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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


天紫遭紅

 世界が回る。
 ぐるぐる、と。ふわふわと体は浮かんでいるようで、妙に気持ちがいい。まっすぐに歩こうとする体ですら、それを許さぬかのように気付けば壁と激突してしまう。
「……んだよ、壁じゃん」
 相澤・蓮(あいざわ れん)はそう呟くと、にへら、と笑った。べしべしと壁を叩き、茶の髪の奥にある銀の目を細める。
「あっはっは!何で壁ってこんな所にあるんだろうなー?ここってあれっしょ?新宿のままだよね?あははは!」
 蓮はそう言いながら一通り笑い、それから「はあ」と大きく溜息をついた。
(なんだよ、これ)
 ぐるぐると回る世界の中、自分だけは全く回っていないように思えるから不思議だ。
(俺だけ回ってないって訳?俺だけ違うってか?)
 周りはせわしなく動いているのに、蓮は全く動かない。意志のように、岩のように。
(何でだよ?俺は覚えてないし、あいつも覚えてなかったし)
 蓮は再び溜息をつき、昼間にあったことを思い出す。ただ、同僚との他愛の無い話をしていただけだった。少しずつ頭痛が襲い掛かってきて、それは耐え切れぬものとなっていったのだ。蓮は席を外し、トイレに行った。そして心配して自分の様子を同僚が見に来たという、ただそれだけだ。何故か自分の姿を見て同僚は恐怖の色を見せ、そして倒れた。
(一体、なんったんだよ?)
 同僚が何故突如そんな風に歪んだ顔を浮かべたのかを聞いたのだが、同僚は何も覚えてはいなかった。蓮は問いただすが、やはり同僚は首を傾げるだけだったのだ。
(あいつは、確かに俺に対して怯えていた。なのに……)
 蓮は悔しそうに、ぎゅっと手を握り締めた。もしかしたら、チャンスだったかもしれないのだ。自分が何者なのかを知るための手がかりを、掴む事が出来るチャンス。
(いやいや、俺はそんなに自分が何者なのかってのは興味ないわけよ)
 誰かに言い訳するかのように、蓮は頭の中で呟く。
(でもさ、気になるじゃん?ああいう顔をされちゃ、さ)
 何事も無かったかのように振舞う同僚。もしかすると、何も無かったのが本当なのではないか、と思われるほどだ。だが、蓮は見てしまったのだ。同僚の顔が恐怖に歪むのを。そして、怯えを抱いた顔をしていたのを。
(あいつは一体、俺の何に怯えたって言うんだ?)
 蓮は「……へへへ」と嘲笑を浮かべた。答えなど出ない問いなのだ。何故ならば、その恐怖やら怯えやらを抱いた同僚が何も覚えていないから。何があったのか、どうしてそうだったのかを蓮が知る術はない。
(あと、少しだったかもしれないのに)
 すりぬけていくようだ、と蓮は感じる。掴もうと手を伸ばしたのに、寸前ですり抜けてしまったかのような感触が確かにあった。
「は……ははは」
 蓮は小さく笑う。
(そうか、俺、捕まえ損ねたんだ)
 掴んだと思った切れ端。だが、それは掴んではいなかったのだ。掴みかけただけで、本当に掴んでなど無かったのだ……!
(俺は人を怯えさせて、恐怖に歪ませて)
 理由を知ることすら、許されずに。
(それなのに、俺はこうしてここにいて)
 手がかりは既に手の中に無く、ただすり抜けていき。
(馬鹿みたいに悩んでいる訳だ!)
「はは……ははははは!」
 ぐるぐると回る世界の中で、蓮は一人だけ置いていかれた感覚を覚えた。動いていく世界の中、ぽつんと取り残されたかのような。
 それは果てしなく、孤独。
(分からない)
 蓮はぐっと手を握り締める。
(何もかも、分からない)
 目の前には、壁。
(俺は、何も知る事が出来ない!)
