コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


春霞の木漏れ日の下で
 日差しが穏やかになり、風が花の香りを運ぶ昨今。
 ラクス・コスミオンは悩んでいた。
「どうしましょう…」
 場所は都内の大き目の公園で、日曜日の真昼という時間帯のお陰で園内に人影はなし。例えいたとしても、特殊な場を作っているため一般の人たちからはラクスが何をしているかはよく見えなくなっている。
 麗らかな陽気が、新緑に覆われた木々の隙間から覗き、気を抜けばつい、うとうとと眠り込んでしまいそうな場所。そこに彼女はライオンに酷似した体を伏せていた。器用に頬杖もついている。紫に近い赤の艶やかな長い髪が芝生の上を踊り、鷹の翼も、空を行く事なく地に投げ出されて。唯一ナイルの流れを閉じ込めたような鮮やかな緑の瞳だけが、前を見据えて意思を秘めていた。
 彼女の前には、いくつかの実験器具が並んでいる。
 円柱型のガラス張りの水槽は大人の一抱え以上もあるが、それが四つ。他にも説明に困るような―――そして用途が不明な―――器具が細々と置いてあるが、主に、ラクスを困らせているのはガラス張りの水槽。正しくは、その中身であった。
 先日、期せず眠らせてた試作品ホムンクルスの戦闘データが取れた。当時初心者だったラクスが練成したものだったが、魂までは練成できなかったのだ。それに魂を込める機会があり、そのデータは当初の予想の裏づけとなった。
 つまり、器の強さは魂の強さで決まる、という事。
 いかな強力な器を作ろうと、そこに込める魂が脆弱であれば、脆弱な生き物になってしまう。
 今までそれは予想でしかなかったが、先日それがデータの裏づけを得て確信となった。
 さらに、体の基本スペックの差も戦術面においては、優劣があるのだと発見したのだ。ケンタウルスには、馬の脚力がある。当然スフィンクスのラクスにはライオンに力があるだろう。鷹の翼も、単純な戦闘力として見れば打撃にも脚力の補助にもなる。
 当然、他の動物で実験すれば、様々な特徴が現れ、データが取れるに違いない。
 そうなれば、より多くのデータを取って、確信を確証として新たな学説にしたい、と思うのは当然の事。彼女はその旨を『図書館』に報告した。
 たとえ一時といえど使命である紛失した本探しを、自らの研究の為に中断するのだから、という建前はさておき、実験に必要な器具や材料を送ってもらおうと思ったのだ。
 『図書館』はその要求に快く応じてくれた。
「確かに、様々なタイプの半獣半人を製作してみたい、とは言いましたけど……」
 独り言が漏れるのもしかなたなかろう。彼女の前にあるガラスケースの中身は動物の半身。それに、彼女自身が人の上半身を練成して繋ぎ合わせるのだが。
 だが。
「ゴマアザラシに、ヒツジに、ダチョウに、コウモリって……」
 微妙なチョイスだった。
 『図書館』は一体全体どういった基準でそれを選んだのか、相手の立場や自分の立場をすべからく投げ捨てて、胸倉掴んで「どうしてっ!?」と問いただしたくなるような。そんなものばかりである。
 が、悩んでいても始まらない。
 ラクスは多少強引にポジティブ思考に切り替えた。
「ゴマアザラシは、そのままいける、と思う。多分、ですけど、きっと」
 彼女はゴマアザラシを承認。
「ヒツジ……は、可愛いから大丈夫だと思いましょう。頑張って」
 ヒツジは努力する方向で。
「ダチョウ……」
 ダチョウである。鳥である。あの、二足歩行で鳥類最大の二メートル半の高さを有し、翼は小さすぎて飛べない、という鳥だ。鳥、といわれて真っ先に思い浮かべる種類の鳥ではなかろう。
 ラクスはダチョウの半鳥半人を想像した。
「いいデータが取れるかもしれません……」
 若干青くなりつつ、これもまたゴーサイン。
 最後の難関はコウモリ。
 コウモリは大型と小型に分かれるが、これは大型の方である。しかし、大型だろうと、翼を広げても九十センチ程度。どうやったら半獣半人にできるというのか。
 ラクスは自分の鷹の翼をはためかせてみた。そう。彼女はいうなれば、ライオンと鷹と人間のミックスである。だったら、他の動物の半獣半人にも同じ事ができないだろうか。
 それは新たな挑戦だった。
「が、頑張りましょう」
 少し腰が引けているが、ラクスはどの半獣半人にコウモリの翼をつけるかを考える。
 ゴマアザラシ。
 水中では役に立たないため却下。
 ダチョウ。
 もとより羽がある。
 ではヒツジ?
 ラクスはやっぱり想像してみる。
「でも、羊以外はどうしようもないんです……っ!」
 それは一体誰へのいい訳だろうか。涙目の彼女に問う人間は、幸いにもここにはいなかった。


