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<東京怪談・PCゲームノベル>


『千紫万紅 ― 4月の花 杜若の物語 ― 』

 ひらひらと夜の空間に降るように舞い落ちる桜の花びら。
 昨夜のとても美しい薄紅色の花びらの雨に打たれながら白兄さまと並んで見上げた桜の花びらも、私に御酒を勧めてハリセンで叩かれていた彼とハリセンを振り回す彼女の息ぴったりのかけあいも、女の子六人でかわしたおしゃべりもみんなみんなとても楽しくって大切な想い出となって、その想い出は一枚の絵となって記憶のアルバムの一ページに大切に貼られている。色褪せる事の無い永遠の思い出として。
 それは本当に私の大切な宝物。
 だけど、記憶とは・・・想い出とはそんな風に楽しいものばかりじゃない事も私は知っている。
 私にもあるから。
 心の奥底に沈む箱に閉じ込めて、蓋をしめておきたい記憶が・・・。
 それは前世の記憶。
 私の体のうちから流れ出ていく命。
 消えていくぬくもり。
 泣いているあなたの瞳から私の顔に落ちたあなたの涙の悲しいぬくもりと感触・・・。


 ごめんね。
 ごめんね。
 ごめんね。
 あなたをおいていってしまってごめんね。


 そう何度も謝りながら私は・・・死の眠りについた。
 あなたの声を押し殺して泣く声にならない泣き声を聞きながら・・・
 あなたの涙に顔を濡らしながら・・・
 体温がぬけていく私の体を包み込んでくれるあなたのやさしいぬくもりを感じながら・・・
 なんども、
 なんども、
 なんども、
 あやまりながら・・・、
 暗い闇の中に吸い込まれるようにして深い死の眠りについた。


 それは魂が覚えている前世の記憶。
 前世での私と彼の悲しい別れの記憶。
 だけど私と彼はまた巡りあえた。
 輪廻転生。
 廻る魂の輪。
 再び触れ合う指と指。感じるあなたのぬくもりに、あなたの指に移る私のぬくもり。重なり合う私の心とあなたの心。
 それが幸せ。
 心の奥底からそう想える。
 巡りあえた軌跡に感謝している。
 あなたと出会えたから、感じられる喜び。
 溢れ出る幸せ。
 今、微笑むことの出来る私。
 だからこそ、私は想うのです・・・
 ねえ、雪菜さん。あなたは本当にそれでいいの? と。


 私は閉じていた瞼を開いた。
 そして白兄さまの右手の手の平の上に座って、涙に潤んだどんぐり眼を手で擦っているスノードロップの頭をそっと指先で撫でる。
 くすぐったそうに笑うスノードロップから、私は白兄さまの顔へと視線を移した。銀色の前髪を春の風に額の上で躍らせて青い目をやわらかに細めながら笑う白兄さまに。
 その表情に私は心が包み込まれるようなふわりとした感触を覚える。言葉に出さずとも繋がっている安心感。だから私は白兄さまに何も言わずにただ頷いた。
「お願いします、弓弦さん」


 ******
 今すぐに恋焦がれるあなたの元に飛んでいきたいと望む心。
 だけどその心の翼は罪悪感と悔恨という闇よりも昏い闇色の重く冷たい鎖に絡められて、あなたの元に飛んではいけない。
 その鎖はなに? と、夜、ベッドの上で幼い子どものように体をまるめてひとり泣きながらいつも想います。
 明るい陽光の中で笑うあなたを想うたびに、
 真剣な顔で絵を描くあなたを見つめるたびに、
 あなたが顔を真っ赤にして俯くあたしの近くを通るたびに、
 心臓は早いテンポのワルツを踊る。
 それはとても心地よく幸せなワルツの音色。

