過去を想った。
 遠い昔、自分もこんな風に誰かに愛されたことがあっただろうか。
 思うと不意に頬を涙が伝い落ちるのがわかった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】

【NPC:碧摩蓮】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
この度はご参加頂きまことにありがとうございます。
長き時間の中を生きるセレスティ様と停滞したままの過去の想い出を愛する人形をリンクさせて書いてみたのですが、お気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございました。