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<東京怪談ノベル(シングル)>


追憶


 その日、夜は殊更ゆっくりと落ちていった。
 ガラス窓越しの外の世界では、地平の果てに太陽が沈み行き、染まった朱を飲みこむようにして闇が広がっていく。じっくりと、侵食するように。
 日の消える間際の赤と迫り来る夜の黒が、翼に――否、AMARAに過去を思い起こさせた。
 逃れられぬ血の呪縛に抗うためだけに、己の同胞をその手にかけていた日々のことを……。


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 最早絶つことしか、道は残されていないように思われた。
 目の前に立つ少女は、既に人としての生を終わらせ、AMARAが狩るべき『同胞』と成り果てていた。首筋に残る2つの噛み痕と、血の気の引いた白い肌。それに薄く膜を張ったように光の射さない目。それらのすべてが少女が人から吸血鬼へと変容したことを現していた。

 ――消さねばならない。

 AMARAは携えていた白銀の剣を鞘から抜き放った。鋭く光る刀身は、彼女と同じく迷いがない。目の前の悪しき者を絶ち切ることに、迷いが生じるはずなどなかった。
 少女は、既に人間ではなくなっているのだ。
 だからAMARAは一振りで少女の首を刎ね飛ばした。

 迷いはなかった。
 ただ、胸の内に僅かに澱が積った。



 その数日後に、AMARAの元を裕福そうな夫婦が訪れた。
 夫婦はとある有名な自動車メーカーを取り仕切っていると言った。そして先日彼らの大事な一人娘が何者かの手によって殺されたことを哀しげに話した。それからその娘が、AMARAに似ているのだということも。
 目が合った夫婦が、自分のことを切なげに慈しみの篭った目で見ていることに、AMARAは酷く動揺した。彼らは間違いなく自分に、あの日殺した人間だった吸血鬼の少女の姿を重ねているのだ。
 唐突に、罪悪感がAMARAの身体に重く圧し掛かった。
 殺してしまった少女。もしかしたら何か他に方法があったのではないだろうか?殺さなくても、罪を犯さずに生きていく方法が。あの少女は確かに吸血鬼の血を受けてしまったが、元は人間の血が流れていたのだ。半分は完全に吸血鬼である自分よりよっぽど――。
 そこまで考えて、AMARAの思考は停止した。それは恐ろしい事実だった。己の血を嫌悪した。出来ることなら今すぐにでも、自分の体に流れている半分の闇の血を、抜きさってしまいたくなるぐらいに。

「それで……こんなことを初対面で申し出るのは不躾かと思うのですけれども……」
 夫人の声でAMARAは我に帰った。伏せていた顔を上げると、戸惑いがちな瞳に出会った。再びAMARAの顔を目にした夫婦は一瞬息を飲み、そして押し切るようにして言を繋げた。
「あなたに、私達の娘になってもらえはしないかと」
 ……断れるはずが、なかった。



 それからは夜毎悪夢にうなされ続けた。眠る時に見る夢は、決まって闇に浮かぶ白と赤。潔く首を断たれる少女の白い顔と血飛沫。養父母の、悲しみと絶望に蒼白した顔と怒りと憎しみで赤が射した顔。そしてその元凶である父。その血を引く自分。
 最早眠りも夜も、彼女に安らぎを与えることはなかった。

 だから彼女は毎晩密かに蒼王の家を抜け出した。行き先は決まってはいない。気配と血の臭いのする場所を探して、時には夜明け近くまでさ迷うこともあった。
 そうして行き着く先は、必ず『同胞』の元だった。AMARAはわざと無意識の内に、『食事中』の時にある彼らを訪れた。そうして目の前に広がる惨状に、密かに安堵の息を漏らすのだ。

 ――ほら、彼らはこれ程までに惨忍だ。生きるために必要な糧以上に、殺すことを楽しんでいる。あの時の少女も、殺さなければこうなっていたに違いないんだ――。

 そうやって思い込み、同胞を狩り続けることでしか彼女は自身を保てなかった。強力過ぎる血の呪縛は、まだ脆かった彼女にとって、使命よりも重い枷として彼女を繋ぎ止めていた。
 繰り返す悪夢と討伐の中に、意志や自由は存在しない。ただ操り人形のように、何かに取り付かれたように、毎日を繰り返すだけ……。


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 過去を追想し、翼はゆっくりと目を閉じた。再び開いた時にはもう太陽の名残はない。完全な『夜』がやって来たのだ。
 夜風が、窓にぶつかって鈍い音を鳴らした。その音がまるで訪問を告げるノックのように聞こえて、翼は半ばつられるようにして窓を開け放つ。少し冷たい空気がそこから流れこみ、そしてそれは微かに血の臭いを含んでいた。
 その臭いと気配に、翼は微かに顔を強張らせた。それからいそいで立ち上がって、きちんと掛けてある白の外套を羽織り、立て掛けたままの白銀の、装飾の美しい剣を掴んで玄関へと向かう。
 前を見据える蒼の瞳の輝きは、あの頃より強く、迷いがなかった。

 ――夜。見上げた先には上弦の月。翼はそれに向かって僅かに微笑んだ。自分と似ていた、人間だった吸血鬼の少女のことを思って。
 今はあの頃とは違う。やっていることは傍から見れば同じに見えるのかもしれないが、あの頃にはなかった確乎とした意志が、自分の中には存在している。選んだ道を、迷うことなく歩んでいける強さが、今の翼にはあった。

 『AMARA』――これが真名。自分に与えられた真実の名だ。けれども今は、『蒼王 翼』を名乗っている。この名に昔ほど違和感や重みを感じなくなった今、彼女は彼女の『蒼王 翼』を生きている。抜け殻のようだったあの日々を過去として、今はしっかりと自分の意志を持って。

 見上げた空は、酷くあの日に似ていたけれど、あの日とは違う自分がいる。もう夜に怯えることのなくなった自分に、翼は少しだけ笑みを深くし、それから今宵も同胞を狩るために、夜の町へと溶け込んでいった。



                         ―了―