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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


涙のリクエスト

「歌を聴かせて欲しいのです」
 その少女の肌は白過ぎた。
 人ならぬ同居人と住まう草間にとっても、その白さが異常に感じた程だ。
「ここは探偵事務所なんですが……」
 お門違いだ、とはさすがに言えなかった。
 こうした手合いが来るのは、ある意味で自業自得とも言えるのだから。
「……どんな歌なんです?」
 草間が訊くと、白い少女は、既に持っていた小さな紙を、テーブルの上に置いた。
 灰が多いな……草間はそう思いながら、テーブルの上を払いつつ、その紙を見やった。
(羊皮紙――それもかなり古いな)
 十センチ四方のキャンバスに、びっしりと文字が敷き詰められている。
 黒いインクで書かれていた……何かの文字が。
(これは……何語だ?)
「どうでしょうか……」
「あ、うん、はい――」
 どうでしょうか、と言われても……読めないならともかく、草間にとっては知らない字であった。
(……また仕事のオファー、ってことか)
 最近は怪奇探偵というよりは、怪奇ハローワーク、といった方が正確だな。
 草間は心中で自嘲しつつ、頭の中では、この羊皮紙を読めそうな知り合いを絞り込む作業を始めていた。
 あごに指をやる草間の背後から、雫は羊皮紙に目をやった。
(……何も書いてない……お兄さん、何を真剣に考えてるのかしら?)



 その羊皮紙は、見る者によって違った歌を映し出す。
 聴かせて欲しい、あなたの唄を――



  ◆ ◆ ◆


 ……世界の言語の95%が、消滅の途を辿っていると言われている。
 例を挙げれば、アマゾン川流域に伝わる「アリカプ語」の継承者は、六人のみ。
 アラスカ地方の「イーヤック語」に関しては、一人。



 言語が絶滅するということは、そこに託されてきた想いもまた、消え去るということ――


  ◆ ◆ ◆


「うーん……」
「ううむ……」
 才女と少女が、首を捻って、草間から手渡された羊皮紙を見つめていた。
 シュライン・エマ。
 海原みその。
 残務処理とメイド気分は一転、奇妙なオブジェクトに頭をよじらせる頭脳労働となっていた。
 分かったことはあった。
 持つ者によって、羊皮紙に書かれていることは、変化するということ。
 虫食いの位置が変化するのだ。
 シュラインとみそのは、とりあえず、見えた分を別紙に書き出してみたものの……
「足りないわね……」
「足りないですね……」
 埋まった部分は、紙全体の20%にも満たない。
 何より、書かれている文字の羅列が不可解だった。
 これまでの翻訳の仕事では見たことのなかった言葉だったし、どんな辞書を紐解いても、その文字と一致する言語を見る事がかなわなかったのだ。
「……武彦さん」
「なんだ?」
 いわゆる"普通の仕事"の調書に手を着けていた草間が――本来はシュラインの役目だったのだが、奇妙な羊皮紙を眺めるより、なんぼかましだったために、逃げたのだ――まるで他人事のように返事をした。
 シュラインはため息をつきつつ、
「武彦さんが見たのは、なんだったんです? 書き出していただけませんか」
「……分かった」
 羊皮紙と共に別紙を渡し……三十秒後。
 みそのはそのセットを受け取り、ため息をついた。
「結構埋まったですけど、続き文字ですらないですね……なんか、余計こんがらがってしまった感じです」
 メイド姿は笑顔こそ崩さなかったが、シュラインはがっくりと肩を落とした。ますます泥沼だった。
「……詳しそうな人に、電話するわ」
 デスクの受話器に手を伸ばしつつ――シュラインは、応接のソファに座って歓談する、依頼人と雫を見た。
 それなりに打ち解けているようだ。その方が都合も良いし、こちらとしても助かる。
 それでも、府に落ちない点はあった。
 雫が、そして依頼人が手にしても、羊皮紙は白紙のままなのだ。
 ……どういうことかしら?
 黒電のダイヤルを回しつつ、今回のリドルのポイントを整理してみた。
 歌を聴かせて欲しい依頼人。
 持つ者によって、書いてあることが変わる羊皮紙。
 そこに書かれた文字と言語は、恐らくは、私たちに馴染みのない言葉――


