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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『球体関節人形の想い出』

【T】

「いらっしゃい」
 迎えの言葉にしてはそっけない声に迎えられ、十九は反射的に店内を満たす煙草の煙に眉を顰める。商いをする気などないような店主の蓮はそんな些細な仕草など気にならないといった体で細く煙を吐き出し云った。
「あれに呼ばれたのかい?」
 細い指先が年代物の椅子に腰を落ち着けた少女を象った球体関節人形を指し示す。
 流れるような黒髪。
 白磁のような肌。
 煌く眸。
 しかしその眸は片方しかなかった。もう片方の眼孔には暗い空白が茫洋と広がっている。
 その空白に導かれるように十九は店内を埋める品々の間を縫って歩を進める。
『捜して……』
 空白から発せられたようなぼんやりとした声が脳内に響く。少女人形の前で足を止める。そして何かに怯えるような透明な響きに吸い寄せられるように十九は手を伸ばした。そして触れた白い頬からダイレクトに伝わる声に咄嗟に手を離す。
「眸を捜してほしいんだそうだよ」
 蓮の声に降り返る。
「働いてくれるかい?」
 選択肢のなかに否という言葉はなかった。
 無意識のうちに繃帯で覆う自分の右目に触れて、再び少女人形と向き合う。
 空白で満たされた眼孔。
 真摯に希う声が脳内に反響する。
 否と答えることなどできなかった。性別の垣根を越えて似ていると思ったその刹那、できることならと願う自分を見つけた。不意に少女人形に対して生まれた感情は親近感によく似ている。空白の眼孔。完璧ではない姿。それはいつかの自分の姿のような気がした。まだ眸だけの存在だった頃。あの頃の空白が今、鮮やかなまでに甦ってくる。躰という器を与えられた時の安堵感。暗闇に身を浸していたような虚無感から開放されたあの瞬間。あの至福を少女人形に与えてやりたいと願う心は紛れもなく本心だ。
 遠い昔を懐かしむような心地で思い出す。
 そして懐かしむことができるのは今が幸福だからだと確かめると、少女人形の眼孔を満たす空白に宿る不安が手に取るようにわかる気がした。

