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『千紫万紅 ― 4月の花 杜若の物語 ― 』
今朝はご機嫌だった。
大学の受講講義登録予備期間も終わって、講義が本格的に始まり、だもんだから出席カードが教授によって配られる前には教室に入っていないといけないという煩わしき大学生活も始まっているのだけど、しかしそれを差し引いても余りあるほどにご機嫌だった。
それは今日は朝から白さんに出会えるから。
「うふふふ」
喫茶『響』の厨房にある業務用の洗剤でごしごしと昨夜の夜桜見物の時の重箱を洗っている天樹燐は微笑みを隠せない。
そう、昨夜は本当に楽しかった。白さんと一緒に眺めた夜桜ははっとするぐらいに綺麗だったし、天狗の彼と飲んだ桜の花びら一枚を浮かせた御酒も格段に美味しかった。そして女の子六人でしたおしゃべりだって時が経つのを忘れるぐらいにすごく楽しい時間で。
それは大切な思い出という宝物。記憶のアルバムにはちゃんと夜に美しく咲く桜の花の下で楽しんでいる光景が絵となって貼られている。
「姉さん。はい、できたよ」
差し出されたのはミックスサンドが入ったサンドイッチお持ち帰り用の箱と、熱い紅茶が入った魔法瓶。
「ありがとう」
にこりと笑う。
ちなみにサンドイッチを作るのも、紅茶を煎れたのも弟が燐がやろうとしているのを見て、自発的に申し出てくれた。
女の子の燐としてはやっぱり大好きな人には自分の手作り料理を食べさせてあげたいと想うものだけど、弟に「姉さんは、昨夜のお持ち帰りをしてきてくれた料理が入っていた重箱を洗ってて」と言われてしぶしぶそれに従った。どうして、みんな、自分に料理をさせてくれないのだろう?
燐は吐いたため息で前髪を浮かせた。
そうして燐は、よく拭いて水気をきった重箱を風呂敷で丁寧に包み込んでそれを右手に持ち、サンドイッチと魔法瓶が入った鞄は右肩にかけて店を出た。今日は4月17日。土曜日。大学もお休みで、お店のお手伝いも今日はお休み。しかも天気は快晴で気分も上々。
「うん、いい天気。白さんを誘って、ピクニックに行くには絶好な日ね」
そうやって彼女は、4月17日。杜若の所縁の日に前世という枷に囚われて苦しむ二人と絡むのであった。
******
「あ、白さん、おはようございます」
笑顔でにこりとそう言った燐は、スノードロップのどんぐり眼がうるうると涙ぐんでいる事に気が付いた。また誰かに虫だと言われたのだろうか?
さらっと黒の前髪を揺らして小首を傾げた燐に白さんは穏やかに微笑んで、事の詳細を彼女に聞かせた。
「それは、なんとも哀しい物語ですね。かわいそうに」
そう、とても不憫でかわいそうだと想う。
前世では不幸な結末を迎えてしまった二人がだけど今世でちゃんと出逢えて、今度こそ幸せになれようものなのに、しかし前世の心の傷は確実に今世でもお雪姫…細井雪菜と須藤礼に影響を及ぼしていて・・・。
「いやだな・・・」
燐は軽く握った拳を口元に持っていって、そう呟いた。
そう、それはものすごく嫌な事に想える。
やっぱり、恋する二人には・・・愛しあう二人にはちゃんと幸せになってもらいたい。
それに・・・・
―――燐は虚空を風に乗って舞い漂う桜の花びらを見つめる白さんの横顔を見る。その白さんの顔に浮かぶ表情は・・・・・
ああ、白さんもそれをすごく悲しく想っているんだ・・・
恋する二人が、想いあっている二人が、だけど心を重ね合わせられないのはとても哀しい。それをこの人はとても深く哀しんでいて・・・
だったらそれは燐が動くには、充分で。だって・・・
燐は小さく微笑みながら青い空に向けた手の平を、白さんの左肩にいるスノードロップに差し伸べた。スノードロップはふわりと白さんの左肩から燐の手の平に飛んで、その上で正座してうるうる瞳で燐を見る。燐は唇を何かを囁くように動かして、そしてそれを見たスノードロップは咲いた花のように微笑んで、
それで燐は真っ直ぐに額の上で風に銀色の前髪を躍らせる白さんの青い瞳を見つめて、スノードロップに囁いた言葉をもう一度、紡ぐ。
「任せてください。美人な方の依頼はお受けする事にしてるんです」
にこりと笑う白さんは頷く。そしてその白さんに燐は悪戯っぽく微笑みながら右手の手の平の上のスノードロップを自分の左肩に移動させて、両腕を白さんの左腕に絡めて、そっと白さんの耳に吐息をふわりと吹きかけながら囁く。
「その代わり、私とデートしてくださいね?」
青い目を瞬かせる白さんに、大きく開いた口を両手で覆って驚くスノードロップ。桜の花びらに包まれる燐はくすくすと笑う。
本当に今日は楽しくなりそうだ。
******
どうしてだろう?