 だけどそのワルツの音色の余韻はいつもあたしを苦しめる。

 あなたを想うたびに同時に心に浮かぶのは寂しげな池の辺に咲く一輪の紫の杜若。
 それがあたしを責めるのです。
 彼を好きになってはダメ・・・
 また彼を殺したいの・・・
 彼を不幸にしたいの・・・、と。
 そうあたしはかつて自分が彼に対して決定的な失敗をしてしまったことを知っている。どうしようもできないぐらいにあたしは彼にひどい事をした・・・。
 何度も何度も何度も謝っても許されぬぐらいに・・・。
 それはあたしの知らぬ記憶・・・魂に刻み込まれた十字架。
 本当はあたしたちは出会ってはいけなかったのだ・・・。
 だからこそあたしは、その彼への想いを見ないふりしなければならい。
 気づかないふりをしなければならない。
 それが何よりもあたしの彼への贖罪の方法となるのだ。


 彼との出逢いは偶然だった。
 春、新入生オリエンテーションも済んで、本格的な大学生活の始まり。桜の花びら舞う場所にある掲示板の前。大学生の朝の日課。掲示板チェック。
 覚えてる? あたしはそこであなたと出逢った。
 あっ、と想ったらそれは恋の始まり。
 気づくと視線はあなたを追っていた。
 だけどそれは秘密。
 あたしがあなたを想うこの気持ちも。
 あなたを見つめている事も。
 何もかもすべて秘密。
 だって・・・
 ・・・あたしは
 ・・・・・・あなたを
 ・・・・・・・・・不幸にしかできないから。
 ・・・・・・・・・・・・・もうあなたを不幸にしたくないから。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうかあなただけはずっと笑っていてください。
 そしてどうかあたしがあなたを想うこの気持ちだけは許してください。どうか、それだけは・・・・。


 細井雪菜は書き綴った手紙をくしゃくしゃと丸めた。そしてそれを机の横に置いたゴミ箱に捨てて、机に突っ伏して泣き出してしまう。
 開けっ放しの窓から入り込んでくる春の風は、白のレースのカーテンを軽やかになびかせて、そして机の上に置かれていた一枚のチケットとメモ用紙を舞わせた。


 ******
 彼、須藤礼は今日、4月17日の午後2時の飛行機でフランスに出発するはずだった。だけど午後3時半、彼がここ、彼が所属する美術学科の学生が有志で開いた個展会場にいたのは、ほんの一握りの奇跡にかけたから。
 だけどどうやらなけなしの勇気を振り絞って掴んだ一握りの希望も、ほとんどが指の隙間から零れ落ちてしまって、無くなってしまったようだ。
 彼は小さくため息を吐いた。
 最初で最後の彼女への、告白。
 あの春の日、掲示板の前で彼女と出逢った瞬間にはもうどうしようもできないほどに彼女に惹かれていた。
 時折重なる視線。
 ・・・彼女と交わすのはただそれだけ。
 彼女とは言葉をかわしたことはない。
 まともに顔をあわせた事だってない。
 彼女が近くを通るたび、
 彼女の近くを通るたび、
 恥ずかしさのあまりに意味もなく回れ右をして逃げ出したくなるのをなんとか我慢して擦れ違う時に自分は耳まで真っ赤にした顔を俯かせているから。
 そんな風だから、この行動にだってすごい勇気がいった。
 一日だけの個展は奇しくも自分が留学先のフランスに出発する日だった。
 仲間が急遽、教授の推薦で決まったフランス留学する自分にプレゼントしてくれた個展。その日取りがこの日になってしまったのは本当に何もかも急だったからしょうがなかった。6日前にようやく見つけられたこの場所。
 いいチャンスだと想った。
 自分が彼女に告白するための。
 きっかけがなければ告白できないような想いなら、しない方がかえっていいのかもしれないとは想わなかった。
 告白はずっとしたかったんだ。
 欲しいと想った、彼女が。
 絵を描くためだけにあると想っていたこの両手。
 ・・・・だけどそれは違っていた。
 ――――この両手が君を抱きしめたがっている。
 そう、抱きしめたい、彼女を。
 そしてもう絶対に君を放したくない。
 そう想うのは、彼女を想うからだけではない。
 形を成さぬ確信。自分は前に彼女を放してしまった。
 とても守りたい、
 ずっと抱きしめていたい、
 二人一緒にいつまでもいて、
 幸せになりたい、
 幸せにしたい、
 そう想っていた彼女を、
 自分は手放してしまった。
 そしてそういつも自分の知らぬその記憶・・・魂に刻み込まれたその記憶に行きつくたびに脳裏に思い浮かぶ寂びしげな池の辺に咲く一輪の紫の杜若。
 その哀しげな花が、細井雪菜に話し掛けよう、想いを告白しようとする度に思い浮かんで、そしてこう想ってしまう。