【U】

 蓮から得られた数少ない情報を頼りに、人形展示を主とする博物館を幾つも渡り歩いた。
 少女人形の作者は女性だという。繊細な人形を僅かに残しただけで夭折したそうだ。そんな僅かな情報のなかで唯一の頼みの綱は蓮の一言。
 ―――博物館にでも行けば手がかりがあるかもね。
 そんなおざなりな一言だけだ。
 それを頼りに人形を展示している博物館という博物館を虱潰しに捜して歩いた。気付けば自分でもおかしくなるくらい真剣に少女人形の眸を探していた。
 多くの博物館を渡り歩いても結局目的の作家の人形に出逢えた極僅かだ。しかしそれらは皆共通して人を魅了するには十分の美を備え、それでいてそこ知らぬ淋しさを秘めた眸をしていることに十九は気付いた。心を鷲掴みにされるようなその淋しさは十九の記憶と直結する。淋しさが到達する先は不安だ。自己が茫漠とした空間に広がっていくような果つる底なき不安である。
 少女人形がそんなものを求めているのだろうかとふと疑問に思う。そして脳裏に浮かぶ少女人形の面差しが、博物館の硝子ケース越しに見た人形とは明らかに違っていることに気付いた。
 ふっくらとした頬。淡い桜色の唇に浮かぶ微笑。薄い眉は滑らかな曲線を描き、空白の眼孔にさえも微笑の気配を漂わせていた。
 似ている。
 ふと思う。
 自分には決して存在しないものに少女人形は似ているのだ。
 曖昧なイメージの断片が脳内で一つのヴィジョンを形成する。しかしそれはあくまでもイメージの集積にしかすぎない。輪郭は曖昧なまま、実感は伴わない。ぼんやりと空中に浮かび上がるホログラムのような曖昧さ。触れられないが故に求めてやまない。
 ―――ママ。
 不意に小さな声が響く。咄嗟に降り返ると母親に手を引かれる少女の姿があった。そしてその親子が過ぎ行き、開けた視界に飛び込んでくる一つの看板。そこには幾つ物博物館で目にしてきたMで始まる文字の羅列。まるでそれが人形作家のキャッチフレーズだとでもいうように何度も目にしてきた。眸の奥深くに焼き付けるような強さで何度も見ていた。
 十九は踵を返して、その看板に駆け寄る。そして改めて記された文字を確認して、その向こうにあるギャラリーのドアに視線を向けた。
 求めて止まなかった存在の輪郭。
 総ての答えがそこにあるとでもいうようにドアにはオープンの札が掛かっている。
 触れただけで軋みそうな古めかしいドアを押し開ける。カウベルが重たげな響きで十九を迎える。ギャラリーを満たすのは静寂の空気と冷たい過去の香り。静かに停滞し続ける過去に囁きかけられた気がしてふと視線をギャラリーの奥に向けると、丁度少女一人分の空白が腰を落ち着けている。何かを待つように開かれた空間。その前には一枚の紙片が小さな硝子ケースに納められて展示されていた。
『願わくは 総てが終わるその前に 今一度だけ 名前を呼んで 春の木漏れ日のような温かな声で』
 繊細な硝子ペンで記されたのであろう文字は掠れ、青インクが古めかしさを醸し出す。
 過去を湛えて現在に至る紙片からはささやかな祈りの声が聞こえてきそうな気がした。
「その言葉にお心当たりが?」
 不意に背後から声をかけられて十九は降り返る。手狭なカウンターの向こうから初老の男性が顔を覗かせていた。柔和な笑みを浮かべる何かを待つような双眸に宿る強さに十九は口篭る。その気配を覚ったのか男性はカウンターから出て来て、十九の傍ら立って云った。
「私はずっと待っているんですよ。ここに在るべきものが帰ってくることを」
 男性の顔を仰ぎ見ると、その横顔には長きに渡って何かを待ち続けている気配がはっきりと刻まれていた。僅かに香る罪悪感。悔いる心の淋しさが寄り添うように揺らめいている。
「何かお心当たりが?」
 不意に微笑を向けられて、逃れるように十九は紙片の納められたケースに視線を向ける。
 過去を綴る紙片。
 そこに込められた祈り。
 答えは随分前からそこに展示されているような気がした。
「お心当たりがあるのでしたら、お話だけでも聞かせて頂けませんか?」
 柔和の声。
「些細なことでも結構です」
 希うような響き。
 それはいつかの少女人形の声によく似ていた。
「……ここに在るべきものというのは人形ですか?」
 震える唇で言葉を綴る。
 男性が微笑む気配がした。
「娘の作品をご存知なんですね」
 云うと男性は懐かしむように紙片の納められた硝子ケースを撫ぜた。張りを失った老いた手が愛おしげに硝子ケースの上を行き来する。
「娘は母親同様、若くして有名になった人形作家でした。しかし母親がそうであったように、有名になるには若すぎたのでしょうね。輝かしい才能を持っていたというのにそれを花開かせることもなく死にました。晩年の娘はメディアに騒ぎ立てられ、過去を暴かれ、総てに疲れきっているようでした。あの子は静かに生きていたかっただけなのだと、今になって思います」
 視線に宿るやさしさ。
 過去を語る柔らかな声。
 男性の言葉の端々から立ち上る感情が十九には上手く理解できなかった。温かで幸福なものだということはわかる。しかしその本質がわからないのだ。不意に頬を伝い落ちる水の気配にはっとする。指先で触れると頬が濡れていた。
 自分は泣いているのだろうか。
 思うと同時にやさしく肩を抱かれる気配に顔を上げる。
「娘はずっと独りの存在だけを求めていました。遠い記憶の中にあるものだけを、ひたむきに求めていただけでした。その証がこの紙片の指し示すものなんだと思います。妻が去って、娘が去って、私に残されたのはこの紙片と娘の遺作の眸であろう一つの宝石だけ。しかし娘の遺作となったであろう人形の所在はわからないのです」
「……それがどこにあるのか、知っています」
 十九が震える声で搾り出すように云うと男性は笑って頷いた。
「娘があなたをここへ導いてくれたのでしょう。あなたの姿を見た時、娘が帰ってきたのではないかと思いました」
 肩に降り積もるやさしさ。
 その正体がわからない。根源的なものだということはわかる。言葉にならない、言葉にできない温もり。感情。ただひたむきに求めるように溢れる想い。
「お譲り頂けるでしょうか?」
 独語のような希う声は少女人形の声によく似ていた。
 その声に、この男性は途切れることなく永遠にあの少女人形と繋がっているのだと十九は思う。
 人間は不思議だ。
 躰を分けても血を分けた永遠の繋がりを約束されている相手がいる。
 自分にはいない。
 十九は今、肩に降り積もるやさしさが少女人形に向けられているものだと思うと再び涙が溢れてくるのがわかった。