 ガツン!蓮は勢い良く壁を殴りつけ、そしてずるずるとその場に崩れた。ぐるぐると回る世界に、日本の足で立っておくことすら出来なくなってしまったのだ。がしゃん、と景気の良い音が辺りに響く。崩れ落ちた際に、ゴミ箱や放置されていたガラクタに当たってしまったようだ。だが、蓮はそれすら気にすることは無かった。
(どうせ取り残されているんだし)
 両目を腕で多い、蓮は小さく「ははは」と嘲り笑う。
(俺はこうして一人残されていて)
 蓮の拳は、未だ握られたままだ。
(周りが動いて俺の本質を垣間見て、だけど俺はそれを掴めない)
 すう、と振りあがる拳。
(この世界の中で、ただ一人……!)
 ガツン!先程よりも強く、蓮は拳を地面に叩きつけた。
「痛っ」
 蓮は思わず手を引っ込める。殴りつけた拳から、ぽたりと血が溢れてくる。見ると、殴った場所にガラスの破片が転がっていた。うっすらと赤く汚れている。蓮の血だ。
「なんだよ、こんな所まで俺を阻んでさ」
 蓮はそう言い、破片をそっと手にする。きらきらと、ぐるぐる回る世界の中で破片はネオンに照らし出されている。
「俺が何だってんだよ?こんなに、血は赤いし」
 蓮は不思議な理論を呟き、それから大きく溜息をついた。そして、手にしていたガラスの破片をぽい、と投げる。
「ついてねぇな……」
 空にはぽっかりと月が浮かんでいる。頭の中はぐるぐると世界が回っている感覚に襲われている。新宿のネオンがいやというほど煌いている。そんな中で蓮は呟いた。ぽたぽたと血は止まる様子を見せない。蓮は「ははは」と笑う。もう、笑うしかなかった。
(この血の赤さは、本当なのに)
 蓮は流れて行く血を見つめ、目をそっと細めた。
「……あら?」
 ふと聞こえた明るい声に、蓮はそちらを見つめた。ぐるぐるした世界の中で、突如現れたのは赤い女性だった。はっとするほどに艶やかな、また明るい赤い女性。髪も目も、情熱的な赤い色である。
「怪我、してるのかしら?」
 女性はそう言い、そっと蓮を覗き込んだ。蓮はそこで初めて女性の顔をまじまじと見つめた。彼女は全身から情熱と色気が溢れ出しているようだった。整った顔立ち、最高級に素晴らしい体つき。ぐるぐると回る世界の中、まるで彼女だけが蓮と同じく回っていない存在であるかのようだった。
「あらあら、結構な出血ね」
 女性はそう言い、くるりと踵を返して慌てたようにハイヒールの音をテンポ良く響かせながら何処かに消えた。
(赤い……天使?)
 まさかね、と蓮は苦笑する。だらだらと流れる血と同じように、真っ赤な彼女。まるで血の妖精か天使か、または具現化した姿のようであった。
 しばらくし、再び女性は蓮の目の前に現れた。手には救急箱を携えている。
「大丈夫?手当て、しないとね」
 蓮の返答を待つ事なく、女性は救急箱を開け、怪我をしている手をそっと取って手当てを始めた。ぷしゅ、と消毒液が放射され、全身に痛みが走った。
「あらぁ、ごめんなさいね」
 痛みに顔を歪めた蓮に一言謝り、てきぱきと女性は処置をし続けた。
(……あれ?)