どうして、こうなった?
出会った時から感じていた・・・運命を。
ああ、すごくいいな、
・・・彼女を一目見てそう想って、気づいたら目と心は彼女を追っていた。
―――それが始まり。彼女への恋する気持ちの。
だけど同時に思い浮かんだ寂しげな池の辺に咲く紫の杜若。
それはなに?
自答自問してもそれはわからない。
大学の行き帰りに電車内で過ごす時間。スケッチブックに描き綴る絵。彼女に出逢う前は車内の絵を描いていた。
電車の内装に、
車内にいる人の光景、
宙吊り広告はご愛嬌。
だけど今は気づけば手は勝手に心に焼きついた彼女の顔を描いていた。
さらさらの長い黒髪、
透き通るような白い肌、
やわらかそうな唇、
しなやかに動く彼女の両手足。
講義の時間の彼女、
講義と講義の間にある時間、教室の前に設けられている談話スペースで古いソファーに座って友達と話す彼女、
キャンパスを歩く彼女、
色んな彼女をスケッチブックに描いている。
我ながら何をやっているのだろう? と、想う時ももちろんある。
心はこんなにも彼女を欲している。
瞳と瞳が重なった時は、
大学の教室や廊下、食堂にキャンパスなどで彼女と擦れ違う時は心臓がもう口から飛び出しそうで、ともすれば意味もなく回れ右をして逃げ出しそうになる。だけどそれをやったらほんとに変なヤツ。だから自分は顔を真っ赤にして俯きながら、彼女と擦れ違うんだ。だけどいつも擦れ違う度に同じように顔を真っ赤にして俯きながら、しかし自分と目を擦れ違い様に合わせる彼女。胸に浮かぶ両想い? という言葉。勘違いじゃないよね?
それでもそれを口に出さなかったのは、それは彼女を眺めるたびに心に思い浮かぶから。池の辺に咲く紫の杜若が。
それが自分を責めるんだ。
とても・・・
とても・・・。
ものすごく焦る。
胸が苦しくなる。
待たせている・・・
泣いている・・・
行かなくちゃ・・・
行かなくちゃ・・・
そんな想いが胸に湧き上がり、
そしてだから自分はこの想いを彼女に伝えてはいけないと想ってしまう。
苦しいんだ、心が・・・。
息も出来ないほどに苦しい心。
それは片思いの時に感じる恋するがゆえの苦しさではない。
それは罪悪感。悔恨。
自分の知らぬその想いに・・・だけど確かに魂が覚えているそれに苦しむ心。
喘ぐ自分は、教授が持ってきた留学の話に乗った。
彼女を忘れたかった?
