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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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刻まれた時
------<オープニング>--------------------------------------
「――ふぅ…」
人を呼びつけておいて悠然と煙管をすぱりすぱりと吸い付ける碧摩蓮。ぽわん、と煙の輪を3つ4つ作るとかつん、と灰吹きに煙管を叩きつける。
再び刻み煙草を煙管に詰めながら呟いた言葉。それは、不思議そうに、また、納得いかないと言うように目を合わせようとせず、きゅっ、と煙管に煙草を詰める事だけを集中している振りをして。
「客からクレームが付いたのさ」
ぎゅっ、と指先で強く煙草を押し込めながら、それと同じくらい力を込めて。
「…詳しくはその客から聞いて欲しいんだけどね。知っての通りウチのコたちは主を選ぶ。選んで買われて行ったコがそうそう問題を起こす筈はないんだが…まぁ、客商売だからね。様子を見に行ってもらいたいんだよ」
火をつけないままの煙管をゆらゆらと手の中で弄び、そうしてようやく視線を来てもらった者へと向け、
「最悪の場合回収も視野に入れてるからね。居心地が悪いのか、それとも他の理由なのか、その辺きちんと調査を頼むよ。――これが客の住所。それに…」
ごそっと脇から取り出したのは厚みのある白い封筒。
「あのコを売った時の現金。客に扱い切れないと判断したら此れを渡して受け取って来てもらいたいんだ。その場合、客の意向は無視していいからね」
聞けば、その品は100年を越した年月を経た懐中時計で、直径は5センチ程。ふらりと立ち寄った客が一目見て気に入り、財布ごと投げ出して一時金を支払ったと言うモノらしい。
「…あたしの人を見る目も鈍ったかねぇ…」
蓮にとってはそれが一番悔しいことだったのかもしれない。
渡された封筒の表書きには「代金」とあり、住所は此処からもさほど遠くないマンションの一室、そして買った人物の名は「池山正二」とあった。これだけではどういう人物かは分かりようがないが。
「頼んだよ」
やはり気になるのか、蓮の声は常になく心配そうだった。
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池山正二。
46歳、独身。大企業と言っていいメジャーな会社の重役。趣味は時計を集める事。
『父が時計職人だったせいか、時計が昔から好きでね。良く修理の真似事をしていたものだったが(笑)』
とある業界系雑誌でのインタビューにはこう書かれている。鼻梁の通った、日本人離れした顔立ちの男で、カメラに向かってごく自然な様子で笑みを浮かべている。
実際、時計となるとアンティークから最新式のものまでコレクションしているという事でも有名な人物のようで、自らの住居の一室をそのために丸々当てているというコメントもその記事には添えられていた。
ふうん。
調べでもしたのかそんな雑誌を見せてくれた蓮に雑誌を返し、モーリス・ラジアルは頭の中で蓮の言葉と雑誌の記事を反芻してみた。
同じく雑誌に目を通し、他の細々としたことを聞いている、同行する2人にも視線を向ける。
「…それでその懐中時計ってどんな品なの?蓮の所のだから多少は想像付くのだけれど」
ウィンのからかうような声に、失礼な、と言いつつ完全に否定する気も無いのか蓮がちょっと上を向き、
「舶来と言うと大袈裟だけどね。ちょっと昔に日本にやって来た品さ。それでも50年くらい前の話だから、当時既に骨董のような物だった。物持ちの良い家で使われていたんだけど、まあ色々あってね、数年前に店に引き取る事になったんだよ」
「曰く付きか」
ぼそりと声を掛けた嵐にちらっと視線を向け、
「曰くは当然あるさ。時計が惚れ込んだ人間が持ち主になる、っていうね。単純だがその分罪深いモノだよ。その時計に夢中になった人間が大枚はたいて買っていった所で、どういうわけか返品になって戻ってくるんだから。原因不明の故障を起こしたり、持ち主が其れを持ち歩いている時に限って何らかの事故にあったり。怒って解体しても次の日には元に戻っているって言うんだから気味も悪くなるだろうしね」
