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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


「桜の咲く頃 」
<オープニング>
 「ちょっと、さんした君!」
 と碇麗香の声に呼ばれて、デスクへと向う。彼女がこの口調で自分を呼ぶ時には、無理難題を吹っかけられる時と決まっている。
 「これ、読んで頂戴」
 と言って渡された手紙の文面だけを見て、三下は絶句した。
 「Hello my name is jakoburefu」
 何だ、これは?
 「へ、ヘロウ……。いや、ハロウ。まいねーむいずじゃこぶれす?」
 目を白黒させて汗を流しながら、流暢とは程遠い発音で三下は最初の一文を読み上げる。 「ヤコブレフでしょ? 何、読めないの?」
 鋭い視線が突き刺さる。三下忠雄は汗を拭きながら、恐る恐る頷いた。
 「む、無理です。英語なんて読めませんよ。勘弁してください」
 「まったく、何やらせても役に立たない奴ね」
 碇麗香本人は呟いたつもりであろうが、どうひいき目に見ても聞こえないように言っている風には思えない。
 すがる様な目つきで上目遣いに自分を見る部下に、碇麗香は溜息をついた。
 「いいわ。誰か英語の出来る人間を連れて行きなさい」
 「へ?」
 と三下忠雄は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をした。
 「だから、チャンスを上げるからこの依頼をきちんとこなして見せろと言ってるの。誰でもいいわ、さんした君、あなたがアシストするの。分かっているわね?」
 「……はい」
 という事は、やはりこき使われるのだろうか?
 「もう、アポイントメントは取ってあるから、時間通りにその場所に行きなさい
分かったわね?」
 情けない表情のままの三下忠雄は、恐る恐る、聞く。
 「あの……怖い事は起きませんよね?」
 碇編集長はにっこりと笑った。
 「ええ。この依頼を失敗させたりしたら、保証の限りじゃないけれどね」
 彼女の笑顔は、間違いなく女神の贈り物だった。ただし機嫌を損ねたら最後、悪魔とは比較にならない罰を受ける羽目になるだろう。
 三下忠雄は冷汗を拭いながら、同行者を探す為に碇編集長の前を後にした。

 手紙の内容です。

 「こんにちわ。私の名前はヤコブレフといいます。ロシア人ですが、今はアメリカに住んでいます。突然ですいませんが、どうか私の願いを聞き届けては頂けないでしょうか?
 私は以前、日本にいた事があります。捕虜として。ずっと昔の話です。もう誰も覚えていない昔、戦争があった頃の話です。
 最近、夢を見ます。当時の夢です。恨みやつらみの夢ではありません。ただ、たった一つの場所が繰り返し繰り返し夢の中に現れてくるのです。大きな樹のある場所です。見事な花を咲かせる、あれは桜の花でしょうか……。どうかその場所を探して頂きたいのです。私も老い先短い身。最後になってこんな夢を見させるのは何なのか、何故こんな夢を見たのか。それを知りたいのです。よろしくお願いします」

<疑問>
 碇麗香から連絡のあった後、雨柳凪砂(うりゅうなぎさ)はいくつかの調べ事をしていた。三下忠雄とは何度か調査を共にした事があるが、いずれの場合も頼りになるとは言い難かった覚えがある。
 依頼者であるヤコブレフの向う先、求める先、残念ながらその場所は東京ではないらしい。世界大戦の時、大きな軍港のあった町、海軍の要所だった場所。そして捕虜が運ばれてきた場所。東京からはいくつかの移動手段を用いれば数時間でたどり着けるような場所ではあったが、決して近くではない。けれども、移動時間の中で手に入れたいくつかの情報を整理する事も出来るだろうし、三下忠雄にもそれを伝える事が出来るだろう。
 「それじゃあ、行きましょうか、三下さん」
 アトラス編集社前で待ち合わせをし、出発する。空路を経て北陸へ。チケットは既に碇麗香が手配済みだった。
 