いやだ。
いやだ。
そんなのいやだ。
彼女へのこの想いを自分は忘れたくない。
だけど想うんだ。
自分は彼女に忘れられたくないけど、だけど彼女は自分を忘れるべきだって。そうすることで彼女は幸せになるんだって。
好きじゃないから、彼女の側から消えるんじゃない。
好きだから、彼女の側から消えるんだ。
それはそういう事。
ただ、ひとつわがままをしたい。
それは今日、4月17日。フランスに出発する今日、この日にもう一度だけ彼女をこの瞳に映したいという想い。
どうかそれだけは許されたい・・・。
それ以上は決して何も望まぬから・・・。
******
「燐さん、燐さん、これなんかどうでしか?」
折りたたまれて陳列された白のスウェットヘンリーネックシャツを引っ張りながら騒ぐスノードロップに、色違いのクルーネックTシャツを左右の手にとって見比べていた燐は満面の笑顔が浮かんだ顔を向ける。
「どれどれ。あー、うん、かわいいわねー」
手に取っていた服を元に戻すと、燐はスノードロップが選んだシャツを手にとって、カーテンが閉まった試着室の前に立つ。
「白さん、白さん。ちょっと、いいですか?」
「いいでしか?」
と、返事が返ってくる前に試着室のカーテンを開ける女二人。ちゃんと試着室の前に並べて置いてある靴は確認してあるので、他人の着替えを覗くというアクシデントは発生しない。それ以外のアクシデントは、まあ、願ったり叶ったり?
「あ、燐さん。どうですか」
カーテンをあけると、リクルートスーツでぴしっと決めた白さんが振り返る。
「わぁー、カッコいいでしぃぃぃーーーー」
スノードロップはきゃっきゃっと喜び、白さんはほんのりと頬を染めた。
自分の選んだスーツもちゃんとカッコよく着こなしてしまう白さんに恋人兼スタイリスト役の燐は満足げに頷く。ただちょっと・・・
燐はくすりと笑うと、
「白さん、少し顔を上げてください」
両手を白さんの首に伸ばして、ネクタイを解いて締めなおす。ほんの少しネクタイの長さのバランスが悪い。
彼女がふわりと笑みを深くしたのは、白さんは意外と不器用なのかな? と想ったのと、
「なんだかそうしていると、新婚さんみたいでしね♪」
燐が顔を真っ赤にしたのはスノードロップが言った事を彼女も想っていたから。
そして再度、4ツ金口ダブルフォーマルスーツを着こなした白さんを眺めてうっとりとした顔をする。
「うん。やっぱり白さんは長身で線も細いから、大抵の服は着こなしてしまいますね。カッコいいです」
腕を組んでうんうんと頷く燐に、この店のウインドウに飾ってあった人形用の帽子をちゃっかりとかぶってお洒落しているスノードロップは白さんの左肩に座って、ふぅーとため息を吐く。
「じゃあ、これで決まりでしかね」
と、しかしこれに燐は不思議そうな顔をしながら前髪を人差し指で掻きあげると、肩をすくめた。
「まさか。これは私が見たいから頼んだだけです。さあ、白さん、次はこちらをお願いしますね♪」
と、棚に置いてあった服やズボンを渡した。店に入って既に2時間。燐はこんな調子で、白さんをコーディネートして楽しんでいる。ささやかな恋人同士のある日常の光景。燐は心の奥底から、デートを楽しんでいた。だけど実はこれは単にショッピングを楽しんでいるわけではない。彼女には彼女の考えがあって、それで、
「うん、まあ、これでよしかな」
と、頷く燐。
燐は慣れた感じで店員を呼ぶと、店員にこのまま外に出るからと告げて、今まで白さんが着ていた服は、この店の袋にいれてもらって、レジを済ませると、店の外に出た。
商店街のどこにいてもちゃんと見えるように計算されて建てられたからくり時計が12時の時の音を奏でる。時計の中から出てきて、くるくるとワルツを踊り出す王子とお姫様の人形。