今回は互いに一目惚れのように見えたんだがねえ…そう呟いて、ふう、と溜息交じりの紫煙を上げる。
「今回のクレームは、どういったものだったんですか?」
それがねえ、と蓮が困ったような笑みを浮かべ、
「…原因不明の故障、そう聞いてるよ。どうにかしてくれってね。叩きつけてきたわけじゃないが、同じようなモノかねぇ」
だからこそ納得行かないのさ、とこりこり煙管の端で頭を掻きながら蓮は呟いていた。
…事前の話ではこんなものだろうか。
気だるげな蓮に見送られながら、さして遠くないマンションへと移動する事にした。
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『店主本人じゃないのか…まあいい。上がってくれ』
高級マンションと一目で分かる入り口で、監視の目に晒されながらフロアで蓮に教えられた部屋番号を押し、来訪の意思を告げる。と、インターフォンから意外に若々しい声が聞こえ、居住フロアへの入り口が開いた。
昼間だからか人の気配はあまり無く、居ても防音がしっかりしていて良く聞こえないのだろう。しん、と静まり返った居住区の中を、目的の部屋まで移動する。
やがて見つけた部屋を開けた男は、雑誌に載っていた写真そのままにびしっと渋い色のスーツを身に纏っていた。
「ようこそ。早速で悪いのだが、急用が入って暫く外に出ることになってね。風見が着き次第入れ替わるから、それまで…そうだな。30分程の間に、聞くことが在れば聞いてくれ」
「風見…さん?」
聞き返した嵐にああ、と頷くと、
「家事を時々頼んでいる人物でね。私が留守の間の…言うなれば監視役だな。私が仕事に出ている間君達を外に出すのも悪いしな」
そう簡単に説明すると、一室の前へと皆を案内する。そして扉に手をかけてから動きを止め、
「まず始めに言っておく。――正直なところ、私はあの時計を手放したくない」
え?と3人が顔を上げるのを、特に訝しがる様子も無く、
「驚くのも尤もだろうな。クレームを付けて来た客を訊ねて来たのだから」
やや表情を和らげて皆を見渡し、ぐっ、とドアノブを握り締め。
「まあ見てもらえば分かるだろうが…」
ゆっくりと扉を開き、そして中へと皆を招きいれた。
――!?
一歩、入った途端、音の洪水に圧倒される。
「これは…」
ウィンが小さく呟いて、目を見張りながら室内を見渡した。
部屋の壁、テーブル、至る所に時計、時計、時計。壁掛けがずらりと並び、テーブルにはケースにしつらえた置時計の山。部屋中を仕切るように置かれた陳列棚の中には腕時計と懐中時計の群れ。小さな帽子掛けを模した置物にぶら下っているのはペンダント時計らしい。それらが一斉に時を刻む音が耳に押し寄せてくる。
空間の殆どが時計によって占められていた。空いている空間は歩くことの出来るスペースと天井くらいなものだろう。まさに、時計部屋だった。下手な時計屋よりも品揃えが良さそうな、とそんなことまで考えてしまう。
皆の驚く様子が面白かったらしい。背後でくすくすと小さな笑い声が聞こえ、そして男が棚のひとつに近寄り、そこから小さな台を取り出す。赤い布と、銀色に輝く丸い物がちらりと見え。
「驚いたみたいだな。知人には良く知られているから、そこまでの反応は久しぶりで面白かったよ。…まあ、ようやくここまで集められるようにはなったのだがね」
「時計を集めていると言うのは雑誌で拝見しましたわ」
ウィンの言葉にああ、あれか、と呟いて、
「昔の趣味が現在も続いているという所だな。初めて自分で買ったのは…ほら、そこの棚の一番上に飾られているそれだよ。初任給で買ったものだ。とは言え、安物だったがね」
ぼろぼろになったベルトと一緒に飾ってあるその時計は確かに安物のようだったが、きちんと手入れされているらしく、金属部分に錆びが浮いているようなこともガラスが曇っている事も無い。
他にも、あれは何処で買った、とか此れは骨董市で見つけたんだ、とか言う自慢の品々を見せながら、そして自分も愛着のある顔で眺めながら、