 また彼女を不幸にするのか? と。


 だから言えなかった言葉。
 紡げなかった想い。
 それでも・・・
 ・・・・そんな想いをふりきって、勇気を出して彼女に送ったこの個展のチケットと、ただ話がしたいから、と書いたメモ。
 だけど約束の時間を過ぎても彼女は来てはくれない。
 それでも未練がましく個展会場で待ち合わせの時間を過ぎても彼女が来るのを待っていたのは、まだ一握りの希望にかけてしまったから。だけどそれはさらさらと指の隙間から零れてしまって・・・。
「ばかだなー、俺は」
 礼はくしゃっと前髪を掻きあげながら天井にある明度の低い照明を眺めながらため息を吐いた。そしてふと、視線をそこに向ける。
 そこにいたのは二人の男女・・・プラチナのような銀色の髪に縁取れたまだ幼さの残る顔に哀しげな表情を浮かべながら自分の描いた絵を眺めている女子高生。
 礼はその彼女の表情がとても気になって・・・
 それでその少女を見つめていたのだけど、
「あっ」
 自分の描いた絵を眺めていた彼女がその赤い瞳から一滴の涙を流したから、慌ててしまった。


 ******
「あわわわ。弓弦さん、大丈夫でしか? え〜っと、え〜っと」
 頬に一筋の涙を伝わらせる私にスノードロップの花の妖精はおろおろと私の顔の前を行ったり来たりする。
 その絵の痛さに想わず泣いてしまった私はだからこそ硬かった花の蕾が綻ぶようにふわりと浮かんだ想いを強く感じる。それは愛おしいという想い。
 私は行ったり来たりしていたかと想うと、おもむろに私の目の先で止まって、だぁ〜っと両の目から滝のように涙を流し始めた彼女にくすくすと笑いながら、両の手の平を天井にむけた。
「さあ、お座り」
 そう言うと、スノードロップはそこに座って、えぐえぐと握り締めた拳で涙を拭って、取り出したハンカチで鼻をかむ。
「大丈夫?」
 そう訊く私に、逆に彼女が訊く。
「弓弦さんの方こそ大丈夫でしか? どうして絵を見て、泣き出したでしか?」
 私はそう訊く彼女に小さく微笑んで、そして再び視線をその絵に向けた。
 その油絵は、紫の杜若の花一輪を持つ髪の長い綺麗な着物姿の女性の絵。色使いも、彼女の表情も、杜若や着物の柄だってとても綺麗に想える。だけどその絵を見る私の心に思い浮かんだのは・・・
「とても哀しい絵に想えたから」
 ―――悲しみという言葉。きっと、この絵を描いた人自身がとても哀しんでいたのだと想う。【杜若】というタイトルプレートの下にある作者の名前は須藤礼、とあった。
「弓弦さん」
 横からかけられた白兄さまの声。
 私は隣の白兄さまの顔を見上げ、そして白兄さまの青い瞳が見ている方へと、視線を向ける。そちらの方からやってくる青年。たぶん・・・
「あの、ごめん。ちょっといいかな?」
「あ、はい」
 私は両手の平の上のスノードロップを左肩に移動させると、右手で頬を伝うに任せていた一筋の涙をぬぐって、彼に向き直った。
 だけど彼は、
「え〜っとぉ〜」