燐は楽しそうにやわらかに細めた瞳でそれを見つめるスノードロップを肩に乗せながらにこにこと笑う白さんに、肩に背負っていた鞄を渡す。彼女が弟に白さんと一緒にどこか景色のいい場所で食べようと想って作ってもらったサンドイッチと紅茶が入った鞄だ。
「さあ、白さん。デートは一時中断して、二人をくっつけよう作戦開始しますよ♪」
立てた人差し指をリズミカルにふってにこりと笑う燐に白さんもにこやかに微笑んだ。
******
誰もいない土曜日のキャンパス。
休日の学校は静かで。
それでもそこが無音になる事は決してない。それが世界というもの。
世界は様々な音に満ちている。
風がキャンパスを渡っていく度に、キャンパス内に植えられた木々の枝がざわめく。ざぁーざぁー、と。
そしてその風は静かだった大学の第一校舎と第二校舎の間に作られた池の水面に波を立てる。
細井雪菜は目を細めた。
彼女が見つめるのはその池の辺に咲く紫の杜若。いや、実際にはそこに紫の杜若は無い。それは雪菜の心が彼女に見せる幻影。
風になびく髪を掻きあげながら彼女は小さくため息を漏らした。
そして頭上にある青い空を見上げる。
そこを飛んでいく飛行機。
それを見つめる彼女の瞳から零れ落ちた一筋の涙は、彼女の頬を伝う。
雪菜はその涙を流れるに任せて、第一校舎の下にある掲示板に向った。
大学の掲示板。毎朝、それを確認するのが大学生の朝の日課。
彼、須藤礼と出会ったのもそこだった。
あ、と想った瞬間に恋は始まると言う。
彼女はその条件を充分に満たしていた。大学生となって、オリエンテーションも済んで、そうしてようやっと始まった大学生活。その初日にこの掲示板の前でその想いは始まった。静かに。
彼を見た瞬間にあっ、と想った。
心臓が軽やかにワルツを踊った。
だけどそれと同時に心に泡が浮かぶように浮き上がってきた情景。それは池の辺に咲く紫の杜若。
彼に話し掛けようとする度に、彼の近くに行く度に思い浮かぶその情景。
それはなに?
それは自分の知らぬ自分の魂が覚えている過去の記憶。
怖かった。彼と触れ合うのが・・・。
またどうしようもなく自分が大きな失敗をしてしまい、
彼を不幸にしてしまうのが・・・・・。
涙が浮かんだ彼女の瞳が見るのは掲示板に貼られた留学選考に選ばれた学生の名簿。そこにある彼の名前。それを知ってから全然眠れないし、食欲も無い。世界が終わった感じ。
ずっとずっとずっと池の辺に咲く紫の杜若に責められながらも見つめていた彼の日常。ただそれだけで嬉しかった。別に恋する自分に恋していたわけでも悲恋に酔っていたわけでもない。だけど本当にただそれだけで幸せだったんだ。嬉しかった。
しかしもうそれも叶わぬ想い・・・
―――けど、想う。これでよかったんだって。
だって、わかってるから。
彼も自分の事が好きだ、って・・・・・。
だから彼の中にあるその想いがこの留学の間に薄れていってしまう事をただ望む。
だけどどうか、これだけは許されたい。それでも自分だけは今、この胸にある想いを薄れさせる事無く抱き続けていく事を。
どうか、それだけは・・・
そんな想いに囚われている時だった。掲示板の硝子扉に映ったその人の顔に驚いたのは。
「きゃぁ」
小さく悲鳴をあげる。
全然、後ろに人がいる気配に気づけなかった。
雪菜は急いで振り返って、それでその人に謝る。
「あ、あのすみません。悲鳴をあげてしまって」
そしてその人は青い目をやわらかに細めながら穏やかに微笑んで、鞄をさげていない方の手をふった。
「いえ、かまいませんよ。こちらの方こそ、突然に後ろに立ってしまって」
「あ、いえ、そんな」
ぺこぺこと頭を下げあう二人。雪菜ひとりだった時は陰鬱でさつばつとした空気が流れていたものだけど、今は穏やかでほわほわとした空気が流れている。
雪菜はなんとなく母親と一緒にいる時かのような感じを覚えた。だけどこの人は、誰だろう?