「そして、これが君達の所から買って来た品だ」
そう言って差し出した。
表面は銀細工らしく複雑な模様が刻まれており、表と裏で模様が微妙に異なっている。かちりと蓋を開け、中を覗きこむ――と。
内部の保存状態は悪くなかった。当然、店でも手入れはしていた筈だが。文字盤の古びた白さが目に映り、針の独特な形に見入る。蓋の裏には何か文字が彫ってあったらしいが研磨された跡があり読むことは出来なかった。
「…あれ?なんだ、時間合わせてないのか」
現在とは数時間ずれている時計を覗き込み、嵐がぽつりと呟く。
「いや」
その後ろから苦々しげな声が聞こえ、顔を上げると、
「毎日捻子を巻き時刻合わせはしているのだが、どうしても時間がずれてしまうんだ。一日に数時間は狂ってしまう」
「それじゃあ…時計として使えないじゃない」
「修理には?」
「当然出したが、特に異常は認められなかった。部品は錆びても歪んでもいなかったし、それに」
やや忌々しげに口元が歪む。そして首を振りながら、
「時計屋の所へ持ち込むと、時間の狂いは消えてしまう。…まるで私が勘違いをしているような言い方までされてね。それ以来持ち込みはしていないが…昨夜も時間を合わせたのだがね、やはり狂っているようだな」
愚痴なのか、吐き出して小さく息を吐くと、困ったような顔で文字盤を覗き込んだ。
どうやら、その問題が店へのクレームになったらしい。修理のしようのないトラブルに苛立ち、そのことが蓮への連絡へ繋がったのだろう。
「…そう言えば。この文字を消したのは池山さんですか」
指先で削った跡に触れながら、モーリスが顔を上げる。男はゆっくりと首を振り、
「私が見つけた時には既に削れていた。簡単な文章が刻んであったと思ったが」
……?
ふとその言葉に違和感を覚え、顔を上げたその時、
ぴんぽーん。
インターフォンの音が鳴り、男が踵を返した。
「来たようだな。すまない、此方ばかりが話をしてしまって…早めに用事を済ませて戻って来るから、その時までに分かった事だけでも教えてもらいたい。詳しい話はまた後で。ああ、そうだ。緊急に連絡を取りたい時は風見に言ってくれ」
「はい」
急ぎ足で部屋を出た男の背を見ながら、3人が顔を見合わせて、そして手の中の時計に視線を落とした。
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「初めまして。お店の方ですね。池山さんから言い付かっておりますので何かありましたらお申し付け下さい」
正二が慌しく外へ出て行く前に引き合わせた中年の女性が、姿が見えなくなるまで見送った後でにこやかに3人へ話し掛ける。
「彼、いつもあんなに忙しいんですか」
モーリスの言葉にええ、と答えてからにこりと微笑み、
「この頃は休日もあまり無いようで、身体を心配しているのですが…ああいう方ですから」
ちょっと困ったように笑うと、台所に下がっていますね、と言って軽く頭を下げた。
「――あら、どうかしたの?」
再び時計部屋へ行こうとする2人とは別の方向へ足を向けたモーリスへウィンが声を掛ける。
「少し、気になることがあって。すぐ戻ります」
そう言い置いてモーリスは台所へと移動した。
「風見さん」
飲み物でも作るつもりなのか、ヤカンを火にかけた女性がてきぱきと他の家事に勤しんでいる。その背中へと声をかける。
「はい、何でしょうか?」
くるりと微笑みながら振り返った女性に、
「聞きたいことがあるんですが。…この家には、良く来ているんですか?」
「ええ、そうですね。お独りですし、忙しいらしくて、たまにはこうして伺わせていただいています」
それが?と首を傾げる彼女に、
「池山さんは、普段どんな時計を身に付けているんですか?」
モーリスがそう聞いた。あら、と小さく声を上げる女性…それは驚いている様子で、
「もう気付かれたんですか。…あの方、時計は極力身に付けないようにしているんですよ」
不思議そうにそんなことを告げる。
「私がここのお宅へ伺うようになってから随分経ちますけれど、時計をあれだけ持っているのに一切身に付けようとしないんです。一度訊ねたことはありましたけれど、苦笑いなさるばかりで」
「時計が嫌い…というわけではないですよね」