 とりあえず、色々と振り切ったラクスは、まずゴマアザラシから挑戦する事にした。
 今の彼女の経験と魔力と、錬金術に対する知識なら、確実に魂まで練成する事が可能である。容易とは行かないが、一度魂を扱った経験が彼女を強くしていた。
 ゴマアザラシはともかく、人の方は彼女が一から練成する事になる。かなりきっちりとした準備が必要だった。
 人体の化学成分比は、水分60%、タンパク質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%。ゴマアザラシの大きさからして人体の方は、体重35キログラム前後の少女をベースに練成する予定だから、とラクスは素早く頭の中で計算する。『図書館』からは抜かりなくその辺りの材料も送ってきてくれているので、彼女はそれらを測るだけでよかった。
 人体パーツを女性、と断定する理由については多々あるが、一番大きいのは生命力だ。汎用性もあり一族では基本である。
 地面に特殊な粉で、複雑な紋章を描く。これはラクスのイメージを均一化し具現化する事を助ける役目がある。ラクスの完全オリジナルで、同じものは二つとして存在しない。
 物質的な準備が整い、彼女は自身の精神的な準備に入った。

 少女のイメージ。
 完成体のイメージ。
 準備した全てが分子レベルで織り成しあい、螺旋を描き、そして、物質を作るその、イメージ。
 それらの更に精神的で、霊的なイメージを作り上げていく。
 少女の内面だ。
 これから作る少女を脳裏に描いた。そのイメージは具体的であるほど、よい。
 
 場所は、海。
 海岸の岩場に、何匹かのアザラシがいる。ゴマアザラシが。
 その内の一頭が―――一人が、ラクスの視線に気がついた。
 こちらを見る。
 意志が強そうな、空色の瞳。
 きゅっと引き結んだ薄い唇。
 岩場に解けてしまいそうな灰色の髪が、肩の少し上で風に揺れていた―――……

 何時から練成に入っていたのか。
 正確な時間は定かではなく、また、準備との境目も明確ではない。
 ただ、その鮮やかな緑の瞳が現実世界を写した時、淡く発光する紋章の中に、一人の少女が横すわりになっていた。
 一番近いイメージは人魚。
 その半身が魚ではなく、アザラシである。しかもゴマアザラシ。少女は定まらない視線を、ぼんやりとラクスに投げかけた。
 空色の瞳が、緑の瞳を見る。間違いなく、そこには意思があった。
「あの……」
 ラクスがそう言うと少女は、ふ、と意識を失い、その体は支える力を失う。体は軽い音を立てて芝生に倒れた。
 慌てて駆け寄った彼女に、少女は何も言わない。
 けれど、爪を立てたいようにそっと触れた白い頬は朱が差して、柔らかくて。
 生きている。
 それが、嬉しい。
 どうしようもなく。
「成功、しました……」
 彼女の褐色の肌を数滴の涙が滑る。嬉しい気持ちが体中を駆け巡って。
 叫びだしたいような。
 泣き崩れたいような。
 そんな複雑な心境で、ただ笑って涙を流した。
「成功、したんですね」
 少女は静かな寝息を立てている。それが、返事。
 ラクスは涙を拭った。何時までも泣いているわけには行かない。これが始まり。
 奮起した彼女は、とりあえずゴマアザラシの少女に布をかけておいて、次の場所に紋章を描く。今度は二つ同時。
 できる。という自信があった。そしてそれは、過去の経験に照らしてみても過信ではない。
 理由は明白だった。
 一番初めにホムンクルスを作ったときと今とは、確実に違うからだ。
 泣きながら、怯えながら、それでも笑いながら、この国で色んな人たちと過ごした。
 それが、彼女の魂を磨き、練成するときのイメージのバラエティーを増やしてきたのだ。
 今ならできる。
 彼女の瞳は、珍しく少し勝気な光が宿っていた。
 もう一度涙を拭い、ラクスはまた、意識の底へと落ちてゆく。