 声をかけたはいいが、頭を掻きながらその後の言葉を探しているよう。
「なんかナンパしてるみたいでしね♪」
 左の耳元でくすっと笑いながらそう言うスノードロップ。私は思わずどきっとしてしまう。いったいこの虫は、どこでそんな言葉を覚えたのだろう? 心底私はそう想ってしまって、
 そしてそう言われた彼はだけどぷっと吹き出すとくすくすと拳を握った手を口元にあてて笑いだした。とてもおかしそうに。その笑みはものすごくいい笑みで、私はああ、この人は本当にすごく優しい人なのだな、と想った。
「ナンパはよかったね。確かに言いえて妙かも」
 彼は私の左肩に手を伸ばし、スノードロップは人見知りする事無く彼の手に乗る。
「えっと、まずは自己紹介からかな? 俺は須藤礼って言います」
「私は高遠弓弦です。それでこちらが白さんです」
 私が紹介すると、白兄さまはぺこりと頭を下げた。礼さんも頭を下げる。
 そして下げた頭をあげた彼はやわらかに細めた瞳を手の平の上に向けた。その視線の先にいる彼女は明るい声で右手をあげながら自己紹介する。
「私はスノードロップの花の妖精でし。虫じゃないでしよ♪」
 そしてまた彼は笑いだした。どうやら笑い上戸らしい。
「あの、それで、私に何かご用ですか?」
 私は頬にかかる髪を耳の後ろに流しながら小首を傾げる。たぶん、彼が声をかけてきた理由はこうなのだろう、とは想ってはいたけど、だけどあえてそう言った。
 彼は手の平の上のスノードロップの花の妖精に浮かべていた優しい笑みはそのままに私に顔を向けると、私が想っていた通りの質問を口にした。
「どうして、君は俺の絵を見て、泣いていたの?」
 やっぱり。
 私は顔を絵に向けて、口を開く。素直に想いを紡ごう・・・
「それはこの絵が、とても哀しく想えたから」
「どうしてそう想うの? 俺が描いたこの彼女は泣いてしまうぐらいに哀しく想える?」
 私は再び彼の顔を見る。
「絵に描かれているこの彼女はとても綺麗に笑っていますが、だけど私にはこの彼女が泣いているように見えてしょうがありません。すみません」
 頭を下げた私に礼さんは静かに顔を横に振った。そして瞳を絵に向ける。
「ありがとう。感想を俺に聞かせてくれて。君にこの彼女が泣いていると言われて、本当にはっとしたよ。この彼女はね、俺が好きな人を想うたびに頭の中に浮かんでくる紫の杜若の精なんだよ。俺はこの彼女が笑っているところは今まで一度だって見た事が無い。いつもこの彼女は哀しそうな顔をして、俺を見つめているんだ。だからなんだ、この絵の中の彼女が笑っているのは。この絵の中だけでも彼女が笑ってくれたら、そうしたらそこから何かが変わるかもしれない・・・って、そう想えたから。でもやっぱり、この彼女は哀しい表情をしているんだね」
 そう言った彼の方が道にはぐれた幼い子どものようで、私には今にも泣いてしまうように想えた。
 私の手は自然に彼の服の袖に伸びていた。それをぎゅっと掴む。そうしないと彼がそのまま悲しみの果てに消えてしまうような気がしたから。