 依頼者であるヤコブレフ氏が探す光景はおそらく戦時中に収容されていた収容所に関係があるのではないかと考えた凪砂は、先立って当時の収容所の位置などを問い合わせてみた。しかし返ってきた答えは芳しいものではなかった。情報公開の流れの折、むげに断られるというような事はなかったが、どの担当者も協力的とは言えなかった。それどころか、ある程度のこちらの事情を説明すると、返って頑なになってしまった感じさえする始末だ。
 収容所が在ったのか無かったのかさえ、明確には答えてもらえない。軍港があった、軍隊が駐留していたといういくつかの事実を挙げた上で確認を取っても、「在ってもおかしくはないが、資料が残っていない」と言うばかりで、その曖昧さは言うまでもない。
 挙句の果てには「直接現地で聞いた方が早いと思いますよ」とありがたいくもないアドバイスをされる始末だ。
 凪砂は疑問だった。わざと隠しているとは明確には感じられない。しかし本当の事を言っていないような感じがする。少なくとも収容所が在った事、場所ぐらいは教えてくれてもいいのではないかと思う。戦争はとっくに終わっている。自分が生まれるずっと前に。今更何を隠し立てする必要があるというのだろう。
 三下忠雄にその事を聞いてみても「そうなんですか? 困りますよねぇ」と話に新しい展開もない。

<遠くの地で>
 「はじめまして。私がヤコブレフです」と老齢の紳士は手を差し出した。その手を取りながら凪砂は彼が日本語で挨拶をしてきたので、礼儀と思って英語で挨拶を返す。
 「英語がお上手なようだ」と微笑する老紳士に、凪砂は「仕事上の都合で」とだけ答えた。三下忠雄は英語どころかたどたどしい日本語で自己紹介をし、凪砂を苦笑させた。
 老紳士が覚えているこの地の光景は既に遠い昔の物であり、空港からタクシーで小一時間ほどの移動の中で、彼は何度となく溜息を漏らし、首を振る。
 「この国は素晴らしい。あの悲惨な状況の中からわずかな年月でこれだけの復興と繁栄を築き挙げてきた。もし、あの戦争がなければこの素晴らしい国はアメリカでさえ追い越していただろう」と彼は言う。
 老紳士の言うような事は残念ながら凪砂には実感としては感じられない。生まれた時からこの国はこうであったし、彼の知るような戦争の悲惨さを凪砂は知らない。
 「それで、夢に見る場所というのは少しは見当がついているのでしょうか?」
 窓の外を眺める老紳士が、静かに目を閉じる。少しの間顔を俯け、そして力なく首を振った。
 「何となくは分かるつもりでした。しかし、こうも変わってしまっていては分からないかもしれない。もうずっと昔の事だ。町も人も、変わってしまった……」
 力のない言葉に、凪砂の表情は少し曇る。
 「場所と言うのは、やっぱり収容所の中なのでしょうか?」
 「……多分。そうだと思う。あの頃は外へ出る事を許されていなかった。私達が許されていたのは重労働の合間、ほんの少しの休憩だけだった。だから、多分そうだと思う」
 老紳士の顔に少しだけ影が指す。収容所という言葉を口にした時にそれが顕著だった。凪砂自身は収容所というものの存在を見た事がない。それに類似した体験をした事もない。知識としてならフィルムや本の中からは得ているのだが、この老紳士には実感なのだろう。穏やかな顔を未だに曇らせる程に。
 「一応、来る前に主だった場所に問い合わせてみたんですけど」
 と凪砂に関係庁に問い合わせた事を聞くと、老紳士は仕方がないというようにして穏やかな笑顔を見せた。
 「仕方がないさ。誰だって辛い事は思い出したくはないものだよ」
 彼はそう言ったが、凪砂としてはそれは違うのではないかと思う。個人の想いと情報としての事実とは質の違う物であるはずだ。事実は事実として情報は与えられるべきだ。
 「それでどうしましょうか?」
 と三下忠雄が情けない声で聞いてくる。
 「まずは市役所の方へ行ってみましょう。史料編纂課がある筈ですから、そこへ聞けば少しは教えてくれると思います」
 
