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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『Dance with wolves.』〜 追憶の天使 〜

●章前
 鏡に映ったその人の面影は、
 ひっそりと識域下に沈んだ遠い記憶の眠りを揺らす――。

 誰ダッタカナ?
 ――思イ出セナイ‥

 でも、きっと知っている人。
 だって、心がこんなにざわめく‥‥

 会イタイ人?
 ――ソレトモ、待ッテイタ人‥?

 ああ、誰だっけ‥
 もどかしくて、切なくて

 覗き込んだ鏡面に映っているのは、
 少し気難しげに眉を顰めた自分の眸。


●顔のない肖像
 スケッチブックには、何も描かれていなかった。
 白い紙面に淡く伸ばされた木炭の粉が描く蒼墨の縞は、夜空に踊る冴えた月光。あるいは、幻想の雪上に揺れる風の足跡を想わせる。
 ただ流しただけの筆圧のない陰影に目を奪われ、心惹かれた。
 心象画の習作として見れば、おそらく最上の1枚。
 だが、デッサン力を測る課題の提出物として見た場合‥‥少々、対応に窮してしまう。
 誰がつけたのか『霞の月下人』と評される美貌のモデル兼講師の輝くばかりの肖像をなんとか紙面に写し表現しようと努力の跡も涙ぐましい他の女生徒の作品の中にあっては、異質としか言いようがない。
 画力、センス、表現力。どれを取っても、抜きん出ている。――生徒であることが疑われるほどの逸材だと感嘆さえ落ちる代物だ。
 とはいえ、課題を無視した提出物である事実には変わりない。
 風変わりで規格外れな提出物に、月霞・紫銀(つきかすみ・しぎん)は吐息をひとつ。

× × × × ×

「‥‥‥が‥?」
 女生徒の担当教授は、研究室を訊ねた月霞に怪訝そうな視線を向けた。
 一見、枯れ木のような痩躯の老爺だが、日本画壇の重鎮と呼ばれるひとりである。月霞が講師を務める私立美大の看板でもある名誉教授で、また、ひどく気難しい人物としても知られていた。
 教授の肩書きを有しているとはいえ自分の製作に忙しく、本当に学生の指導をしていたとは月霞にも意外であった。――あるいは、それだけ彼女の才能を買っているということか。
「あの娘がなにか問題でも起こしましたかな?」
 むしろ面白そうな口調で問うてきた老画家に、月霞は持参したスケッチブックを手渡した。
「わたしの講義で提出された作品なのですが――」
 どれ、と。老眼鏡を取り上げた老爺は渡されたスケッチブックを開き、丁寧にページをめくる。
 そこには花や動物のスケッチがが、固い鉛筆の繊細なタッチで丁寧に描かれていた。不思議な抽象画が描かれているのは、問題のページだけ。だからこそ、月霞としては余計に相手の意図を測りかねているのだが。
「ほほう」
 眼窩の奥の小さな目を更に細めた老画家に、月霞は困惑の訳を説明する。
「‥‥作品としてみれば、秀作だと思います」
 講師とはいえ、月霞にもこれだけのものを描けるかどうか。それが、偽らざる本音。
「ですが、私の意図した課題とは余りに齟齬が大きくて」
 月霞が出したのは、月霞をモデルに月末までにデッサン画を1枚仕上げることだ。――少なくとも美大で学ぶ学生たちには、それほど難しい課題ではない。
 そういえば、と思う。
 その外見から女性に人気の高い月霞の講義は、毎回、沢山の女性が受講するのだが、この絵の製作者らしい生徒を指導した記憶がない。――モデルとして壇上に立てば自由に動けないので、製作中の生徒に声を掛けることは難しいが。それでも、丁寧な指導を心掛けているつもりなのだが‥。
「――これも感性だという気もするが‥」
 気になるようなら、私の方から再提出するよう指導しよう。それを約束した和装の老爺に、月霞は改めて頭を下げると教授の個室を後にした。

 だが、スケッチブックが再提出されることはなく。
 ――また、それらしい生徒が、月霞の講義に姿を現すこともなかった。


●愛の素描
 父と母は深く愛し合っていた。

 種族を超えて。
 ――命をかけて‥

 月霞紫銀は人狼である。
 正確には人狼の父親と人間の母親の間に生まれた混血。――「群れ」の長であった父親が亡くなる5歳の夏まで、月霞は両親の無償の愛に浴して「群れ」で過ごした。
 「群れ」での生活の全てを記憶に留めるには月霞は幼すぎたが、それでも、銀色の毛並みを持つ美しい獣の姿をぼんやりと覚えている。
 父親の死により人狼の「群れ」を追われた母と月霞は人間の世界に戻り、人として暮らし始めた。
 9年後、病気で世を去るその時まで、母は月霞に何度も繰り返し語って聞かせてくれた。