 草原、だ。
 草原が見える。
 耳を澄ませば、何かが地をけり草を蹴散らし、走る音がする。
 風になびくのは黒い髪だ。
 その娘は不意に立ち止まった。
 鳥の二本足に人の上半身で、バランスをとるために少し不自然なほど上体をそらしていた。
 娘の金かかった琥珀の瞳の先には、別の動物がいる。

 何かを感じたのか、その別の動物―――女性は振り向いた。
 四本の蹄のある足で地面を踏みしめている。
 その背には豊かな黄金の髪が流れており、掻き分けるようにして黒い皮膜の翼が見えていた。
 灰色の瞳が印象的だ。
 厚い唇が、何かを言った。

 黒髪の娘が振り向いた。

 金の髪の女性と目が合う。


「あ―――っ! 羊さんだ!」


 外で、大声が響いた。
 瞬間、ラクスのイメージが変わる。


 金の髪の女性が、慌てたように頭を振った。
 そこに、くりっとした羊特有の角が。

 しまった、と思ったのがラクスの集中の終りだった。
 練成が、終了してしまった。

 ラクスが恐る恐る目をやると、それぞれの紋章に一人ず、半獣半人が佇んでいた。
 一人はイメージどおり。
 黒髪で金掛かった琥珀の瞳で、大人しげな表情をしており眉が下がっている。そして、下半身がダチョウで、腰から上が人間の娘だった。二十歳前後の。
 そして問題のもう一人。
 当初のイメージとしては、大き目のヒツジの体で、胸から上が女性。ラクスに一番近い形で、そしてその背にはコウモリの皮膜の翼がつく、というものだった。
 その女性はほぼイメージどおりである。
 豊かな黄金の髪が波打っており、灰色の瞳は切れ長で。厚めの唇がキュートだ。
 だが、何より可愛らしいのは耳の上辺りに生えた角。
 ヒツジ特有の、くりっと丸いキュートな角。
「あの……」
 何と声をかけていいか解らないラクス。
 そのヒツジの女性はぼんやりとした目をしており、何度か辺りを見回した。そして、ラクスを見つける。
「あの時の……」
 ヒツジの女性が呟く。確かに意思のあるその声。
 ラクスが喜びの声を上げようとしたその時、
「あはははははは!! 何その角!」
 別の場所から笑い声が上った。爆笑である。
「何よ!?」
 ヒツジの女性が、柳眉を吊り上げてそちらを睨む。そこには一番初めに練成したゴマアザラシの少女が。
 目が覚めていたらしい。
「ヒツジで角で黒い羽!? 悪魔にでもなったの!?」
 言われて見れば―――言われなくても、黒い皮膜の羽はあまりいいイメージはないだろう。そんなものを送ってくる『図書館』もどうかと思うが、別に全部つかわなくてもいい事に気がつかなかったラクスも同罪である。思わずラクスは謝ろうとした。が。
「煩いわよ、小娘! のたくって動けないアザラシに言われる筋合いないわ!」
「のたくってる!?」
「のたくってるじゃないの。しかもなに? その汚れ」
「なっ! 汚れじゃないっつーの! 黙れ年増!」
「年増ぁっ!?」
 ラクスが口を挟む暇もない。二人の口げんかはエキサイトしていく。魂練成の成功は証明されたが、どうも、性格が極端すぎたようだ。
 良く考えれば、ラクスの周りにはどうも個性が強い人間ばかりがいるので、当然の結果とも言えよう。
「貧乳!」
「垂れ肉!」
 二人は同時にそう罵倒し合い、そして同時に爆発した。
「黙らせてあげるわ!」
「その羊毛を売ってやる!」
 猛然とヒツジの女性が突進する。ヒツジは草食獣でしかもふわふわの外見から誤解しがちだが、かなり凶暴な生き物である。固体にもよるが。