「えっと・・・」
その彼女の疑問を白さんはわかったよう。
「僕は白と言います。そしてこっちが・・・」と、自分の肩を指差して、
そこにいたのはかわいらしい妖精。妖精はその存在に相応しいにこりとしたかわいい笑みを浮かべる。
「わたしはスノードロップの花の妖精でし♪ 虫ではないでしよ」
その彼女の言いように雪菜はくすくすと笑ってしまって、
そして白さんはにこりと笑って、言った。
「今日はここにピクニックに来たのですが、この娘と二人でランチというのもなんなんで、もしもよかったら僕とスノードロップと一緒にお昼を食べませんか?」
「食べませんでしか? 美味しいサンドイッチと紅茶でしよ♪」
雪菜は小さく微笑んで、頷いた。
******
「あっ」
背後で聞こえた男の声。腕組みしてそれを眺めていた燐はくすっと口元に笑みを浮かべる。
雪菜がここにいるのも、礼がここに来るのも杜若の花の精に白さんが聞いてくれていて、わかっていた。後はそれを計算に入れた動きとるばかり。ここまでは順調。あとは自分の演技力と、それと二人の想いあう気持ち。
くるりとスカートの裾を風に舞う桜の花びらと共に軽やかに舞わせて燐は振り返る。だけど礼に彼女が見せるのは寂しげな笑い。まるで花束をくしゃくしゃと丸めたような。
「こんにちは」
燐は戸惑う彼に挨拶する。
「こんにちは」
そう言う礼の瞳は、だけど白さんと一緒にいて、そして楽しそうに笑っている雪菜の顔を見ている。
そしてそんな彼に燐はずばりと訊く。
「ショック?」
「え?」
初めて礼の瞳が燐に向う。その彼の瞳の中に映る儚く切ない泣き笑いの表情を浮かべた自分の顔を見つめながら、燐は唇を動かす。主演女優賞ものの演技じゃなく素直な想いを言葉に紡ぐ。
「あの人はね、白さんと言うの。樹木のお医者さんでとても優しい人よ。そう、とてもいい人」
彼は自然に訊いていた。
「君はあの人の事が・・・好きなの?」
燐はこくりと頷く。
「ええ、好きよ。だけど白さんが選んだのは私じゃなく・・・」
哀しげに潤んだ瞳を燐は楽しそうに笑う雪菜に向ける。その目が紡がれなかった言葉の続きを言っていた。
「くぅ」
礼は下唇を噛み締めて、キャンパスの片隅にある木陰に置かれたベンチに座って、サンドイッチを食べる二人から目を逸らした。
だけど燐は二人から目を逸らさない。頬を一筋の涙に濡らしながらも雪菜と白を見つめている。そんな彼女の表情が礼には不思議に想えた。
「どうして?」
と、彼は彼女に訊く。
「何が?」
「どうして、君は二人を見つめていられるの?」
そして燐はとても綺麗に微笑んだ。
「だって私はちゃんと白さんに自分の想いを告げたから。そのうえで出された答えですもの。だから私は後悔しない。私はあの人に想いを告げた。そして白さんはちゃんと私の想いを見てくれて、ありがとう、と言って、私をふってくれた。だから私は今この胸にある想いを大切に抱きしめる事ができるの。また新たな一歩を踏み出せるのよ。あの人への想いを宙ぶらりんにする事無くね。だから私は後悔はしていないし、そして白さんを応援できるの」
礼はわずかに目を見開く。
「白さんね、この後に雪菜さんに告白するのよ。彼女の大好きな人がフランスに留学してしまうと知ったから。だからきっと独りになってぼろぼろに泣いてしまうであろう彼女の少しでも心の支えになれるようにって、それで告白するの、白さん。最初は友達からやろうって」
礼が何かを呟く。
「・・・ぃ」
「なに?」
問う燐に、礼は顔を片手で鷲掴んで爪を額と頬に突き刺した。
「そんなのずるい。彼女は俺の事が好きで、だけど俺はこれから留学してしまって、それでその彼女の心の隙間に入り込むような真似をして、そんなのずるいよ。俺は彼女が幸せになれるようにって・・・それで身を引こうとしているのに・・・」
礼は自分が口にしている矛盾に気づく様子も無く何度もそれを呟いた。
そして燐はその事については何も言わず、ただやさしく母親が息子を宥めるように言う。
「あなたも告白したら? そのままではその想いは宙ぶらりんになってしまう。人の想いの中でも一番大切でそして素晴らしい人を愛するというその想いが。そんなのはとても哀しい事でしょう」
礼は戸惑う。
「でも、だけど俺は・・・彼女をまた不幸にしてしまうから・・・・」
そんな彼に燐はこくりと頷いて、