それならあの部屋の時計があれだけきちんと手入れされている様子な筈はない。
「そんなことはありませんよ。特に最近あの懐中時計ですか、あれを手に入れてからはいつも気に掛けているみたいですし」
「…それでも、持ち歩かないんですね」
「そうなんです。不思議でしょう?」
自分でもそう思っていたのか、くすっと小さく笑い。
「そこまで立ち入って聞く訳にもいきませんでしたし」
他には?というように穏やかな笑みを浮かべたままモーリスを見やる。
「いえ。…お仕事中すみませんでした」
「そんなことはありませんよ。お役に立てたのなら。…休憩なさる時は声を掛けてくださいね。お茶をお出ししますから」
はい、とその言葉に頷いて踵を返す。
普段持ち歩かないという時計。骨董趣味にしては雑多な種類の時計。…放置するにしては丁寧な扱い。
これらは一体どういう意味を持っているのか。
「おかえりなさい。どうだった?」
戸を開けて独特の匂いと音の中へ入りながら、ウィンが顔を上げるのを見て軽く首を傾げた。
「時計を持ち歩かないのか。…変だと思った」
風見に聞いて来た話をざっとしたモーリスに嵐がぐるりと部屋を見渡して言葉を紡ぐ。え?と小さな声を上げたウィンに、いや、と呟き。
「見えなかったんだよ」
左腕を軽く持ち上げ、手首をとん、と軽く叩く。其処にはがっちりとしたタイプの腕時計が嵌っていて、
「こういうのが、あの男の手にさ」
これだけあるのに、と呟きながらも。
「――そう言えば。この家はこの部屋以外は静かですね。もしかしたら…生活する部屋には置いてないのかもしれない」
廊下を歩いていて壁に全く時計が掛けられていなかった事、そしてキッチンやそこから見える食堂内の何処にも時計が見当たらなかった事に気付いたモーリスが言葉を続ける。
「この部屋に時計を閉じ込めてるみたいね、まるで」
小声で言ったのだろうが、ウィンの言葉は時計の針の音を縫って2人の耳に届いていた。
「それにしても静かになったわね」
「だな」
不思議そうな顔をするモーリスに小さく笑い、
「さっきね、この部屋で泣き声が聞こえたのよ。戸が開いた途端に納まったのだけどね」
そうウィンが説明した。
「…元凶はコレだよ。何かが憑いてる」
ぶらん、と竜頭部分を指で摘まんだ嵐が懐中時計を見せ、そして手の平に載せた。
「何か妙に温いんだよな…生き物じゃないってのに」
手から手へ渡しながら、その温度を確認する。始めは単に相手が持っていた手の温度かと始めは思うが、その後にじわりと何かがにじむような温かさを感じて、ウィンもモーリスも何ともいえない曖昧な笑みを浮かべた。
「――この温度は元から?」
「いや。泣き声に気付いてからだ」
会話をする2人に、額に軽く手を当てて、
「…ねえ、少しこの部屋を出ない?頭がくらくらしてきたわ」
ウィンがそう告げ、そして2人もそう思っていたのかあっさりと同意し廊下へと出た。
――室内に比べれば無音も同然な場所で、ほっ、と息を付く。
そして気付いたのは、最後に懐中時計を受け取ったモーリス。
次には、その『声』に気付いた2人。
声と言っても言葉ではない。音に近い。
それは。
かすかな、泣き声。
3人が気付いてからも、ちいさな、泣き声は響き続けている。廊下全体に広がっている…そうも思えるが、奥で家事を続けているらしい女性には届いていないようで。
「…中」
そうよね?そう呟いたウィンが時計を指さし、ほぼ同時にモーリスが蓋を開ける。
文字盤の上に、ごく薄い姿の…古めかしいドレスを着た姿の女性が、うずくまって両手で顔を覆っていた。
「…どうして泣いてるの」
その姿に哀れを催すのか、ウィンの声も自然慈しむ様子へとトーンが下がる。
「今の持ち主が気に入らない?」
ふるふる、と首を振る小さな姿。文字盤の上で、涙にくれた顔を上げる。…薄い人影ながらも、恐らくは金髪と青い瞳。そして、白い肌――顔立ちは日本人には程遠く。この姿をきちんと取り続けることが出来ないのか、時折ゆらっと身体を揺らしながら3人を見上げ。
「…それじゃあ…」
モーリスが声を上げる。困ったような、そんな笑みを浮かべつつ。
「飾るだけで使ってくれないのが悲しい…?」
こくん。
その言葉に。