【V】

 男性は静かに言葉を紡いだ。
 過ぎてしまったものに対する夥しいほどの後悔。懺悔の言葉。孤独のなかに溢れる淋しさ。手に取るようにわかるのはあまりに男性が真摯に言葉を紡いだからだろう。
 冷めていく紅茶を前に男性は静かな微笑を湛えたまま娘の話をした。
 遠い過去の引出しからそっと取り出すようにして一つ一つ丁寧に十九の前に並べてくれた。その総てから愛おしいという感情が立ち上っているような気がした。
 音が纏う柔らかな温度。
 ただそれだけを願う心のひたむきさ。
 それらを思うと何もかもが符合した。
 そして目の前に宝石箱に納められた一つの宝石が差し出された時、十九は無意識のうちに呟いていた。
「人形は、ずっと迎えが来ることを待っているんだと思います」
 少女人形が囁く。
『捜して……』
 その言葉の裏に潜む本音。
 求めるものがなんであるのかということが今ならわかる。
 少女人形が求めているものは物質的なものではない。
 十九が弾き出した答えを男性の言葉が裏付ける。
 だから十九は男性を伴って再びアンティークショップ・レンのドアを潜った。
「その様子だと見つかったようだね」
 十九の姿を見とめた蓮がカウンターに頬杖をついて云う。
「勝手におやり。あたしは結果だけで十分だよ」
 云った蓮が浮かべた笑顔は商売人の顔だった。
 男性が心配そうな顔で十九を見ている。十九はそれに答えるように視線で少女人形の所在を明らかにした。
 傍らで今にも泣き出してしまいそうな吐息が漏れる。
「……こんなに近くにいたんだね」
 男性の許しを請うような切なる声は求めていたものに漸く出逢えた喜びで震えていた。
 そして店内を埋める品々の間を縫うようにして少女人形の前に辿り着くと、まるで本当の娘がそこにいるかのような仕草で愛おしげに頬を撫ぜた。
「眸を……」
 云う十九の言葉に男性は頷くと、順当な手順でもって嵌めこまれるべき場所に眸を納めた。
 そして総てが終わったとでもいうように愛おしそうに黒い艶やかな髪を撫ぜた。
『ありがとう……』
 不意に温かな声が店内に響く。
 そして花開くようなたおやかさで静かに過去のヴィジョンが辺りを埋め尽くすのがわかった。
 長い黒髪の女性が少女を膝に乗せて微笑んでいる。
 緑鮮やかな庭。
 白い指がやさしく少女の髪を撫ぜ、少女が云う。
 ―――ママ、パパよ。
 そして二人は頬を寄せ合うようにして一点に向かって微笑みかける。
「おまえたち……」
 微笑の先には男性がいた。
 愛されるということはこういうことなのだろうかと十九は思う。
 少女を抱き上げ、黒髪の女性が歩み寄る。
 柔らかな仕草で白い腕を持ち上げて、泣き崩れる男性の髪を撫ぜる。
 女性の温かな微笑。
 少女の無邪気な微笑み。
 過去に収束していく店内に愛おしさ満ちる。
 こんなものは知らないと十九は思う。
 しかし懐かしいと思う心は本当だ。
 幸福な日常の欠片。
 少女人形が浮かべる完璧な微笑。
 そこ溢れる過去から現在へと向かう愛情。
 触れることなどできないのに男性が現在から手を差し伸べる。
 過去の二人がそれを受け止める。
 感じることもできないであろう女性の手に老いた指が絡まる。
 老いた手の甲に少女の小さな手が重なる。
 男性はその感触がわかるとでもいうように微笑んでいた。
 涙に濡れた頬に確かな微笑が刻まれていた。
 愛するとはこういうことなのだろう。
 予感は確信に変わる。
 そして十九は自分にはまだないと思う。
 どうしてこんなにも人は人を求めるのだろう。
 そして肉体を失ってまで誰かを愛することができるのだろう。
 欠落した眸にこめられた願いがわかる気がした。
 幻惑が見せる幸福。
 それは過去と現在を確かに繋ぎ、愛情の所在を明らかにする。
 いつか自分もこんな風に誰かを愛し、誰かに愛されることがあるのだろうか。
 思うと、涙がとめどなく溢れた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2794/秦十九/男性/13/万屋(現在、時計屋居候中)】

【NPC:碧摩蓮】


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■         ライター通信          ■
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初めまして、沓澤佳純です。
この度はご参加ありがとうございます。
丁寧なご質問を頂き、そのやり取りのなかで書き手としての私の考えをご理解頂くことができてとても嬉しかったです。
この作品が少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
この度は本当にありがとうございました。