 父と結ばれ、どれだけ幸せであったか。
 父と共に過ごした「群れ」での日々が、いかに満ち足りたものであったか。

 何度も何度も――
 思い出を紡ぐ母の表情は、いつも少女のように艶やかで。
 本当に、母は幸せだったのだ、と。心からそう信じられる。――「群れ」は母と月霞の存在を忌んだが、月霞は自らの体内に流れる血脈を決して劣っているとは思わない。
 むしろ、誇りでさえあった。
 ――自分の存在こそ、父と母とが愛し合ったその証なのだから。


●追憶の天使
 その絵はさほど広くもない画廊の奥に、ひっそりと飾られていた。
 少し薄暗いと感じる淡い間接照明に浮かび上がる、その繊細なタッチには見覚えがある。
 木炭画と油絵。ただ刷き流しただけの蒼墨の心象画と風景画では雰囲気もイメージも異なるのだが――。
 それでも、その1枚の絵に封じられた輝き。見る者に惹きつけてやまぬその不思議な魅力と衝撃には、確かに覚えがあった。

 銀座の画廊で開かれた生徒たちの作品展。
 来客のほとんどが出展者の友人や保護者であったが、銀座という場所がよかったのか、普段は静謐に満たされている空間は華やかなざわめきに満ちている。
 講義に参加している女子生徒からの招待状を手に、月霞が画廊を訪れたのは最終日の2日前、閉店間近の時間帯。
 半ば義理。忙しい仕事の合間に、ほんの顔見せ程度にふらりと訪れた月霞は、だが、その絵の前で動けなくなった。

 神話か、昔話をモチーフにしたのだろうか。
 森の翳を映した地平線が描かれた緑の大地を描ける無数の獣。一際、大きく描かれているのは群れのリーダーだろうか。
 逞しい体躯を覆う毛並みは降り注ぐ陽光に銀色に映え――
 そして、その物傍らに2本の足で立っているのは‥‥唇の端に幸せそうな微笑を浮かべた女。
 意思の強そうなその黒耀の双眸は、月霞の視線を捉え。刹那――
 にこり、と。
 確かに存在する魂の色を伝えた。
 ――立ちつくす月霞に、刻は無情にも画廊の閉店を告げる。

 そして、翌日。
 すべての仕事をキャンセルして画廊に駆けつけた月霞がそこに見たものは、作者も内容も違う別人の絵であった。
 あの絵には、既に買い手が決まっていたのだという。
 閉店に促された月霞が立ち去ったその後に、引き取りに着たその人と共に。ふたりはまた月霞の手の届かぬところへと旅立ったのだ。
 束の間の邂逅。
 だが、獣に寄り添う女の笑みは月霞の心に沈み、深い確信となってそこに落ち着く。
「父さん、母さん‥。私は大丈夫、独りでも生きていける‥。でも、いつかその人を選んだ事を誇れるような人と、めぐり合いたい‥。出会えるように、祈っててください」
 呟き落とされた言葉は、誰の耳にも届かない。
 だが、月霞を見守る愛しい人の魂にはきっと届いているはずだから。

=おわり=

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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☆3012/月霞・紫銀/男性/20歳/モデル兼、美大講師


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■         ライター通信          ■
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 小さな手鏡の中に映るのは1人だろうと何やら勝手に思い込んでおりました(ふふふ)。
 モデル兼講師というご職業、生徒に自分を描かせてそれを自分で採点しているという解釈で大丈夫でしょうか。
 ご指定の動物が現代日本の大都会でごく一般的に見られる種類ではありませんでしたので、今回は絵画のモチーフとさせていただきました。――何気に「野生の王国」を連想してしまったのですが、「群れ」の生態がちょっと気になってます。
 孤独な人狼が大都会で生きていく大変さみたいなものが表現できればと思ったのですが、設定を拝見させていただきましたところ、現在はそれほど苦労なさっていないようですね(…残念です←ぉぃ)。
 最後になりましたが、素敵な伴侶に巡りあえると良いですね。月霞さんの今後の活躍を遠くからお祈りしております。
 ――束の間の再会、お気に召していただければ幸いです。
(04/Ape/04 津田茜)