  ◆ ◆ ◆


「全く……いつになったら、この急な階段を何とかするのですか」
「まあまあ落ち着いてセレスさん……どうも、武彦さん、お邪魔します」
 人魚の相を持ち、悠久の刻を生きる財閥総帥――セレスティ・カーニンガム。
 音大生こと――葛城樹。
 奇妙な取り合わせの二人に、草間は苦笑しつつ、シュラインとみそのの方に視線で合図した。
「で、その奇妙な羊皮紙って、なんなんです?」
 抱えていたギターケースを下ろし、樹がみそのに訊ねると、みそのは困ったように微笑して、
「なんだか、蛇文字みたいな感じなんです」
「蛇文字?」
 乞われるままに、渡された羊皮紙に目をやった。
 ……確かにこれは、読めそうにない。
 様々な楽譜に目を通す分、特に西欧系の言語には詳しい樹だったが、彼の視覚経験にも属さぬ文字であった。
 きょろきょろと、別紙と見比べる。
「とりあえず、僕にも、言語自体は同じものが見えているみたいです……」
 言って、模写をするように、羊皮紙に書かれている文字――のようなもの――を、紙に書き出した。
「あら……?」
 増えた分をシュラインが認め、意外というような声を出した。
「どうしたんです」
 興味深げにセレスが訊くと、
「一番上に、題名っぽいのが増えたんです」
「ほう……」
 言いながらに手渡された二つの紙を、その静謐な眼差しで見比べるセレス。
 気づくと、一同がセレスのことを見つめていた。
「……ここまで引っ張って、分かりません、ってオチじゃないだろうな」
 草間が、やはり他人ごとのように揶揄するのを、雫とシュラインが目で制した。
 尻に敷かれている、怪奇ハローワーク、もとい怪奇探偵であった。


  ◆ ◆ ◆


「お待たせしました」
「読めたんですか?」
 樹が問うと、セレスは微笑しながらに頷いた。
 一同の中で、小さなどよめきが起こる。
「でも、文字自体は、ちょっぴりしか埋まっていないです……」
 不安そうに首をかしづくメイド姿に、セレスは笑みを崩さぬまま、
「この羊皮紙が何であるか分かった以上、全て分かる必要なない、と言ったところでしょうか」
「もう、勿体ぶらないで。単刀直入に訊くわ。何語なの?」
 シュラインが訊くと、セレスの口から、誰もが知らなかった単語が飛び出した。
「マン語、ですね」
「……マンゴー?」
 思わず合いの手を入れてしまった樹だったが、誰もがその単語を連想したに違いなかった。
 セレスの説明は続く――
「アイルランド海に浮かぶ、マン島。そこに伝わる、少数民族の言語です。馴染みの深い言語ではありませんが、地域自体は馴染み深いのでね……運がよかった」
「かもしれないわね……」
 シュラインの表情から、固いものが抜けた。読めるならば、どうということはない。
「題名部分には、なんて書いてあるのかしら?」
「……『菩提樹』」
「なんだって!」
 大きな声を上げたのは、樹だった。
 皆の視線の集中を感じ、ちょっぴり肩をすくめるも、樹はセレスに問うた。
「シューベルトの『菩提樹』……ですよね?」
「おそらく。書き出しを訳すならば、"泉に添って茂る菩提樹"といったところでしょうか」
「……Am Brunnen vor dem Tore. 間違いない……けど、どうして、その、マン島……でしたっけ? そこの言語で書かれているんですか?」
「隔離……じゃないかしら」
 そう言ったのは、腕を組んだ、シュラインだ。
「シューベルトの死因は、チフローゼ……腸チフスと言われてる。当時はニューキノロンのような薬はなかったから、直すことよりも、周囲からの隔離が重要視されていた」
「……というと、シューベルトさんが、隔離のために、他の国へ島流しにあった……?」
「そんな――」
 シュラインとみそのの推測に、樹は困惑した表情で返した。
 だが、このあたりの音楽家には、はっきりしないことばかりが多い。
 かのベートーベンですら、あまりの乱筆に、後世の研究家にテリーゼをエリーゼと誤訳された。
 しかも、そのテリーゼという名前は、シューベルトが愛した女性の名前でもある……
「樹」
 本人はもちろん、皆が振り向いた。
 注目を感じつつ、草間は涼しい顔で、言った。
「過去はどうでもいいだろう。曲自体は残っているんだから……マン語に関しては、俺も――見たことはなかったが――聞いたことはある。もう、誰もその言語を話す者がいないんだそうだ。そうだろう……セレス」
「その通りです。この羊皮紙に書かれているのは、シューベルトの『菩提樹』。飛び飛びの文字は……」
「コードだと思います。配置が一致してますから」
「さっすが音大生」
 指を鳴らすシュラインに、樹は照れながらも微笑んだ。
「そうと分かれば、早速唄いますか。私は得意ではないから、訳譜の作業だけにさせてもらうよ」
 セレスの提案に、皆が頷いた。