 「それはどういう事でしょうか?」
 と辛うじて声を荒げない程度に凪砂は担当者に詰問した。市役所に来て既に小一時間。待たされた挙句に返ってきた答えは「昔の資料が紛失していて分かりません」というものだった。
 いかにも小役人風の男性が上目遣いに凪砂を見る。
 「だから、よく分からないんです。もうずっと昔の事で、しかも戦時中の事でしょう。ちゃんとした資料があるのかも怪しいものです。調べる事も出来ますが、直ぐにというわけには……」
 言う事はもっともだが、役人の態度が凪砂の気に触る。嘘を言っていると分かるわけではないが、少なくとも意図的な言い訳をしているようにだけは見える。
 凪砂の横へ、ヤコブレフが進み出た。役人の顔色が明らかに変わる。いわゆる「うわっ、外人だ」という表情だ。
 「私はただ確かめたいだけなんだ。戦争の事なんかどうでもいい。ただ、もう一度だけ、あの時の気持ちが何だったのか、それを確かめたいだけなんだ」
 流暢とはいえない日本語だった。ただ自分の思いだけをぶつけた様な、強さだけを感じさせる言葉だった。この老紳士がこだわる物とは何だろうと凪砂は思う。
 「それじゃあ、せめて資料を見せていただけませんか? 自分達で探してみたいんです」
 だが、凪砂のその申し入れも受け入れられる事はなかった。資料は全て閉架書庫の中にしまわれていて、最寄の大学か、特定の教授の要請、それに類するものの推薦なしには閲覧は許されていないという。つまり、門前払いだった。時間がかかる、どうしても。しかしヤコブレフ氏の滞在は今日まででしかない。
 
 市役所を後にしながら、凪砂は唇を噛んだ。結局何も分からなかった。何となく悪い予感はしていた。東京で情報を得られなかった時から。
 「どうしましょう、凪砂さん」
 という三下忠雄の言葉に何も答えられず、凪砂は視線を背けた。これではどうしようもない。せめてもう少し時間があったなら……。
 ヤコブレフ氏はしかし滞在の日程を変更するつもりはないという。凪砂はその理由を聞いた。けれど答えは返ってこなかった。
 こうなったらできる事をするしかない。
 「何か、少しでも覚えている事はありませんか?」
 「……覚えているといっても、ずっと塀の中でした。見えたのは、空と……。そうだ、空が近かった。労働の合間に眺める空が近かった気がする」
 空が近い……? どういう意味だろう。
 「山じゃないでしょうか?」
 何気ない三下の一言だった。山、そうかそうかもしれない。その時の様に何かを見れば、思い出すかもしれない。
 凪砂は近くのタクシーを止め、その運転手に近い山を尋ねた。
 「野田山か、さもなきゃ卯辰山だろうな」と運転手が言う。
 「そのどちらかにずっと昔、収容所があったって話は知りませんか?」
 聞かれた意味を理解するまでに少しの時間が必要だったようだ。運転者は一瞬首を捻る。
 「収容所? いや、聞いた事がないが。まあ、野田山は墓だらけだから、あるとしたらそっちじゃないか?」
 真相はわからない。けれど、今は藁にでもすがりたい気持ちだった。
 「とにかく行ってみましょう」という凪砂に導かれて三人はタクシーに乗り込んだ。道すがら、その運転手が話しかけてくる。声に乗った微妙な彼女達の行動が興味を引いたのだろう。観光地に来て、わざわざ墓を見に行くのは奇妙な客だと迂遠に言っているようだった。確かにそうだろう、観光なら、だ。
 「まあ、私もこの町で生まれて育ったんですが、収容所があったなんてのは初耳ですね。何せ観光地だから、それは大っぴらには言えないでしょうよ。どうしても華やかなイメージが悪くなる。認めたがらないのも、無理はないんじゃないですかね」
 「そうですね」とヤコブレフが呟いた。全てを理解できていなくても、ある程度の日本語は分かるらしい。その横顔がとてつもなく寂しいものに、凪砂は思えた。
 