「それはあなたが決める事じゃないでしょう? あなたはただ彼女に自分の素直な気持ちを伝えればいいのよ。そんなにも取り乱してしまうぐらいに彼女が好きだって」
そして燐は真っ直ぐに礼の目を見つめる。
「だけど中途半端な気持ちなら行かないでくださいね。私も・・・私が好きな人には幸せになって欲しいですから」
止まっていた歯車が動き出す
「さあ、どうします?」
【ラスト】
温かい湯気を上らせる紅茶を魔法瓶のプラスチック製のコップに注ぐと、燐はそれを笑顔で白さんに渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
にこりと笑って、それを受け取る白さんの横で、スノードロップはドールハウスセットについてくるような小さな小さなティーカップに注がれた紅茶を美味しそうに飲んでいる。白さんも紅茶を一口飲んで、美味しそうに微笑んだ。
「それにしても一件落着してよかったですしねー」
ティーカップを持ちながらほくほく顔でそう言ったスノードロップ。そう、あの後に礼は雪菜に告白し、そして二人は見事に心を重ね合わせたのだ。前世という重い枷を外して。
「そうですね」
両手で魔法瓶のコップを持ちながら青い空を見上げる白さん。そんな彼の横に座っていた燐はおもむろにベンチから立ち上がって、白さんの前に立って、ちょうど目線の高さが同じ場所に来るように腰を曲げて、そして白さんの頬を両手でそっと包み込むと、真っ直ぐにやわらかに細めたやさしい黒瞳でその白さんの顔を見つめて、
「よかった」
と、呟いた。
そんな彼女に白さんはやさしく訊く。
「どうしたんですか?」
そして燐は、
「だって、好きな人にはいつも微笑んでいて欲しいじゃないですか」
と、ふわりと花が咲いたようにやさしく微笑んだ。そして彼女はそのまま悪戯っぽく目を細めながら白さんの手を引っ張って立たせて、しなやかな動きで両腕を白さんの左腕に絡めて歌うように告げる。
「さあ、白さん。デートの続きです!」
そして一輪の幸せな花が咲いたその日は燐にとっても幸せな日となった。なんといっても憧れの白さんとその日はずっと一緒にいられて、楽しい思い出をいっぱい作れたのだから。
それはある春の日のそんな燐の記憶の一ページに綴られたとてもやさしい物語。
― fin ―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1957 / 天樹・燐 / 女性 / 999歳 / 精霊
NPC / 白
NPC / スノードロップの花の妖精
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、天樹・燐さま。
ライターの草摩一護です。
いつもお世話になっております。^^
【千紫万紅】参加ありがとうございます。
とても楽しいプレイングについ顔が綻んでしまいました。
どうだったですか?
今回の二つの柱、燐さんがいかに礼を説得するか、そして燐さんと白さんとのデートの描写はばっちりだったでしょうか?
どちらも実に楽しくって、そして書き手としては魅力的なお話で、本当に書いていて面白かったです。^^
プレイングを読んだ時は本当に燐さんらしい優しくって素敵なストーリーだなと想いました。
燐さんの前向きで優しい性格が現れたその描写を上手く書けるように、
そして何より白さんとの楽しいデートタイムの幸せそうな燐さんの描写、
それらがPLさまのご想像により近い仕上がりになっていましたら、もう書き手としてはそんなにも嬉しい事はないのです。^^
そして僕としては、一番心惹かれて、何よりも筆力を注いだシーンは最後の燐さんが白さんの頬を包み込むように触って、「よかった」と言うシーンですね。^^
僕の目指す文章は何よりも音楽を聴いてその情景が思い浮かんでくるように、文章を読む事でそのシーンが自然に想像できる映像派小説なのですが、
本当にこのラスト数行の文章を読んで、そのシーンを自然に想像してもらえていたらすごく嬉しいです。
そうですね。本当に想像してもらえていたいです。何よりもそのシーンは書き手としても、燐さんとしても思い浮かべてもらいたい大切なシーンですから。^^
それでは今回はこの辺で失礼させてもらいますね。
本当にありがとうございました。
失礼します。^^
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