まだ涙目のまま、それは頷き――そして、ふぅっと掻き消える。
泣き声さえも、次第に薄れ。
「あら…休憩ですか?言ってくれればお茶を入れましたのに」
廊下の人影に気付いたのだろう、風見が慌てたように3人へ近寄ってきた。
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「ご苦労さん。どうだった。どこが悪いか分かったかな」
「いくつか分かった事があるんですが、その前に聞いておきたい事があります」
「何かな?」
戻ってきた正二が背広だけハンガーに掛け、居間に腰を降ろした。
「池山さん、この時計を以前に見たことがあるんですね?」
はっ、と正二が小さく口を開ける。何か言いかけて手を口に当て、それから少しして再び笑みを取り戻し、
「隠すことはないと思ったが…やはり少し恥ずかしいな。過去の話だからね」
目に穏やかな光を浮かべつつ、手を組んで話し出す。
「20歳の頃の話だ。まだ父が小さな時計屋を経営してた頃に、一度だけ修理に持ち込まれたことがあってね。父も驚いていたが私も驚いた。店に置かれているような品とは比べ物にならない価値があった。実際値打ち物だったし」
まだ若々しい青年だった正二の目にも、その時計は酷く魅力的に映ったものらしい。そして、修理が終わり引き取り手が来るまでの間飽きずに眺めていたのだと言う。
「その頃はここまで表面も磨り減っていなかったし、中の文字も消されてはいなかった。余程丁寧に扱って来たのだろう、と思ったものだ」
中の文字はプレゼント用に刻まれた物だろう。『カレンからエドワードへ』とあったのを読み、遥か昔の恋人か家族か、そんな思いの詰まった時計を見ては思いを馳せたらしい。
「あの店で見つけた時には正直息が止まったよ。何があったか知らないが…随分傷も増えていたし。それ相応の年月が経ったのだから仕方ないがね」
懐中時計に視線を落とし、組んだ手を解いて手の中に入れようとして思いとどまり、再びしっかりと指を組み合わせる。まるで、触れることで再び傷が増えるのを怖れているかのように。
「それで、今は大事に飾ってるってわけか」
嵐が時計に視線を注ぎ、その視線のまま男へと目線を上げる。
「そういうことだ。…だが、どうにも…毎日手入れしてネジを巻いているというのに、拗ねているように時間が狂う。使わないから良いようなものだが…それでも、何故なのかが分からなくてね」
「答えはそのままだ。拗ねてるんだよ、このお嬢さんは」
「お嬢さん?」
訝しげな視線。
「言葉通りさ。この時計は大事に飾られるよりも一緒に持ち歩いて欲しいんだそうだよ」
「――」
3人へと向けた視線は疑いの眼差し。それは、見えない人間に取っては当たり前のことなのだろうが。
「…信じられませんか」
そうでしょうね、と言葉を続けながらモーリスが微笑む。
「信じるも信じないも…時計が拗ねるなんて」
ありえない、と首を振る。
「…それでは、これを受け取ってください」
「これは?」
すっ、とモーリスが差し出した封筒を手に取り、中を見る。――と、たちまち険しくなる視線が3人を射て。
「どういうつもりだ」
「解決策としての提案が受け入れられないのであれば、この時計にも池山さんにも悪いですが、引き取らせていただきます。…彼女が可哀想ですのでね」
「ふざけるな!…そ、その時計が惜しくなったんだろう、そうじゃなきゃもっと高値で売れる客を見つけたか、だ。何でそんないい加減な話を信じなければならない!?」
「――クレームを付けて来たのは其方でしょう?」
す、っとモーリスの目が細くなった。穏やかな笑みを湛えてはいるが――その表情はどこか冷たいものを思わせ。
「自分を見てもらいたくて、手に取ってもらいたくて、気にしてもらいたくてわざと時の刻みを狂わせていた『彼女』のことを、どうにかしてもらいたくて私たちを呼んだんでしょう?」
「――わざと?」
「だって、」
ウィンがその言葉を受け取って困った顔をしながら小さく笑う。
「正しく時を刻んでいたのなら、あなたはネジを巻く以外では彼女を手に取る事もないでしょうから」
こうして、目の前に持って来て調べたり、眺めたり、気に留めたりすることもないのでしょう?