 彼への共感という概念が私の中に生まれたのは、それは私も彼をおいていったから・・・
 それでも私は・・・


「あの・・・」
「ん?」
 若干、自分の服の袖を掴む私に戸惑いつつも彼はやさしく顔を傾げる。そういう温かで優しく包み込んでくれる感じは白兄さまに似ていると想った。だから私は安心して言葉を紡げたのかもしれない。
「それは礼さんの中に哀しい気持ちや、罪悪感とかがあるからだと想います。礼さんの心をがちがちに縛るその鎖はそういう物だと想うのです。私もそうだったから・・・。私も彼を前においていってしまって、それでおいていかれた彼の気持ちを考えてしまうから。だけど今は私も彼も一緒に同じ時間にいれて、それが幸せで。礼さん、それではダメですか? 二人これから紡ぐ時間で、あなたの心を縛る鎖を断ち切る事はできませんか? それはとても怖いけど、勇気がいるけど、だけど・・・もしもその一歩を踏み出せたのなら、そしたらきっと何かが変わるから」
「俺は・・・」
 そこまで言った礼さんの口が驚きに開かれる。私の後ろを見る彼の目も。私はそれに何が起こったのか悟って、そして後ろを振り返った。そこにいたのは、この絵に描かれた杜若の精そっくりの女の子。一目でわかった。彼女が細井雪菜さんだ。
 そこにいる彼女も礼さんを見て、驚いた表情をしていた。そして弾かれたように回れ右をして、その場から立ち去ってしまう。
「あ、待ぁっ・・・」それだけ言って、だけど彼はそれだけで、そこから後は何もしようとはしなかった。
 私は白兄さまを見る。白兄さまはやさしく微笑みながら頷いてくれた。
 だから私は礼さんの事は白兄さまにお任せして、彼女を追いかけた。


 ******
 まさかいるとは想わなかった、彼が。
 約束の時間なんてもうとっくの昔に過ぎ去っているのに。
 ・・・。
 うそ、違う。
 本当はひょっとしたら・・・・そう想って行った。そして本当にそこには彼がいた。だけどいざ、彼をその視界に映したら怖くなってしまった。また彼を不幸にしてしまう、と。