 その体重とスピードを乗せた蹄の一撃は、時に野犬すらも沈めるのだ。
 さらに、ヒツジの女性は翼で羽ばたきスピードを上げる。助走時間は短いが、かなりの威力を狙っている。
 迎え撃つのはゴマアザラシの少女。水中では自由自在に動けるはずのその体も、今は足かせにしかならない。かと思いきや。
 少女は勢い良く両腕を地面につくと、その勢いで体を反転させた。筋肉と脂肪の塊であるゴマアザラシの半身が、遠心力を伴って振り上げられた羊の蹄をはぎ払う。
 ヒツジの女性が意外な反撃に距離を置いた。が、ゴマアザラシの少女は追撃の手を緩めない。水圧を蹴散らす筋力で、その辺りのものを蹴りつけまくる。意外にコントロールもいい。
 いい勝負である。
「あ、あの……」
 おろおろしながら、ちゃんとデータを取っている辺りラクスは研究者としては抜かりない。
 戦闘データが欲しいのだから、こうやって喧嘩といえども戦闘をしてくれるのはありがたいのだ。
 そう。客観的に見ればラクスの実験は成功だった。魂の練成もそうだし、多彩な獣がベースの半獣半人の戦闘データも取れている。
 しかし、主観的に見れば、ラクスと彼女たちは現在コミュニケーションがとれず、しかも目の前で喧嘩が繰り広げられている。
 と、そこでようやく、もう一体ホムンクルスがいる事に気がついた。そう。ダチョウの娘だ。視線をやると、ダチョウの尻尾が木の陰から覗いている。
 どうやら喧嘩が怖くて隠れているらしい。話を聞ける、とラクスが近寄った瞬間、何かが飛んできた。反射神経だけでそれを避けたがついで強烈な風が、彼女を襲う。かまいたちを連想させる鋭い風も何とか避けきり、そこでようやく、ラクスは先ほどのものを理解した。
 それは蹴りだった。
 かまいたちほどの空圧を起こすスピードで繰り出された、蹴打。
 ダチョウの足は草原を時速60キロで走る事ができる。その脚力にスピードが加わるのだ。
 ラクスはそこまで考えてぞっとした。空恐ろしい破壊力。
「ご、ごめんなさいっ!」
 良く解らないけれど謝ってしまったラクスに、ダチョウの娘は顔を上げた。黒い瞳がラクスを射る。瞬間。
「ごめんなさぁいっ!」
 言って泣いて逃げた。
 魔法で隠蔽してあるこの場所は、部外者が入ってこれない。当然、中からも出て行けない。彼女は、ごん、とも、べし、とも尽かぬ豪快な音を立てて何かにぶつかり、そして倒れた。
 鼻を打ったのは間違いなく、ラクスは思わず自分の鼻を押さえてしまう。かなり痛そうだ。
 彼女の後ろでは、まだ二人のホムンクルスが壮絶なバトルを繰り広げている。
「ラクスの話を聞いてくださいっ!」
 多少声を張り上げようが、お構いなし。
 強烈な頭突きが決まったかと思えば、尾びれでのびんたで報復する、といった具合で。
 当初の目的である、多彩なデータの採取はできた。
 ホムンクルスたちはそれぞれに確固とした意思を持ち、そして各獣の体の特長を生かした戦術が駆使されている。
 半獣半人には、それこそ無限の可能性があり、戦いだけでなく他の分野にも生かす事ができるだろう。いい実験だったといえる。有意義な時間だった。
 しかし。
「しゅ、収集がつきません……」
 春に霞んだ空の日。木漏れ日の下で、やっぱり泣いてしまったラクスだった。



 結局、三体のホムンクルスは『図書館』に引き取ってもらう事となり、ラクスの手元には研究の結果と、それをまとめたものだけが残った。
 散々な実験だったが、それでも、次はどんな獣で実験しましょうか、などと考えてしまう辺り、学習欲が高すぎるのも問題なのかもしれない。