「――まあ…その通りだが」
困ったような、いや…どこか照れたような表情を浮かべる。それは恋人との逢瀬を覗かれたような感覚なのだろうか。視線は落ち着き無く、そしてどこか少年のようなはにかみが垣間見え。
「その時計を、毎日じゃなくていいから身に付けていれば、それだけで直りますよ。――それが『彼女』の言葉なのですから。自分を――傍に置いて欲しい、ってね」
あ、と小さく声を上げた嵐。皆の視線に取り繕うように何か考え、そして確信ありげに顔を上げる。
「一目惚れしたって言ったな」
「…ああ」
「時計の方もそう思っていたとしたら、どうだ?20年以上前から、あんたのことをさ」
「………」
そっと、その懐中時計を手に取る。ぱかりと蓋を開いて、そして――顔を上げ。
「時間を合わせたのか?」
「いいや?」
嵐がゆっくりと首を振る。首を傾げつつ、それだけは持ち歩いているのだろう、携帯電話を取り出して表示されている画面と時計を見比べて、
「…時間の進みも…問題ないようだな」
少しばかり呆然とした顔つきでそう呟き、尚も何かしたかと疑うのかじろじろと目の前の3人を眺める。
「そう言えば、普段は時計をなさらないそうですね?」
その視線に臆する事無く、モーリスの言葉にふと我に返ったようにああ、と答え、
「――そう言えば…そうだな。それもこれもこの時計を初めて見た時からだ」
大事なものを手にとるように、そっと。手の平に包みながら呟く。
「当時使っていた腕時計は見ただろう?あの棚に飾ってある。あれ以来だな、使うための時計を買わなくなったのは。…いつか、こんな時計を。そう思って」
だが、と時計にじっと眼差しを注いだまま、ゆっくり口を開く。
「高価な時計をいくら買っても、どういうわけか使う気になれなくてな」
苦笑がその口からこぼれる。かと言って放置も出来ず、手入れだけは欠かさないまま、そして時計は増え続け。
――男の目には、映っていないのだろう。
包み込まれた手の中で、ゆっくりと顔をもたげ、手を組み合わせながら見つめている小さな人影は。
「分かった。…納得しよう。少なくとも、此れを手放すのだけはなんとしても避けたい」
ふうっ、と、大きく息を付いた男は、ぱっと笑みを広げる小さな彼女には気付かないまま、封筒を3人の目の前へ戻した。
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「この間、昔の持ち主の家族に会って来たよ。骨董をいくつか処分したいってことでもあったし…ちょっと聞きたいこともあったんでね」
ぷはぁ、と物憂げに紫煙を吐き出しながら告げると、ひらりと一枚の写真を放る。
「あの時計に書かれていた名前、聞いたよね」
「…カレンからエドワードへ」
そう、と呟いたウィンの声に頷く。
写真は薄れかけた古いモノ。夫婦だろうか、それとも恋人だろうか。古めかしい…いや、それは当時のことだから当たり前なのだが、緊張した面持ちの若い男女が映っている。
「あの時計には始め写真が貼り付けてあったらしい。それを取って保存していたのも知らず、持ち主が死んで他の者の手に渡ったらしいね。その途中であの名が削り取られたんだろう」
――3人の視線は、写真の中の2人に食い入るように注がれていた。
女性の姿形は、まさしく時計に居た存在にそっくりで。
そして――男の顔は、正二と驚く程似通っていた。
「これも縁かね」
ぽわん、と宙に円を描きつつ蓮が呟く。
「…まあ。愛されるのは良いことだ。――愛しすぎて他の時計や…人間に嫉妬しなきゃいいんだが」
独身でよかったねえ、と無責任なことを言い放ち、にこやかに笑う。心配事は一掃され、おまけに過分の『修理代』を正二から貰ったらしく最初に呼ばれた時とはまるで違い上機嫌で。
「それって洒落になってないぞ」
ぼそりと呟いた嵐の言葉は、涼しい顔で聞き流していた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1588/ウィン・ルクセンブルク/女性/ 25/万年大学生 】
【2318/モーリス・ラジアル /男性/527/ガードナー・医師・調和者】
【2380/向坂・嵐 /男性/ 19/バイク便ライダー 】
NPC
碧摩蓮
池山正二
風見
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。「刻まれた時」をお送りします。
この作品に先立ち色々と調べてみましたが、骨董は興味深いものが多いですね。丁度100年前前後のモノが懐中時計の全盛期だったようなので、今回の品もその時期に作られたんでしょうか。持ち主を自分で選んでしまう程、昔の持ち主から可愛がられたという証拠かもしれませんが、選ばれそうにない作者としてはこう言った品にだけは一目惚れしたくないものです。
それはさて置き。
今回の参加ありがとうございました。久しぶりに少人数でのお話になりましたが、どうだったでしょうか。気に入っていただければ幸いです。
それでは、また別の場で会えることを願って。
間垣久実
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