 寂しげな池の辺に咲く紫の杜若の花がそう言っていた・・・


 都会の街中に設けられた小スペース。そこに植えられた大きな一本の樹。それを取り囲むように置かれた四つの白いベンチ。
 彼女、細井雪菜はそのベンチのひとつに座って、顔を両手で覆った。本当にどうしてこんな事になったのだろう?
 どうして・・・
 もうわけがわからなかった。
 自分がどうしたいのかも・・・
 どうすればいいのかも・・・
 わからない・・・。
「もうあたし、滅茶苦茶だ」
 呟いた雪菜。
 その彼女の前に誰かが立つ気配。
 心臓がとくん、とひとつ大きく脈打ったのはそれでもまだ期待をしてしまったから。そんなわけないのにね、と呟きながら顔を彼女はあげる。上げていく角度に比例して、心臓の脈打つスピードを早くして。
「ごめんなさい」
 雪菜の目の前に立つ少女は、目を合わせるとおもむろにそう言った。どうやら自分の顔には想いっきり感情がストレートに出たらしい。
「あ、ううん」
 雪菜は顔を横にふって、
 しばらく無言の空気。
「「あ、あの」」
 そして二人同時に言って、顔を見合せて、くすりと笑いあう。
「あたしは細井雪菜。あなたは?」
 髪を掻きあげながら訊く。
「高遠弓弦です」
「弓弦さん」
 そして雪菜は頷いて、少し横にずれる。弓弦は雪菜が作ってくれたスペースに腰を下ろした。
 さぁー、と都会のビル群特有のどこから吹いてくるのか分からない強い一陣の風が通り抜ける。
 弓弦は風になびいて頬にかかる髪を耳の後ろに流しながら、横に座る雪菜を見てくすっと笑う。雪菜はそんな彼女を見て、とてもいいな、と想った。彼女には弓弦がとてもしなやかでそして眩しく想えた。自分が持ち得なかった色んなものをこの彼女は持っていると。
「羨ましいな・・・あたしにはそんな余裕は無いから・・・・・」
「え?」
 弓弦が小首を傾げる。
 そして雪菜は自然に語っていた。自分の須藤礼への想いを。彼を想うたびに胸に浮かぶ一輪の紫の杜若の花の事を。
 その彼女に弓弦はやわらかに微笑んだ。それはどこか学校で困った事があって悩む子どもに優しい母親が浮かべるようなそんなやわらかく温かい表情だった。
「私がここにやってきたのは、その須藤礼さんの代わりに知り合いとして、それと同じ境遇で、だけどちゃんと彼と巡りあえて、幸せになれた恋の上では先輩として雪菜さんとお話をするためなんです」
 雪菜は目を瞬かせた。だけどその高遠弓弦の言葉を聞き流す事はできなかった。その彼女の声には心震わせる何かが確かにあったから。
 そして弓弦は紡ぐ。訥々と言葉を。
「私にもいます。前世から繋がっていた大切な人が。前の私は彼をおいていってしまった。それが哀しくない訳が無かった。贖罪と罪悪感の想いでいっぱいになった胸は張り裂けそうで・・・」震える両手で服の胸元をぎゅっと辛そうに掴み、身を幼い子どものように小さくする弓弦。「おいていく悲しみ。だけど置いていかれるのも辛いですよね。苦しいですよね。大切な人がこの手が届かない場所に行ってしまう・・・取り残されるという事、きっと私なら寂しくって耐えられない」
 つぅーっと赤い瞳から伝う涙。
 だけどその涙に濡れた美貌に弓弦が浮かべたのは、愛を歌う鳥の囀る声にも似た世界中の純粋無垢で清らかなモノを集めて凝縮させたような笑み。
「だけど私と彼は再び今世で出逢えたのですよ。生れ落ちたその日から私は彼を待ち続けた。この世でたったひとりだったいちねんと言う時。その時のどれだけ長く、そして孤独で不安な時だったでしょう。だけど一年という時をおいて生まれてきてくれた彼は私を見つけてくれた」
 雪菜は幼い子どもが母親にすがるように弓弦の服を握った。
 ずるい。
 羨ましい。
 この二人はこんなにも自分たちと一緒なのに、
 どうしてこの二人はこんなにも幸せなのだろう?
 心、重ね合わせられているのだろう?
 ずるい。
 ずるい。
 ずるい。
 神様はどうして、自分たちにはこの幸せを持たせてくれなかったのだろう?
「どうすれば、いいの?」
 助けを求めた。
 許しを請うように素直な想いを紡いだ。
 泣きながら・・・。
 弓弦はふわりと笑い、人差し指で雪菜の頬を流れる涙を拭う。
「好きなんですね、本当に礼さんの事が。私もそうです。私も彼の事が好き。何よりも今、私や彼が生きていて此処に在ると言う事が本当に大事だから、だから私は私として今を幸福にしようと想います」
 雪菜は顔を横に小さく振る。助けを求めて・・・だけどその手を取るのが怖くって、だから雪菜は・・・
「だけどあたしには前の記憶が・・・」
 弓弦はそっと雪菜の頭に手を伸ばして、彼女の顔を自分の胸に抱いた。
「昔の記憶があるという事は過ちを起こさないように考えるという事も出来るということ。私はそう想います。そうやって過去を見つめます。だから――どうか、今この時、【貴女】自身が幸福になられてください・・・過去の事は過去の事として。今の、貴女・・・細井雪菜として、須藤礼さんと向き合い、そして幸せになって。大丈夫。主はいつもあなた方を見ています。我ら、互いに愛し合えば、神、我らにいまし、その愛も全うせらる。がんばって。最初の一歩を踏み出すのはとても怖いけど、だけど踏み出せたのなら、そしたら礼さんも一緒に雪菜さんの隣を歩いてくれるから。だからがんばってください。どうか、今この時を、雪菜さんが後悔せぬように歩めますように、主よ、お導きを」