  ◆ ◆ ◆


「女性三人なんで、カポ2で――」
 クラシックギターを抱えた樹が、その木製の腹をリズムよく叩き、歌は始まった。
 それに合わせて、セレスと草間が、床を足踏みし始める。
 ギター一本の、ちょっとした弾き語りのように『菩提樹』の演奏が始まる――
 訳譜のイントネーションに合わせて、オーケストラルにではなく、アイルランドゆかりのマンドリンを弾くように、牧歌的に。
 みそのの主音律に、雫のハミングとシュラインのコーラスが高音と低音を添える。
 ……『菩提樹』の収められた歌曲『冬の旅』は、悲しい旋律だ。
 詩を書いたミュラーは、この一連の曲を、死を迎える心情で綴ったのだという。
 そこに曲をつけたシューベルトは、この曲の完成一年後に、この世を去った。
 この場にいる誰よりも、シューベルトのことに通じている樹は、旋律の中、少女の気持ちすらも理解していた。
 シューベルトは最果ての島で、消えゆく言語に自らの死を重ねていたのかもしれない――少女も、また。
 雫に、文字が見えなかったのは、彼女が繋ぎ合わされた命……純粋な生命ではないからだ。
 そして、この少女も……羊皮紙に僅かに残った、生者であった時の思いが、生ける世界に住まう人間に、ひとかけらの記憶を覗かせたのだ――
 演奏が終わるのが、厭だった。
 けれど、どんな曲にも、Codaは存在する。
 まるで人生のように、歌は終わっていく――



 カポを外し、樹は涙を拭いた。
 ……ソファーには、全ての歌詞がマン語で書かれた羊皮紙だけが、残っていた。
「樹さん……あの人、ありがとう、って、言ってました――」
 みそのだけでなく、シュライン。セレス。草間――純粋な命ではない雫までも。
 それは、その場にいた誰もが聴いた、彼女の、たった一言の歌だった。



 ……一九七四年に、最後の継承者はこの世を去り、マン語は絶滅言語になったという。



 Mission Completed.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0086/シュライン・エマ/女性/026歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
 1388/海原・みその/女性/013歳/深淵の巫女
 1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
 1985/葛城・樹/男性/18歳/音大生

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■         ライター通信          ■
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 どうも、一年ぶりの東京怪談です。
 Kiss→C(きっしー)と申します。
 以下はPC名で失礼させていただきます。
 
 シュライン・エマ様、どうも初めまして。
 参加して頂き、どうもありがとうございます。
 いわゆる世話女房なイメージをPC像に感じましたので、
 そんな感じに描写させて頂きました。
 
 海原みその様、どうも初めまして。
 メイド者での参加、ありがとうございます(笑)。
 もう一人の世話役として、
 和むPC像を描けていれば、嬉しいなあと感じております。
 
 セレスティ・カーニンガム様、どうも初めまして。
 あまたのライターからお選び頂き、光栄です。
 アイルランド周辺で活動ということで、この設定を使って、
 リドルの解答役として描写させて頂きました。
 
 葛城・樹様、どうも初めまして。
 具体的なプレイングに、当初は頭を捻ったものですが、
 結果的には良い方にまとめられたかな、と思っております。
 多感な彼には、ちょっぴり物悲しいエピソードだったかもしれませんね。
 
 それでは、またの機会がございましたら、次の依頼でお会いしましょう。
 きっしーでした。