 そうしていく内に、だんだん蓮も自覚が出てきた。ぐるぐると回っていた世界が、開店を緩めてきた。体を支配していた酔いが、覚めてきたのだ。
「……どうして、手当てを?」
 ぽつり、と蓮は呟いた。手当てをする女性の手は、限りなく暖かく、優しい。
「どうしてって……そうねぇ。放っておけないじゃない。あたしが店から出たら、あなたがいたんだもの」
「店……?」
「そう、お店」
 女性はそう言い「はい、終わり」と言ってにっこりと笑った。その笑顔も、優しい。
「あ、有難う」
「どういたしまして」
 にっこりと笑う女性に蓮は笑い返そうとし、ずき、という全身を駆け抜ける痛みに顔を歪めた。眉間に皺がどうしても寄ってしまう。切れていた手は思っている以上に傷が深いようだった。ずきずきと傷口から悲鳴をあげているかのようだ。
「あら……痛いのね」
 女性はそう言い、そっと手を傷口にかざす。途端に、ずきずきとした痛みは少しずつひいていってしまった。
「……痛く、ねぇ」
 蓮は目を見開き、思わず傷のある手を見つめる。次に、目の前の女性に目線を移す。
「痛くねぇよ!むしろ、気持ちいい……」
 女性はちょっと笑い、それから真顔になった。
「傷自体は治った訳じゃないの。朝になったら、ちゃんと病院に行きなさいね」
 女性はそう言い、そっと微笑んだ。優しく、温かな笑みだ。思わず蓮は見惚れ、ぼうっとする。
「そうそう。そんなんじゃ帰れないでしょう?」
 女性はそう言い、タクシーを呼んだ。蓮は慌てて女性の手を掴む。
「俺、金が……」
 蓮の所持金は、ほぼ全て飲みで消えてしまっていた。女性は一瞬きょとんとし、それからくすくすと笑った。
「いいわよ、それくらい」
 タクシー代だと、女性は蓮にお金を渡した。蓮はそのお札を暫く見つめ、はっとしたように口を開いた。
「返しに行く!……あ、これが俺の名刺ね」
 蓮はそう言い、ポケットから名刺を一枚取り出して女性に手渡した。女性も「有難う」と言いながら、そっとポケットから名刺を取り出して蓮に渡した。その間に、タクシーがキキキ、と音をさせながら止まった。
「じゃあ、気をつけて帰るのよ。絶対に、病院に行ってね」
「有難う。お金、絶対に返しに行くから!」
 蓮はタクシーに乗り込むと、窓を開けて女性に向かって叫んだ。女性はにっこりと笑い、優雅に手をひらひらと振って蓮を見送ってくれた。
「……素敵な人だな」
 動き出したタクシーの中で、蓮はぼそりと呟いて名刺に目をやった。そこには『DRAGO 藤咲・愛(ふじさき あい)』と書いてあるのだった。


 後日、蓮は借りたお金と赤い花束を持ってDRAGOに向かっていた。どこかで聞いた事あるような店名だ、と思いながら。
「確か有名な店だったんだけどなー。……まあ、いっか。行ったら思い出すかもしんねぇし……」
 ぴたり、と蓮の足は止まってしまった。DRAGOを見つけてしまったのだ。そこにはでかでかと書いてあった。
 SMクラブDRAGO、と。
「え……SMクラブ……」
 蓮はそう小さく呟いて戸惑い、暫く入るか入らないかを悩んだ後にそっと扉を開けた。中から甲高い声が響いてくる。勿論、ピシャリという鞭の音も。
「どうしたのぉ?子猫ちゃん。まだまだお仕置きが足りないのかしらぁ?」
 聴いたことのある声に、そっと蓮はそちらを見た。見ると、丁度先日会った女性、愛が客らしき男を送っていくところであった。愛は蓮をちらりと見てから、客を送り出す。完全に客がいなくなったのを見計らい、蓮の傍に寄った。
「あらぁ、蓮さんじゃない?どうしたのかしら?」
「……あ、ああ。お金!お金と……お礼!」
 愛のボンテージ姿に一瞬見惚れてから、蓮ははっとして口を開く。借りていたお金と、持ってきた薔薇花束を手渡しながら。愛は「あらぁ」と言い、ぎゅっと薔薇の花束を抱き締めた。
「素敵ねぇ。有難う」
 蓮は愛の姿に妙に安心感を持った。先ほど客を送り出す姿を見て、愛という人物が少しだけ分からなくなりかけていたのだ。だが、それは取り越し苦労であったと蓮は感じた。傷の介抱をしてくれ、今こうして花束を嬉しそうに抱き締めている。介抱してくれたときに見せた、あの優しい顔で。
「愛さんも、素敵だと思う」
 蓮はそう言い、愛に向かって笑いかけた。愛は一瞬きょとんとした後、蓮につられたかのようににっこりと笑い返した。
 蓮も愛も、互いに対して何とはなく柔らかい気持ちを描いているかのようだった。まるで、ぐるぐると回っている世界の中で一つの空間を共有しているかのように。

<赤き天使を前にして瞳は紫にはならず・了>