 そう願う弓弦の声が届いたように、そこに須藤礼が来る。
 二人の心を縛る前世と言う鎖。
 だけどそれはやさしさと勇気という鍵によって・・・・


「雪菜ぁ」
 礼が叫ぶ。
 そしてびくりと震えた雪菜はだけど躊躇うように前に片足を踏み出して、弓弦を振り返って、彼女が頷いたのを見て、それで雪菜は胸元を震える手でくしゃっと掴みながら恐る恐る前に出て、その彼女を礼は両腕で抱きしめた。
「ごめん。もう絶対に放さないから。もう絶対に。だから俺の隣にいて」
「うん」
 世界が祝福するように分厚い雲の隙間から零れた夕方の陽光はもう放さぬようにぎゅっとお互いを抱きしめあう二人を包み込むように照らした。
 触れ合う指。
 移りあう体温。
 重なる唇。
 ひとつとなった心は永久に。
 優しい橙色の中で、弓弦は二人を祝福するように微笑んだ。


【ラスト】
 ベンチに白兄さまと並んで座りながら、私は夕方の空に瞬きだした星を眺めていた。
「綺麗でしねー」
「うん」
 耳元であげられたうっとりとした声。
 視線の先にある空を流れ星がひとつ流れていく。
「ひゃぁ。願い事。願い事。え〜っとえ〜っと、って、弓弦さん。どうして泣いているんでしか?」
 今日2度目の彼女のこの質問。
 私はスノードロップの花の妖精にそう言われて初めて、自分が泣いている事に気がついた。
 それは一日のうちで一番世界が優しく感じられるこの夕方と言う時の中で、その橙色の空の下、今、彼と同じ世界で同じ時を生きているその事を幸せに想った瞬間の出来事だった。
「ほんとうにどうしてこんなにも夕方の空は綺麗なんだろう?」
 そう泣きながら微笑む私は軽く拳を握った右手で右の頬をぬぐい、スノードロップは「流れ星さん、弓弦さんを泣きやましてあげてくださいでし」と言いながら左の頬を拭いてくれた。そして橙色の光を浴びながら白兄さまはやさしく微笑みながら私の頭を撫でてくれて。
 私はそんな風にたくさんの大切な人たちと一緒にいられる高遠弓弦の今を本当に心の奥底から幸せに想った。


  ― fin ―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 0322 / 高遠・弓弦 / 女性 / 17歳 / 高校生



 NPC / 白


 NPC / スノードロップの花の妖精


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、高遠弓弦さま。
いつもありがとうございます。
ライターの草摩一護です。


今回も素敵なプレイングありがとうございました。
切々と弓弦さんが語りかけてきてくれるようなプレイングを読みながら思い浮かんだ言葉や絵を文章として書き綴っていく作業は本当に楽しかったです。
弓弦さんは、誰よりも雪菜や礼と近い場所にいるPCさまだったのですね。
設定やプレイング、シチュノベなどを拝見させていただいて彼女が持つ物語を知って、
そしてだからこそそういう彼女だから紡げる想いや言葉があり、ゆえにそれは力を持てるのだと想い、
それで弓弦さんには雪菜と礼、二人に絡んでもらいました。^^
よく人は痛みを知るからこそ他の誰かに優しくできると言いますけど、
あのような物語を持つ弓弦さんだからこそ、二人に前に行く始めの一歩を踏み出させる事ができたのでしょう。

本当に僕としましては、プレイングの中半からラストまでの文章にすごく感銘を受けまして、
どうにかこの文章の綺麗さや、そこに感じられる想いを消してしまう事無く上手く物語りに織り込んで伝えられるようにとそれを最大限の目標として物語を綴ったのですが、
それがちゃんと上手く思惑通りになっていたら本当にいいと想います。^^

それでは今日はこの辺で失礼させていただきますね。
本当にありがとうございました。^^
失礼します。