<眠りの地>
 山、丸ごとが墓地。野田山はみる限りそんな印象だった。山の斜面に道路に沿って所狭しと建ち並ぶ墓石が、来訪者を出迎える。延々と続く墓の群れ。まるで自分が入り込んではいけない場所へと足を踏み入れてしまったのではないかと思えるほどに、奇妙な静寂が辺りに漂っている。
 「何か、いかにもって場所ですよ……」
 三下が情けない声を出した。
 「この辺りは見ての通り墓だらけだから、その手の話が絶えませんけどね。今は日中ですから、大丈夫ですよ」
 と運転手は言う。しかし生い茂る木々の陰がたとえ昼間であっても薄暗さを演出していて、なんとも言い難い。
 山の中腹に駐車場があり、車を待たせておく。しばらく広大な墓地の中を見て回ると、無数の墓石に混じって意外な物が建立されているのが目に飛び込んできた。
 「ロシア人戦没者慰霊碑……」
 思わず凪砂は呟いた。巨大な石碑だった。見上げるほどの巨大な石版。大きな通り沿いからは離れているが、決して隠れるほどの場所ではない。こんなにも堂々と、この場所にこんな物がある。これが何であるかは老紳士にも分かったようだった。凪砂の説明を全て受けるまでもなく、彼は前へと進み出て、その石碑を撫でる。無言で懐かしむようにそれに触れる老紳士の顔に少しだけだったが、笑みが浮かんだ。
 「これでいい。もう充分だ」
 「でも……」
 「いいんですよ、お嬢さん。戦争はとっくに終わった。誰も悪くはない。仕方のない事だったんだ。そういう時代だった。私は、ただ確認しておきたかったんだきっと。私がここに居たんだという事をね。あの辛い日々を生き残ったから、今の私があったんだと。妻にも出会え、子供にも恵まれ、孫の顔を見る事も出来た。それがわかった。だからもう、これでいいんです……」
 彼は振り向かなかった。話し掛けているのは凪砂へ向けてではないように感じられた。
 「皆、私は戻ってきたよ。生き残って、こうしてここに居る。……辛い時代だった」
 それだけを言うと、老紳士は目を閉じ、頭を垂れるようにして石碑に触れた手に少しだけ力を込めた。
 「さあ、行きましょう」
 ゆっくりと老紳士は振り返り、晴れやかな表情を覗かせた。反面それを見る凪砂の顔は微妙だ。再びタクシーへと戻りながらも、彼ほど穏やかな気持ちにはなれなかった。
 「もう少しだけこの山を見ていたい」と言うヤコブレフ氏の希望を容れて、タクシーは来た道を戻る事はせず大きく山を伝って反対側へと出る事になった。
 墓地になっているのは西側の斜面だけで、反対側はただの山だった。緑が生い茂り、人家も見える。凪砂は車を降り、辺りの人に聞いてみようかとも言った。しかし老紳士の返事は「もう、いいんですよ。ありがとう」というものだった。
 本当に彼は納得したのだろうか? 凪砂自身は不服だった。わざわざこんな遠くの地まで来て、結局目的を果たせずに帰るなんて、これでいいわけがないと。
 彼は本当は何をしにここまで来たというのだろう。自分の思い出を探る為だけか? ならばあの言葉に込められた強い意思は何?
 「ストップ! stop here!!」
 突然の声に、凪砂は思わずタクシーを止めるように言った。
 やや急制動の趣でタクシーが止まる。ヤコブレフはしかし完全に止まり切らない内から飛び出して行く。複数の車のブレーキ音とクラクションの音が道路に鳴り響いた。慌てて後を追う凪砂を三下忠雄が唖然と見送る。
 飛び出したヤコブレフはそのまま道路を横切り走って行く。その先にあったのは自衛隊の駐屯地だった。高い塀の一部はちょうど彼の向う先で途切れていて、歩哨が二人立っている。いきなり走り来る老人に対して二人が同時に動いた。その動きが決して友好的なものではない事ぐらいは凪砂にも分かる。
 凪砂は迷った。一体あの老紳士はどこへ何をしに……?
 ヤコブレフの後を追った視線が、一つの物を捕らえた。
 樹……桜の樹。
 自衛隊の駐屯地。その塀の切れ間から一本の大きな桜の樹が聳えているのが見える。太い幹から無数の枝を蒼穹の空へと数多に伸ばし、咲き誇る薄紅色の花弁が風に舞い、あまりに鮮やかなその色彩はここが自衛隊という非生産的な場所である事をも忘れさせるようだった。彼はその樹を目指していた。
 「止まれ!」という荒々しい声が耳に飛び込んで来て、凪砂は無意識に自分の内に眠るフェンリルの力を開放した。事象を操る無窮の力。突然の突風が二人の警備兵の足を止め、周囲に風の防壁を作り出す。ヤコブレフはその中を走った。薄紅色の花を散らせる桜の大樹に向って。
 
 「ヤコブレフさん」
 と凪砂は大樹の美樹の側で跪くようにしている老紳士に声をかけた。彼は満開の桜の花を見上げ、穏やかな笑みを浮かべていた。その頬に涙が一筋、伝う。
 「忘れはしない。この光景だ。あの当時、私達は辛い労働の合間に、この桜の樹を見上げた。この見事な花を眺めた」
 当時の戦争捕虜の扱いは酷い物だった。決して史実に、事実としては残せないほどに。死ぬ仲間も大勢いた。彼らはいつも死を望んでいた。この辛い思いが続くなら、死んだ方がいいと。しかし、この桜を見て、一年にたった一度だけ見事な花を咲かせるこの大樹を見て、彼らは死ぬ事より、生きたいと心に思った。そして過酷な毎日を生き抜いた。
 「不思議だった。あれほど憎いと思った日本人も、戦争も、この樹に咲く花を見ていると忘れていくんだ。そしてたたただ、生きている今を感謝した。私達は生きている。今日も生きて、この花を見ている、と……」
 絶え間なく流れる涙が樹の根元を濡らす。老紳士はまるで樹の根っこに口付けをするかのように深く額づいて、一言「ありがとう」と言った。

 老紳士を乗せ飛立つ飛行機を見送りながら、三下忠雄は凪砂に聞いた「本当にあの樹だったんですか?」と。
 凪砂は静かに首を振った。彼女には分かってしまった。自分に宿る力を解放した時、老紳士の心の中までをも知る事が出来た。
 彼は知っていた。あの樹が別の存在である事を。駐屯地へ入り込み、樹を見上げた瞬間に。それを凪砂が能力を使って変化させたのだ。老紳士の心の中に眠る光景を幻出させて見せた。心の風景を今に重ねて。
 これで良かったのだろうかと、凪砂は思う。自分は結局老人を騙したのではないかと。本当の光景を見せられなかったばかりか、嘘の光景を見せて誤魔化してしまったのではないかと。
 「おじいさん。言ってましたよ。昔も今も、変わらないものがあるって」
 暗い表情の凪砂に、三下忠雄が声をかけた。
 「命に感謝する事だと。これで誇りを持って死ぬ事が出来るって」
 凪砂は言葉もなく、ただただ遠ざかって行く飛行機の姿を見つめた。
 人生の終わりになって、あの老紳士は自分の原点にたどり着きたかったのだろう。自分の今までがあった、その最初の一歩を刻んだこの地。彼はわざわざ遠くに国までやってきて、何をしたかったか。凪砂にはそれをも感じる事が出来た。
 彼はこの国が自分に対して行った事を「許し」にやってきた。自分の受けた仕打ち、戦争。その全てをも。そしてこの地より始まった自分の人生を振り返る為にやってきた。やがて死んでいく為の心の整理をつけるために。穏やかに人生の終わりを迎える為に。
 慰霊碑を見て「これでいい」と言ったのはそのせいだろう。
 「一生懸命に生き抜いた。それを誇りに思いなさい」
 心に触れた老紳士の言葉がふと脳裏に響くような気がして、凪砂は目を細め小さくなっていく飛行機を見ながら手を翳した。

<記事の内容は?>
 「ほぉ〜〜」と編集長である碇麗香は感嘆の溜息を漏らした。三下忠雄が書き上げた記事を見て、だ。しかしどうにも三下忠雄は落ち着かない様子だ。
 「さすが、ね。大した物だわ。見事に嘘と本当とが混ぜ合わせて書いてある。これなら怪奇記事としても充分に通用するわね。ねぇ〜、さんした君?」
 鋭い視線がじろりと三下忠雄を射る。
 「ひぃ〜〜〜!! ごめんなさい〜〜〜!!」
 碇編集長の無言の圧迫に負けて、三下忠雄はその場に平伏した。なぜなら記事は雨柳凪砂が書いたものであり、彼は何一つ書いていないからだった。
 凪砂がせっかく書いてくれた記事も、普段の彼の駄目さ加減では猫に小判だったようである。
〜了〜

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1847 / 雨柳凪砂 / 女 / 24歳 / 好事家】
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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、とらむです。「桜の咲く頃」いかがだったでしょうか? この作品が私のOMCでの初仕事という事になります。機会を与えて下さいましてありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。
 今回手伝っていただいた雨柳凪砂様。非常に奥深い設定の女性で、どう物語に活かしたものかと考えました。結果としてあのような形での能力の発揮となったわけですが、自分の中に眠る強大な力、それに彼女がどのようにして向かい合っていくかのきっかけとなれば嬉しいです。
 当初は何人かを募って調査するつもりだったのですが、雨柳様の設定の深さにお一人の方が良いのではないかと思って物語を語らせてもらいました。
 また機会がありましたら、ぜひお願いいたします。